※バフォ様に萌えてみよう
※父ふたり コメディ
※2004/10/31
頭上高くかかげた斧を、いっきに振り下ろした。
切り株の上の薪が、ふたつに割れてすっとんでいく。男は薪を拾って束ねると、労働のあとの心地よい汗をぬぐった。
「かあさん、薪割りおわったぞ」
「あらあらとうさん、おつかれさま。いつものとこにおいといてくださいな」
薪の束を背負ってドアを開けると、妻がキッチンとダイニングのあいだを行ったり来たりしているのが見えた。テーブルの上にはナイフ、フォーク、コップ、そして大皿に盛られたキャンディーやケーキ。ふだんなら棚の奥にひっそり、それもひとにぎりしか置いてないものが、今日に限って大盤振る舞いだ。
無理もない、今日は娘の友だちがここをたずねてくる。それも、ただの友だちではない。
親子がこの北の森に近いプロンテラ郊外に引っ越してきたのは2年前。祖父の死を機に小間物屋をたたんで、きこりの仕事を継いだ。だが街で生まれた娘は知る人のいないさびしい森の暮らしになかなかなじめなかった。家から少し北へ向かったところに、きれいな水のわきだす泉があって、そこまで行けば、首都を目指す旅の一行を見かけることができる。街のにおいのする彼らを恋しがって、娘はよく泉へ散歩に出かけていた。そして帰って来ては街へ帰りたい、ここは話し相手がいないとふさぎこんでばかり。娘かわいさにうしろめたさも加わって、ずいぶんと気をもんだものだ。
そんな娘が笑顔を取り戻すきっかけが、くだんの友だちだ。いつものように泉へ散歩に行った娘が、その日喜びに顔を輝かせて戻ってきた。はずんだ息で、友だちができたと告げながら。鳥と獣しかいない森へやってきて、はじめてできた友だち。娘の喜びは想像にかたくない。その興奮で真っ赤に火照った頬を、父は半年たった今でも鮮明に思い浮かべることができる。行商人か、はたまた冒険者か、なかなか会うことはできないようだが、友情はたしかに育まれているようで、娘がwis鳥をとばす様をしばしば見かける。姿を見たことこそなかったが、娘の友人は両親にとって恩人だった。礼を言いたいと思っていたところへ、来訪を願うwis鳥が飛んできては断るわけがない。
かくして夫婦はなけなしの金をはたき、甘いものが好きだという友人のために、ささやかな宴の準備におおわらわ。娘は娘で、さきほどから、床の上にぺたりと座りこんだまま針と糸を手に布きれと格闘中だ。
「父さんのYシャツをお手本に何を作ってるのかな、アンジェラ。服かい?」
「うん、服だよ。ジェニファーくん、あんまり服持ってないって言うから、作ってあげるの」
娘は裁縫がそう得意ではない。既に2着分の布地を無駄にしてしまったことを、父は知っている。そして、それでも諦めずに母親に教わっていたことも、知っている。
まだ見ぬ友のためにがんばる娘の姿は、うれしくもありさみしくもあり。父はやさしく微笑みながら、娘のそばに腰を下ろした。
「どれどれ、ちょっと父さんに見せてごらん」
「もー、恥ずかしいからやぁだ」
娘はぷくっと頬をふくらませると、布地の上におおいかぶさった。
「あとすこしなんだから、じゃましないで」
「うーん、だがなあ。それちょっとちいさすぎないかい?」
娘が手にした服のサイズに父が首をひねったとき、ノックの音が聞こえてきた。
「ジェニファーくんだ!」
嬉々として玄関に走っていく娘。
ここへ来た当初は、もうあんな姿は見れないものと思っていた…。
感慨深いものを感じ、父はそっと目頭を押さえる。
そのとき。
「きゃあ!」
「どうした?」
娘の悲鳴が聞こえた。
反射的に体を浮かせた彼は、あんぐりと口をあけた。
『やー、どーもどーも。お邪魔しまーす!』
『なんだよー、けっこうみずぼらしい家だな』
『へー、この女がそうなのか~。なかなかいい趣味してんじゃんジェニファーのやつ』
『お、キャンディーみっけ。いっただきぃ!』
『あー、ぬけがけすんなよ。オレにもよこせよー』
「あ…あ…あ…」
「あらあらまあまあ、みんな元気なのねえ~」
妻ののんびりした声が妙に遠く響く。
部屋の中が茶色のもふもふした物体でうめつくされていた。大きさは娘のひざぐらい。二本足で立ち、すさまじい勢いで走りまわる。
その肩にするどい鎌をかつぎ、その頭には、ヤギに似たツノ。
「む、むすめ…よ…、”おともだち”というのは…」
父親は首の骨をきしませながら、ゆっくりとふりかえった。
