※アコ系に萌えてみよう
※残酷表現有
※2006頃
少し遅くなってしまった。
小雨が降っているせいで、街並みは灰色にぼやけ、行き交う人の足音も消されていく。
肌寒さに肩を震わせると、わたしは急ぎ足で大聖堂の門をくぐった。
渡り廊下から敷地の奥へ進み、別館に至る。
孤児院として設けられたその建物は、長い年月の下、建て増しに次ぐ建て増しで膨れ上がり、壮麗な本堂とはうってかわって陰気で物々しい。
入り口は閉ざされていたが、ノブをまわすと抵抗なく開いた。
みっちり詰まった傘入れに自分の傘を押し込み、辺りを見まわす。
人の気配はない。皆もう受付を済ませて着席しているのだろうか。
ホールの一角にぽつんと掲示板があった。机と椅子とノートが足元に置き去りにされ、場違いに白い紙が一枚貼られている。
『上級アコライト学びの集いを御希望の方は、2階第3講義室へどうぞ』
記帳を済ませたわたしは文字の下に添えられた簡素な地図を頼りに階段を上った。
明かりのこぼれる第3講義室にたどりつき、うしろのドアをそっと開く。
古い引き戸は思ったより大きな音を立て、教室内の兄弟たちがいっせいにこちらを振り向いた。気恥ずかしさに顔が熱くなる。まだ始まっていないのが救いだった。わたしは身をちぢこまらせて席についた。
講義室の真ん中に大きな机があり、それを取り囲むようにして椅子が並べられている。机の上には古い篭がおかれ、1匹のルナティックがかじりかけのにんじんを枕に寝そべっている。
兄弟たちは皆手持ち無沙汰の表情で、ロザリオを無意味にいじり、ノートをひらいてはとじていた。椅子に座る彼らの中には、ちらほらと司祭の姿も見える。まだ新米なのだろう。パリパリにのりのきいた祭服を着込み、真新しい教典をひざに乗せている。
兄弟たちの交わすひそやかな会話や衣擦れの音がさざなみのように響き、窓をつたう雨にとけていく。
ふと教室が静まり返った。
規則的な硬い靴音が近づいてくる。
わたしも居ずまいを正し、ひざをそろえて到着を待つ。
ほどなくして講義室の扉が開かれた。教壇側の出入り口に視線が集まり、何人かが息を呑む。
現れたのは痩身のプリースト。ずいぶんと年配であるように見えた。
銀縁のメガネに鳶色の瞳。色褪せた栗色の髪を鬢の毛一本残さずきっちりと結い上げている。
教室内に不穏なざわめきがうすく広がる、みな彼女にどう接していいか困惑しているようだった。彼女はざわめきを意に介さず、ゆっくりと中央の机に近寄った。指示棒と教典を置き、わたしたちに背を向けて教室内を見まわせば、一瞥するだけで誰もが背筋を伸ばす。
「聖なるかな兄弟たちよ、上級アコライト学びの集いへようこそいらっしゃいました。あいにくの天気ではありますが、そろって御参加いただけたことを喜ばしく思います。この集いが兄弟たちの正しい信心の一助になれば幸いです」
篭の中のルナティックがもぞもぞと体を動かした。
寝返りをして落ち着いたのか、まるまっておとなしくなる。
「さて、今日ここに集まった兄弟たちは、プリーストへの転職を間近に控え、希望に胸を躍らせていることでしょう。プリーストになればより深い神の恩恵を誘い出すことが出来ます。人によってはアコライトの頃とは比べ物にならないほど強大な力を誘い出せるかもしれません。
しかし気をつけねばなりません。たしかに我々は神の僕となることで、その力に触れ、誘い出すことができるようになりました。しかし所詮有限の人に過ぎません。神の御業は本来、我々には過ぎた力なのです。
ゆめゆめ忘れてはなりません。あなたのその手が、祈りが、悪夢の引き金をひくこともありうるのです。たとえ回り道に思えても、正しい信心のもと日々研鑽を積んでください。学問に王道がないように、信心にも王道はないのです」
彼女の声は穏やかだったが、静まり返った室内に水のように染みとおっていった。彼女は念を押すようにまたわたしたちを見つめると、教典を手に取るよう促した。
