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いだくもの bySKR

 ※お題『血』
 ※SKR(S-Silence)
 
続き
 

『いだくもの』

 拾い物らしい煤けたレザージャケット、それに足首までしかない薄っぺらな皮の靴。盾は鍋の蓋が幾らか大きくなった様なちゃちな代物で、外套すら身につけていない。
 そんな身なりの年端も行かない少年剣士には明らかに不似合いな品だった。
 いい天気だ。
 少年は砂漠を抜けて草原に差し掛かった。所々の地面の窪みには澄んだ水が溜まっている。辺りにはドタドタと走る猪が沢山居たが、これの成獣に斬りかかると反撃が痛くてならない。少年剣士はパタパタと小さな足音を探して子猪に剣先を向けた。
 鎧も買えずに皮の胴着。街の店で簡単に手には入る安手の靴や盾。けれど振り下ろされる中型のその剣の輝きは、少年の持ち物の中では灰の空のシリウスの様に秀逸した輝きを放っていた。その青い刃。
「よっ!…と」
 剣を支えるにも苦心する少年の細い腕が振り下ろしたその刃は、小さな猪を難なく裂いて二つにした。青い刃に赤い獣の血が付着し、伝って落ちる。
「はー。ホントめちゃ斬れるこの剣」
 剣の重みだけで獣の骨が断たれて刀身が標的に吸われていくみたいだ。こんな剣は世界に幾つもは在るまい。少年は満足げに口の両端を上げる。
 屈んで今斬った獣から牙やらを採集していると、
「スッゲー!何その剣!ドコに売ってんの!?」
 背中に感嘆の声を浴びた。同じ年頃の、同じく剣士の男の子だ。何処からか先の一撃を見ていたのだろう。この辺りに生息する動物は新人の剣の訓練相手には適しているので若い剣士だらけだ。
「売ってねえよ、拾ったんだよ」
 少年は身を起こして振り返り、収集品を腰に下げた袋に突っ込んでにやりと笑う。
「え?ドコで?……って言うかそれ何て剣?」
 興味津々で尋ねてくる相手に勝ち誇った笑みが止められない。片手をズボンのポケットに突っ込み、短く答える。
「知らねえっ。じゃあな!」
 言い終わると共にポケットから取り出した蝶の羽を、肩の高さでぐしゃりと握り潰す。
 美しい剣は少年と共に掻き消えた。

