※お題『ギルド+一人称』
※企画屋本人
三日三晩眠りつづけていたねえちゃんが、澄んだ瞳で天井を見あげてつぶやいた。
「ピクニックに行こう」
ああ、とうとう来るべき時が来てしまった。
俺はエンブレムをかたどった通信具でみんなに連絡を入れた。家事をしてたやつも、畑に出てたやつも、仕事に行ってたやつもすぐに姉ちゃんの部屋に集まってきた。
「ピクニックに行こう」
ねえちゃんは集まった俺らを見て、もう一度そう言った。みんなは言葉もなくうなづき、準備のために散っていった。時、盛夏。窓枠が、鮮やかな緑で濡れていた。俺らは孤児だった。髪の色も肌の色も性別も生い立ちも、てんでばらばらな俺ら。そんな俺らをまとめあげてたのがねえちゃんだった。ねえちゃんは俺らよりちょっとだけ年上で、かなり勇敢で、とても辛抱づよくて、いつもにこにこ笑ってた。俺らはねえちゃんが大好きだった。ねえちゃんもきっと、俺らが大好きだったと思う。
俺らはプロンテラの雑踏で育った。首都だけあって、この街はモザイクみたいで、俺らが暮らしていける隙間はたくさんあった。この街は王様もいて、貴族もいて、大商人もいて、棒手振りもいて、冒険者もいて、宿無しもいて、乞食もいて。見あげるうちに引っくり返っちまいそうな塔や、塀をぐるっとひとまわりするだけでも大変な邸宅がいくつも建っている。かと思うと、通りをひとつへだてたところに、こどもが粘土でこさえたような小屋が折り重なってて、中には疲れた目をした女と腐りかけた老人とメシを食ってねえ子どもがごっちゃりつまってる。それでも雨露がしのげるだけましなほうだと、俺らはうらやましく思ったもんだ。
俺らは根無し草で、とても貧しくて、コチコチになった黒パンを雨どいの水で食ったりもしてた。あんまりひもじくて、くじけてしまいそうなときもあったが、ねえちゃんがおてんとさまに顔向けできないようなことはするなと口をすっぱくして言うから、俺らは道端のゼロピーを拾ったり、やわらかい毛を集めて売ったりして、どうにかこうにか食いつないでいた。空き瓶が手に入ると晩飯がちょっと豪華になって、幸せな気分になったもんだ。年と経験を重ねるにつれて余裕の出てきた俺らは、やがて冒険者の真似事をはじめた。いまから思えばずいぶんと無茶をしてた気がするが、互いに互いを気づかいあって無理なことはしなかった。それに、見よう見真似でおぼえたねえちゃんのヒールは、いつも的確で、俺らは安心して背中を預けることができたんだ。
ある日、背伸びして行ったオークダンジョンで、偶然お宝のエンペリウムを手に入れた。それは金属の形をした生物で、太古の文明の記録装置だとか神がこの地上を見守るまなざしが結晶したのだとかいろいろ言われてるが、ようするに通信魔導具だった。エンペリウムに真名を刻みこみ定着させると、その一部がにょきにょき育って剥がれて落ちる。それを持っていれば、エンペリウムを介して、場所に関係なくメンバー全員と意思のやり取りをすることができる。その優秀な通信機能ゆえに、ギルドや結社、組合などを起こす際に利用されてきた。当時、希少だったこれが大量に発見されるようになり、空前のギルドブームが訪れていた。売れば俺ら全員が数年は食うに困らない金を手に入れることができたが、俺らはそうしなかった。俺らはそれを自分たちのものにして、みんなでギルドを起こした。ギルドといってもただの生活共同体だったけど、親も兄弟もいない俺らにとって、仲間は何よりも大事な存在だったから。
ギルドの名前は”エターナルフレンドシップ”。
