※お題『レベル4武器』
※まなか陸 (Ridiculus)
人は、私と一緒にいると不幸になるといいます。
だからもうずっと長い間、私は一人ぼっちです。
これは贖罪。幼かった私が引き起こしてしまった悲劇への代償。わかっています。
もう、どれくらいの間ここにいるのでしょう。ここは暗くて、時の流れが分かりません。
最後に外を見たのはいつだったでしょうか。花咲き乱れ、光溢れる春だった事は覚えています。外に出たい。
わかっている。悪いのは私。だけど、出たい。
私の罪が許されるのはいつでしょう。光を浴びたい。外の空気を吸いたい。
気持ちが溢れて、零れ落ちて。頬を濡らします。お願い、誰か。誰か、ここから、出して―――!!
答えるものがあろうはずもなく、少女は床にくずおれる。力なく床を叩く腕は細く、こぶしは小さい。
うずくまる。出口を探して。いつそれが見えるのかは、わからないけれど。その日、一人の男がそこを訪った。
長い間締め切られた石の地下室だというのに、全くかび臭くない。ただし壁には無数の傷が縦横無尽に深く刻まれている。
窓はない。
ランプの光では奥まで届かない。男は静かに一足踏み出し、そして止まった。そこには一人の少女がいた。
弱いランプの光にすらまばゆく輝く黄金の髪が、ベールのように体を覆っている。床に着くほど長いだろうか。
小さな体をまるめ、向こうの壁に寄り添い蹲っている。
双方、ことりとも動かない。静寂が流れる。と、少女の髪がふわりと浮いた。風を含んだかのごとく、優雅に膨らむ。
息を飲んで見つめていると、またふわりと背に落ちた。少女の息吹か鼓動に合わせて動いているようだ。
そして、男は気づく。少女の寄りかかっている壁の少し上に、一振りの剣があることに。「見つけた……」
ため息のような、かすかな声が漏れる。同時に、蹲る少女がびくりと動いた。顔を上げる。視線が絡む。
「……誰?」
わずかな光を帯びる金の瞳。金粉でもまぶしてあるのかと思うような、ほのかに輝く白い肌。
誰何する声も、金の鈴を振るように美しい。ただ顔立ちはまだどことなくあどけない。総じて愛らしい少女だった。
好事家であれば、いやそうでなくても、大概の男なら目を奪われるに違いない。
だが男はそんな少女には目もくれず、視線は少女の少し上に固定して歩み寄る。少女は思わず身を引いた。
男が手を伸ばしたのは、壁にかかる剣。少女と同じ、輝く金作りの剣。指先が触れようとした瞬間、ばちりと耳障りな
音が響いた。男は後ずさりして指先を口に咥える。しばし咥えて吐き捨てたものには、血が混じっていた。「……泥棒?」
金の瞳が疑惑に歪む。男は肩をすくめた。その目に悪意はない。
「……お前、自分が何か覚えてないのか?」
「わたし……は、わたしよ」
「まぁ、そうさな」
男はもう一度手を伸ばした。壁にかかる剣の、ぎりぎり傍に手をかざし、呟く。
「錆びよ歪め、曇れ鈍れ、汝剣たるに相応しからず」
とたん、剣を留めていた金具が砕けて落ちた。がちゃりと鈍い音を立てて男の手に収まる。少女は息を呑む。
「ほら、立ちな」
「え?」
きょとん、と瞳を見開く少女に、男は言葉を続ける。
「もう立てるはずだぞ。これのせいでお前、壁のところから一歩も動けなかったはずだし」
少女は恐る恐る足に力を込めた。壁に手をつき、ゆっくりと立ち上がる。
「結構結界も緩んできてたから、遅かれ早かれ立てただろうけどな」
立ち上がる様を視界の端にして、男は辺りを見回した。
「……にしても、派手に暴れてくれたよなぁ……」
壁に縦横無尽に走る傷。ところどころ深くえぐれたり、ひびが入り砕け落ちているところもある。
「……壁に八つ当たりしたら、ここから動けなくさせられたの」
「まぁ、これだけの力があればしゃーないだろうなぁ」
よっこらせ、と男は立ちあがった。「んじゃ」
「え?」
「お前、外出たかったんだろ。好きなトコ行けよ」
「え?ええ!?」