 まったく。この剣を拾ってからと言うもの狩りの上がりが良すぎる。回復剤の使用量も格段に減ったし、今まで斬れなかった敵も溶けかけのバターか何かの如く斬れる。
 日の落ちた首都の通りを歩きながら、少年は胸ポケットから財布に使っている巾着を取り出した。口の絞りを指で開くと中には今まで持った例しの無い位に沢山の小銭が入っている。
「贅沢してみっかなあ」
 少年は繁華街に出て一件の酒場の前に立ってみる。齢十五にして初めての酒だ。冒険者になる前は親が飲ませてくれなかった。今はそんなお目付役もないし、金はあるし。
「入るっきゃねえなっ」
 木戸の蝶番がキイと音を立てたので酒場のマスターはいらっしゃいと声を掛けようとしたが、少年を見るや、ああと溜息めいた声を出してグラス達に向き直った。一応客かと思い返して、やはりいらっしゃいと声を掛けておく。
 少年は未だ身長も伸びきっていないらしく、薄い肩をしている。格好は剣士だ。茶色い髪は鋏で適当に短く刈ったらしくボサボサだ。身なりの中で目を引くのは汚れた布を巻き付けた細長い包みで、長さは腕の二本分弱。見た目の重量感から間違いなく中身は剣だろう。ならば腰に携えても良い物だが、もしかすると少年の背丈では鞘が邪魔で姿勢を低く構えられなくなるのかも知れない。
 ちらりちらりと目線だけで左右を見渡し、少年はカウンターの真ん中に向かった。
「何にするね?」
 尋ねるマスターの流し目には明らかな子供扱いが含まれており、少年は多分に機嫌を損ねた。
「ビール!」
 そう注文したのはそれしか酒を知らないだけで、飲みたい訳でもない。そもそも味を知らない。肩を竦めてマスターが棚からジョッキを持ち出すと、少年はさほど興味の無い振りをして横目で店内を見回す。
「陰気な店だな」
 照明が暗いのはいいとして、テーブル席の黒いクロス、それにおきものの一つも飾らないというのはどうか。
「生憎と喪中でしてね」
 カウンターの中で俯いて黙々と決まった作業をこなしつつ、マスターは言った。少年は逡巡なく問いを返す。
「誰が死んだの?」
「息子です。これだから冒険者になると言った時には止めたんですがね」
「ふーん。弱かったんだ?」
 マスターは会話をやめ、無言でビールのジョッキを少年の前に置いて去る。残された少年は仕方なく、また店内を見渡した。
 少年は思う。おかしな店だと。店の奥、隅の方だ。物置と書いたプレートを掛けた木戸の前にひとり、人が居る。椅子にも登らず床に胡座を掻いて、毛羽立ったマントのフードを目深に被って。
 彼は物乞いの皿を前の床に置いてなどは居ない。彼は唯そこに居る。深く被る黒ずんだコルク色のフードの中の顔が見えない。
 少年はぎくりと肩を揺らした。フードの布地が僅かに首で捻れて、その人物がこちらを向いたのだ。
「泣いてるね……」
 フードの中から嗄れた老人の声が漏れた。
「なっ、何だよ」
 視線を気取られたと分かった少年は、居直って椅子の上の身体ごと老人に向き直る。老人はそんな少年に向かって枯れたように枝垂れた右手を差し出し、緩慢な手招きをした。
 少年は喧嘩腰に椅子を蹴って立ち上がり、奥の物置の前までずかずかと歩いてゆく。
「何だよ!」
 床板に座した老人を上から見下ろすが、対して老人はこちらを見上げようとはしない。招いた右手を長いマントに仕舞い込み、黄土色の小山の様に佇んでいる。フードの奥が暗くてよく見えない。
「まあ、お座り」
「嫌だ!」
「……おまえは思っている。最近、その剣が斬れやんできたと…」
 少年はぐっと言葉を詰まらせ、目を見開いた。なぜ分かるのか。
 警戒を色濃く見せながら、少年は老人の前の床に老人同様腰を下ろした。
「そいつをお見せ…」
 すいっと差し出された老人の手に、少年は不信の目で布に包まれた剣を庇った。
「研いでやろうと言っているんだよ」
「研ぐ?」
「研ぐのさ……」
「おまえ、研ぎ師なのか」
 半信半疑で長い包みを差し出すと、老人は両腕を振るわせながら重いそれを受け取った。胡座を掻いた膝の左右に剣を渡して布の包みを解く。巻いた白い布の中には鞘はなく、直に剣が包まれていた。
 現れた刀身に老人は首を絞められたみたいなか細い悲鳴を上げた。青く仄かに発光しているかのような見事な刃に、茶色くこびり付く無粋な汚れが幾筋もある。生臭い。
「お前さん、この剣で獣を斬ったね? 脂の匂いだ、嗚呼……可哀想に……」
「うるせえぞじいさん、黙って研げ」
 老人は研ぎ台も使わず、懐からマッチ箱ほどの大きさのちっぽけな砥石を取り出した。
「わたしは女だよ」
 老婆は丸くなった背を更に丸めて膝に置いた剣に砥石を滑らせた。
「んなのどっちでもイイッての。どっちにしたってしわしわなんだからさあ」
 少年が言うと、老婆はヒヒヒ、と笑った。フードが深くその表情は伺えない。
「剣が男だからね、わたしは女なのさ……」
 老婆の乾いた指がやんわりと剣の柄を包んでいた。小刻みに震える老いた手はとてもまともに金属など研げる様には見えなかった。だが乾いたままの小さな砥石は、それはなめらかに刃の上を滑った。そんなもの研げている筈がない。なのに滑る度に薄くなる血と脂の、匂いと色。増す輝き。少し慣れた者ならすぐに怪異と気付いた筈だ。
 研ぐ音すらない。
「へー。キレイになるもんだな」
 歴の浅い少年は気付かず、ただ感嘆の声を上げた。老婆はまたヒヒヒヒ、と笑う。
 老婆と少年が背を丸めて一降りの剣を覗き込む無言の時。ふと、老婆が砥石で剣を撫でながら言った。
「この剣、どうやって手に入れた?」
「拾った」
「そうかい……。何という剣か知っているのかい?」
「え。いや? 知らね」
 ふむ。と数瞬黙り込み、そして老婆は低く秘密めかして囁いた。
「では坊や、よくお聞き。この剣はエクスカリバーと言う」
「なにそれ?」
 一人前の冒険者なら悲鳴を上げて驚く場面なのだがこの様だ。無知とはげに恐ろしい。老婆は手を止めて深く溜息を吐いた。
「闇からの者共を討つ剣だ。魔を屠って生きる剣でね、生あるものの血は大嫌いなんだよ」
「なんだそりゃ」
「分かったらこの剣を二度と血で汚すんじゃないよ」
 言い終わり、砥石の動きが再開されたが、少年には納得出来ない。
「えー? でも動物もちゃんと斬れんじゃん!」
「汚すんじゃないよ……」
 老婆は同じ言葉をもう一度言い置いて、小さな砥石を懐に仕舞った。刀身は濡れたような輝きをすっかり取り戻している。
「……で、いくらだよ」
 少年は右の眉をぐっと下げ、口を尖らせた。老婆はヒヒヒと笑う。
「駆け出しの剣士如きから金を取ろうなんて思っちゃ居ないから、またおいで……」
「! 誰が来るかっ」
 少年は憤慨して、老婆の膝から剣をひったくり立ち上がる。威嚇に柄を持って刃をちらつかせるが、老婆はまた厚い布に包まれた小山に戻って佇んでいる。腹いせにこんなしわしわを切ったところで罪人になるだけで一銭の特にもなりはしない。少年は荒く鼻息を吐いて踵を返した。
「悪いことは言わない」
 一歩踏み出した途端、背に掛かる声に振り返る。
「魔と戦う力なくばその剣、相応しい人間に……」
「はっ」
 聞き終わる前に、少年は鼻で笑って店を出て行く。先に注文した酒のことなど忘れていた。
 埒もない話だ。剣士が剣を手放してどうする。この剣があれば冒険者としての将来は約束されたも同然なのだ。

