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Maintenance byまなか陸

 ※お題『メンテナンス』
 ※まなか陸(Ridiculus)
 
続き
 

その日僕は道に迷ってしまった。傷に良く効く薬草を取っているうちに群生しているところを見つけて、大喜びで取りに取り捲っていたら帰り道を見失った。
ここは迷いの森の境目。凶悪な化け物が息づく、普通の人間なら決して近寄らない魔境のすぐ傍。正直、蒼くなったのは否定しない。
でも僕は、この近くにある樵の家の息子で、小さい時からこの森の間近で暮らしていたから、決して迷ったりとかはしない。

はずだった。

「ちゃんと目印、つけとくべきだったなぁ……」
薬草を取って、そのまま死んじゃったら、せっかく取った薬草が無駄になってしまう。そう、思って焦ったのがあだになった。
急に開けたところに出て、安心した瞬間、敵と鉢合わせ。甲殻類では地上最強の部類に入る、アルギオペだ!
友達から借りてきていた、対昆虫特化武器をがくがく震える手で引き抜く。アルギオペと戦うのは生まれて初めて。一撃が重く痛い。掠る傷が熱く毒の熱を持つ。まともに勝負をしては勝ち目がないと、僕は奴の動きが遅いのをいいことに距離を稼ぎ、腰から瓶を数本引き抜いて投げつける。超成長促進剤入りの瓶に漬けてあったフローラの苗と、こちらも同じ薬につけてあったソードフィッシュの卵、通称マリンスフィアが一瞬で成体に変化する。これまた友人の錬金術師から借りてきたものだ。
「Hold!!」
古代語で叫ぶと、フローラはアルギオペに強靭な根を絡みつかせ固定する。そこへふわりと漂ってくるマリンスフィア。アルギオペがいらだって攻撃を加えるのにあわせて、もう一度古代語で命令を下す。
「Explosion!!」
重い爆発音の後は、3メートルくらいの直径に丸くあいた穴が一つ。
「はふ」
ぺたりとしりもちをつく。怖かった……。差し込む木漏れ日がとてもとても、美しく見えた。

と、思ったら唐突に影が落ちる。曇ったかな、と思ったらそれは巨大な何かで、影の周りには先ほどと変らず金の斑点がちらちらと踊る。
おそるおそる振り仰げば、はるか頭上に光る不気味な赤い目が二つ。その上にくるりとまるまった角が二つ、その脇にでっかいカマが一つ。
視界が回る、何を見ているのか分からなくなる。意識を手放す瞬間思ったのは、『死ぬときは痛くないように』

