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彼岸花 bySKR

 
 ※お題『ギルド+一人称』
 ※SKR (S-Silence
 
続き
 
 

 
 
 貴方がた、アサシンギルドの場所はご存じ?そうね、貴方がもし優秀な冒険者ならご存じかもね。けど考えても見てよ、暗殺者のギルドよ?政府から認められてもいないし、闇の家業なのよ。そうそう知ってて溜まるもんですか。
 なのに最近のノビと来たら、「騎士になろっか暗殺者になろっか」だなんてとんでもない選択肢を口にしてたりするのよ。あんな王城の横にギルド構えてる様なお日様サンサン職と一緒にしないで欲しいわ。
 そうね、アサシンの中にも居るのよ。アサシンギルドは暗殺の技術だけ教えてる平和なギルドだって思ってる人間は。
 でも覚えといてちょうだいね。
 アサシンギルドの信条は、獲物は確殺、脱退は死を以てのみ。
 この二つよ。

 なんでアサシンになったの?って聞くと、町を歩いてるアサシンを見て憧れたって動機の人間は多いの。けれど昼日中に堂々と町を歩いてるアサシンを見たなら、それは仕事用のアサシンじゃないわね。いえ、分からないけれど。そうよね、自分は本気で暗殺やってますなんて言いながら歩く奴はいないわ。
 とにかくよ。アサシンには二種類いるの。暗殺者の技術を学んだ者と、暗殺者そのものよ。わたしはつい先日までは前者だったの。
 だからこれが初めての仕事。わたしはある日突然アサシンギルドの奧へ呼び出されたわ。
「仕事?」
 顔写真を一枚手渡されてわたしは怪訝に思ったわ。写真はスクリーンショットを引き伸ばしただけの物で、ピントは合っていないし、被写体が動いて像がぶれてる。どうみても隠し撮りなのよこれ。
「アサシンギルドの一員として実働して頂きます」
 なんとまあ暗い部屋ね。夜目の利くアサシンじゃなきゃ写真を見るどころか歩くにも不自由するのではないかしら。この部屋、防音の為か地下にあるのよ。だだっ広い部屋の四隅に一本ずつある蝋燭なんかじゃ、この事務的なギルド関係者の顔なんて覗けやしない。彼は黒紗を頭から被ってる。思わせぶりだこと。
 本来なら仕事ってのはギルド直属のアサシンがやるらしいんだけど、今回条件に合う人材が居なかったのだそうよ。条件は未成年の女性という事なのだけれど。
「リルム。十六歳、女性。レベル八十九、毒スキル各種習得済み……間違い有りませんね」
「はい……」
「宜しい、申し分有りません。では早速潜入して頂きます。期限は一ヶ月」
 彼はこちらの都合を一言も聞かない。さらりさらりと紙にペンを走らせる音が鳴ってる。そうか、断れないのね、これ。
 私は察して頷くしかなかった。

 そうしてわたしは砂漠を歩いている。フードを深く被らないと私の真黒い髪は日光を受けて燃えるように熱くなってしまうの。突然地面が盛り上がって襲いかかってきたりするけれど、そんなものは片手でいなせるわ。
 もう片方の手には写真を持っている。何倍もに引き延ばしたスクリーンショットで、すっかりぼやけてしまっているのだけれど。大丈夫。名前もギルドも分かっているから。
 ああ、この場合ギルドって言うのは職業ギルドではなくて、個人が設立するギルドの事よ。マスターの意向によって個人が寄り集まっている集団のことね。
 わたしはぼやけた顔写真を眺めている。酷いピンぼけでも、プラチナブロンドの長い髪、それに女性ウィザードの衣装だという事は判別できるわ。彼女の名前はシャンテ。ギルド名はED……エドと言うのだそう。これから砂漠を渡り、プロンテラまで会いにゆくの。いえ、いきなり殺したりはしないわ。できないみたいだから。
 アサシンギルドで説明を受けた内容によると、シャンテと言うウィザードを戦闘の実力で沈める事の出来るアサシンは居るかどうかがあやしいのだそうよ。なら可能と考えられる方法は毒殺だけね。でも彼女は絶対に外では物を口にしないんですって。
 出来るかしら。一ヶ月でギルドに潜入して、彼女に毒を盛る隙を窺うだなんて。
 興味なかったのよ暗殺なんて本当は。モンスターを避けて、斬って、ああこんなに強くなれたってそれだけでわたしは毎日十分楽しかったもの。装備さえ揃っちゃえばお金は貯まる一方で、それを知ってる露天商は高価なヘアバンドや指輪なんかを勧めてくるし、なんだか男もたくさん寄ってきた。でも興味ないのよ、強くなること以外は。
 だから任務なんてもう考えるだけで面倒臭くって、砂地がやがて草原に変わってプロンテラの南門が見えたころには、私はすっかりこの仕事に嫌気が差していたの。