室内に紙の触れ合う音があふれる。
「8ページの図1を御覧ください。ルーンミッドガッツにおける過去5年間の死因の統計です。
見てのとおり全死因の実に6割を占めるのが魔物の襲撃によるものです。ついで事故死が2割強、病死1割半、老衰、その他となります。この統計は王立騎士団に届け出された報告をもとに作成されており、貧困層や冒険者らの実態を含めると魔物の襲撃による死はさらに多いものと予想されます。
逆に言えば、魔物の襲撃による死を防げば全死因の6割をカットすることができ、平均寿命の大幅な改善が見込めるのです。近年では隣国ジュノーより高度な医薬品が輸入されるようになりましたが、まだまだ高価で市井の民には手が届きません。
そこで我々の出番なのです。
癒しの秘蹟によって命を救う、我々はそのために居るといっても過言ではありません」
指示棒を手に、彼女は語りながら兄弟たちの間を歩く。
靴音が近づいてくる。
「今一言で癒しの秘蹟といいましたが、兄弟」
開いた教典のうえに指示棒を差し出され、わたしはぎょっとして顔を上げた。
「具体的には何ですか?」
わたしは頭の中を引っ掻きまわして解答を探した。
「……ヒールです」
ようやく出た答えは至極平凡なものでわたしは赤面した。
彼女はわたしの回答を聞くと軽くうなづき、指示棒を手元に戻す。
「そうです。ヒールです。アコライト・プリースト問わず重要な秘蹟です。
その上級秘蹟であるリザレクション、体内を浄化して知覚の異常を治すキュアー、聖なるはばたきによって邪気をはらうリカバリー、祝福による呪いの解除。
これらを総じて癒しの秘蹟と呼びます。兄弟」
彼女はまた別のアコライトを指示棒で指した。
「これらは何を目的としているのでしょうか」
「異状の治癒です」
名指しされた兄弟は淀みなく答えた。
彼女は指示棒を引き戻し、満足げにうなずく。
「そのとおり。これら癒しの秘蹟は異状の治癒のためにあります。
その原理は欠落の埋め合わせです。人は脆いものです。病気、怪我、ストレスなどによって人の心身はたやすく欠落し、異状になります。我々はこの欠落部分に神の恩恵を注いで埋めたてるのです」
彼女はゆっくりと教室内をめぐると、中央の机に戻った。
「すでにご存知のとおりその効果は絶大です。我々が癒し救うことで魔物というそこにある脅威と戦えるのは、ひとえに神の慈悲のおかげです。その恩恵に浴する我々は心から神に感謝を捧げねばなりません。
東に病人がいればいって治療し、西に魔物が出れば馳せて戦士を癒し、北にいまわの者があれば枕元で神の恵を説き、南に力足らぬものがあれば傍らで助力する。あらゆる場面であらゆる秘蹟を用い、神の栄光を天が下に知らしめること。それが我々教徒の義務であり理念なのです。
しかし」
彼女は教室中を見まわした。
「再度言いましょう。ゆめゆめ忘れてはなりません。
あなたのその手が、祈りが、悪夢の引き金をひくこともありうるのです。秘蹟を行う我々もまた、たやすく欠落する存在なのですから」
語尾は強く、言葉は鞭のようだった。
彼女が口をつぐんだのちも、見えない鞭がしなり教室内の兄弟たちを威圧していた。
「……例を見せましょう」
彼女は低い声でそういうと、指示棒を篭の中に刺しこんだ。それはあやまたず眠っていたルナティックをつらぬいた。ルナティックが悲痛な声をあげ、幾人かの兄弟たちが顔を背ける。
「このルナティックは現在危篤状態にあります」
血のついた指示棒をゆっくりと引き抜くと、プリーストは再び教室内を見まわした。苦しげなルナティックの姿と、それ以上に襲いくるいやな予感から、誰も彼女と目をあわさない。
「兄弟、このルナティックにリザレクションを」
彼女は新米らしい司祭のひとりに指示を出した。
呼ばれて立ち上がったのは線の細い小柄な女性だった。
青い顔にはおびえが色濃く表れている。
「なにをぼうっとしているのです?
