※お題『固有名詞、禁止』
※企画屋本人
1
そのじいさんは無類の酒好きで、自分の売り物を飲み尽くしちまうようなお人だったから、親兄弟にも愛想をつかされてひとりぼっちだったんだと。でもちっともこりてなくて、女房がまだ小さな息子を連れて出て行ってしまったときも、「浮いた金で酒が買えらぁ」とか豪語してたそうな。どうにも体が動かなくなってからも、露店の手伝いなんかでちまちま貯めた小金を酒につぎこんでいたんだ。そんなじいさんだったから、遠い東の国の珍しい酒があると聞いて目を輝かせないはずがない。家に飛んで帰って少ないたくわえのありったけを持ち出し、行商人から酒樽ごと買い取ったんだと。
まあ、その時のじいさんの上機嫌なこと。まいどありの声も届いてるのやら。市場の道を歩いては立ちどまり、歩いては立ちどまり、大事に抱えた小さな酒樽、それを見てにたりにたり笑っている。とうとう我慢できなくなったのか、酒樽の蓋を持ち上げ、口をつけてぐびり。にまあっと笑ってまた数歩。人ごみの真中でそんなことやってるんだから危なっかしいことこの上ない。案の定、通りすがりとぶつかってせっかくの酒を少しこぼしちまった。
「ああ、なんてこった!」
レンガのすきまに染み込んでいく酒に、じいさんは胸を打って悲しんだ。ヌシ様がご所望なんだろうよと笑われて振り仰げば、露店のひさしが重なり合う隙間からのぞくのは、天にも届けといわんばかりの巨大な塔だ。そうだ、この塔だ。この街の象徴で、魔法使いたちの知識と技術の粋がつまっている。塔を登れば登るほど、難解で有益な書物や貴重で謎めいたいわくつきの品物がある。そして塔の地下には身の毛もよだつ魔物たちと、それを束ねるヌシが居る。
ヌシ様じゃあ仕方がねぇやとじいさんは肩をそびやかし、今度こそまっすぐ家へ帰った。その晩のことだ。夕餉を済ませたじいさんが、ちびりちびりと楽しんでいた時、とんとんと誰かが扉を叩いた。誰だと問うても返事がない。空耳かと思うと又聞こえる。こんな夜中に人がたずねてくるなんて今までなかったことだ。ひょっとしたら押し込みかもしれない。じいさんは棒切れ片手に扉に近づいた。息をひそめて扉の向こうをうかがった。木戸の向こうに人の気配はなく、そのくせ戸を叩く音だけが聞こえてくる。じいさんはなんとなく背筋に寒いものを感じたんだと。
「なあ、じいさん。俺にその酒をわけてくれないかい?」
だしぬけに若い男の声が聞こえて、じいさんは飛びあがらんばかりに驚いた。
「一口でいいんだ、俺にその酒を飲ませてほしい。頼むよ」
「なんのことやらさっぱりだ」
「とぼけっこはなしにしとくれよ。東の国の酒さ。じいさんが昼間に買っていったやつだ」
どうしてそんなことを知ってるんだろう。じいさんはいよいよ警戒して棒切れを握りしめた。
「このとおり、金は用意してきてるからさ。少しわけてくれないか?」
ジャラジャラと硬い音が聞こえてくる。かなりの量がありそうだ。じいさんはからっぽになったたくわえ袋をちらりと見やって唇を湿した。
「なあ、頼むよ。そうのんびりもしてられないんだ。あんまりなつかしくて、つい持ち場を離れてきちまったんだ」
扉の向こうから聞こえてくる声は、だんだん哀れっぽい調子を帯びてきた。
「一口でいいんだ。ほんとに一口だけで」
あんまり熱心に頼まれて、じいさんはため息をついた。それに、この分だと毎晩やってきて居座りそうだ。
「……ほんとに酒を飲みにきただけなのか?」
「そうだよ、それだけだ。物盗りじゃあねぇよ」
「……ちゃんと金は払うのか?」
「払うよ。ありったけ出す」
「……変な金じゃねえだろうな?」
「後ろ暗いものじゃない」
「……どうだかな」
「あんたを騙したり害したりはしないさ。なんなら太陽に灼かれてもいい」