 マスターの暗殺依頼が来るような勢力のギルドなら、そうそうギルド員の募集なんてしてるワケがないじゃないの。そう思いながらも、当のギルドが出入りしている酒場だとかに来てみてる。広くて騒がしい酒場だわ。広いホールに百人近くも客が居て、これじゃわたし一人新参者が増えたところで分からないわね。それどころかわたしがそのギルド員を見つけられるかどうかも分かんないわ。エンブレムに刻まれたギルド名EDだけが頼りなんだもの。
「おじょうちゃん何にする?」
 カウンターに肘を突いて辺りを見渡してたら、髭面をした中年のバーテンダーがニヤニヤしながらこちらを見ているのよ。あらそう。お酒はまだ早いっていうことね?
「オススメという物がもしもあると言うならば作って頂けます?」
 嫌みのつもりだったのだけれど、この無神経なバーテンダーに通じたかしら。オーケー、なんて言って去ってしまったわ。
 暫くして差し出された飲み物は赤くて透明で、切ったオレンジが飾り付けてあったわ。グラスを持ち上げて鼻を近付けると、なんだか柑橘系の強い香りがするの。実の部分の匂いじゃないのは分かるのだけれど。何かしら。
 私の知ってるどの毒草の匂いも含まれてはいない事だけは確認して口を付ける。これはもう癖よ。
 甘くて美味しい。少し苦いけれど。
「君、一人ですか?」
 勝手にわたしの隣の席に座る男がいる。格好でわたしがアサシンという事は分かるでしょうに、何のつもりかしら。随分と舐められたものね。
「ええ、一人が好きだもの」
 追い払っているのよ? おわかり?なのにどうしてそこで身を乗り出してくるのかしら?
 赤いグラスを置いた直後の手首を捕まえられて不快はもう絶頂よ。押しても引いても手を放さないものだから、男の手首を切り飛ばしてやろうかと懐の刃物を探ろうとした、その時だったわ。
 がたり、と何処かで椅子を引く音がして、足音がこちらに向かって来た。
「彼女を放して差し上げてくださいな」
 鈴の鳴るような声と言うのはこれを言うのね。男は気圧されて私の手首を放したけれど、もうそんな男の事はどうでもよいの。
 私の側に歩いてきた人は、四歩離れた所で微かに笑顔を湛えていたわ。
 ええ。ええ、わたしは彼女の名を知っていてよ?マントを留めるエンブレムを確認してはみたけれど、その時にはもうわたしは確信を持っていたわ。そしてエンブレムには確かにEとDの文字をモチーフした模様が刻まれていたの。
「ありがとう、美しい人……」
 わたしは素直に礼を言ったわ。任務だとか忘れて本当に素直にそう言ったの。なぜなら、彼女は美しい人だったのだから。
「まあ……」
 美しい人は口元に細い指を当ててクスクス笑って。
「こちらこそ、ありがとう。綺麗なお嬢さん。けれどもわたくしの事はシャンテとお呼びくださいな」
 そう言って彼女が小首を傾げると、長いプラチナブロンドがさらりと肩から胸に落ちるの。素敵な夢のような人。
 ああ……なんて大きな胸。柔らかそうな白い肌。透明なブルーの瞳。穏やかな笑顔がわたしをじっと見ているのよ。動悸がとまらないわ。
 黒い髪に黒い瞳をしてギスギスに痩せたわたしなどとは全く違う、ふんわりと女らしい完璧な容姿。長い金色の睫が瞬きごとに瞳の光を振りまくみたい。
 わたしは分かったわ、何故この人が暗殺されるのか。この美しさが人に嫉妬をさせるのよ。
「でしたらシャンテ。わたしの事もお嬢さんではなくリルムと呼んでちょうだい」
「心得ましたわリルム」
 彼女の笑顔が空気を染めてゆくわ。この騒々しい酒場の中で、シャンテの周りだけがまるで切り取られたみたいに夢の世界になっていたのよ。