ねえちゃんがそう口にしたとき、まんま過ぎて座は笑いに満ちた。だけど、みんな内心気に入ってて、結局それに決まったんだ。そしてお手製のワッペンに、エンペリウムから剥がれ落ちたかけらを縫いこんでエンブレムにした。図柄はみんなで相談して決めた。ピンクのチューリップがにこにこ笑ってる絵。ピンクのチューリップがねえちゃんの好きな花だったから。なにせ子どもの作ったもんだから、ちょいと歪んでて落書っぽくて、でも、俺らの誇りだった。
ギルドを立ち上げてからというもの、俺らは昼間はばらばらに行動して夕方になるとたまり場に戻ってくるスタイルを取るようになった。それまでははぐれてしまうのが怖くて、みんなひとところに寄り集まってたのだけれど、エンペリウムのおかげで、どこにいてもみんなとつながってることを確かめることができた。だから、みんなそれぞれ身の丈にあった仕事をこなすようになり、結果的に収入が増えた。特に俺とトオカは、ギルドの大黒柱だった。俺たち2人は路上で知り合ったおっさんから、簡単な毒の調合方法や、魔物をきりきりまいさせるステップを教わっては、いつも競いあうように遠くまで出かけて、誰も真似できないほどたくさんの収集品を集めて帰ってきた。ねえちゃんはいつも困ったような喜ばしげな顔して「今日もあんたたちが無事でよかった」って言いながら、ずっしり重い木綿のザックを受け取ってくれた。それから、俺ら二人に残った薄い傷を撫でながら、ヒールを唱えてくれたんだ。それがあったかくてうれしくて、俺はわざと小さな傷を残してたまり場に帰ったもんだった。
集めた収集品は、メイファが売りに行った。メイファは俺より年下だったが、もうとにかく口から生まれたんじゃないかってくらいしゃべり倒す女だった。だけど、いつもとてもご機嫌な笑顔を浮かべて楽しそうに話すもんだから、いつのまにかついひきこまれてしまう不思議な魅力があった。そのせいかメイファが商人のおっちゃんとこに行くと、収集品は定価の一割増で買い取ってもらえて、ついでに夕食までごちそうになれたりした。
俺とトオカが稼ぎ、ガキどもが雑用に走り、メイファが売り、ねえちゃんに身のまわりの面倒を見てもらう。そんな風にして数年が過ぎた。あいかわらず生活は苦しかったが、腕が上がるにつれて、リスの頬袋ぐらいのたくわえを残せるようになっていった。俺らは、ねえちゃんにないしょで、ちょっとづつちょっとづつ蓄えを増やしていった。そうして俺らは、それを頭金にして、ねえちゃんの17回目の誕生日に、”家”をプレゼントした。それはかねてから俺らが目をつけていた家屋で、酒びたりのじい様が冬の寒さにやられて逝っちまってからは廃屋になっていたものだ。古くてぼろっちくて、雨なんか降ると外にいるほうがいいんじゃないかってくらい雨漏りがひどくて、とどめに町の隅にたってたから便利は悪かった。だけど、値段の割に広くて、部屋がたくさんあって、裏には庭もあって、おまけに天窓までついてた。屋根の上に洗濯物を干すこともできるし、庭には畑も作れるし、色気づいてきたガキどもに部屋を持たせてやることもできる。なによりもう、みんなですりきれた毛布をひっかぶって、雨がやむのを待つこともない。俺らは、宿無しじゃなくなったんだ。
このプレゼントに、ねえちゃんは涙を流して喜んだ。俺らは意気揚揚と廃材をかき集め、半月がかりで家を修復した。家は見違えるようにきれいで快適になった。特にトオカの働きはすごかった。もともと狩りでは俺に劣るところがあったトオカだったが、手先の器用さがここに来て一気に開花した。トオカはガキどものベッドを組み立て、部屋の壁に棚を作りつけ、荒れた庭を整えて、ついでにブランコなんか作って置いた。「やりすぎだろ」って軽口を叩いた俺に、「まあな」って照れ笑いを見せていたっけか。思えば家を手に入れることに一番執心してたのがトオカだった。トオカはちょくちょく自分の昼メシを抜いて蓄えにまわしてたんだ。もっともねえちゃんはそれに気づいてたみたいで、途中から俺らに弁当を持たせるようになったけども。