嘘つきは太陽に灼き尽くされるよってのは、子どもをしつける時の決まり文句だ。だけどそれは教典の一説で、並みの魔物が口にできるはずもない。じいさんはちょっとだけ扉を開け、隙間から外をのぞいた。そこに立っていたのは、丸腰の若者だった。服やケープがいやに古めかしいことをのぞけば新米剣士に見えなくもない。若者の手にした皮袋の厚みに、じいさんは目を奪われた。
「金が先だ」
若者はじいさんに袋を手渡した。じいさんは皮袋を開け、眉をひそめた。なかには見慣れない古い金貨がつまっていた。
「なんだこりゃあ?」
「……だめかなあ。一応この国の通貨ではあったんだけど……」
若者はすがるようにじいさんを見た。茶色い目が、固唾を飲んでいる。じいさんは袋から一枚金貨を取り出した。たしかに表面にはこの国の紋章が刻印されている。袖で磨くと、すすけた表面が取り払われ、美しい光沢が現れた。インフレ対策に混ぜ物をした昨今の硬貨よりも、よっぽど質がいい。次にじいさんは歯で噛んでみた。金貨は傷口の中もにぶい黄金色で、めっきの贋金じゃないことがわかった。溶かして延べ棒に戻してもいいだろうし、どこぞの好事家に売ればそれなりの額になりそうだ。幸いこの街は魔法使いらが多く住む。好事家だらけだ。
「……いいだろう」
若者の顔がぱっと明るくなった。じいさんはしぶしぶといった感じで若者を家に招きいれた。明かりの下で見ると、若者は紙のように色が白く、しゃべるたびに口元にとがった歯がのぞいた。そのうえ酒をつぐ拍子に触れた手は粘土のように冷たくて、じいさんは悲鳴をこらえるのに一苦労したんだと。
若者は酒をあおると、ぷはぁと満足そうな吐息をもらした。
「なつかしいな。なつかしい味だ」
「そうなのか」
「そうさ。俺の友だちに東の国の出が居てね。よくみんなで飲んでたよ」
「ふん」
「ああ、ところで」
「なんだ?」
「もう一杯、ってわけにはいかねぇかな?」
若者は苦笑いを浮かべつつ木のコップをじいさんにさしだした。じいさんはしかたなくついでやったんだ。もう一杯、もう一杯だけ。そう言いつつ若者は酒樽の半分をあっさりカラにした。しぶい顔をするじいさんをよそに若者は顔を真っ赤にしてへべれけになってたんだと。
「おい」
「うやぁ?」
「……大丈夫なのか?」
「にゃははは、だいじょーぶだいじょーぶ。よゆうよゆう!」
既に言動が怪しかったんだと。
「帰らなくていいのか?」
「ほえ?」
「帰らなくて、いいのか?」
「ありゃあ……もうこんな時間か」
若者はしまったというような顔をして席を立った。
「おっと、と」
立ち上がると同時にたたらを踏んだ若者は、しかしうれしそうな笑顔を見せた。
「やあ、まだ酒に酔えるんだなあ、俺は」
若者は伸びをするとじいさんに礼を言い、玄関へ向かった。扉を開けると夜気が流れ込んできた。月は既に中天を過ぎ、雲がゆっくりと西へ流れていっていた。
「ああ、いい気分だ。こんないい気分は何百年ぶりだかな」
満月だった。静かな、いい月夜だった。雲のあいだから澄んだ光がゆうらりゆうらり降りてくる。白く染まった石畳の上に若者の影が長く伸びた。千鳥足なものだからその影が月光といっしょに揺れて、じいさんは遠い昔家族で見たサーカスのピエロを思い出した。
「……気をつけて帰れよ」
若者は振り向かずにじいさんに手をふった。
それからというもの、若者は満月の晩になると必ずやってきた。じいさんも、いつしか若者を待つようになっていた。ひとつには、若者の持ってくる金貨が目当てだった。金貨は近所の魔法使いに破格で売れ、じいさんはたっぷり好きな酒を楽しむことができたからだ。
そしてもうひとつ。
若者の目はとてもあたたかな茶色で、じいさんはちょっぴり、本当にちょっぴり、息子を思い出してたんだ。
そんな風にして、一年ほどたったころだろうか。若者は、ぱったりと姿を見せなくなったんだと。2
