※お題『固有名詞、禁止』
※本郷りりす (Angel of Death)
・・・わかってたの。いつか捨てられてしまうって。あなたは腕利きの暗殺者で、私は少し身が軽いことぐらいしか取り得のない、しかもひ弱で非力な騎士らしくない騎士で。
あなたの背中についていきたくて、これでも一生懸命がんばったんだけど。
もう、がんばれないよ・・・あなたがくれた思い出とこの剣だけが拠りどころだったけれど、あなたの背中はもうあんなに遠い。
あなたはもう、わたしのところには帰ってこないんだね・・・。
ウサギの耳を模した薄汚れたヘアバンドを頭に載せ、痩せた小柄な身体には異様なほど大きく見える大剣を抱えた娘が、ぼんやりと王都の路地裏で空を見上げて座りこけていた。繕うこともいつからやめたものか、騎士の証である鎖帷子には目に付くほど大きなほころびがいくつもいくつもできている。
しかしよく見れば、彼女が抱えた大剣には「透徹の目」を与えるカードが2枚――しかも、きちんと精錬を済ませた逸品だった。売りに出したなら、数ヶ月はゆうに遊んで暮らせるだろう。
手入れを放棄したものかぼさぼさの銀色の髪は、娘らしくもなく肩にもとどかないほどの短さ。乱暴にナイフででも断ち切ったらしく、毛先は不揃いでみっともないことこの上ない。
虚脱したような表情だけがはりついたその顔は、10人の男のうち半分が振り返って目に留めるぐらいには整っていた。ただし、その唇が微笑を浮かべていたのなら、だが。
その唇がつぶやいていたのは、彼女を残して去った恋人の名前。聞き取れぬほどのかすかな声で、彼女は帰ることのない思い人の名をずっと呼びつづけているのだった。
ある恋の物語 by 本郷りりす
莫迦なやつだったよ・・・俺なんかに、必死で追いすがろうとして。俺には、あいつが追いすがろうとするような、そんな価値はないのにな。
幸せでは、あったさ。
あいつと暮らした短い間――らしくもない、夢を見たぐらいだからな。
『カタギに戻ろうか』って、真剣に悩んだものさ。もう遅いってわかりきっていながら。
冒険者みたいな顔はしてるが、本来の俺は汚れた金でさらに汚い殺しを請け負う身だぜ? その俺が、騎士様に本気で恋をするなんざ、お笑いどころか狂気の沙汰ってもんだ。
だから俺は、あいつがダメになる前に・・・腐りきっちまう前に、姿を消したって訳さ。
ああ、ウサギ? 餞別代りに置いて来た。武器以外で俺の唯一に近いレアだったがな。知ってるだろう、俺にレア運なんざからっきしだってことは。
おかげで今日も素寒貧さ。わかるだろ? 俺と一緒にいない方が、あいつのためだ、って。
群青色の髪をした暗殺者が、砂漠の街の片隅にある酒場でひっそりと酒を飲んでいる。カウンターの左の隅に腰掛けて、面白くもなさそうな顔ですでにもう数時間。引き締まった身体には贅肉のひとかけらもなく、がっしりとした身体つきではないがしなやかに働く筋肉が皮膚の下にみっしりと詰まっているだろうことは、容易に想像がつく。
鋭い眼光を宿す瞳は、夜空の色。腰に吊るしたカタールには、必中を示す3枚のカード。しかしそれ以外、見るべき装備は全くといっていいほどなさそうだ。
普通、彼ほどの腕の暗殺者であれば、すでに全身を一目でそれとわかる高価な装備で固めていても全く不思議ではないのだが。
「待たせた」
いつの間に現れたものか、闇に溶ける黒装束の男が、群青色の髪の暗殺者のすぐ脇に立っていた。