 猪の駆け回るいつもの低地。日ももう暮れる頃、少年は昨日研いだばかりの剣を振るい、息を切らしていた。
「くっそ疲れた!」
 大きな常緑樹の根元、草の茂った所に見当を付けて尻を下ろし、背中から倒れ込む。そこから数歩の地面には大きな獣が横倒しに転がっている。猪の成獣だ。砂の上には獲物の血がじわりじわりと染み込んでいた。けれど少年にはそんな物を悠長に眺める余裕はない。突進され頭突きを食らった膝やら脇腹やら腰がずきずきと痛む。興奮状態の中、上段からのフルパワー連撃を繰り出した余韻で目がちかちかする。それにずっしりと目眩が。
 血に濡れた剣とへこんだ盾を両手に握ったまま左右に投げ出し、草むらに寝ころんだ少年は長い息を吐いた。
 ここの獣はどれも穏和で、こちらから襲わない限りは先制攻撃をされることはまずない。それゆえ今までは見送ってきた親猪だが、そろそろ敵うかと手を出せばこれだ。出来ればこのまま調子よくオークダンジョンにでも狩り場のレベルを上げたかったが……。
 休憩だ。目を閉じて長く寝ころんでいた。身体が止まっていると頭が色々想う。
――――魔と戦う力なくばその剣、相応しい人間へ……
 空に向かってぱちりと目を開いた。
「俺が拾ったんだから俺んだっつーの……」
 寝ころび、草に頭を預けたまま傍らを見ると、自分の手に握られて地に転がる見事な剣が視界に入った。刃が脂で滑り、日没後の薄暗い明かりにはもう少しも輝かない。この剣、研いだ直後は良いのだが、斬るに従って徐々に鈍く感じるのだ。
「劣化早えなおい……」
 疲れた息と共に呟いた。
 やはりまたあの研ぎ師に頼むしかないのか。他に宛もない。
 リーン、リーン……。
 疲れで幻聴が聞こえる。鈴虫の鳴き声がもっと透明になったようなやつだ。
 リーン……。
 何処からか聞こえてくる音を耳に、少年はしばしの眠りに落ちた。