薬草を持って帰れないのが唯一の心残りだった。

目が覚めると、ひんやりとした石造りの部屋だった。清潔な香りのするベッドに寝かされているのか、ふかふかと体の下が柔らかい。
ゆっくりと起き上がる。体が若干きしむが別に怪我はしていないようだ。あたりを見回すと、月光の差し込む大きな窓が目に入る。その窓のおかげで、部屋の中はランプの必要がないほど明るい。
「気がついたか」
ぞくりと背筋が震える。明らかに人の声ではない。ちょっとくぐもった、無理に人の言葉を喋ろうとしているような。嫌な予感がした。
「驚かせて、すまない」
ゆっくりと振り返ると予想に違わず、そこにはでっかい山羊の化け物がちんまりと腰掛けていて、息が止まりそうになる。口蓋に張り付く舌をなんとか引き剥がして、声を出す。
「あ……あの、助けていただいて、ありがとうございます」
いくら相手が化け物とはいえ、命を救ってくれたのだ。正確には見逃されたといったほうがいいのかもしれないけれど、どちらにしろお礼は言わなきゃいけないと思った。ぎくしゃくしつつ頭を下げると、山羊の化け物はにたあっとしか言いようのない表情を浮かべる。……あれが山羊の笑顔なのかな、初めて見た。多分笑顔だよね?
「膝と声が震えているぞ」
「……そりゃ、バフォメットを見て動じなかったら、僕はあそこで倒れたりしません」
「それもそうだな」
今度こそ山羊……バフォメットは高らかに笑った。多分笑い声だと思う。気の弱い人間が聞けば間違いなく倒れるだろう。実際僕も倒れたい。
「ところで人間」
「……なんですか」
「ちょっと頼まれてくれないか」
「……嫌です、とはいえないんですよね?」
「察しがいいな、そのとおりだ」
また、にたりと笑う。頼むからやめてくれ。
「ああ……」
今度はなんともいえない溜息。やっぱり気が変わって食われるのか?思わず体を固くする。
「不必要に怯えさせるのも何だな。少しそこで待っていてくれないか」
不気味に光る、でっかい真っ赤な目で凝視されれれば、僕はぶんぶか首を縦に振るしかない。また、にたぁっと笑って、奴は別室に消える。
とっさに逃げようかと思ったが、殺されるならとっくに殺されているな、と思いとどまる。5分ほど待つと、別室の戸が開いた。
「待たせたな」
そこには、威風堂々たる男。
「……?」
「ああ、人は見た目が代われば判断がつかんか。さっきの山羊だ」
「!?」
バフォメットが自分を山羊と言うことにも驚いたが、今の彼はどこからどう見ても人間だ。声もくぐもっていない。身長は標準の男性より20センチほど高いだろうか。居丈夫という感じは受けるが、物凄く珍しいというほどの高さでもない。髪は黒く艶やかで、肌は浅黒く、目は深く美しい紫紺。
「で、頼みごとなのだが」
「あ……はい」
「持っているものと服装で、薬師か医者だと判断したのだが、違うだろうか」
「ええ、医者です。……まだ成り立てですが」
「ふむ……ちょっと見て欲しいんだが」
「?」
招きよせられるままに先ほどバフォメットが出てきた部屋に入ると、そこにもやっぱりベッドがあって、子供が一人寝ていた。汗をびっしょりかいて、苦しそうだ。
「この子ですか?」
「そうだ。私の子の一人でな」
……てことは、この子の正体は子バフォ……?
「あの、山羊の子じゃないんですね」
「山羊の診察が出来るなら戻すが」
「いえ無理なので結構です」
用意のいい山羊だ。

額に触ると、火を吹くほどに熱かった。それに漂う、何かの腐っていくような臭い。
布団をめくりあげて絶句する。
「ヒトにやられてな。この通りだ」
おそらく呪い憑きの武器で滅多切りにされたのだろう。そこかしこに特有の、黒い痣のような痕がある。あわせて毒も使われたのか、傷口が激しく膿んでいた。むしろ腐って落ちそうな勢いだ。
「助かるだろうか」
視線を投げると、そこらの父親と変わらない心配そうな顔つき。ああ、魔物でもやっぱり親なんだなと思う。
(……)
しばらく見ていたが、状況は予断を許さないようだ。ここまで来ているとちょっとやそっとの治療じゃだめだ。相当な荒療治が要る。
「何か必要なものがあれば揃えさせよう」
「なんでも揃いますか?」
「よほどのレアでなければ揃うぞ。ホワイトスリムポーション100本などといわれると困るが」
「抗城戦でも使いませんって」

しばし考えた後、鞄をひっくり返す。ばさばさとハーブや瓶が零れ落ちて散乱する中、必要なものを拾い出した。
「えっと、イグ実とイグ葉と聖水がいりますね」
「聖水?」
「ええ、聖水」

窓から月の光が蒼く差し込み、部屋と空気を明るい青に染める。
とりあえず、失敗即死って状況だけど、今すぐ死ぬんじゃないからまだましだよな。世界一不幸じゃないよ、きっと。