「俺の夢にさんざ出てきやがって。こっちは寝不足だ。今から寝に帰るからお前は好きにしろ」
驚愕に金の瞳を見開いた。夢とはなんだ。出てきたとはなんだ。
「ちょ……ちょっと待って!」
少女は慌てて男にしがみついた。男の胸にやっと届くかという身長。
「出たい出たいって言ってただろ。もう何処へでもいけるぞ」
「どうして……」
この人は、泣き崩れ、叫んだ自分を知っているのだ。
少女が動揺する一方で、男は冷静に見下ろしてくる。
「俺はドワーフの血を少しだけ引いてる、って言えばわかるか?」
「!」
自分を召還した、背の低い男が脳裏によぎる。あれはドワーフ族だったのか。
「そのドワーフは、この剣を作った、凄く腕のいい刀匠だったんだとよ。そのせいかどうかは知らないが、お前の叫びに感応しちまったんだよ」
男は肩をすくめた。
「でも、それは俺には関係ないからな。お前はお前の好きな道を行くといいさ。この剣は持って帰って、絶対に抜けないよう溶接するから、お前は振り回されることもない」
んじゃ、とすたすた歩いていこうとする男。少女は大慌てで回りこむ。「待って……おいてかないで!」
男は目を丸くする。
「はぁ?」
「連れてって、お願い」
「連れて行ってって……」
「お願い!!」
「うーん……」
連れて行くこと自体には問題はない。独身だし恋人も居ない。というより、連れて行かなければならないのだが、この娘は―――「お前、自分の名前覚えてるか?」
少女は黙り込んだ。
「言えるなら、お前がおまえ自身が何なのか知ってるなら連れてってやるよ」
うつむく。光のベールのように滑り落ちる髪。
「心配するな。俺はお前が何か知ってる。この剣が何なのかも知ってる。誓って悪用はしない。約束する」
見上げてくる金の瞳。
「……鞘から抜けてしまえば、必ず一人は殺す剣なの。私はそれで幾人もの人を犠牲にしたの」
「わかってる」
「わたし……」
「俺はお前を抜かない。約束する」
「……」
静かに見下ろしていると、意を決したのか、瞳が光を増した。
「わたし……私の名は……ティルフィング。聖剣ティルフィング」
柄に象嵌された宝石に、琥珀色の光が宿る。それは少女の瞳と同じ色。
「わたしはわたしの心のままに使役します、マスター」
見上げてくる、意思のこもった強い瞳。
「どうぞ、お名前を」
「……ドーリン」
「マスター……ドーリン様」
少女がそっと右の手首を握ってくる。人ではないのにそれは暖かい感触だと思い―――
瞬間、視界が真っ白になるほどの光が辺りを覆った後、彼は一人になっていた。
「ティル……フィング?」
腰に目をやると、ちゃんと剣は下がっている。脳裏に響く声。
―――わたしは、あなたと一体となりお仕えします。用事があったら呼んで下さいね
「……おう」というわけで、一人の男と少女……もとい剣の精の生活がはじまった。
持つものをとことん不幸に叩き込む剣のマスターな俺は、ひょっとしたら世界一不幸な男なのかもしれない。
眠りに落ちる寸前、ドーリンはふとそう思った。久しぶりに深く夢のない眠りだった。"聖剣ティルフィング"
昔々、どこぞの王様が、えらく腕の良いドワーフの鍛冶屋を脅して作らせたそうな。
錆びることなく、狙い違うことなく、鉄でも石でも切れないものはない、持つものに勝利をもたらす黄金作りの剣。
出来上がった剣は、王様の望みどおりのものになったけれど、ドワーフたちはその剣に呪いをかけた。今日からお前はこの剣に住むのだよ。
そういわれたとき、彼女は素直に頷いた。精霊としてまだ幼かった彼女は、剣に掛かった呪いなど、見破る事はできなかった。
多くの血を吸うことになった。数多の呪詛を、怨嗟の声を聞いた。
剣を抜いたものに破滅を―――
そう呪われていることに気がついたのは、あの石造りの部屋に封印され、しばらくしてだった。
好きだった空も、もう見ることはないだろうと諦めていた。呪いを見抜けなかった自分の罪なのだから、と。