「帰ろうかと思っていた」
むっつりと不機嫌そうに言う暗殺者に、黒装束の男は苦笑したようだった。まったく、最近のお前はいつも不機嫌だ、と。
「仕事か?」
「ああ。簡単なもんさ。王都で、ひとり貴族を殺ってくればいい。片手間でできるだろう」
「ふむ」
黒装束の男は、金の詰まった袋と詳細を記した紙切れを暗殺者に手渡すと、また溶けるように酒場の喧騒にまぎれて消えていった。
「ちっ、面白くもない」
そうつぶやくと、暗殺者は群青色の髪を手で乱暴にかきあげて、コインを数枚カウンターに投げ出すと同時に姿を消した。
グラスには、最初のオーダーの酒がまだ半分ほど残っていた。
――王都。銀色の髪の娘が、ふらふらと今日も大剣を抱えてさまよい歩いている。気が触れたのだろう、かわいそうに、というすれ違う人々の同情の視線も知らぬげに、いとしい人の名を唇に乗せながら彼女は路地から路地へと歩きつづける。
彼女とて騎士、ひとたびその手に大剣を握って立てば、すさまじい働きを見せることも不可能ではないはずだ。素早さでは並みの暗殺者をしのぐ彼女は、その素早さを最大に生かすための剣技を磨いてきたのだから。
「逢いたい」
ぽとりと、涙。
彼女の痛みは、癒しようがないのだ。どんな名医も、どんな秘薬も、彼女の心を癒すことは出来ない・・・ただひとり、去っていった彼女の恋人以外には。
「誰から、頼まれた?!」「依頼主の名など知らんよ。期待に添えなくて悪かったな」
青ざめた若い貴族の首筋を、必中のカタールが一閃する。女をたぶらかす以外能のなさそうな優男だったが、その反吐が出そうな傲慢さも刃物の前にはあっさり崩れ去った。
「・・・フン」
面白くもなさそうに、群青色の髪をした暗殺者はうつろな目で転がる男の首を一瞥した。侵入するのも朝飯前なら、ターゲットの首を刎ねるのは赤子の手をひねるよりたやすかった。
それでも、この仕事の報酬で一息つけるだろう。金銭に取り立てて執着はないが、日々の糧ぐらいは確保しておかねばなるまい。夜陰に乗じて屋敷から路地へすべり出た暗殺者の姿は、あっという間に闇に溶けて消えた。
後にはただ、夜風が吹き抜けるばかり――。
休日の王都は、まっすぐ歩くのが困難なほどの活気と雑踏であふれる。夢と、希望と、憧れと、欲望とがごった煮のスープのように煮え立っている大通りだが、それを快しとしない人間の暗黒面を煽ることがあるのもまた事実だ。「魔物だあ!!」
慌てて店を畳んだ商人たちが、右往左往して逃げ惑う。王都に住む騎士たちや休日のショッピングを楽しんでいた高位の魔導師たち、腕利きの狩人たち、冒険者の顔を装った暗殺者たち、腕っ節自慢の鍛冶屋たち、知らせを受けて大聖堂から駆けつけてきた司祭たちが入り乱れてすさまじい騒ぎとなった。
しかも、魔物が出たのは一箇所ではなかった。大通りの真中から路地裏に至るまで、百を越える場所で同時多発的に魔物が暴れだしたのだ。
これは、やはり組織的な破壊活動が行われたと見ていいのだろう。
しかしそんなことは知らぬげに、銀髪の娘は今日も大剣を抱えてさまよっていた。人込みを避けるように、路地裏へ路地裏へと回り込みながら。
――と。
「きゃあああああ!!」
けたたましい悲鳴が、銀髪の娘の歩く路地の奥から響いた。
はっ、と娘の顔が上がる。次の瞬間、うつろだった彼女の双眸に憑かれたような光が宿った。