 剣がね、泣くんだよ。
 昔の話だ。老婆がまだ聖堂の宝物庫に居た頃の話だ。迷い込んだ聖騎士の男に語った。
 若く精悍な男は純朴そうな顔をその剣に近付けて首を傾げた。聞こえないらしい。老婆はヒヒヒと笑った。
 まあ貴方様のお手でしたら泣く事はありますまいな。この剣が欲しければ、何か大きな手柄でも立てられませ。
 ヒヒヒ。
 老婆はゆっくりと顔を上げた。
「来たか。早かったね」
 草臥れた老婆は変わらずその酒場の奥、物置と書かれたプレートの掛かる扉の前に居た。
 むっつり顔の少年はばつが悪そうに斜め下に目を逸らす。
「なんかすぐ斬れなくなるしっ。ちゃんと研いでんのか?」
 来ないと言った手前居辛いが、この剣が切れなければ他に武器もない。
 少年は老婆の前に同じように胡座を掻き、手にしていた布の包みを差し出した。
「研げ」
「ふん。重いのかい」
 老婆が差し出した枯れ枝のような両手の指は、緩慢な仕草で差し出された布の包みの下を支え、少年の手から持ち上げる。剣にまとわりついたボロ布を払い落とすだけで、老婆は剣の重みに息を荒げていた。どうしてこれで研げるのか、甚だ不思議だ。
 血と脂に汚された刀身へ、老婆は労るように指先をさらさら這わせた。無言で一欠片の砥石を取り出し、刃へ滑らせる。
「今度こそちゃんと切れるようにしろよ」
「どこも、切れやんでないさ」
「絶対切りにくいって!」
「……剣を重く感じるのは、剣がおまえの手から逃げようとしているからさ」
 少年が疑問の張り付いた顔を顰めている内に刃が清められ、研がれてゆく。砥石を摘む老婆の指の動きは、ゆらり、ゆらりと、行ったり、来たり。儀式の如く身のない動作に見える。だがその軽いひと撫で毎に、老婆の膝の上で確かに青く澄む金属の光。ふと何か魔法の一種なのかも知れないと、少年は思った。
「ああもうイイそんなもんで」
 飽くことなくいつまでも左に右にを繰り返す老婆の砥石に焦れて、少年はその膝の上に横たわる剣の柄を握った。そのまま立ち上がり踵を返そうとする、が。
「また来るか、ら……」
 言い終わる前に後ろから剣を引っ張られて立ち止まる。振り向いてぎょっとする。
 老婆の皺寄った細い指が今研いだばかりの刀身をがっしりと握っていた。
 信じられない。こんな細い指はこの刃に触れればころりと落ちる筈なのに、老婆の握る右手からは血の滲む気配すらない。
 少年は言葉を失ったまま柄を引っ張り返した。老婆は刀身を握って引っ張り返す。
 何故、と丸く開いた少年の目が訴える。やや俯いた老婆の顔は相変わらずフードの奥に隠れたままだが、唇が笑んだ、ような気配がした。
「私が剣で傷つく事はないさ……」
 背筋が俄に冷たくなるのを感じた。理由はない。だがこの老婆はやばい。何かヤバイ。
「剣が男で、わたしが女だからね……」
 ヒヒヒ。
 少年が後ずさると、老婆は、
「その剣を相応しい方に。これが最後だよ」
 そう言って、剣を放した。
 急に手を放されてバランスを崩した少年が、後ずさりの途中だった足を縺れさせて後ろのテーブルにぶつかった。ガタンと派手にテーブルの足が浮き、マスターや常連客の視線を集めるが、少年はそれも気に留められず物置の扉を振り返りもって足早に店を出て行く。
 出入り口の扉に取り付けられたベルが、閉じる衝撃にちゃりんと鳴ると、カウンターに居た客の一人がマスターに囁いた。
「あれ、頭おかしーの?」
「分かりませんが、この間から物置の前で独り言ばかりです」