 なんてこと。わたしギルドエンブレムをもらって砦を案内されているわ。
「たまたま手に入れる事が出来た砦です。攻城戦の折りに屈強な男の方達がとてもたくさんご支援くださったのです」
 納得してしまう。そうね、彼女の為なら男達は協力を惜しまなかった筈よ。もしかすると女達も。
「我がギルドEDは元々貴女のように寄る辺のないティーンエイジャーのお嬢さんを保護する為に設立されたの」
 なるほどね。だからアサシンギルドは潜入の為に未成年の女性を用意する必要があったのだわ。
「もっとも、入団の条件はそれだけではありませんのでしたけれど」
 シャンテはふっと微笑みながら私を振り返って手を述べて、私の胸元のエンブレムをひと撫でしてゆく。驚いたわ。心臓が跳ねてしまったのが彼女の指先に伝わっていなければいいのだけれど。
「それだけじゃないって?」
 先を歩くシャンテに連れられて行き着いた一つの部屋は、どうやら攻城戦なんかには関係のない、居室の一つみたいだけれど。
「皆にお会いになればすぐに分かりますわ」
 シャンテは優雅な仕草でとても大きな扉のノブを捻って押し開け、そして中に向かってこう言ったの。
「皆さん、新しいお嬢さんをお連れしました。名をリルムと言うそうですよ」
 このギルドのみんなと言うのは一体どんな人たちなのかしら。
「さあリルム、こちらへどうぞ」
 笑みを含んだ声音が心地良く耳を撫でてとてもよい心地。手で招いてくれる動作も柔らかくて、おかげでわたしはさほど緊張する事もなくその部屋の中へ入るが出来たわ。
 けれど、入室後すぐに凍り付いてしまった。ここは何?どこなの? 私はどこに迷い込んでしまったのかしら。
 天井の高くて広い部屋。白い壁に白いテーブルクロス、銀の花瓶に活けられた真っ赤な薔薇達が私の目を射るの。けれどそんなことは問題じゃない。
 座してこちらへ頬笑んでいる七人の少女達、彼女達のその美しさと来たら。それぞれ個性はあるのですけれど、まるで七つの華なの。
「あ、あの、もしかして入団の条件って?」
 わたしは何となく察してしまって、シャンテの顔を見上げた。え?見上げる? あら……少しだけ彼女の方が背が高いのね……。
「守るべきものは麗しくなくてはなりませんからね」
 シャンテは極上の笑みでわたしへそう告げるの。当然のように。
「それは、わたしじゃ……」
 わたしはもう、この胸のエンブレムが申し訳なくって。既に入団の誓いは果たされた後なのだけれど、これは辞退すべきなのではと。……いいえ、そうではなかったわ。わたしは仕事でここにきているのだったわ。
「リルム、貴女は十分に条件を満たしています。ようこそEDへ……」
「ようこそ、リルム。仲良くしようね」
「宜しくおねがいしますわ」
 シャンテの声に続いて、少女達も次々に歓迎の声をくれるものだから、わたしもつい……。
「よろしく……」
 ぺこりとお辞儀をしてしまったのよ。

 ああ、わたしこれから一ヶ月くらいここで過ごすのね。
 そう思ったのは翌朝のベッドの上のこと。
 砦内には空き部屋が沢山あるから好きな部屋を使って下さい。って、シャンテがそう言ってくれるからわたしは、シャンテに近すぎる部屋でもなく、遠すぎる部屋でもない辺りを選んだわ。怪しまれない行動ってどういう感じがいいのかしら。難しいわね。
 この間まで砂だらけのモロクに居たのよ?それがどう?今はダブルベッドが20も並びそうなほど大きなプロンテラ王宮様式の個室で、天蓋付きのベッドに寝ているのよ?フリルの付いたネグリジェは透けるか透けないかのぎりぎりで、本当に貴族の趣味って変だわね。でも……素敵。
 むっくりと身を起こすと大きな扉をノックする音が聞こえたのだけれど、誰かしら。
「どうぞ?」
 応えを返すとなんだか聞き慣れない発音で「失礼します」って言いながら誰かがドアを開けて入ってくるの。
 それを見て、ちょっと飛び上がりそうになってしまった。だって甲冑を纏ったガーディアンが一礼して入ってきたのよ。そうだったのね、だから扉がどれも見上げる程に大きく設えてあるのだわ。
 けれど彼は一歩以上入ってこずに、
『お嬢様、広間で皆様との御朝食の用意が調っております。それとも、お一人が宜しければこちらにお運びいたしましょうか?』
 ですって。おかしな声だわ。金属を摺り合わせるような声なの。
 朝食?そうね。任務の為には打ち解けなければならないのだから、ゆかねばならないわね。
「広間の方へゆくわ」
 任務の為だなんて。本当はあの美しい人に早く会いたいと思っていたことを、自分自身にこそ内緒にしておかなければ……。