抱えていた大剣の鞘を払って走り出すまで、流れるような一動作。軽々と大剣を引っさげて疾駆する娘は銀色の風のようだったと、そのときの彼女を見たものは後にそう語った。
銀髪の娘の前に現れたのは、真っ赤に熔けた溶岩の身体をもつ巨人だった。道に敷かれた白い石が、巨人のまとう溶岩の熱で黒く焦げてゆく。
そして、ひっくり返った手押し車の傍らにへたり込んだままの商人の少女が、がたがた震えていた。腰が抜けたまま立てなくなってしまったのだ。
「逃げなさい!!」
一陣の風とともに凛とした声。その声に打たれて正気を取り戻した少女が、転がるように路地の角を曲がって姿を消す。
「我が剣よ、風の如く!!」
銀の風が、黄金の竜巻となった。そのまま銀髪の娘は、一直線に溶岩巨人へ斬りかかる。神の金属によって鍛えあげられた大剣は石を焦がす溶岩の熱にもびくともしなかったが、娘は回復力の強い騎士とはいえど生身の身体だ。
斬り合う内に銀の髪は焦げて逆立ち、剥き出しの手足の白い肌には醜い火ぶくれとひどい火傷がいくつもできた。しかし娘はひるむことなく大剣を振るい続ける。
「騎士さま、がんばって!!」
路地の角の向こうから、商人の少女が必死に声を張り上げる。
「誰か、誰か助けて!! 騎士さまが死んじゃう!!」
助けを求める甲高いその声が群青色の髪をした暗殺者の耳に届いたのは、はたして偶然であったろうか。黙殺しようかと一度は思ったものの、大通りの方角が妙に騒がしいことに気づいた彼は、思い直して助けを呼ぶ声の方へ走り出した。
「!!」路地の角を曲がった暗殺者の目に飛び込んだのは、巨大な溶岩巨人。そして、必死で巨人に立ち向かう女騎士の姿だった。
小柄な女騎士は、溶岩巨人の一撃に跳ね飛ばされては再び剣を握り直して突撃を繰り返す。そして、その剣の描く軌跡に彼は見覚えがあった。
蛮勇というべき無謀さと、舞踏にも似たその動き。そして、銀の髪――無残に断ち切られ熱に焦げてはいるものの、見間違うはずもない。
『あの、莫迦』
次の瞬間、群青色の髪の暗殺者は自らの得物を手に飛び出していた。彼の信条は勝てない戦いはしない、であったはずなのに。
「危ない!」
女騎士の身体に自らのそれをぶつけて、致命傷となりかねない一撃を無理やり避けさせた。そのまま、暗殺者は彼女を腕に抱えてごろごろと道の反対側へと転がる。
「え・・・」
いきなり視界が反転した娘は呆然としたまま。
「莫迦野郎、無茶もほどほどにしろ」
低く叱咤するその声・・・聞き慣れた・・・ずっと聞きたかった声――そして、今、自分を抱くこの腕は、間違いなく。
「・・・・・・」
震える唇から、しかし言葉は出なかった。いとしい人の名を呼んだ、はずなのに。
「いいか、俺が囮になる。わかってるな?」
視界を覆う群青色に、娘はただうなずく。
「行くぞ。3、2、1、GO!」
群青色の髪の暗殺者と銀髪の女騎士は同時に跳ね起き、別々の方向へと走り出す。先に敵の視界へ躍り込んだのは、身軽さで勝る暗殺者の方だった。
「喰らえ!!」
目にも止まらぬ八連撃が巨大な溶岩塊にヒットする。しかし、何ら痛痒を感じた風でもない溶岩巨人は、無造作にその腕を一振りした。
「ォオオォ」
なんとか避けたものの、さすがの彼も大きく体勢を崩してしまう。女騎士が慌てて駆け寄ろうとするのを制して。
「俺に構うな、戦いつづけろ!」
その言葉に答え、銀髪の女騎士は再び剣を振りかぶった。力尽きそうな身体に鞭打ち、その剣が音速の速さを取り戻す。暗殺者も跳ね起きて、その手にカタールを握り直して溶岩巨人へと挑みかかっていった。