俺らは食堂の壁のくぼみにエンペリウムを置き、朝晩それをながめて思ったもんさ。帰るところがあるってのは、なんていいことなんだろうって。家を買うのは確かに高くついたが、あの程度の借金は逆に張り合いになった。なにしろ夢にまで見た安息の地を、俺らの力だけで手に入れたんだから。俺らはますます励むようになった。狩りはもちろん、ゴミ拾いから、護衛もどき、迷い猫探しに水汲みまで、できる仕事は何でもやった。ねえちゃんはガキどもの世話に追いまくられてたが、手が空くと必ず俺らにエンペリウムを通して呼びかけてきた。怪我はしてないかとか、腹は減ってないかとか、そっちは雨じゃないかとか、たわいもないことばかりだったけど、その気持ちがうれしかったな。ガキどものがんばりもあって借金はどんどん減っていったし、あの頃俺らは毎日が充実してた。とても忙しくて、その忙しさが楽しくて、どんなこともみんなのためになるって強く感じられたから、傷の痛みも遠い道のりも苦にならなかった。朝起きて最初に思うことは、さあ、今日はどこへ行こう?何をしよう?いくら稼ごう?お土産はどうしよう?そんなことばかりだった。みんなそうだったと思う。おはようって大声で言いあって、朝ご飯をたっぷり食べて、ザックに弁当を入れて、ねえちゃんに手を振り、まだあくびしてる街に飛び出す。ねぼけまなこの大人を尻目に、今日を謳歌するため大通りを駆けていく。ふりかえれば、そこにはやさしい笑顔と暖かな家。俺らは、そう信じて疑わなかった。
だから、北から来る悪い風が、ねえちゃんの胸をむしばんでたことにきづかなかった。俺らがそれに気づいた頃にはもう、手遅れだったんだ。
ねえちゃんが病みついてからというもの、統率者を失ったギルドの雰囲気は、目に見えて悪くなっていった。いや、それはもうずっと以前から根をひろげていたもので、ねえちゃんのことはただのきっかけだったのかもしれない。無断で外泊するやつが増えた。みんなで取ろうと決めた夕食なのに、空席が目立つようになった。つまらないいさかいや、ちいさな喧嘩が増えた。狩りの報酬を、ちょろまかすやつもいた。部屋に閉じこもるようになったやつもいる。なにより、今いるこのギルドを抜けて、新しいところへ行きたがるやつが、そっと増えていった。台所からおいしそうな香りが漂ってきたしばらくあと、ひかえめにドアをノックする音が聞こえた。俺がドアを開けると、メイファが真っ赤な目をして立っていた。
「おべんとうできたよ」
メイファはそう言って、両手に抱えていた包みをさし出した。トオカが三人分のそれを受け取り、毛布とシーツを詰めたザックを背負った。俺はねえちゃんをショールでくるんでおんぶした。ねえちゃんはひどく軽くなっていて、服の上からでも骨の感触がして、まるで張り子を背負ってるようだった。階段をおりると、そこにはみんなが勢ぞろいしていた。ねえちゃんがかすかに身じろぎをして、俺らを見た。
「やだよ、あんたたちなんて顔だい。せっかくのピクニックなのに」
みんなはそれを聞いて笑おうとした。でもうまくいかなくて、頬をゆがませただけだった。
俺らは家を出た。扉をくぐった瞬間に、ふたつのおてんとさまがかあっと照りつけてきた。遠くのほうに入道雲が見える、あれはイズルートのほうだろか。灼けた土の匂いがした。