 こんな風景は初めてよ。若草色のカーテンの下に幾重にも白いレースが重ねられて朝の光を透かしてる明るい部屋。巨大なガーディアンの給仕達が立ち回るけど、それも邪魔にならないくらいの広さだわ。むしろわたし達の方が小人になった気分よ。
「今朝はとてもよい天気ね。ピクニックに参りません?」
「そうね。この間のテラスでいただいたローヤルゼリーのケーキを持ってゆきたいわ」
 女の子達の話し声が続いていて、時々かちゃりと食器の音がして。フォークで崩すのが勿体ないくらいの洒落た料理が次々に並べられるの。けれどこの食卓、一人足りないのだけれど。
「遅いわね……」
 わたしがきょろきょろしてると、隣の席に座ってるハンターの女の子がうふふって笑ったの。ハンターの制服の筈なのだけれど、プロテクターは全然着けてない。
「マスターならいらっしゃいませんよ?」
「あ……」
 見透かされてしまったわ。いやね恥ずかしい。
「そ、そうなの?」
「ええ、マスターは口にする食べ物を全部自室で検査するの」
 別の女の子も答えてくれる。彼女はプリーストかしら。かろうじてロザリーはしているけれど、ドレスを着ていて分からない。
「検査って……ギルドのみんなとの食事でも?」
 それはちょっと、聞きしに勝る警戒心ではないの。わたし達がこうして食事を摂っている間、シャンテは自室で毒物の試薬と格闘していると言うのね?まいったわ。
「では、そのローヤルゼリーのケーキの味も、シャ……マスターは知らないというのね」
 少女達はわたしの落胆を見て勘違いをしたみたいで、なんだか同情的な顔をしてくれる。
 そうか、砦内ですら迂闊に物を食べないのね。だとしたら私を信用させてこの手から何か口にしてもらうしかないじゃないの。一ヶ月で。そんな。
 少女達の談笑は続いてくけど、わたしはと言うとどこで毒を盛るかを考えるのに精一杯。
 この仕事、終われるのかしら。

 ねえ、信じられないの。このギルドの人たち狩りに行かないのよ。ええ全く。攻城戦でさえ自分達ではしないの。百余名からの傭兵達に任せきりで。
 もう二週間ピクニックやカードゲームで遊んでばかり。ここには女の子達が一日中飽きないくらいのドレスも、お茶も、お菓子も、何でもあるのよ。
 わたしは女の子の遊びなんてまるで知らないから、なんだか一人で暇を持て余しているみたい。きゃー、って甲高くはしゃぐ声がする。夢のように美しい少女が着かけなのか脱げかけ分からない艶やかなドレスを引きずって廊下を横切って行く。同じくそれを追い掛けて生花を投げつける少女も夢のように美しいの。そういう自堕落な場所なのよここは。
 けれど本当にマスターの隙のなさだけはわたしにとってはいっそ驚嘆もので、自室から一歩外に出ると水さえ飲まないのよ。時々背後に立たれていても気が付かないくらいだし、忍び寄って刃物に訴える手段っていうのも到底ムリだわね。
 きゃー、ってまた楽しそうな女の子達の声が廊下に響いてくるのに。わたしは階段の手摺りのところに頬杖を突いて嘆息ばかり。
 だってわたし、狩りの仕方しか分からない。ドレスの着方も、女の子の会話も分からないのよ。甘いケーキもあまり好きじゃないし、お茶も別になければ水で構わないわ。
 そう思うとすこし悲しくて、唇を噛んだ。
「どうなさったの?」
 おどろいた、また背後に立たれてしまったわ!私はアサシンなのに……。
「マスター……」
 頬杖から顔を上げて振り返るのだけれど、なんだか力が出ない。マスターはいつもと変わらず淡い光を放つように美しくて、でもわたしは……。
「マスター、どうしてわたしをギルドに誘ったの?」
「貴女がこのギルドに相応しい方だったのでですよ」
「嘘よ……」
 俯かずにはいられなくて、それで。
 足下を見ていると、ふっと私の顔に影が差したの。それはマスターが歩み寄ってわたしを抱きしめたからだった。わたしは思わず後ずさりして、階段を一段、踏み外しかけながら降りた。
 どうなっているの? わたしいま何を?私の方が階段を一段下りているからそのまま抱きしめられると、わたしは彼女の鎖骨辺りに顔を埋めることになってしまうのよ。
 もう舞い上がってしまって何も言えないわ。だってマスターの真珠のような肌がほら、すぐそこ、舌を伸ばせば届きそうな所に。
 わたしは暖かさに縋るふりをして、マスターの胸に少しだけ手の平を掛けて押してみた。とろけるように柔らかくへこんだ。とても素敵でどきどきする。
「リルム、わたくしの部屋へいらっしゃいな」
「……え?」
 顔を上げてブルートパーズの瞳を見上げると、マスターは唇に人差し指を当ててにっこり笑ってくれる。
「貴女に似合うドレスを見立てて差し上げましょう」
 ああ、もうダメだわ。わたしはもう言いなりみたいに頷くの……。

