※NPCに萌えてみよう
※老魔法士とこどもたち ほのぼの
※2004/10/31
ノイクの目の前にバスケットに入った黒パンがある。
半分以上欠けているのは、さっき昼食になって彼の腹におさまったからだ。母親はこちらに背を向けて皿洗いに熱中している。
いましかない。
ノイクは覚悟を決めると、テーブルの上の黒パンをつかみ、玄関にむかってかけだした。物音に気づいた母親がふりかえる。
「ノイク!またおまえは!」
「あそびにいってきまーす!」
「お待ち、今日という今日は許さないよ!あんな浮浪者の言うことを間にうけて……こらお待ち!お待ちったら!」
石畳の細い路地を、いつもの場所目指して走り抜ける。がなりたてる母親の声がどんどん遠くなっていく。
「よう、ノイク」
とちゅうでおとなりのラディとばったり出会った。やはり手には戦利品をかかえている。ぶどう酒のビンだ、なんと半分近くも残っている。
「すげぇや、ラディ。きっとオジジも喜ぶぞ」
「喜んでくれなきゃ困るって。俺、帰ったらシリ叩き決定だよ。」
たいして気にした風でもなくそういうと、ラディは得意げに笑った。
よっつめのかどを曲がったところに、ノイクたちの”基地”がある。
曲がりくねった道の先にある猫の額ほどの空き地だが、それがかえって隠れ家のように思えて、ノイクのようなちいさなこどものかっこうの遊び場になっていた。
”基地”にはすでに人影があった。確かめなくてもわかった、ピリカとイーサだ。
「オジジ、今日はごちそうだぞ!」
”基地”に飛びこんだノイクが叫ぶと、すみっこの廃材の山から老人が顔を出した。
「ほら、パンだぞ。」
「ぶどう酒もあるぞ。」
「おうおう、いつもすまんことじゃのう」
オジジと呼ばれた老人は、ふたりに手渡された食料を前に顔をほころばせた。
「オジジ、食ったらアレな。」
「おう、アレじゃな。」
老人は黒パンにかぶりつきながらにやりと笑った。
「今日はどんな話をしようかのう。」
オジジは3ヶ月ほど前、ふらりとやってきた。ヒゲも髪ものびほうだいで、いつも垢じみてすりきれたローブを着ている。以前にどこで何をしていたのか、誰も知らない。
”基地”を荒らされてなるものかと、こどもたちはこのよそものを追い出そうとした。二日間に及ぶにらみあいが繰り広げられたが、地獄耳のイーサがオジジは元冒険者という噂を聞きつけてからというもの、またたくまにオジジの株は上がり、いまではこうして食べ物を差し入れるほどにまでなった。
ここプロンテラは、首都だけあって多くの冒険者が街を闊歩している。だから街のこどもなら誰だって、冒険者に憧れを抱く。オジジの語る勇ましい冒険譚は、ノイクたちの心をすっかりとらえてしまった。
お話の中で、彼は偉大な魔法使いで、あらゆるダンジョンを踏破した達人だった。大人はみんなオジジの言うことはでまかせだといっていたけれど、オジジの話はいつだっておもしろくて聞いてるだけでわくわくした。
オジジが指先から飛ばす火花は、見知らぬ大地への扉を開く鍵に見えた。
「ふーむ、そうじゃのう。」
黒パンを腹に詰めて一息ついたオジジは、まわりに集まってきたこどもたちを見渡した。
「本日は砂漠の怪鳥ペコペコの話をしてしんぜよう。」
「オジジ、それこないだ聞いた」
「では魔城グランドヘイムの話など…」
「え、グラストヘイムって言うんじゃなかったっけ?」
「うむむ…、ならば魔樹エルダウィローをばったばったとなぎ倒したときの…」
「それも聞いたよ?」
「う、うーむ、北の森の恐怖の魔猿はどうじゃ。」
「なにそれ?」
「チョコという名の猿じゃ。どでかい図体と長くてするどい爪を持ったおそろしい魔物じゃ。」
「よっし、それだ!」
ノイクは手のひらをぽんと打った。だが隣に座っていたピリカが唇をとがらせる。
「えー、つまんない。オジジ、他の話にしてよ~」
「なんでだよ、おもしろそうじゃん。」
「だってあたし聞いたことあるもん。」
「俺は聞いてない。」
「知らない、そんなの。」
「まあ、待て待て。ケンカするでない。」
あかんべえをしてそっぽをむいてしまったふたりをなだめていたオジジが、ふと遠くを見るような目つきになった。
「どうしたのオジジ?」
ノイクはふりかえってみた。日差しに照らされたいつもの街並みが見えるだけだ。
「いいや、なんでもない。そうじゃのう~……。」
眉をよせて考えこんでいたオジジが、ふっと笑った。
「今日はオジジが大魔法を見せてやろう。」
「大魔法!?」
法力に優れた魔導士だけが使える、強力無比な魔術。噂には何度も聞くけれど、まさかそれを目のあたりにできるなんて。
ノイクは興奮のあまり立ち上がった。ラディなんておおはしゃぎで跳ねまわっている。
「こりゃこりゃ、見たいなら騒いでないではやく座らんかい。」
オジジの声に、みんなあわてて座りなおした。頬は真っ赤なまま、目はきらきらしたままだ。オジジはこどもたちひとりひとりの目をのぞきこみながら言った。
「わしの大魔法はすんごいぞ、なにしろどんな魔物がきても平気の平左じゃ。
これはわしにしか使えん魔法で、そうじゃな……セイフティーカーテンというものじゃ。
これから古の儀式にのっとり、魔物を召喚する。
それはもうつよくてでかくてこわーいやつじゃ。
おまえたちなどまるごとぺろんと食べてしまうじゃろう。
じゃが、おまえたちにはわしが魔法をかけておく。
この魔法がかかっているかぎり、おまえたちは安全じゃ。」
こどもたちはざわざわと騒ぎはじめた。
魔物だって?ここに?