それというのも王国の調査隊が、塔の結界が弱まりつつあるとの報告を出してからだ。塔には今のように軍の討伐隊が出入りするようになった。一攫千金を狙う冒険者の数も、前にもまして増えた。物騒な輩も街に流れこんできた。通りは軍靴の音と喧騒が響き、市場には自衛のための武器や防具が並ぶようになった。井戸端会議で不安が語られ、ため息が言葉の終わりに貼りついた。街には、不穏な空気が立ち込めていた。
じいさんはじっと若者を待ちつづけた。
酒が好きで、酔うとよく笑う、茶色い目をした若者を待ちつづけた。
だけどいつまでたっても若者は現れず、4度目の満月の夜、じいさんはとうとう自分から出向くことを決心したんだと。その晩じいさんは、あの小さな酒樽を抱えて家を出た。中には東の国の極上の酒をたっぷりつめておいた。だけど、あいにくの曇天であたりは墨でも流したよう。風がけたたましく笑いながら屋根から屋根へ飛び移り、細い木に鈴なりになった鳥がじいとこっちを見てる。その柘榴のような真っ赤な目!じいさんはすっかりおびえちまって、よっぽどうちへ帰ろうかと思ったんだ。暗い夜道に棒のように突っ立って迷ったともさ。行こか戻ろか、行こか戻ろか。ひょうひょうと風が吹く。そのとき、樽のなかで酒がちゃぷんと揺れた。冴えた香気がふわりと漂い、それに若者の顔がかさなった。
……あれはたしか軍の定期討伐隊が、塔の地下へ降りた月だったか。若者はいつもより多く盃をあけ、いつもより多くしゃべり、笑い、ふと、つぶやいた。
「俺はいつまで、このお役目を続けなきゃならねぇんだろうな」
直後に若者は顔をあげ、へらっと笑って今のなしなと手を振った。だが、じいさんは見ちまったんだ、若者の瞳を。それはひどく疲れ、ひどく遠かった。それはじいさんの心のなかに、しこりになってずっと残った。
見上げた先には塔があった。闇夜のなかでも、さらに黒々と異様を誇っている。この塔の地下に、きっといるんだろう。魔物とともに封じられ、ヌシと呼ばれて恐れられる、茶色い目の若者が。
じいさんは腹をくくり、口をへの形にひょん曲げたまま、おっかなびっくり歩きはじめたんだ。塔の入り口にたどりつくと、そこは火がたかれていて煌々と明るく、ようやく人心地つけた。しかし最下層を目指す冒険者たちの中で、じいさんはあきらかに浮いていた。無理もない、酒樽を抱えたよれよれの老人だもの。身を守る防具もなけりゃ、ナイフの一本だって身に帯びちゃいない。そんなじいさんが地下への階段を降り、魔物のあふれる扉をくぐろうとしたからたまらない。近くに陣取って、逃げ込んでくる冒険者に癒しを施していた聖職者の一行が、あわててじいさんを押さえつけた。
「おいおい、じいさん!いくらなんでも命知らず過ぎるでぇ!」
「そうですよ、何考えてるんですか?てゆっか死にますからやめてください、お願いします」
「せめて皮鎧のひとつでも着込まれてからにしたほうが……」
「離せ、わしはこれを届けに行くだけだ!」
あきれた顔で見守る聖職者たちに、じいさんは樽を差し出した。
「……お酒ですか?」
「酒やなあ」
「どなたまで?」
「名前は知らん。最下層にいるはずだ」
「最下層って……そんな、てだれの冒険者だって命を落とすことが多いのに、あなたじゃ無理ですよ」
「わかっている!しかしもう届けると決めたんだ!」
「名前も知らんのに届けられるのん?他に特徴は?」
「剣士の格好をしている。それと、たぶん人間じゃない」
……最下層で、剣士の格好してて、人間じゃない……。
聖職者らの顔に、はっきりと縦に青い線が刻まれた。こそこそと小声でささやきがかわされる。
「あの、この人ちょっとやばくないですか?」
「頭にアルコールが回りすぎてるとか……」
「いや、しらふやで……見たところな」
じいさんはそんな彼らにはかまわず、再び扉をくぐろうとした。また聖職者たちがおさえつける。リーダーらしい若草色の髪の若者がため息をついた。
「わかったわかった。わいが代わりに届けたるさかい」
「え゛、ちょっと本気ですか?」
「戦力的にきついかと」
連れ2人が顔を引きつらせる。