 初めて入ったマスターの居室。私のベッドルームとあまり変わらないけれど、明らかに違うのは本棚と机ね。机の上には試験管と、ラベルを貼った薬瓶が沢山。ここで食べ物を調べて、ここで一人で食事を摂っているのね。
 ねえ、誰とも一緒に食事をしたことがないの?
「ほら、鏡を見てみて下さいな」
 いけない、そうだったわ。わたしは今マスターにドレスを選んでもらっているところだったのよ。わたしの後ろに両膝を突いたマスターが、ぐっとウエストの後ろでリボンを締めてくれる。姿見を見ると、黒髪の少女が薔薇模様を鏤めたドレスを纏って立っているのだけれど……これは本当にわたしなのかしら。
「貴女には赤と黒が映えると思いましたの。思った通りでした」
 たおやかに床に座ったままマスターは満足げに鏡の中のわたしを眺めているけれど、わたしは恥ずかしくて申し訳なくて泣きそうよ。だって、このドレスはマスターの物みたいなんだけれど……。
「む、胸が……」
 そう、胸が、胸の布地が途轍もなく余っているの。左右に握りこぶしが一つずつ入りそうだわ。ウエストはさほど余っていないから余計に落ち込むの。わたしは痩せこけていて綺麗でも何でもないわ。
 わたしが肩をすぼめているのを見て、マスターがするりと布ずれの音を鳴らして立ち上がる。背後からそっとわたしの両肩に置かれる白い手が温かい。
「貴女の為にこのドレスは仕立て直させましょう。弓を使うガーディアンは器用で針仕事に向いています」
 マスター。貴女が私に優しくしてくれるとわたしの心が引き裂かれるのよ。
 ねえ、マスター?わたしが気付かないと思って?この部屋には貴女の匂いしかしない。貴女は恐らくわたし以外の誰もこの部屋に招き入れてはいないのよ。わたし自惚れてしまうわ。
「リルム、また次の機会には新しく貴女のドレスを誂えましょう……リルム?」
 目に涙が収まりきらないの。わたしが情けない顔をしてるから、マスターは覗き込んで心配そうにしているわ。わたしどうしたら……。
「わたし……ドレスなんて似合わない……綺麗じゃないもの……」
 頬を濡らした涙が落ちて薔薇模様のレースに染み込む前にマスターの手が拭ってくれる。わたしどうしたら……。
「貴女の漆黒の髪は光を吸い込む魅惑の髪。瞳は黒曜石。肌は象牙。長い手足はお人形のよう……。貴女はとても美しいのですよ、リルム」
 美の女神の恵みを一身に受けたその人が、わたしにそう言うのよ。ダメよ、もうダメだわ。ぽうっとわたしの頬に熱が灯って、胸が痛くなるの。
「わたし貴女に、何のお礼もできない……」
「いらないのですよ、そんな物は。美しいものを美しく守るのはわたくしの勤め」
 何か返せる物はないかしらと色々思い返してみたのだけれど、狩りにもめっきり出なくなった今では、自分の所有物など何も持ち歩いていなかったわ。
 ああ、ちょっと待って。ポケットに入れっぱなしになっていた物みたいだけれど、ひとつだけ自分の物があったわ。脱ぎ散らかされたアサシンの装束を拾い上げて、懐の部分を探るとそれは見つかった。
「これ……」
 わたしはおそるおそる手渡したわ。だってこれはただの飴玉なんだもの。豪華なドレスを何着も持っているマスターにはそぐわない。けれどわたしは今これしか持っていないかったから。
「おもちゃ工場で見つけたものだけど、よかったら……」
「まあ、貴女が採ってきた物なのね?」
 差し出すわたしの手を両手でくるんで、そっと飴玉を取り上げる指の仕草にわたしの目は釘付けになってしまう。
「とても嬉しいわ。ありがとうリルム」
 マスターの細い爪が包み紙をくるりと剥いて、ピンクの飴玉を艶やかな唇まで運んで。そして濡れた口の中にそれが含まれるのをぼうっとみてた。
「美味しい」
 そういってまたにっこり笑うマスターの唇が、しっとりとわたしのそれに重なる。呆然としていたら甘く濡れた舌が口に入ってきて、飴玉がころりとわたしの口に返された。
 あまりのことにしゃくり上げて飲み込んでしまいそうだったわ。
 お互いの後頭部に手を掛けながら、口と口でずっと飴をやりとりしていたわ。なくなるまでずっと。
 ねえ、わたしこの世のあらゆる物を捨ててもいいと思うの。もちろん任務もよ。もうとても遂行できないもの。わたし、アサシンなんてやめるわ。マスターを殺したりなんかしないの。
 わたしここでマスターと生きていくの。