だから出してもらえたことがとても嬉しかった。
そして、いつか剣の主に破滅をもたらしてしまうかもしれないことが、恐ろしく悲しかった。
魔剣と呼ばれるようになってしまったことが、寂しかった。「あのぅ、マスター」
遠慮がちな声が響いたのは、それから5日後。男が製鉄していたときの事だった。
後ろの木の椅子に、少女がちょこんと腰掛けている。ずっと待機しているのは幼い彼女には辛いだろうと呼び出したのだ。
少女の座っている背後の壁には、少女の本体でもある剣が、がっちりと柄と鞘を溶接されて掛けられている。
「ドーリンでいいぞ」
「えと……ドーリン様」
「様いらない」
「……ドーリン」
「なんだ?」
しばし沈黙が流れる。続きを促そうかと思ったら声がぼそりと続いた。
「暇です」
「そりゃーそうだ。今は戦時中じゃないし、俺は鍛冶屋だからな」
「そうなんですか?」
「厳密には、魔物がうろついてるし、平穏至極ってわけじゃー、ないけどな」
「鍛冶屋さん?」
「おう。見た目で気がつかなかったか?」
気づくわけがない。昨今の鍛冶屋の流行スタイルは開襟シャツにジーンズという、そこらの好青年の格好だ。
これで鍛冶屋やってますと言った所で、事情を知らない者なら誰一人信じないだろう。
「えっと……えっと……ずいぶんさわやかな格好なんですね」
「涼しくていいんだけどな」
また沈黙が流れる。
「暇なら外で遊んできても良いぞ」
「え!?って……いいんですか?」
「その頭を黒にするならな」
「それは簡単ですけど……」
「服も簡単か?」
「それは、流石に本物がいります」
「んじゃー、ちょっと待ってろ」
ドーリンは奥の部屋に入っていって、しばしがさごそしていたがそのうち戻ってきた。
「ほれ」
ぱさりと投げかけられたのは、大体少女の寸法に合いそうなエプロンドレスだった。
「えっと……ドーリンってこういうの着るんですか?」
「待て」
そういうのは変態だ。といおうと思ったが、彼女は全く無邪気に聞いているらしいので文句を言うのは止めた。
「妹の服だ。妹は去年流行病で死んじまったから、着てくれればちょうどいいさ」
「……」
「外に出るのは心配しなくて良いぞ。お前の事はペットだって言っとくから」
「ペット……ですか?」
「外見てみろ。カーテンの陰からそ~っとだぞ」
言われて外を見てみると、確かに冒険者の傍に寄り添っているいろんなモンスターがいる。
「モンスターも敵ばっかりじゃないからな。人が好きで傍にいたがる奴もいる。お前は髪さえ黒けりゃちょっと見はソフィーに見えるし、うろついてもそれほど怪しくないだろうさ」
「あのぅ……ソフィーって、着物を着てますよね?」
「あー、ソフィーって結構おしゃれでな。最近はいろんな格好してるのが多いぞ。絶対数が少ないから目立つんだけどな」
「それ、まずくないですか?」
「いや、珍しいからみんな先入観たっぷりで見るし、ソフィーは元々他人に近寄られるのが嫌いだから、まともにじっくり
見てる奴なんてそういない。だいじょーぶだいじょーぶ」
「あの、入手経路は……」
「しょっちゅうあちこちに鉱石の買い付け行ってるから問題なし」
「……わかりました」
とりあえず頭を黒く変えて、ドレスを着る。
「それっぽくちょっと浮いてみ」
ふわりと浮く。
「髪、ふよふよできるか?」
「えーと」
ふよふよふよ。
「よし、オッケー。んじゃ行くか」
「え、どこへ?」
「ペット証貰いに城に行くんだよ。つけてればペットとして扱われて、攻撃されることがなくなる」
「あ、はい」
当面の応急処置として、腕に白い紐を巻いてやった。危険はない、服従するという証だった。外は明るかった。花の良い香りが鼻腔をくすぐる。
「離れるなよ~」
「はい」
ティルフィングは血の香りしか記憶にない自分に突然気がついた。それは、とても空しいことなのではないだろうか?