俺らはねえちゃんを中心にぞろぞろ歩いた。乾いた石畳が、陽光を反射して目に痛い。かげろうの奥で露店と喧騒が揺れている。にぎやかな街のざわめきをよそに、バスケットやシートやパラソルを抱えて無言で歩く集団はさぞかし奇異に見えたろう。誰も何もいわない中で、メイファだけだけがひとりしゃべりまくってた。
街の東門を出た先、梢がさらさらと鳴る下に俺らは腰を落ち着かせた。草むらにシートを広げ、毛布をしいてねえちゃんをおろす。ねえちゃんは気持ちよさそうにのびをして、いい天気だねとつぶやいた。それで、ようやく雰囲気がやわらいできた。
「ちょっと早いけど、ごはんにしよう。みんな集まって~!」
メイファがバスケットを開くと、出るわ出るわおいしそうな料理の数々。においにつられてポリンまで寄ってきた。俺らはちぎったパンのかけらをポリンにやりながら、盛大に飲み食いした。トオカがポケットに忍ばせてたミニボトルも、はしっこいミルウィンに速攻見つかった。アルコールなんて、普段のねえちゃんなら目を三角にして怒るけど、その日はにこにこ笑って黙認だった。好奇心たっぷりに集まってきたガキどもを前にしては、さすがのトオカも折れざるをえなかった。苦くて甘い酒の味は、一舐めで陽気さを誘った。みんなは輪になって、踊り、騒ぎ、遊んだ。緑の草を踏み、でたらめな歌を大声で歌いながら、ともすればこぼれそうな涙を懸命におさえて。
ねえちゃんはやさしく微笑んで、楽しそうにふるまうみんなを見ていた。俺はねえちゃんの隣に座ってそれをながめていた。トオカもまた、木の幹に背中を預けてねえちゃんを眺めているようだった。改めてみると、ねえちゃんはずいぶんと痩せてしまっていた。肌は土気色で、唇はひび割れていた。自慢のブロンドは、油っけが抜けてすっかりぱさぱさになっている。瞳ばかりが、痛々しいほどに澄んでいた。
天空からおしみなく光が降りそそぎ、梢に当たって乱反射する。ときおり通り過ぎる風が、緑の陰影を一掻きして去っていく。すわりこんだ草むらからは、むっとするような夏の気配が立ち昇る。木陰から見る踊りの集団は、光に包まれてひどく遠く見えた。
見まわせばこんなにも世界は生命にあふれていた。
いちばんまぶしい時期に。もっとも命が輝く時期に。どうして、ねえちゃんは病に食われてるんだろう。こんなにたくさん命が転がってるんなら、どれかひとつくらいねえちゃんのと取り替えたって、罰はあたらないんじゃないだろうか。そうすれば、骨の浮いたねえちゃんの手を、もとのふっくらしたものにもどすこともできるだろうに。のどの奥がごつごつしてきて、俺はいそいでサンドイッチをくわえこんだ。
踊りの輪の中から、ファウルがつと寄ってきて、ねえちゃんの顔をのぞいた。ファウルは俺らのなかでいちばんちびっこくて、いちばんねえちゃんになついていたガキだ。両親を魔物にとられちまったせいで、家主に家を追い出され、餓え死にしかけてたところをねえちゃんに拾われたからかもしれない。泣き虫で、ここに来た頃はいつもねえちゃんの背中に隠れてた。
「ねえちゃん。ぼくね、弓がずいぶんうまくなったよ」
ファウルはねえちゃんに笑いかけると、背中のリュックから弓と矢を取り出した。白木を削ってトオカが作ってやったやつだ。
「見ててね」
ファウルはバスケットのなかのリンゴを取り出すと、とととっと走って行って切り株の上にそれを置いた。踊りを止め、なにごとかと見守るみんなにかるく手を振り、切り株から距離を取る。
ファウルは白木のボウに矢をつがえ、低めに構えておもむろにはなった。まばたきするひまもなく、矢は宙を疾り赤いリンゴに命中した。ミルウィンが切り株へ走り寄り、見事に射抜かれたリンゴを高く掲げる。喝采があがった。