愛娘は天真爛漫な笑顔を見せると、入り口に申し訳なさそうに立っていたそれを抱きあげた。
「おとうさん、紹介するね。この子がジェニファーくん。魔王さんの後継者なんだって!」
「は、はじめまして」
そう言うと、ジェニファーという名のバフォメットJrは、小さい体をさらにちぢこまらせた。
娘の初めてのおともだちが、魔王バフォメットの、息子。あの北の森の、あの畏怖の権化の、あの人類の脅威の……息子。
ひらきっぱなしの口をしめることすら忘れ、父は立ち尽くすことしかできなかった。娘は父親などすでに眼中になく、親友とのひさしぶりの再会に胸をはずませている。
「もー、ジェニファーくんたら。あんなに兄弟がいるんなら教えてくれたらよかったのに。あたし、ちょっとびっくりしちゃった」
「ごめんねアンジェラちゃん、来るなって言ったんだけど……」
「ううん、ジェニファーくんの兄弟に会えるなんてうれしいよ」
「ありがとう、でもそれだけじゃないんだ」
「どうしたの?」
「森の外は危ないからって、その、とーちゃんが……」
魔王の息子はうつむいた。
ようやく、父は扉の向こうの存在に気づいた。
人の身長をゆうにこえる巨大な体躯、限られた視界からはその全貌は見てとれない。だが、背中まで届くヤギのツノが見える。
粗い毛皮に覆われた太い足や、冷たい光を放つ鎌も。腹の底に響くような声がとどろいた。
『せがれが世話になっているようだな、ヒトよ』
父は、卒倒した。「それにしてもバフォメットさんちはご兄弟がたくさんいらっしゃるのねえ」
『うむ、そのジェニファーは、1026人目の妻に産ませた584人目の息子だ』
「あらあらまあまあ、うらやましい話だわあ。うちなんてひとりしかいなくて、兄弟でもいればさみしい思いもさせずにすんだのでしょうけど」
『多すぎるというのも考え物だ。ないものねだりは人も我らも変わらぬらしい』
テーブルをはさんで妻とバフォメットが茶飲み話に興じている。そのまわりをバフォメットJrが、お菓子片手にはしゃぎまわっている。
天井のはりにまでよじ登って雄たけびをあげるやつもいる。キッチンのほうから聞こえるけたたましい音は、鍋がひっくり返った音だろうか。
悪夢のような光景だった。
何故だ……なにがどうしてこうなったのだ……我が家はこのまま魔物の巣窟となるのか。親父の代からの家だから、雨漏りも多いし家鳴りもひどい。だいぶガタがきているけれど、小さいながらも楽しい我が家。はたらきものの妻とかわいい娘が待つスイートホーム、だった。
ああ神よ、私はなにかあなたのお気にさわるようなことをしたでしょうか。貧しくも清く正しく生きてきたつもりなのに。
『お~い、おっさんおっさん。生きてるか?』
『失礼なやつだよなー。挨拶したとたんぶっ倒れるなんて』
『起きてんじゃね?おまえちょっとかじってみろよ』
『ほいきた』
がりっ。
「うぎゃあああああああああああ!!!!!!」
すねが痛い、激しく痛い、飛び起きるほど痛い。悪夢のほうがまだましだ。
『おー、生きてた生きてた』
『えーと、どうすんの?とりあえず挨拶しなおす?』
言いたい放題の仔ヤギどもを憤怒の形相でにらみつける。ほんとうは怒鳴りつけてやりたかったが、もう一度噛まれるかと思うとちょっぴり腰がひけた。なにより、とにかく今は娘の身の安全を確認することが先決だ。
「アンジェラ……アンジェラは……。」
血走った目で部屋を見まわすと、いた。
「ジェニファーくん。はい、あーん」
『あーん』
「おいしい?」
『うん、とってもおいしい!』
「良かった。ミョルニル山脈のマンドラゴラのはちみつなんだって。行商のガメッツさんがそう言ってたよ」
『へー、それでこの辺のとは味がちがうんだ。アンジェラちゃんは食べたの?』
「ううん、ジェニファーくんにあげようと思ってたから」
『じゃあ、こんどはアンジェラちゃんの番~……うわっと』
「やぁだ、ジェニファーくんたらこぼしちゃって。うふふ」
服を着たバフォメットJrが、娘のひざのうえに座っている。見覚えのあるシャツは、まちがいなく娘が手ずから縫いあげたもの。
膝の上の魔物を見つめる娘の顔は、このうえなくしあわせそうだ。
『……おい、ジェニファー。おっさん固まってるぞ』
『/ショックって顔だな』
『お義父さん、目をさましたの?』
「あら、ほんとだ。おとうさん、もうだいじょうぶ?」
娘はYシャツを着こんだバフォメットJrを抱いて近寄ってきた。