世界はこんなにも美しいものだったのか。溢れる光、人の喧騒、透き通る空、白い石畳。目に映る光景が輝いて見える。
ふと、とても嬉しくなってドーリンにまとわりついた。
「なんだ?」
驚いたように自分に視線を落としてくるけれど、また前を向く。妹が居たという彼にとって、きっと自分のような少女にこんな風に寄り添われることなど、日常茶飯事だったのだろう。
人のぬくもりとはこんなにも愛しいものだったのか。拒絶されないという事はなんと幸せなことなのだろう。
それは魔剣といわれてきた彼女にとってひどく新鮮な驚きだった。「おや、ソフィーとは珍しい」
「ええ、ものは試しでやってみたら懐いてくれたので」
「どうぞ、大切になさってくださいね」
腕に白く細い紐を巻かれる。先ほど巻かれたのと違うのは、真珠色の光沢があることと、薄い銀のプレートがついていること。
誰が主人であるのかがそれに記されていた。
「これ、ペット証だから外しちゃダメよ」
こくりと頷くと、いいこいいこ、と頭を撫でてもらった。優しくされることが嬉しくてくすぐったい。
にこにこと笑っていたら、おまけに棒つきの飴まで貰ってしまった。「なんだか子供みたいだな」
帰り道を歩きながらドーリンが苦笑する。飴をなめなめティルフィングは答えた。
「……女の子は甘いものがすきなんですよ」
「……女の子?」
「そうですよ、私はソフィーですもの」
顔を見合わせてくすりと笑う。緩やかに、風が通り過ぎた。時は流れ、やがてドーリンは結婚した。ティルフィングはドーリン家の守り神として大切に扱われていた。
彼は誓いを破ることなく、決して剣を抜く事はなかった。子供が生まれるとティルフィングは良くあやしてやり一緒に遊んだ。子供も彼女にとても懐いた。どこから見ても幸せな一家だった。
鍛冶屋らしく剣の精を大切にしたせいか、ドーリンの作る武器は質が良いと評判が高くなっていった。その日も、いつもと同じように彼は製鉄をしていた。
どぉんっ!
突然のものすごい轟音に、鎚を取り落としかける。
「なんだ!?」
ティルフィングがとっさに窓辺に駆け寄った。
「テロです!」
慌てて窓から外をうかがうと、プロンテラ城のあるほうから人々が恐怖に顔を引きつらせ走ってくる。
「テロだ!」
「バフォメットがいる!」
外の喧騒とは裏腹に静まり返った室内。
「おー、大変そうだなぁ」
「ですねぇ」
二人で窓からぼーっと外を見ていた。
「そういえば、奥様は?」
「あ?えーと……」
しばし思考を巡らせ、ふと思い出す。
(お買い物に行ってくるわね)
子供をつれ笑顔で出て行った妻。柔らかな笑顔で。
「あーーーー!」
そもそも忘れるなという話もあるが、窓ガラスがびりびり言うほどの大音声を出した彼には届くまい。
隣にいたティルフィングも思わず耳をふさいだが、血相を変えて壁にかけてあった剣をつかんだ彼を見て顔色が変わった。
「助けに行かないと!!」
そして止める間もなく飛び出していく。ティルフィングも引きずられるようにして後に続いた。続かざるを得なかった。扉を開けたとたん、むっと熱気が吹き付けてくる。どうやらテロは、首都プロンテラの防衛を勤める民間ギルド群の拠点が集う、ヴァルキリーレルムの方で起こったらしい。人の流れが南へと向かっている。
「何処だろう……何処に行くって行ったっけ」
呟きながら周囲を見回し、とりあえず人の流れと反対に走ってみた。人が切れるまでに妻に会わなければ、逃げたと思えると勝手に思い込んで走った。プロンテラ城の堀に掛かる橋が見えてきたところで、人の切れ目が出来る。
「!」
同時に、モンスターが津波のように押し寄せてきているのが見えた。黒くうごめく塊が、色が違うのになぜか海の泡のようだと思った。思わず手に剣を握り締める。それは普段鉱石を集めたりするときに使っている愛用の環頭太刀……のはずだったが、やけに重い。視線を右手に落とす。
「あ"」