すごい、めったにないチャンスだぞ。
でもぺろんて食べられちゃうって…。
オジジが守ってくれるんだろ、だいじょうぶだって。
期待と不安がいりまじるノイクたちを見て、オジジがにやりと笑った。
「ただし、この魔法にはおまえたちひとりひとりの協力が必要じゃ。
いまからわしが良しと言うまで、息を止め、じっとしていなくてはならん。
できるかのう?」
「息を止めるの…?それって長い時間?」
イーサが不安そうにたずねた。
「息を止めるのは、合図をしたらでいい。
ただし、良しと言うまでぜったいに動いてはならん。
声をだしてもならん。魔法がとけてしまうでな。
……準備はいいか?」
ノイクたちはこっくりとうなづいた。
オジジは立ちあがり、両手で空中に大きく陣を描いた。
「エマタリモマ・ヲラコノコ・ヨミカ、……喝ーっ!」
期待していたような閃光も、爆音も、なんにもなかった。あたりには魔物のまの字もない。魔法をかけられたはずの自分の体も、見たところ特に変わった様子はない。ノイクは肩透かしをくらった気分で、オジジを見た。みんなそう思っているようだった。だが万が一にも、かかったはずの魔法がとけてしまってはいけない。声を出すのも動くのもダメといわれては、恨みがましい視線をオジジに送ることしかできなかった。
オジジは悠々と座りこみ、座禅を組んだ。しばらく退屈な時が流れた。
ノイクはしかたなく、窓からたれさがる洗濯物が風になびく姿を見てひまをつぶした。日ざしがようしゃなく照りつけてくる。誰もがオジジの魔法は失敗に終わったんじゃないかと思いはじめたとき、それはやってきた。
最初は、冷気だった。
氷室のそばを通ったときに感じるような、冷たい空気が路地から流れこんできた。
馬のひづめが石畳を蹴る音が近づいてくる。
ふるるるるぅ……。
背中を冷えた手でなでおろすような声が聞こえた。すぐ近くだ。ノイクの心臓が早鐘を打ち出した。
「だいじょうぶじゃ。おまえたちにはオジジの魔法がかかっとるでな。
ではまず息をゆっくり吐いて~。」
オジジの声に我にかえり、ノイクたちはあわてて肺のなかの空気を吐き出した。
冷気は強さを増している。
「吸って~~~、ほい、止める!」
限界まで吸いこんで、息をとめた。さんさんとふりそそぐ日ざしが嘘のようだ。全身に鳥肌がたって寒くてたまらない。ひづめの音は近づいてくる。
ふるるるるぅ……。
やがて路地の影から、それが顔を出した。そいつはひどく大きかった。そして向こう側が透けて見えた。
体は不定形で、つねにかげろうのようにゆらめき、ときおり亡者を馬の形に寄せ集めたかのような奇怪な姿をとる。そう言うときは決まって、か細く耳ざわりな声があがる。ふるるるるぅ……、と。
誰もが食い入るようにそれを見つめていた。目を皿のようにひらいて、それの一挙一動を見守るのがせいいっぱいだった。
動いたら死ぬ、理屈ではなく直感がそう告げていた。
それはひづめを鳴らして近寄ってきた。あたりはもう氷室のなかのようだ。それはこどもたちのまわりを歩きまわった。時折においをかいで、何かを探しているようだった。
ノイクは、それと目があってしまった。腐った血を凍らせたかのような眼だった。そらすこともできずにいると、紅色の目がじわりと大きくなった。それがノイクにせまってきたのだ。氷のような鼻面がノイクの顔におしあてられた。ノイクは必死に悲鳴を押し殺した。無理に押さえた悲鳴がのどの奥をゴリゴリと削って、涙があふれそうになった。
だいじょうぶだ。
だいじょうぶだ。
俺にはオジジの魔法がかかってる。
だからだいじょうぶだ。
だいじょうぶだ。
長い長い時間が過ぎたように思った。
ふるるるるるるるるるぅ……!