 聞いてちょうだい。シャンテはわたしに一番優しいのよ。
 他の女の子達もうらやんでいるわ。シャンテはわたしのものなの。今日も二人きりでピクニックにやってきたのだわ。
 プロンテラ城の北に位置するこの草原はいまが花の盛りなの。わたしはシャンテに作り方を教えて貰った花冠を持って、そうしてシャンテを追い掛けているの。夢のようよ。
 わたしの目の前を天使が笑いながら逃げていって、わたしも笑いながらそれを追い掛けて。
「きゃあ」
 振り返ってわたしを見ながら走っていたシャンテは、足下が急な下り斜面になっているそこで気付かずに足を滑らせてしまうの。
「あぶないっ」
 わたしは持ち前の素早さで、シャンテが転げ落ちる前にその細いウエストを抱きかかえて捕まえるわ。そうよ、本気で走ればいつでも捕まえられるんだから。
「え? きゃあ!?」
 と、思っていた矢先の事だったのだけれど、わたしも斜面の草に足を取られてしまって……。結局二人とも抱き合いながら斜面を転がり落ちたの。
 わたしの真黒い髪とマスターのプラチナブロンドが転げながら混ざり合って、下まで着いた時には両方ぐしゃぐしゃだったわ。
「もうっ、やあね……!」
「ふふっ」
 寝ころんだまま顔を見合って笑い合う時の幸福は至上よ。シャンテは気紛れにチュッとこの唇にキスをくれる。もう何も考えられないわ。
「捕まえた……」
 シャンテに花冠を被せて、この遊戯はわたしの勝ちね。
「お昼にしましょうか」
「ええ」
 青い空に白い雲が流れて、黄色い蝶が緑の草原を飛んで赤い花に留まるわ。
 そしてシャンテが昼食のサンドイッチをバスケットから取り出して、はい、ってさしだしてくれるの。ここは桃源郷なのよ。
 卵のサンドイッチはわたしが作ったの。白と黄色のクラッシュエッグのよ。好物なの。シャンテもどう?って差し出して。シャンテはありがとう、って受け取ってく……れ、て……。

 白と黄色の……でも、もう真っ赤にしか見えない。
 わたしは前屈みに血を吐いた。シャンテも口を押さえてる。
 有り得ないわ。だってわたしは毒を知り尽くしたアサシンよ。完全に無味無臭だなんて、そんな……。そうよ、同じ毒を知り尽くしたアサシンの仕業意外に有り得ない。
 ねえ、シャンテが倒れるの。わたし、も、苦しくて息が出来ないの。
 唐突に思い出した。昨日で一ヶ月、過ぎてる。アサシンギルドの、あの地下室から。

 アサシンギルドの信条は、獲物は確殺、脱退は死を以てのみ。この二つよ。
 ねえ、忘れてた?
 
 
          終
 
 

 
 
 

+α

 今回かなり あ り え な い御話になってしまいました。クホホ。
 しかも熟成期間ナシの一発本番小説です。最悪、通しで読むのはサイトに上がってからーみたいなー…(咳)
 ( ´`)あー書きにくかった。(出題者おめーだろ…)
 (;´`)……………。

 こ、この場をお借りして妙なお題を出した事については深く謝罪を!(切腹)
2003.11.16 SKR