Maintenance - 世界一不幸な男 2

イグドラシルの実と葉をすりつぶして蒸留水で煮詰めたものを傷口に塗り、緑ハーブで包みこむ。
見た目は人間だけど山羊の子供は、まだ意識がないから抵抗はしない。バフォメットの子は、見た目はペットにしたいほど可愛いが、生半可な腕の冒険者なら出会い頭に死体にされているほど強い魔物だ。多分意識があってほんとに元気だったら、一瞬で肉の塊にされているだろうなぁ、と考えながら手当てをする。
イグドラシルの実が放つ、ほんわりと甘い香りに食欲をそそられる。お腹すいた……。

とんとん

まるでこちらの思考を読んだかのように戸口で音がした。外に出てみると、芋でできた餅と鶏肉をあぶったものが山盛りに皿に盛られて置かれている。その脇には強い花の香り漂うハチミツの壺も置かれている。芋餅のお供に少しだけ拝借してから、残りはお湯で割って緑ポーションを混ぜ、子バフォに飲ませてやった。芋餅と鶏肉はありがたく頂いた。
緑ポーションの効果が出てくると、拭き取る汗が徐々に黒っぽくなってくる。何度も何度も拭い、ゆすぐうちに布が真っ黒に染まっていく。いかに毒で侵されているのかが伺える。
敷布も掛布も寝巻きも徐々に黒く染まっていく様は、普通の医者が診れば毒を排出させているのだろうと思うが、正体を知っている僕としては、魔性が溶け出していくような錯覚を覚えた。

ちゃんと三度三度食事を置いていくのは誰だろうと、一度好奇心で外を覗いてみたことがある。
……正直後悔した。何を後悔したって……
ハチミツ、マヤーパープルが置いていってるんだ。ちなみに僕の食事はチョコが3匹がかりで搬送。
見ちゃいけないものを見たって感じだった。

3日目、傷がほぼ塞がった。次は呪いの解除だ。本来なら司祭を呼んで解呪してもらうのが一番なんだけれど、なまじ悪魔の子供なので、そんなことをしたら別の方向で命が危ない。
出来ることは大量の聖水で少しずつ拭き取ること。早くしないと呪いで体が腐り落ちる。手持ちの聖水だけではとても足りなかった。
そこへバフォの親父さんが聖水を両手に抱えて入ってくる。
「とりあえずかき集められるだけ集めては来たが……」
その数120本。全然足りない。
「足りないですね」
「そうか……」
すまなそうに肩をすくめられた。この人、人類の敵のはずなんだけど妙に憎めない。
「我らと最も相容れぬものだからな、聖水は。すまない」
「いえ、友達に作ってもらいます。少しここを離れてもいいですか?容態はそこそこ落ち着きました」
「ふむ」
形の良い顎に指を沿わせて、彼はしばし考え込む。そして悲しそうな瞳で、眉をひそめる。
「人は、嘘をつくからな」
「……?」
「魔物が嘘をつかないとは言わん。時に嘘は命を守ることもあるから……だが人間のそれは酷い」
溜息が漏れる。
「今お前に逃げられれば、あの子は助からないだろう。だから本当は行かせたくない。だが行かせなければやはり助からない」
「戻ります、必ず」
医者として、やはり助かるものなら助けたいという気持ちが強かった。自分が死ぬかもしれないという恐怖は、ここ数日で綺麗に消えていた。
何せ、殺す気になれば一瞬なのだから。餌まで与えて生かしておく理由がわからない。
「ふむ……」
じっと僕の顔を見つめてくる。ちょっと見た程度では、普通の人間にしか見えない彼の唯一人と違うところは目だ。
深く濃い紫紺の瞳が紅く煌く……人ではありえないその輝きは少し恐ろしいけれど、でもとても美しいと思った。
魔性に魅入られたのかもしれない……それもいいか。