手の中の剣を見て絶句した。溶接された鞘と剣、象嵌された輝く琥珀。
「ティルフィングを持ってきちまった……」
数多の戦士が、喉から手が出るほど欲しがる魔剣。だが彼にとっては決して抜かないと誓いを立てた、只の鉄の塊。
ふと振り返ると、剣の精がにこりと微笑んだ。そして、いつかと同じように暖かいと感じる手で触れたと思うと、姿が消える。
入れ替わりに脳裏で声が響いた。
―――握ってください
「!?」
それは彼と契約を交わした剣の精の声。
―――鞘をつけたままでいいですから、握ってください
「俺は剣なんてろくに使えないぞ!?それにお前と交わした……」
―――私が動きますから、それにあわせて体を動かしてください。とりあえず最初の一撃を受け止めます
軽く無茶なことを言うな、と言いかけたら、いきなり腕が引っ張られた。それに引きずられて足が動く。歩かなければ転倒してしまうほどの勢いで、剣は彼を引きずりつつレイドリックのほうへ動いた。
―――細かい事は考えないで。しっかり握っていてください
ひらめくものがあった。思わず大声を上げる。
「まさか……!」
レイドリックへと大きく腕を振りかぶるように剣が操ってくる。がきんっ
刃がぶつかり澄んだ音が響く。返してくる太刀筋をなんとか受け止める。
考えていては間に合わないと、ドーリンは動きに集中した。生まれつき器用な彼は、剣の動きに従ってなんとかステップを踏むことが出来た。鍛冶屋であるが故、敵の大きさや武器の特性をよく知っているので、どんな敵でも武器の威力が変わらないということも手伝い、そこそこ互角な戦いをする。
激しい叩き込みをなんとか受け止めてから思い切りなぎ払った。レイドリックがたたらを踏んだところに返す刀を胴へ叩きつける。が、鞘がついているから切れるわけではない。
その代わり空洞の鎧を殴る、凄まじく空ろな音が鳴り響く。次の斬撃を受け止める。びしっと乾いた音。
(砕ける)
もう一度なぎ払い、再び胴へ叩きつける。今度はバランスを崩しよろめく。そこへ駄目押しの追撃を加えて転倒させる。ばきんっ
度重なる衝撃に耐え切れず、溶接をしていたところから、溶接ごと綺麗に鞘が割れ落ちた。
瞬間―――「うわっ」
目もくらむほどのまばゆい光が象嵌された琥珀から溢れる。
思わず目を閉じて次に開けたとき、一瞬状況を忘れて見入った。
それは透き通る蒼い刀身。鉄ではない。金でもない。オリデオコンで作られた、永遠に歪むことのない刃。
海の青、空の青、サファイアの青。思いつく限り全ての青を並べてもまだ足りないほど美しい青が燐光を帯びている。
鞘がついていたときと違い、驚くほど軽く滑らかに動く。動きに乗せて体を動かしたら、レイドリックの振りかざした刃とぶつかり、衝撃どころか抵抗すらなく、レイドリックの剣ごとすぱりと切り倒す。
「な……んだこれはっ」
声が漏れる。ドーリンは、自分の腕が自分のものではないかのように見つめた。厳密にはティルフィングが操っているわけだから彼のものではないのだけれど。それにしても、と思う。
単に馬鹿力があるから切れるというものではない。脂肪や血液の付着で切れ味が鈍るのが剣、すなわち刃物の武器である。オリデオコンを使用した剣はある程度付着物を弾き、切れ味を保つ特性を持っているが、ティルフィングは次元が違った。まるで刀身から水が溢れているかのごとく、どれほど酷使しても涼やかに青いままなのだ。
そしてその日その場にいた者は生涯忘れられない光景を見た。
ただの鍛冶屋に過ぎない男が、青く光る刀身を持つ剣を操り、次々に敵をなぎ倒していくさまを。
ティルフィングが舞うたびに敵が一匹倒れる。垂れ幕を払いのけるかのごとくなぎ払われる。百戦錬磨の猛者ですら手を焼くレイドリック、彷徨う者、ハイオーク。ラーバゴーレムに子バフォ。切れないものはなかった。
当たれば必ず相手が倒れる。そのなんと小気味よいことか。