「あのね、おとうさん。起きたばっかりで悪いけど、ジェニファーくんが大事なお話があるんだって」
「はあ……」
愛娘と魔物が仲良くはちみつを食べているという、魂も抜けるような光景のあとだ。もうなにがこようと驚かんぞ。
まだどこかしびれたような頭のすみでそんなことを考えつつ、父は空いていた椅子に座った。
『あ、あの……』
言い出したはいいが、その先が続かない。
仔ヤギの化け物は言葉をさがしているようだった。
部屋の中を我が物顔で物色していたJrたちが集まってくる。
『とうとうか?』
『言えるかな?』
『言うね』
『決めろよ、男だろ』
『ちょっとちがう』
茶色い毛玉のじゅうたんから、そんなひそひそ話が聞こえてくる。
なんなんだ、早く言え。
父は汗で濡れた額をこぶしでぬぐった。
さ迷っていたジェニファーの視線が、ひたりと彼の目にむけられる。
『娘さんを……』
「なんだ」
『僕にください!』
聞きかえそうかと思った。
何を言ってるのか理解できなかったから。
正確には理解したくなかったからだが。
だがじわじわとその言葉の意味が脳を支配していき。
そして、衝撃が彼を襲った。
それは津波のように彼からあらゆる感情を押し流した。
座っていてよかった。きっと立っていられなかっただろうから。
『ぜったい幸せにします!一生愛しぬきます!だから、おねがいします!』
「ジェニファーくん……」
娘は目を大きく見開いて、やがてゆっくりと微笑んだ。その大粒の瞳を、かすかに潤ませながら。
「うれしい、ありがとうジェニファーくん!」
彼女は腕のなかの恋人を力いっぱい抱きしめた。
『ジェニファーおめでとー!』
『おめでとうー!!』
『やったなジェニファー!』
『めでてぇめでてぇめでてぇなっと。お~い、誰か酒持ってこい!』
きこりの小屋は祝賀ムードに包まれた。
その主、ただひとりをのぞいて。
津波がひいていき、押し流されていた感情が戻ってくる。
腹の底でふつふつと煮えたぎるマグマとなって。
父親は立ちあがった。
「いかんいかんいかんぜったいにいか~~~~ん!」
「……おとうさん、そんな!」
「反対だ、反対!断固反対する!」
「まあまあとうさん、ちょっと落ち着きましょうよ。そりゃちょっとご兄弟の方は元気がいいけれど、ジェニファーちゃんは挨拶もきちんとできるいい子ですよ~?」
「アンジェラはまだ12だぞ!だいたい、身の丈30cmの婚約者など認められるか!」
『ぼ、僕こう見えても120歳で……』
「やかましい!とにかくおまえなんぞに娘はやれん!」
「とうさんたら、そんな目を三角にして怒らなくてもいいじゃありませんか」
「かあさん、わかってるのか!あれの親はバフォだぞ、バフォメット!あの魔王バフォメットなんだぞ!」
「ご本人を目の前に失礼ですよう、父さん。それに私の話をちゃんと聞いてくれるし、その点ではおとうさんよりやさしいかも~」
「ぐっ……、その件は後日ふたりでゆっくり話しあうことにして、とにかく反対だ!」
『そんな、お義父さん…。』
「きさまにおとうさんなどと呼ばれる筋合いはーーーーー!」
『あああ、すいませんすいません、つい~!』
父の勢いに押されて、ジェニファーが頭をさげた。
ぎらり。
その拍子に彼が持っている鎌が不穏な光を放つ。思わず体をひいてしまう父、それに自分で気づいて舌打ちをする。
「ええい、らちがあかん!」
言うなり彼は家の外へ飛び出した。目指すは家の裏手、彼の仕事部屋だ。木屑と木っ端がちらばる部屋の片隅、愛用の斧にまじってひとふりの剣がある。昔取ったなんとやら、彼もまた冒険者にあこがれ剣士を目指していた時期があった。妻をめとってからは足を洗っていたが、魔物の多いご時世のこと、いつなんどき大事な家族が襲われるかわからない。そう思って手入れを怠ることなく今日まできた。
いまこそ、その成果を見せるとき。
斧とは違った重い感触、数年ぶりに握るつかはどっしりと頼もしい。
「待っていろ魔物め、娘はぜったいに渡さんぞ!」
勢いこんで扉を開け放つ。
しかし、その先にあった巨大な影に、彼は総毛だった。
目の前、彼がいつも薪割りにつかっている小さな空き地。そこに北の森の魔王、バフォメットがたたずんでいた。
大きい。
あらためて見れば、その身長は人の二倍近く。その巨大さだけでも充分威圧的だ。
加えて魂を抉り取るような眼光。尊大に、傲慢に、値踏みするように彼を見る。
食いしばった父の歯の隙間から、不明瞭な音がもれる。ヤギの頭を持つ獣は、彼をじっとみつめている。