太陽が南中を過ぎる頃、僕は首都へ向かって歩みを速めていた。

(レン、頼みがあるんだけれど)
首都北に位置する、城塞地区ヴァルキリーレルムの入り口に差し掛かったところで、歩きつつ友人にメッセージを飛ばす。少し撫で、語りかけるだけで音声や思念を飛ばせるこの機械は本当に凄いといつも思う。バラすことは固く禁じられているのが残念だ。
プロンテラ城内部を通る連絡通路に差し掛かったところで、返事が飛んでくる。
(留守にしてると思ったら何処に行ってたんだよ)
(ちょっと、色々あって帰れなかったんだ)
(心配したぞー?今何処だよ)
(今、首都に出るところだよ)
(迎えに行こうか?)
(いや、いい。それより頼みがあるんだ。僕の家に行っててくれないか)
(……ふむ?わかったよ)

ふむ、という声が「彼」と同じで、ちょっと懐かしい。

首都南西にある自宅に着くと、既にレンは家の前で座り込んでいる。
「おそーい」
「これでも精一杯急いだよ」
「ふむ」
急いで鍵を開け、中に入る。少し薬草のほこりっぽい匂いが漂うこの空間が僕は好きだった。
「で、頼みって?」
「ちょっと待って」
長いこと使っていなかったカートを引っ張り出す。カプラ社に返しても良かったんだけれど、なんとなく物入れとして使っていたものだ。
続いて棚をあさり、ありったけの空き瓶を放り込む。ポーション瓶とか牛乳瓶とかこの際お構いなし。レンが目を丸くする。
隙間には、これまたありったけの薬草を積み込んだ。他に使えそうなものを片っ端から入れていく。大事にしてた銀器や洋服も。

僕は覚悟していた。
もう二度と、ここには戻れないと。

「……夜逃げするような勢いだな」
ぼそりとつぶやくレン。それにかまわず、カートの蓋を閉めた。
「レン」
「……何?」
ちょっと緊張したような顔で聞き返してくる。
「レン、このカートに積んだだけ、聖水を作って欲しい」
「……正気?」
「正気」
「呪いの解呪なら……って、頼めないからお前がやるんだよな」
「……」
「……お前、何処行ってた?」
「ごめん、答えられない」
答えたら戦争になる。多くの人が、多くの「彼」の仲間たちが死ぬ、大きな大きな争いになる。

しばしの沈黙のあと、おもむろにレンは認識票を撫でた。ギルドモードで。
「おい、司祭で聖水作れる奴、空き瓶持てるだけ持って集合」
一瞬間を置いて、次々に声が返ってくる。同じギルドにいる僕にもそれは聞き取れた。
「んー?何処行くの?何に使うのー?」
「倉庫に200くらいあるから上げるよー」
「とりあえずポリン池集合。あればあるだけ助かるから、頼む」
ポリン池というのは、首都西から出てずっと南に下るとある、小さな湧き水の池のこと。
「誰が使うの?」
僕が一瞬息を呑むのを、ちらりと横目で見てレンは答えた。
「シン。詮索はするなってさ」
さらに息を呑むと、3拍ほど間を置いて、全員が調子を合わせたかのように声を揃える。
「了解」

空が宵闇に染まる頃、僕は漸く引っ張れるかというほどカートに聖水を詰めて、ぽてぽて歩いていた。
隣にはレンが、持ちきれなかった聖水を担いでくれている。
「……シン」
迷いの森の入り口に着いたところで、レンがぼそりとつぶやく。
「シン、……帰って来てくれるよな?」
「……ごめん、約束できない」
思わず目頭が熱くなる。
「シン」
「ごめん、ごめんなさい、マスター」
頭を下げる。このレンは、大事な友人であり、同じギルドのマスターだった。
「僕を抜いていいよ。新しい誰かを入れていいよ」
ぺち。
頭を小突かれた。
「待ってる」
視線を上げるとそこには晴れやかな笑顔。
「もっと聖水がいるなら、その場で呼んでいいからな。ここに聖水積んで帰るから」
「そういう意味じゃ……」
ぺちぺち。
今度は頬を軽く叩かれる。
「言わなくていい」
「レン……」
「みんな、待ってるからな」
きびすを返し、今はもう影に染まった道を引き返し始める。
「レン!」
すっと手を上げ、数歩歩いて、彼は転送魔法を唱えて光と消えた。