津波のように押し寄せてくるモンスターを、その鍛冶屋がたった一振りの剣のみで防いでいるのだ。もちろん、横からすり抜けたものなどは、駆けつけつつある有志達が殲滅を始めていたのだけれど。
そして、津波がようやく途切れたと思ったら、テロは収束していた。「終わっ……た?」
我知らずものすごい勢いでアドレナリンを放出し続けていたのだろう。緊張が切れると同時に、がくっと足から力が抜けた。
同時に肩が猛烈な悲鳴を上げ、腕が鉛を詰め込んだかのように重くなる。手から剣が派手な音を立てて落ちた。
「あ、いけない……」
慌てて拾おうとして、固まる。
そこに落ちていたのは、あの素晴らしい青の輝きなど面影もないただの剣だった。琥珀と思っていた宝石も、煙が掛かったかのように白っぽく変色している。
「ティルフィング!?」
思わず叫ぶと、ふっ、と腕が少しだけ軽くなり、目の前に淡い金色のものが見えた。
「……無理をしすぎたみたいです」
徐々に薄れる金の輝き。出会った時と変わらない黄金の瞳だけが鮮やかに輝く。地面まで豊かに届く髪も金色に戻っていたけれど、なぜかとうもろこしのヒゲのようにふわりと頼りなくなっていた。
「でも、良かった。お役に立てて」
にこりと浮かぶ微笑が儚い。
「なんで過去形なんだよ」
「……それは、剣の呪いを私が受けるからです。正確には、鞘にかけられた呪いだったんですけど」
金色の輝きが徐々に薄れていく。
「良かった、あなたに会えて。いろんな幸せを教えてくれてありがとうございました。退場があっけないですけどね」
「どっか行くのかよ……」
「さぁ。精霊はどこへいくんでしょうね……人間で言う、天国とか、あるんでしょうか……」
「待て、待ってくれ」
「長い間ご迷惑をおかけしました。無理言ってついてきちゃって……」
「迷惑になんて」
思ってない、と言おうとしたとき、目にごみが入った。思いのほか痛くて声が出ない。
「良かったら、鞘を作って、元あった場所へかけておいてもらえますか?」
ちょっと待てと言おうと口をあけたら砂が入った。「では」
そしてようやく砂が取れたと思ったら、そこにもう光はなかった。
それから二度とドーリンは仕事をすることはなかった。あの立ち回りで腕を酷使しすぎ、食器より重いものを持てなくなったのだ。
代わりに、テロを鎮めた英雄としてルーンミッドガルド公国から多額の報奨金が出ていたから、食い詰めることはなかったのだが。
ティルフィング "だった "剣は、皮の鞘を応急処置として被せ、彼の家の、もともと掛けてあった場所に戻してある。
武器をもてない状態で、最初に安置してあった場所へ持っていく自信はなかったし、人に頼みたくもなかった。
好事家が是非譲ってくれと懇願してくることが、数えるのも嫌になるほどあったが端から断った。
一応、城勤めの偉い宮廷魔道師に一度見てもらう機会があった。彼いわく
『おそらく、眠っているだけです。時がたてばまた元に戻るとは思いますが、それが何時になるかはわかりません』
と聞いたので、多少二の足を踏んでいたのもある。
何度も夢を見た。ソフィーとして暮らし始めてからの彼女ではなく、最初に見たあの石造りの地下室で蹲っていた、揺らめく金髪の少女を。連れて行ってと懇願する、必死さと寂しさの入り混じったまなざしを。大切なものは、失ってから初めて気がつくものだ。
『多分、百年単位は掛かると思いますよ』
脳裏に宮廷魔道師の言葉が空しく木霊する。
時は流れ、ドーリンは老いた。だんだんと横たわっている時間が増えた。彼の子供は結婚し孫も出来た。
日当たりの良い部屋を用意してもらい、孫達に囲まれながら、おおむね幸せな人生を送ったと思う。
ベッドから見えるところには、一振りの剣が掛けられていた。刀身はオリデオコン製。特有の淡い青をたたえている。
ほかの部分は、一見黄金で出来ているように見えるが実はエンペリウム製だと後にわかった。黄金よりなお純粋な、見るものに太陽の輝きを思わせる光沢を放っている。