「しゃあないやん。この分やと特攻してまうで」
お手上げポーズをとった彼はじいさんに手をさしだした。
「そういうわけやからおとなしう待っててな。なるたけ早う済ませるから」
「……」
「なんや知らんけど、じいさんには命賭けるだけの価値があるんやろ?」
「……」
「途中で倒れたら、届け物も無駄になんで?」
「……」
うつむいて黙っていたじいさんが、やがてぽつりとつぶやいた。
「あいつもこれを待ってるはずだ」
じいさんは聖職者らに酒樽をさしだした。
「届けてやってくれ……頼む。わしの、ただひとりの友だちなんだ」3
「死ぬかと思った……本気で死ぬかと思った……」
「神様ありがとう、おかげで生きてますう~……」
聖職者らが帰ってきたのはそれからじつに4日後のことだったそうな。
ぼろぼろの祭服のまま報告にきた彼らに、じいさんは若者の安否をたずねた。若草色の髪の男は肩をすくめて、ぽつりぽつり話してくれた。
塔のヌシはそれはもう恐ろしかったんだと。岩戸の向こうから現れたヌシは人の心を写し取り、向かってくる冒険者らを嘲るように次の一手を予言して、その首を稲妻のような剣速で次々と跳ね飛ばす。瞬く間に死体の山が築かれ、血河が流れた。取り巻きの魔物たちはヌシの力を受けて常よりも更に荒れ狂い、近づくことすらできなかったそうな。彼らもまた、自分の身を守るのに精いっぱいで目の前で人々が打ち倒されていくのを見ていることしかできなかった。実際あと少し近寄られていたならば、魔物の濁流に飲み込まれて彼らも帰らぬ人となるところだったらしい。だが、あわやというところで、なぜかヌシは進軍をとめ、そのまま岩戸の向こうへ去っていったんだと。酒樽は、いつのまにか消えていたそうな。
『あの塔は危険すぎる。もう近づかないほうがいい』
それが、聖職者らの結論だったそうな。じいさんはすっかり気落ちして、ふさぎこんじまった。口にする酒も、苦味が増したようだった。
その次の満月の晩のこと。その日は風がひどく強く、嵐でも来たかのようだったんだ。じいさんはまんじりともできずに一晩中起きていたそうな。夜明けも近くなり、風もずいぶん穏やかになってきたころ、さすがにうとうとしていたじいさんは、馬のいななきを聞いた気がしてはっと目をさました。同時に扉の向こうからごとんと重い音がして、じいさんはあわてて玄関に駆け寄った。扉を開けるとどっと風が吹き込んできた。目をしばたかせて足元を見ると、そこには見覚えのある小さな樽が置いてあった。手をかけると樽はずっしりと重く、持ち上げるのは一苦労だった。蓋を開けてみると、中には古い金貨がざくざくつまっていたんだと。おいおい泣きながら酒樽にすがるじいさんを、街の人たちは不思議そうに見ていたんだと。
その時の金貨は、今も塔の最上階に保管されているそうな。
+α
着想>バフォの話書いたから次はDOPかな>ああネタがない!あれで行くか!
ギルメンから蒼白引きこもり呼ばわりされていたので、「そんなことないさ、きっと月夜の晩にはお散歩に行ってるよ、たぶん」と思って書いたものです。GDはジョブが美味いんでよくいくのですが、ちょっと長居するとほぼ確実に会えますね。そんなわけで全BOSS中最も遭遇率の高いDOP様、今後も景気よく轢き殺してください。
さてさて、今回で一巡しましたRO-FCP。第一幕、これにて終了。しばし小休止とさせていただきます。不躾なお誘いにもかかわらず御快諾くださったkasamaruさん、SKRさん。なにかと相談に乗ってくれた友人兼ギルマスまなか陸氏、そして今回飛び入りで参加してくださった本郷りりすさん。そして、なにより、読んでくださった皆々様。この場を借りて篤く御礼申し上げます。
叶のやつめはまだこりてませんので、年があけたらまたメンバーの皆様にご協力いただいて、新しく企画を立てていこうと思います。そのときはまた、よしなに。
池栖叶 2003.12.07