 いつもの風景、のどかな低地の狩り場。草むら、樹木、小さな水溜まり。切り株の陰にずんぐりした赤い茸。
 少年は脂汗をかいていた。
「はあ…はあ……」
 いつもの子猪狩りだ。刃はよく切れる。だが。
「お、重……」
 柄がずっしりと手に重い。小さな猪を斬る為に振り上げるのも精一杯だ。
 ぱたぱたぱた。獲物の足音だ。少年は血と脂に濡れた剣を持ち上げる。
 調子は悪いが、もうあの研ぎ師の所には行きたくない。少年はもう、一週間もこのまま続けて刃を振るっていた。その間、布や何かで剣の汚れを拭き取ってはみたが、金属を濁らせるこの血の筋を拭うことはどうしても出来なかった。
――――生あるものの血は大嫌いなんだよ
――――その剣を相応しい方に
 闇からの者を討つ剣。自分では使いこなせないと言うのか。
 言われてから悪魔やアンデッドに挑もうとしたにはした。が、総じてそれら闇からの者は手強く、駆け出しの冒険者の敵うものではない。
 ああ、あん時のクルセイダーならそう言うの倒してたんだろなー。
 と、少年は剣を杖代わりに屈めた身を支えながら反芻していた。
 その時。
 みし、と小枝を踏む音に少年は振り返った。そこにあるはずのないものを見る。
「え……」
 樹木と樹木の間から、青く変色した骸骨のお化けが。両手に短剣を握ってがさがさと出てくる。カコカコ、乾いた上下の顎骨が開閉してぶつかる音がする。
「何、コイツ!」
 こんな所にこんなもの居るのか!? 少年がその疑問を意識するよりも先に飛びかかられた。
「うわあ!」
 体感は一瞬だ。一瞬で目の前に骨が居た。地面に転がって短剣をかわしたのはほんの偶然で、次の一撃は避けられないだろう。やらなければやられる。
 少年は体勢を立て直し、骸骨の戦士に斬りかかる。
「……!?」
 少年が目を見開いて驚いたのは、この素早い相手に幸運にも攻撃が当たったからではなく。
 敵の青い肋骨の幾つもを切り裂いたその瞬間の事だ。聖剣の濁った刃が雄叫びを上げるように、瞬時に光を取り戻した。白く青い一万度の恒星を写し取ったかのような力強い輝きが手元に溢れ、剣がふわりと軽くなる。
 だが未だ幼い少年の腕は、次の一撃を用意出来ない。
「ぎゃー!」
 驚いている間に今度は骸骨から一撃を貰う。左手の盾で受け損ねたそれは左二の腕を傷つける。子猪の体当たりなど問題にならない、刃物で深く裂かれる痛み。
 少年は呻き、熱い傷口を堪えて構えた。
「バッシュ!!」
 聖なる剣が未熟な気迫を受けてそれでも閃き、一撃の下に青い骸骨戦士は崩れ落ちた。
「……クソ、痛」
 さらさらと風化して砂に混じっていく青い骨を、痛みに眇めた目で見送る。
「バッシュレベル四か五程度か」
 突然の声に少年は飛び上がった。この声は。
「ソルジャースケルトン如きで喚かれちゃ困るね」
 骨の現れたその樹木の後ろからのっそりと現れたのは、汚れたコルク色の、足下までの長いマント。
「て、てめえ……今の……」
 立っていても小さい老婆は、ヒヒヒ、とフードの奥で笑った。
「忠告はした筈だ。最後だと。これ以上彼を泣かせられんでな……」
 緊張のあまり背中に冷たい汗が噴く。少年は剣を構える。老婆は少年の剣の間合いなど意にも留めずに足を踏み出した。その右手には一本の枯れ木が握られている。
「で、その剣、どうやって手に入れたんだね……?」
「ひ、拾って……」
 震え、上手く響かない喉に語尾が潰れる。
「嘘だね。おまえはその剣を預けられたというのに、そのまま逃げたんだ」
「なんで、ンナこと分かんだよ!」
「見てたからさ……」
 老婆のか細い握力にも、乾燥しきった枝は容易く折れた。折れた枝のある空中から有り得ない大きさのものがにょろりと這い出す。美女の上半身に大蛇の下半身を持つ魔物。王の墓を守る鬼女、イシスだ。
「うわあああ!」
 イシスは何故か、枝を折った老婆が見えないかのように、老婆より遠くの少年を狙ってくる。
 勝ち目はない。少年は真後ろへ身を翻して逃げ出した。
 見ていた? 確かに誰も居なかった。そう、プロンテラの北にある薄気味悪い森の手前に倒れていた瀕死のクルセイダーから剣を預けられた。地に伏して血を吐く彼の最後の言葉は、これを聖堂へ返して下さい、だった。
 少年は額に汗を噴き、乾いた喉が切れんばかりに忙しなく息を弾ませ、走った。イシスの巨体はもう後ろに見えない。撒いたか。少年は足を止めた。
「高貴な方だったよ」
「ぎゃあああああ!!」
 イシスの姿を探し終えて前を見ると、ほんの数歩前方に老婆が立っていた。右手に三本の枝があるのを認めて少年が恐怖の表情で凍り付く。
「数々の武勲を立てて祝福されとった。そんなある日、他の数名と共に大悪魔討伐の任を受けたのさ。あの方は隊長をお勤めなさってね。そして破れ、倒れ、おまえに剣を預けた」
 足が竦んで動けない。膝が砕けて尻餅をつかずに居るのがやっとの体だ。
「そして聖騎士様の最後の武具は形見として親元に引き取られ、自分の店の物置に収められたのさ」
 漸く少年にも事態が飲み込めた。あのクルセイダーは……。
「じゃ、じゃあ、じゃあ俺もこれから修行してクルセイダーになるよ! だ、だから……」
 三本の枝から目を離せずにいる少年の前で、老婆はほう、と夢見るような溜息を吐いた。
「女って奴は罪なものでね。わたしはこれ以上彼を泣かせておけないのさ。……ガキの命なんぞ知った事ではないね」
 少年の唇が、顎ごと震える。
 ぱきり。老婆の右手で枝が鳴った。辺りの空気が冷え、けたけたと何処からか死の声がする。
「まあ、万が一、おまえが勝てると言うなら別だがねえ……」