父のこめかみから冷たい汗が流れて、あごからぽとりと落ちた。手も足も縫いつけられたように動かない。捕食者を目の前にしたちいさな動物のように、体が動くことを拒否していた。
息さえも殺しながら、ただ両眼のみで魔王の出方をうかがう。
静かな森。
小鳥のさえずりに逃避しそうになる。
視線を泳がせた先に、柴の山があった。適当な束にまとめて、ひとくくりにして積んである。
大人が抱えるには少しちいさなそれは、娘が自らすすんでやったものだ。仕事に熱中する父が気配に気づいて振り向いたとき、娘はすこしもじもじしながら手伝いを申し出た。それまでは父の仕事を、ただ遠巻きに見ることしかしなかった娘が。
「ジェニファーくんはおとうさんのおてつだいしてるんだって。わたしと同じぐらいの年なのに、すごいよね。だから、わたしもがんばるの」
そう言って見あげてきた娘。その大粒の瞳、無垢な笑顔。思い出せば胸がきりきりと痛んだ。
娘は俺の宝、俺の命だ。魔物の妻になどなれば、魔物からも、人間からも追われる身になるだろう。愛に生きる、それは美徳かもしれない。だが俺の娘がそんな茨道を歩むことはない。平凡でいい、まっとうで安全な人間らしい暮らしをおくってほしい。たとえ恩人であろうと、魔物の妻などにさせはしない。
父は剣を握りなおした。
「お、俺、俺は、反対だ」
声はひび割れ、裏返っていたが、彼はかまわず続けた。
「魔物の嫁になんぞ、絶対にさせん。アンジェラには、娘には、人並みの幸せを、つかませてやりたい」
ふるえる筋肉を叱咤し、父は剣をかまえた。魔王の前で、古い剣はひどく頼りなかった。最後に剣を握ってから、もう何年になるのか。こんなことなら手入れだけでなく修練のほうもやっておくべきだった。全身を覆う茶色の剛毛、その下に隠れた厚い筋肉は、生半な斬撃ではかすり傷すらつけられないだろう。
「出て行ってくれ……すぐに、今すぐに。た、たとえあんたが相手でも、俺は、俺は絶対に許さん!」
叫ぶと同時に父は無我夢中で切りかかった。
魔王は首を振ると彼に向かって息を吹きかける。吐息は突風に変わり、父はたたらを踏んだ。
『退くが良い、ヒトよ。余はせがれが恩人を害するほど冷血にあらず』
糸が切れたようにその場に座り込んだ父を、バフォメットは興味深げにながめた。
『ヒトよ、うぬと余は越えがたき線を隔てたモノ。うぬらにとって余がそうであるように、余にとってもヒトは奇矯なる存在であることよ。』
蒼白な顔で、なおもこちらを見あげてくるひとりの人間の視線を、魔王は静かに受け止める。
『特に親の子への執着は解せぬ。心あるものならば、魂魄を分けた相手を愛でるは必然ともいえようが、うぬらのそれはいささか度を越しているように見える。我が子かわいさのあまり、うぬのごとき鼠を、虎へと変えるのだからな。』
「お、俺は、とうぜんのことをしているだけだ……」
剣をささえに顔をあげ、父はしぼりだすような声で言った。
『魔物は親子の縁が薄い』
魔王は、すこしだけさみしげに笑ったように見えた。ヤギの表情などいっかいの木こりにはわからない。
バフォメットは一息つくと、天をあおいで遠吠えをした。木々がざわめき、おびえた鳥が飛びたつ。
『いとまごいをせい、せがれども。行くぞ!』
家のほうからどやどやと音がしたかと思うと、茶色い毛玉がドアと窓からあふれ、こちらへ向かってくる。
『ちぇー、もう終わりかよ。もっと遊びたかったな』
『ニンゲンの家なんて初めてだったのに~』
窓から妻と娘が顔を出す。
娘はあの仔ヤギの化け物を腕に抱いたままだ。
「もう行っちゃうの?」
「そうですよお、もっとゆっくりしていけばいいのに」
『とーちゃん、僕も行かないといけない?』
『無論だ』
『そっか……、それじゃあねアンジェラちゃん。』
「ジェニファーくん、また会える?」
『うん。今度会うときまでに、僕、もっと男を磨いてくるよ』
そういうと服を着た魔王の息子は、娘の腕から飛び出した。
「ど、どこへ……」
父が最期の気力をふりしぼって問う。
既に立ち去りかけていた魔王が歩みを止めた。
『しれたこと、ミストレス女王にはちみつをわけてもらいに行くのだ』
「……はちみつ?」
『せがれどもの好物でな』
今度こそ真っ白になった父を残して、魔王の一行は夕暮れの森の中へ消えていった。
となりでは娘が能天気に手を振っている。
「また来てねー!」
そう言いながら。