それは一声長く鳴くと、ノイクに背を向けた。
そしてひづめの音を響かせて、来たときと同じように、路地の影に去っていった。
あたりの冷気が薄れてきたころ、オジジが「良し」と言った。「やっぱりオジジはすげぇなあ。」
帰り道の話題は、オジジの魔法のことで持ちきりだった。
あの魔物の大きくおそろしかったことといったら、何度語っても語り尽くせなかった。その洗礼を耐えきったノイクはちょっとした英雄だった。ふだんならノイクのことを鼻で笑うピリカも、今日はちょっとしおらしかった。
胸躍る戦いも、きらびやかな宝もなかったけど、昼間のできごとはたしかに冒険だった。帰ったらすぐに家族に聞かせてやろう。
そしたら父ちゃんも母ちゃんも、ちょっとはオジジのことを見直すだろう。こどもたちは意気揚揚と”基地”からひきあげてきた。
だが。
「変だなあ。」
ラディが怪訝そうに顔をしかめた。
人の気配がしない。
いつもなら夕飯の準備におおわらわの家々が、物音一つたてていない。扉はすべて閉めきられ、灯かりのついている窓はなかった。
「父ちゃーん!母ちゃーん!」
「誰かいたら返事してー!」
こどもたちは声をはりあげながら通りをねりあるいた。
返事はない。
なんとなしにノイクたちは、通りの隅にある井戸に集まった。
いつもならここで母親たちが世間話に花を咲かせているはずなのに。ふたつの太陽の一つはすでに姿を消し、残る一つも街並みに埋もれようとしていた。
「まさか、魔物にやられちゃったんじゃ……。」
イーサがおずおずと不吉なことを言う。
「そんなことあるもんか!」
ラディが声を荒げた。道端の小石を力任せにけとばす。
石畳の上を跳ねとんだ小石は、夕闇にまぎれてどこにいったのかわからなくなった。
でも、あの魔物ならあるいは……。
誰もがそう思っていた。
重苦しい沈黙があたりを支配した。
とつぜん、ノイクが顔をあげた。
「呼んでる。」
「誰が?」
「わかんない、でもおーいって聞こえる!」
「どっちだ!?」
「こっち!」
走り出したノイクのあとをこどもたちが追いかける。角を曲がったとき、たいまつをかかげた一団が姿を現した。騎士たちによって護衛されたその集団から、いくつもの人影がまろびでた。
「ノイク!」
「父ちゃん!母ちゃん!」
「ああ、ラディ!」
「ピリカ!ピリカ!あたしのかわいいピリカ!」
「イーサ…!おお、神よ、感謝します……。」
たいまつの集団は見慣れた近所の住人たちだった。
彼らは歓声をあげてノイクたちに駆けより、抱き上げ、抱きしめ、乱暴にキスした。ようやく両親のもとにもどってきたとき、こどもたちはすっかりもみくちゃになっていた。
「えっと、あのー、騎士さま。母ちゃんたちはどうしたの?」
むせびながら良かったをくりかえす両親たちに首をかしげ、ノイクはこっそりかたわらの騎士に聞いてみた。
「今日、首都の大通りを中心に、古木の枝を使ったテロ事件があったんだ。
犯人たちは逃走しながら何匹もの魔物を召喚するという手法をとってね。
市街地にまで魔物が入り込んでしまう事態に陥ってしまった。
このあたりにもナイトメアという魂を食う凶暴な幽霊がまぎれこんでしまってね、近隣に避難勧告が出されていたんだよ。
俺は、正直きみたちはもうダメだと思っていた。
生きて帰ってきてくれて、こんなにうれしいことはない。」
彼もまた、うっすらと喜びの涙を浮かべていた。ノイクには騎士の言うことはむずかしくてよくわからなかった。けれど、オジジに助けてもらったんだとおぼろげながらも感じていた。その日からノイクたちは、台所から食べ物をくすねても、そんなに叱られなくなった。
おかげでオジジは最近、ちょっと太った気がする。