 輝く剣を抱きしめて、長いマントの老婆がずるずる歩く。
 ずるずる歩く。この森の向こうの向こう。首都プロンテラは遠い。老婆は背を更に丸めた。
 長く体を離れすぎた。もう歩けない。抱えた剣が、リーン、と泣いた。
「心配せんでおくれ……。わたしまであなたを泣かせる気はないよ……」
 ずるずると歩く、足がもう。暗い森の中、老婆は蹌踉めき膝を折りながら一抱えの岩に縋り付いた。
 体に戻らなければ。けれど首都の酒場の物置は、この足には果てしなく遠い。
 リーン、リーン……。
「わたしの、体……」
 右手に剣を抱き、左手で岩に縋り、老婆は鳥の声を聞く。高い鳴き声は湿った森の空気を渡り、僅かな木漏れ日をいっそうきらめかせて見せた。人は、これ程までに深い森に足を踏み入れる事はまずあるまい。
「御免なさいねえ……わたしと此処で……」
 老婆が右腕の中に囁きかけると、それはキラリ、キラリと光を零した。
 緑の空気に木漏れ日が差し、鳥の声が渡ってゆく。
 そうして森の中には聖なる剣が、その柄元までを岩に抱かれて眠る。
 

end


 ……。…( ´A`)、

 ……。ラ ブ ス ト ー リ ー です!(Σ!?
 萌のMもない作品になりました。読んで下さった貴方へお疲れ様を。

 今回のお題「血」に、不参加だった時のお題「メンテナンス」と「酒場」を勝手に加えて書いてみました。最近、自分の作品がどれくらい面白いのか、どれくらい面白くないのかがさっぱり分からない日々です。宜しければ皆様、感想やご指導をモリモリ下さいませ。
2004.05.23.SKR(S-Silence)