鞘はない。どのような鞘をつけてもどうもしっくりとこず、結局外したのだ。
西日をうけてきらきらと輝くそれに、見るともなく視線が投げられていた。いつも周りを囲む孫達も、今日は学校があって留守。
日の光は赤みがかった金色を帯びて、まもなく夜の帳の彼方へ去ることを見るものに語っている。
ドーリンは一度視線を枕元においてあった水差しへ移し、また剣のほうへ戻した。差し込む光は、柄に象嵌された、白い煙を閉じ込めたような宝石に吸い込まれて見えた。
(水が飲みたい……)
普段なら傍で本を読んでいる孫の一人がすぐ水差しから水を注いでくれただろう。だが今はいない。家人も買い物で留守だ。
どうしたものか。最近背筋が軋むが何とか起き上がろうか、と悩んでいると、口元に器があてがわれた。
それが余りにも自然だったので、疑問を感じる前にそのまま飲んだ。ひんやりと冷たく、喉が渇いていたせいかとても甘く感じられた。
満足するまで飲み干すと、器が離れた。一息つく。
「帰ってきたのか?」
孫が知らぬ間に帰ってきたのだろうと頭を動かす。
「帰ってきました」
布団の端に零れ落ちる、西日を受けた金の髪。驚愕に目線を跳ね上げる。
「……お待たせして、申し訳ありませんでした。マスター」
微笑む笑顔は、記憶よりも大人のものになっていた。背も高く、体つきも女らしく変わっていた。ただ声だけが昔と変わることなく、金の鈴を振るように美しい。
壁にかけられた剣の刀身が、いつの間にか懐かしい青を帯びて光り輝く。この世のどんな青も色あせる、青の中の青だと思う。
思わず布団から手を出し、捕まえるように腕を伸ばす。触れた体は、冷たくもなく温かくもないが、感触はあった。
「成長すると、実体が出来るものなんですよ」
優しく手を握り返してくる。体の中から力が沸いてくるような気がして起き上がると、普段は介助が必要なのに思いのほか楽々と体が動く。
「お前は……大丈夫なのか?」
問いに彼女はにこりとする。
「大丈夫ですけど、役目は終わりました」
「役目?ああ、……そういうことか」
壁を仰ぐ。透き通る青が溢れている。
「……あれはどうなるんだ?」
「また、新しい精がつくと思います。今光っているのは、私が覚醒したからなので……」
「そうか」
かつて鍛冶屋だった自分。あのような刀身を打ってみたかった、と思いふっと笑いが浮かぶ。
それは即ち―――「じゃあ、行こうか」
「……よろしいんですか?」
ベッドを振り返った。
「幸せそうな顔してるんだから、大丈夫だろ」
立ち上がる。若かった頃のように体が軽いのが嬉しい。
そして今では視線が合うようになった彼女を抱きしめる。
「……マスター?」
「会えてよかった」
西日は薄れ、まもなく宵闇がベールのように舞い降りるだろう。
そして彼は、知らぬ間に愛していた彼女と第二の人生を歩き出す。人の預かり知れない、この世とは別の世界で。帰ってきた家人が見たものは、幸せそうな微笑を浮かべた老人の冷たくなった躯。
壁に掛かっていたはずの一振りの剣は、何時の間にやら無くなっていた。そしてティルフィングは再び目覚めを待って眠り続ける。
+α
3週間(+1日)ぎっちり書き詰めに書きとおして締め切り遅れましたすいません。
締め切りの日にいきなり5000字ほど書き進めるのはどうかと思いますまなかさん。
武器をティルフィングにしようというのは割りとすぐ決まりました。
剣の精と野郎の恋愛話を書くつもりだったので、名前の付けやすい武器を選んだからです。
当初もっとコメディタッチなものを書いてたんですが、一週間ほど書いてたところで煮詰まって全消去し最初から書き直したらこうなりました。
こーゆーことしてるから締め切りに遅れるんです。
推敲がてら知人に読んでもらったところ
「……これ、レベル4どころかレベル10じゃないの?」
とのありがたい感想を戴きました。
……ちょっと強くしすぎちゃったかな、テヘ。
2003.10.27(+1) まなか陸