ヒットアンドアウェイで戦う暗殺者と、時に盾となり時には敵の背後から急襲する女騎士――そして、ようやく溶岩巨人の動きが鈍くなり、戦う彼らに勝機が見え始めた、その瞬間。「――!!」
闇雲に放たれた溶岩巨人の一撃が、群青色の髪の暗殺者を襲った。
が。
「・・・あ・・・っ」
彼に代わってその一撃を受け止めたのは、銀髪の女騎士の背中だった。いくら騎士といえど生身の身体、しかも彼女は頑丈がとりえというわけではない。
ぐぎっ、と骨の砕ける嫌な音がして、彼女は暗殺者の腕の中へ倒れこみつつも残された渾身の力で「透徹の目」の銘を持つ己の大剣を溶岩巨人の身体の中央へ突き込んだ。
「ヴォオォォォオオオオオオォオォォ!!」
長い長い断末魔の悲鳴を残し、溶岩巨人は動きを止める。そして、冷えた岩塊となって、その場にごろりと転がった。
「しっかりしろ、おい、しっかりするんだ!」
ぐったりと倒れ伏した娘を腕に抱き、暗殺者が絶叫する。路地の角の向こうに隠れていた商人の少女も、転がるように走ってきた。
「騎士さま、騎士さま!!」
商人の少女は自分の売り物の回復薬を抱えてきて、瓶の口を娘の唇へ当てる。しかし、瓶の中身を呑み込む力は、もう彼女には残っていないようだった。
ひどい火傷を負った手足、無残に焼け焦げた銀の髪。そんな中で、奇蹟のように白いままの娘の面に、うっすらと淡い微笑が浮かんだ。
「あなた・・・無事、で・・・」
「ああ、俺は無事だ。帰ってきた。もうどこへも行かない・・・これからはずっと一緒だ」
娘は暗殺者の夜空色の目を見つめ、ひとつため息をついて、つぶやいた。
「ずっと・・・そば、に・・・」
――ことん。
娘の首が、かくりと前にうなだれる。慌てて脈をさぐった暗殺者の指先には、もう、彼女の生命の脈動は感じられなかった。
「莫迦野郎・・・畜生、俺は大莫迦者だったよ・・・」
男の慟哭は、いつまでもやむことはなかった。
「ここでお前と・・・あの頃・・・」魔術都市の北に位置する展望台に、群青色の髪の暗殺者がただ一人たたずんでいた。眼下には、きらきらと輝く川面。遠く魔術都市にかかる橋も見える。
その手には、銀髪の女騎士が肌身離さず持っていたあの「透徹の目」の銘を持つ大剣が握られていた。
「こいつは・・・お前だけが使うものだからな・・・」
呟きながら、暗殺者は大剣を投げた。くるくると、あの娘の銀の髪のようなまばゆい光を反射きながら、大剣ははるか下の川面へと吸い込まれて消えていった。
その後、群青色の髪の暗殺者の行方を知るものはいない。王都で年若い商人の少女が出した露店に、不釣合いな品である「必中」のカードを3枚挿したカタールが売られているのを見たものもいるが、その商人の少女はカタールの出所に関してはかたく口を閉ざし、問われても大きな目に一杯の涙を浮かべて、ただ首を左右に振るばかりだった。
そして、王都の一角にある大聖堂の裏手の墓地に、いつ立てられたものか真新しい墓標がひっそりと祀られていた。小さく控えめでありながらいつも花の絶えないその墓標に、眠る人の名前はない。墓碑銘として刻まれた言葉は・・・
――ただひとりへの愛に生き死んだ娘、ここに瞑る。その平安を妨げることなかれ――
FIN
+α
お約束です。べたべたです。
展開が見えすぎます・・・精進してきます(死
本郷りりす 2003.12.06