「もういいのか」
ぬぅっと背後から手が出てきて腰を抜かしそうになる。
「び……びっくりした」
振り返って、ずいぶんと憔悴した顔に絶句した。
「ちょっと、悪化してな……もう手におえなんだ」
その一言で、少しなえてきた気力が復活する。
「大丈夫、今度はきっちり治します」

部屋に入ると、異臭が強くなっていた。布団を捲り上げると案の定、腐敗が進んでいる。
「バフォさん」
「何だ?」
「この子、ヒール効きますよね?」
「効くぞ」
「ヒールできる人を呼んでください。威力が強ければ強いほどいいです」
「わかった」
と言った瞬間姿が消える。魔物は便利だ。僕も急いで持ってきた聖水を、片っ端から持ってきた銀の器にあける。
綺麗な布を浸し、絞って少しずつ黒ずんだ部分を拭う。瞬時に漆黒へ染まる白い布が痛々しい。
戸口から心配そうに様子を伺うチョコやヨーヨーを手招きし、ハチミツを薄めて緑ポーションを入れた吸い飲みを持たせて手伝わせる。
聖水がみるみるうちに黒く染まっていく。投げ捨てて次の聖水を満たしまた拭き取る。夜を徹して作業を続ける。夜明けになるころ、体で黒ずんでいるところをほとんど拭い終わり、あとは腐敗の処理だけになった。
そこへバフォの親父さんが帰ってくる。
「とりあえずお前に危害を加えない、かつ、威力が強い者を連れて来た」
と、後ろにくっついているのはバーメットタートルが5匹。なるほど、気性は温厚だ。ヒールをかけてくる魔物の特徴で、近くに傷ついた仲間がいればヒールをかけるというのがあるが、このときもご多分に漏れずヒールを始めだす。それにあわせて、再度イグドラシルの実と葉を煎じた薬を患部に湿布し、緑ハーブで包む。
そして今度はハチミツを白ポーションで割って飲ませる。あとはこの子の体力勝負だ。

「ふぃ」
ひと段落ついたので、表の部屋でご飯を食べていると、ついつい、と服のすそを引っ張られる。
視線を落とすとそこにはスモーキーが一匹。大きく潤んだ瞳で、何かを訴えかけてくる。
「どうしたんだい?」
「きー」
細い声で鳴くので良く見ると、後ろ足に太いとげが刺さって化膿していた。
「怪我したのか。ちょっと待ってなよ」
子バフォの部屋にとってかえし、彼に使う予定だった湿布薬を少し取って、あと棘抜きも持って戻り、狸を抱え上げる。ペットとして愛玩されていることもあり、総じておとなしいのがありがたい。
「ちょっと痛いぞー」
声を掛けて、撫でてやって棘を引き抜く。きーっ、と細い泣き声を上げるだけで、暴れたりしないのが偉い。言葉通じてるんだろうか?
「あい、我慢して偉い偉い」
なでなでしてやり、湿布を付けて包帯でくるんで縛る。おとなしくいい子にしていたご褒美に、カートに入ってた化け餌をやった。
「ほれ、これやるから元気だしな」
もごもご、と食べる姿が可愛いなぁ、と目を細めて和む。

それを皮切りに、ちょっとすりむいたポリンやら、うっかり毒のある茸を食べたヨーヨーやら、自分の火で火傷したという間抜けなディアボリックまで、ぞろぞろとやってくるようになった。どうやら魔物でも治療してくれる医者がいると噂が広まったらしい。
そこらへんはヒトも魔物も変わりないんだなぁ。