ファウルは弓を放り投げて受け止めた。得意そうな笑顔。
ねえちゃんもぱちぱち拍手しながら、ファウルの成長に目を細めていた。その横顔はひどく満ち足りていて、まるで聖母のようだった。
もう、あたしがいなくても大丈夫だね。みんな自分で歩いていけるね。
ねえちゃんはそうつぶやくと、姿勢をただし、みんなを呼び集めた。
「今日を限りに、ギルド”エターナルフレンドシップ”は解散する」
居合わせた誰もが息を飲むのがわかった。俺はねえちゃんの顔を穴があくほど見つめた。同じようにして食い入るように見つめてくるみんなを前に、ねえちゃんは一歩も引かずに淡々と語りつづける。
「家は先日売りに出した。しばらくは今までどおり使っていいけれど、来月の末までには出て行ってもらう。金はみんなの頭数で割って、家主のハッブルさんに預けてある。好きなときに取りに行くといい」
水を打ったように静まり返った輪のなかで、ねえちゃんの凛とした声だけが響いている。
「あたしの独断で、みんなの努力の結晶たる家を売ってしまって本当にすまないと思ってる。でも、望みさえすればあんたたちは、もっと遠いとこへいける。その二本の足さえあれば、地の果てだって行ける。あたしひとり倒れる程度で揺らぐギルドなど、あんたたちの足かせにしかならない。あの家も、あんたたちをしばるものにしかならないだろう。だから、ここできっぱりと引導を渡しておこう」
ねえちゃんは、解散の言葉をもう一度くりかえした。
反応は様々だった。動揺して無意味に立ったり座ったりを繰り返すやつ。怯えるように抱き合うやつ。黙ってうつむいているやつ。
「ねえちゃ……アヤは、これからどうするの?」
メイファが、ねえちゃんの薄くなった肩を見ながらたずねた。どこにそんな力が残っているのか、ねえちゃんはしゃんと背を伸ばしたままメイファを見つめた。
「あたしはトオカについてゲフェンに行こうと思ってる」
「ゲフェン……」
「あたしの生まれ故郷だ。空気がきれいで、水もいい。ひょっとしたらこの病に、少しは効くかもしれない」
メイファはそう、とつぶやいてひきさがった。そんな彼女に、ねえちゃんはいつもの微笑を浮かべて諭した。
「たとえエンペリウムが消えたって、あたしの姿が隠れたって、おてんとさまの中からおまえたちを見ているよ。あたしはいつだって、みんなのねえちゃんだよ」
やがて、トオカはおもむろにからっぽになったバスケットをかたづけ始めた。帰り支度だった。
行きがけとは違った重さの沈黙のなか、トオカはねえちゃんを背負って歩いた。俺ときたら、ショックで口もきけずにその背中を眺めていた。いつまでも続くと思ってた時間が、唐突に断ち切られたこと。それも、ほかならぬねえちゃん自身の手で。それと、ねえちゃんとトオカがそういう関係だって事にも。それらを受け止めるには、オレの心は狭すぎた。
その晩俺らは食堂に集まった。みんなで集まってにぎやかな食事をとったテーブルの上に、今はエンペリウムが置かれている。
さよならの儀式だ。
かすかに虫の声が聞こえてくる晩だった。
メイファが一歩進み出て、服からエンブレムをはずした。
「わたし……わたしね。ずっと前から、気になる人がいるの」
おろしていた髪をすっきりと結い上げたメイファは、知らない女の人のようだった。
「陽気で、やさしくって、大好き。わたし、ここを出たらその人のもとへ行きます」
はずしたエンブレムを黄金の貴金属のそばへ置き、メイファはエンペリウムへ手をかざした。
「鍛冶屋になる」
今度はトオカがつぶやいた。