早くなさい、死んでしまってからでは遅いのですよ」
女性ははじかれたように机に駆け寄り、篭の中のルナティックに両手をかざして祝詞を謡った。
一度つっかえ、二度目でようやく成功した……かのように見えたが、効果が現れない。ルナティックは息もたえだえのままだ。
そんな、どうして、と襟元をかきよせる女性。
「ブルージェムストーン」
彼女の鋭利な声に、女性はびくりとふるえた。
「ブルージェムストーンはどうしました?」
女性はあわててポケットを探り、座席に跳び戻ってカバンの中を探り、ようやくひとつかみの青い小石を取り出す。震える手でそれを篭の上にかざし、どもりながら再起の祝詞を謡った。しゃりんと涼しげな音をさせてジェムストーンが砕ける。
今度は成功した。
ルナティックの腹にうがたれた小さくも深い傷はみるみるうちにふさがり、純白の毛皮にかすかに赤黒い汚れを残すだけとなった。
教室内に安堵の空気が広がり、わたしもまた胸をなでおろした。
「いいでしょう、戻りなさい」
女性は席へ戻った。うつむいてくちびるを噛んでいる。遠目からでも消沈しているのがわかった。
「いまのケースでは、ルナティックでしたが」
彼女は篭の中の動物にヒールを施し、痛みを飛ばしてやりながら続けた。
「それでも兄弟たちの心をかき乱すに十分でした。
ノービスに狩られ、ペットとして連れ歩かれ、肉屋の店先に並んであなたがたの夕飯に供せられる動物。それでも目の前で傷つけば動揺するものです。これが人間だとしたら、愛する人や信じた仲間であったとしたら、どんなにか兄弟たちの平常心は欠落することでしょう。あせりは不安を呼び、不安はあやまちを生みます。
我々のあやまちは致命的です。御覧なさい」
彼女は篭をあけ、ルナティックを抱き上げた。みなから見えるように高くかかげる。
そうされてはじめてわたしは、そのルナティックの左足がありえない角度に曲がっていることに気づいた。
「このルナティックは、罠にかかり足の骨を折っていました。
そこへ見習いアコライトが未熟なヒールを施したところ、このように固着してしまいました。たしかに命は助かっていますが、結果は見てのとおりです。
我々が扱う秘蹟には常にそのような悪夢がつきまとうのです。神は無限であり、その慈悲は汲めどもつきません。ですが秘蹟を扱う我々は有限です。有限な我々が無限の神の御業を手にしたとき、いたるところに悪夢の引き金が立ち現れてくるのです。二度とペコペコに乗れなくなった騎士、腕を失ったアーチャー、走れなくなったシーフ、全身にアザの残ったダンサー。悪夢の例は枚挙にいとまがありません。
この私もまた、悪夢を見た者です。私の命を救うためだったとはいえ、恐慌に陥った仲間の手でこのような姿になってしまったのですから。
あの状況ではしかたのないことと、頭ではわかっていましたが、一時期はずいぶんとつらい思いをし、死んだほうがましだと考えて周囲にあたりちらしたりもいたしました」
すこしだけ、彼女の声音が変わった気がした。
その色は、あえていうなら悔恨に似ていた。
私はメガネの向こうにある彼女の鳶色の瞳を見つめ、そしてその背を見つめた。ベルベットの法衣の影には、どんな人生がひそんでいるのだろうか。
「しかし、それでもなお我々は求められています。我々こそが神の恩恵を天が下に正しく広めることが出来るからです。悪夢はそこここにあります。しかし恐れてばかりでは我々は前に進めません。
”気をつけよ。神を信じよ。バイブルをけして手放すな”
兄弟たちよ、あなたがたが戦う相手は魔物だけではありません。
あなたがたは焦りや不安と戦わねばなりません。
あなたがたは命を預かる重圧とも戦わねばなりません。
あなたがたは乱用の誘惑とも戦わねばなりません。
あなたがたはなによりも己の欠落と戦わねばなりません。
兄弟たちよ。おびえたとき、迷ったとき、不安に襲われたとき、あなたを救えるのは神と己自身のみです。
”気をつけよ。神を信じよ。バイブルをけして手放すな”
あやまつことなきよう警戒なさい。心から神の慈悲を乞いなさい。勉強なさい。経験を積みなさい。すべての聖者はそのようにしてきたのですから」
彼女はルナティックの背中をやさしくなで、そっと篭の中に戻した。
講義は終わった。
彼女が終了を言い渡したあとも、教室の中には重苦しい沈黙が満ちていた。それもやがて、次回の予定と集合場所を書いたプリントが配られるころにはやわらぎはじめていた。
次回からはより実践的な秘蹟の扱いについて勉強できるらしい。
まわってきた回覧板の、出席希望の欄に大きく○をつけた。
ちょうどわたしで最後だったので、わたしは身支度を終えると回覧板を彼女に手渡した。
「先生、荷物を持ちましょうか?」
彼女はルナティックの篭を手にしており、さらに指示棒と教典を手にしていた。ここは2階、彼女の体では階段を降りるのは大変だろうと思ったからだ。
「御心配なく。慣れておりますのよ」
彼女は私の申し出に微笑みを返すと、ではまた次回と短い挨拶をして、うしろ歩きで教室を出て行った。
その首は、前後が逆についていた。
叶 ... 2011/02/28(月)16:27 編集・削除
プリさんは医者も兼ねてると思うという妄想からできたものです。