さらに3日経過。カートに溢れるほど積んできた聖水がなくなる頃、子バフォの呪いが解けた。その間、やれ怪我だの病気だの、ちょっと体調が悪いからみてくれだの、訪れる魔物は増える一方。
巷で恐れられているほどには魔物は怖くないのだということが分かった。人間への恨みでこの世に戻ったレイドリックやらは知らないが、そこらへんでちょろちょろしている魔物たちはいたって温厚で素直で優しい。
なにより、人間だと踏み倒したりする代金を、彼らはきっちりと置いていった。でっかいゼロピーとか、ハーブとか餌とか、他色々なちょっとしたものを。
ひょっとしたら、一番恐ろしいのはヒトなのかもしれない。

そして、バーメットタートルたちがヒールをしなくなったころ、漸く子バフォが目を覚ました。

「……」
じいっと僕を見つめてくる。親父譲りの、紫紺の瞳が美しい。改めてみると、愛らしい顔立ちをしている。もそもそ、と起き上がり、両手を伸ばすので近寄ったら、ぎゅぅっと抱きつかれた。
一瞬、噛まれるかと思って体が硬直したけれど、まさかと思い直して頭を撫でてやる。嬉しそうに微笑む顔にどきりとした。艶のある柔らかな金髪が手に心地いい。可愛い。食べてしまいたくなるほどに……って、をいちょっと待て、本当に待て、待ってくれ僕。

ばくばくと音を立てる心臓を宥めて、震えて落としてしまいそうになる指を叱咤して、牛乳を温めてハチミツを混ぜた器を持たせると、子バフォは一息でくーっと飲み干し、心から満足そうな溜息をつき、こちらを見て眩いほどの笑顔を浮かべた。きゅぅぅぅっと胸が音を立てたかのように締め付けられる。思わず子バフォの頬に手を添えそうになり……

「おぉ、気がついたのか!」
危ないところで親父バフォが入って来た。
バフォの子供は親父にも手を伸ばしてぎゅぅっとしがみつく。ああ、きっと僕は親父と間違われたんだろう。
きっとそうだ、そうにちがいない。むしろそうであってくれというかそうだ。そうにきまっている。落ち着け僕。

「ヒトよ、ありがとう!」
爽やかな満面の笑みで感謝されると悪い気はしない。遭遇から10日がたっていたけれど、最初の頃の恐怖が嘘のようだ。僕はこの人類の敵が好きになっていた。
しがみついた子バフォが、こちらに輝くような微笑を向ける。あまりの愛らしさにくらっとくる。その瞬間、何度も着替えさせたりしておいて本当にうかつだが、その子が女の子だと悟った。
ああ、僕はもう魔物の仲間だ。二度と同胞の所へは戻れない。……寂しさが胸を突くけれど、これは僕が選んだ道だ。

黙って帰ればいいじゃないかって?

―――聞かないでくれ。僕は世界一不幸で……そして幸せな男だ。あの微笑には抗えない……

首都プロンテラ北、迷宮の森。
この森の片隅に一つの伝説が眠っている。この世のどんな病気も治せないものはない、腕利きの医者が住んでいると。
彼が人であるかそうでないのかはうかがい知れない。魔性に魅入られたのだとか、子バフォの命を救ったことがもとで、永遠の命を魔王バフォメットから与えられたのだと噂するものもいる。
それでも、彼のもとを訪れる者は、種族を超えて後を絶たない。
もう、死ぬまであと数刻しかないと言うような末期の病人でも、彼はせめて終末のひと時を穏やかに幸せに過ごせるよう、全力を尽くすのだという。

だがしかし、その技は人間に対してのみ制限がある。
それは誰からも見放され、運からも見捨てられ、他にどうしようもなくなった時。
己の命を代償に差し出すと誓い、聖水と蜂蜜を背負って迷宮の森に入ったときに初めて与えられると伝えられている。

何故聖水と蜂蜜なのか―――
今では誰も解き明かすことの出来ない謎である。


「メンテナンス」
普通鯖メンテとか思いつくんでしょうが、なぜか真っ先に思いついたのは医者でした。
……もうちょっと普通の医者のはずだったんだけどな(悩
2004.03.05 まなか陸(Ridiculus)