「武器でなくてもかまわねえ。鍋でも釜でもなんでもいい。誰かのためのものを作りに行く」
静かに、だが力強く言い切るとトオカはエンブレムをはずしてエンペリウムのそばに置いた。
「ぼくはハンターになるよ」
ファウルが、エンペリウムに手をかざす。
「ハンターになって、悪い魔物をたくさんやっつけるんだ。もう、さみしい子が生まれないように」
泣き虫のはずのファウルが、ふるえる声をぎゅっとこらえてそう言った。
次々と仲間が抱負を述べ、エンブレムをはずしてエンペリウムに手をかざす。最後は、俺だった。
「……」
俺はエンブレムをはずした。
にこにこ笑うピンクのチューリップ。ねえちゃんのいちばん好きな花。何度見てもこどもの落書みたいな図柄だ。エンブレムを台座に置き、静かに光るエンペリウムに手をかざす。思うのはただ、幸福な日々のこと。
貧しかった、つらかった、ひもじかった、惨めだった、苦しかった。だけど、楽しかった。みんなで、いつまでもいっしょにいられるんだと思ってた。でも、気がつけばねえちゃんはトオカを選んでいて、メイファは俺が顔も知らない人を好きになってて、小さかったファウルはあんなに弓がうまくなってた。
自分が知ってることだけが、世界のすべてだと思ってたら、大間違いだった。
だけど。
やさしかったねえちゃん。
俺の、大好きなねえちゃん。
あんたがくれたぬくもりがあったから、俺らはここまで来れた。だから。
「俺は……帰って来れる場所を作る。またいつか、みんなが出会いなおすときのために」別れの言葉はみんなで唱えた。
”BreakGuild”エンペリウムが黄金の炎に包まれる。
火にあぶられた蝋のように、とろとろと溶けて蒸発していく。その表面に刻み込まれた、みんなの名前が消えていく。メイファのも、トオカのも、俺のも、ファウルのも、そしてもちろん、ねえちゃんの名前も。そのまわりで、エンブレムが灰に変わってひらひらと舞いあがる。
すすり泣きが部屋の中に満ちた。
ねえちゃんはうずくまって嗚咽をこらえていたが、こらえきれなくなったのか、とうとう泣き声があふれだした。今思い出しても、胸をかきむしりたくなるような声だった。その背中をそっと撫でてやるトオカの目元もにじんでいた。
やがてエンペリウムは燃え尽き、あとにはなんにもなくなった。そして俺らはやっと、やっと、自分で自分の道を歩み始めたんだ。
ひとりになった俺は、帰って来れる場所ってなんなのかを考えた。あの時は勢いで言ったけれど、よく考えてみるとそれはとてつもない難事業に思えた。俺は、帰って来れる場所ってのは、誰もがくつろげて、穏やかな気分になれる場所のことじゃないかと感じていた。でも、それが本当に誰もが帰って来れる場所なのか確信がなかった。俺は冒険者の真似事をしながら日々を過ごし、その中でずっとずっと考えつづけた。どれだけ考えても答えは出ず、俺は途方にくれた。
やっぱり考えるのは性にあわない。だったら、一歩でも近づいてみよう。間違っててもいいから、できるかぎりのことをしてみよう。そう思えるまで、一年がかかった。
俺の思う、帰ってこれる場所。それにはやっぱり、おなか一杯になれることが大事だ。ひもじいとつらくて哀しくてミジメな気分になる。あれは俺らの原点だった。生きていくのがつらいからこそ、俺らは姉ちゃんの下に集ったんだ。だから、俺は料理人になって、自分の店を持つことに決めた。ナイフを包丁に持ち替えて、戦場を荒野から厨房に変えることにしたんだ。
身寄りのない俺を受け入れてくれるところはなかなかなく、地べたに頭を擦り付けて弟子にしてくれと頼んでまわった。そのかいあって俺はある料理屋に雇われることになった。店はせまく、師匠は鬼のように厳しかったが、味は確かで客はひきもきらなかった。鼠みたいに働き、めまぐるしく日々は過ぎ、そのなかで俺は女房と出会い、結婚した。女房は盆の上で豆を転がすようによく働く女で、気が強くて口の立つもんだから、ケンカになると俺はいつもやりこめれれちまう。けど、俺はそんなとこもまた気に入っていた。残念ながら子どもには恵まれなかったが、そのぶん仕事に打ち込めた。やがて俺は独立し、ちいさな店を開いた。冒険者向けの酒場で旅籠も兼ねてるやつだ。
名前は、『悠久の絆亭』。
俺は女々しいのかも知れねえ。けど女房は笑って「あんたのそういうとこ、嫌いじゃない」と言ってくれた。いい女に逢えたと思う。
店はそこそこ繁盛し、常連もついた。そのおかげだろうか、ばらばらになって行方も知らずにいたかつての仲間たちが、口コミでこの店を知り、やってきてくれるようになった。冒険者を続けてるやつ。行商人になったやつ。聖職者を目指してるやつ。彼らはなにかあるたびに、あるいはなにもなさすぎて道に迷いそうになったときに、ふらりと現れて雑談をして去っていく。とりとめもなく、意味も理由もなく、ただ疲れた心を安めに、あるいは喜びをわかちあいに、彼らはこの店の敷居をまたぐ。そんなあいつらを見ているうちに、俺は思いついたことがあった。客の顔を描かせてもらって、それを壁に貼りはじめたんだ。祝い事の喜びをとどめておくために、あるいは長旅へ出る客のはなむけに。忙しい時間のあいまを縫ってコツコツ描きためた絵はいつしか100を越えた。残念ながら俺には画才はないらしく、これだけ描いてもへたくそなままだ。だが、モデルの人物がいつかまたここを訪れたときのために、どんなに古い絵でも壁に貼っている。ありがたいことに、今ではこの絵を楽しみに来る客もいる。
先日は魔法士とシーフの2人組みを描いた。よく顔を出すプリさんはもう3枚も描いてる。そのとなりにあるのが、メイファ。四人目の子どもが生まれたと、店にきてくれたときに描いたもんだ。靴職人の女房に納まったメイファは、かっぷくのいい旦那につられて自分も二重あご。こどもも4人ともぽちゃぽちゃしてて、たまにここへおやつをせびりにくる。その下にあるのがファウルの絵だ。数年ぶりに顔を見せたあいつは、ずいぶんと背も伸びて精悍な顔つきになっていて、なまいきにも隣りには女の子まで連れていた。ハンターとして大成したことは、がっちりした腕を見ればわかった。軍の討伐隊とともに遠征に行ったきりだが、心配はしていない。いつかまたひょっこり帰ってくるだろう。
そして、それらの絵を見おろすように、壁の上にあつらえた棚にひとふりのナイフを置いてある。質素だが、堅実なつくりのナイフだ。刃先は鋭く、刀身は濡れているようで、手入れのたびにほれぼれさせられる。
銘は”アヤ”。
このナイフは、ミルウィンが手に入れてきたものだ。あいつはこれを俺にくれたとき、ひとりのブラックスミスの話を聞かせてくれた。そいつは男なのにアヤと名乗り、ゲフェンで鍛冶の修行に明け暮れているらしい。
いつか、俺はそいつをこの店へ招こうと思っている。最高の酒と、なつかしい味のする料理をそろえて。
+α
着想>たぶんみんなギルド結成話書くだろうから裏掻いて崩壊話書いたれ。
天邪鬼ですね。はい。タイトルはYUKIの曲から引っぱってきたので特に意味はありませんが、愛には男女の恋愛の他にやさしく見守ったり、じっと信じつづけたり、ときに千尋の崖から突き落としたりものもあると思います。
それぞれの愛のお話でした。(くさい!鼻が曲がる!)
2003.11.16 池栖叶