「……さみしかったよ。
望ちゃん、ぜんぜん僕に気づいてくれないんだもの」
※リリカルふっきゅん注意
1
人形を作ろうか。8度目の文明が滅んだとき、唐突に伏義はそう思った。
手中には一握の砂。
その白さがなぜか心を引いて、これでヒトガタを作ってみたくなった。
思いついてみれば、それはずいぶんと楽しそうな作業に見えた。何で作ろう。
布はダメだ、裁縫は得意ではない。
鋼もいかん、あれは冷たい。
陶器だとすこし硬すぎる。
落とせば割れるのも困りものだ。
肉はどうだ。
いや、それでは生物になってしまう。
粘土なら?
いいかもしれん。
泥細工ならば、わしにもできそうだ。
西方によい砂土があった。あれにしよう、そうしよう。何億年ぶりだろう。
鼻歌など歌いながら。
もう彼しか知らない旋律を口ずさんで、伏義は風に乗る。土の良し悪しなど、ながめていればなんとなくわかってくるものだ。
伏義は山脈ひとつぐるりとまわって、ようやくひとつかみ、望みのものを手に入れる。
それを極北の雪にさらし、熱帯で天日に干す。
何度も繰り返すうちに、ひとつかみの粘土は小指の爪ほどに細り、色が抜けきって、まるで雪のようになる。
掌にのるほどの粘土の塊を作るのに、かるく三百年はかかった。
作業は遅々として進まなかったが、伏義は飽きることも投げることもしなかった。
それどころか少しでも気に入らなければ、どのような艱難辛苦を経て手に入れた材料でも、遠慮なく捨て去った。
理想を求め、けして妥協せず、何千年でも駆けずり回る。
それはなつかしい感覚だった。
なにかに熱中するのはひさしぶりで、自分がまだこんなにも何かに熱中できるのだと思うと、なんだかうれしくなってくる。
どうせならとことんやってやれと、伏義は思った。
夢中で惑星を駆ける彼の傍らで、新たな命が芽吹き、すくすくと育っていく。人形なのだから人間を模そう。
骨を組み立て、肉をつけよう。
ほおに朱を刷き、髪を植えよう。土中の練炭を育てて巨大な金剛石を作り出す。
特に清潔で透明な部分をよりぬき、骨の形に削り出す。
彼にはそれが出来た。
だからそうした。組んだ骨格のうえに、集めた粘土で肉を盛っていった。
盛り付けられた粘土はみずから骨に付着し、土くれとは思えない自然さで人形を形作る。
のっぺりとした人形の素体に、指先で表情を刻んでいく。
手足はほっそりしなやか、肩はまあるく。
目元は涼しげに、鼻筋はすっきりと、唇はぷっくりやわらかに。
少しでも理想と違えば、また数万年かけて肉を盛り付けなおした。
彼にはそれが出来た。
だからそうした。世界中から、あらゆる種類の鉱石と植物をかき集めた。
鉱石は細かく砕き、植物はすりおろして汁をとり、かけあわせて顔料を作った。
思い通りの色はなかなか出来ず、伏義は何度も失敗し、そして何度でも挑戦した。
彼にはそれが出来た。
だからそうした。ようやく作りあげた朱を、時間をかけて人形の上にひいていく。
白に落とした朱の様は、においもぬくもりもなかったが、人の肌によく似ていた。
爪には桜貝を使った。
うすい貝殻をさらに削って、桃色のしずかに光る爪をつくりだし埋め込んだ。
髪を植える段になって、伏義の手が止まった。
空を見上げる。
頭上には完璧な色があった。
あれを少しばかり、こそいで持ってこよう。
彼にはそれが出来た。
だからそうした。瞳はもう決まっていた。
この日のために磨きあげた、つがいの紫水晶。
細心の注意を払って眼窩にはめこむと、人形はできあがった。
ちょうど、9度目の文明が滅んだ頃だった。2
「でな、ここがゼイロンらの首都だったのだ。
名はたしか、エィアートイと言ったかのう。
彼らは木々に鉱物の特徴をのせて、おのずから成長する建築物を作り出したのだ。
遠目に見ると花の咲き乱れる森のようでな、それでいて内部は清潔で住宅としての機能もきちんと備えておるという、なかなかすばらしいものであったぞ。
そんな森とも街ともつかぬものが、ここからあっちまでずーっとな。ずーっと、続いておったのだ」人形を抱えて、伏義は風に乗っていた。
眼下には一面の荒野、吹きすさぶ風には砂塵が混じって重い。
往時の風景が見えているかのように、伏義は滅んだ文明の思い出を嬉々として人形に語っていた。「この一帯はもともと湖沼地帯だったのだ。
そこを買われてゼイロンらの首都になった。
さっきも言ったように、4度目の文明は植物から進化した種族によって興されたからのう。
なにせ当時は温暖化が激しくての、温度も湿度もはんぱなくて植物らが繁茂するにはちょうどよかったのだ。
最初に動き始めたのは粘菌という植物というより動物の仲間であったが、いやそれにしてもわしはずいぶん驚いたものだったがのう、趨勢が転がりだせばあっという間よ。
昼寝から目覚めてみれば、こーんな大木がわっさわっさ歩くのが当たり前になっていたときはさすがに肝をつぶしたぞ」愉快そうにからから笑う声は、はしから荒々しい風にさらわれていく。
人形はしずかに微笑んでいる。
伏義は口笛を吹いて空間を蹴った。
一気に景色が変わる。
今度は砂漠だった。
むっとするような熱気がたちこめている。「ゼイロンらが滅びて静かになって、そうさな、数億年後であったな。
あたらしい生命が生まれたのがここだ。
いまは砂漠だが、当時は大海原であったのだぞ。
といっても、そこらじゅう地熱で沸き返っておって丹薬の釜のような有様であったがな。
様々な物質が煮え繰り返されて最初の器が出来た。
そこからまた5~6万年がたって、ようやく生命が宿ったのだ。
最初の生命というのは実に貧弱だ。
わしは生まれたばかりの命が絶えてしまわないかとドキドキしながら見守ったものよ」伏義はあいた片手で身振り手振りを交えながらそのときの興奮を話した。
人形はしずかに微笑んでいる。
相槌も入れなければうなづきもしない。
それでも伏義は話し続けた。
しゃべること、それ自体が楽しくて仕方がなかった。
伏義は何度も空間を蹴って惑星の方々に出向き、そこで営まれた生命の隆盛を語って聞かせた。
人形はしずかに微笑んでいる。最後に出た場所は南の島だった。
陽光がさんさんと照る常夏の浜辺には、のたりのたりと波が打ち寄せる。
名も知らぬ大樹の木陰に、伏義は陣取った。
隣に人形を座らせ、その肩に頭を預ける。
「というわけでな。 わしは色々見てきたのだ」
人形はしずかに微笑んでいる。
風が心地いい。
伏義は眠気を覚えた。
眠気を覚えるのは、ひさしぶりだった。
この体は本来睡眠など必要としない。
伏義にとって眠りは道楽のひとつで、眠ろうと自らが願わなくてはかなわないものだ。
こんなにも自然に眠気を感じるのは、ひょっとすると、あの頃以来からかもしれない。
「疲れた」
意識せず、伏義の口から言葉が漏れた。
一度もれてしまえば、もう止められなかった。
「疲れたよ。……わしはもう疲れた」
伏義は人形を抱きしめる。
「おぬしのそばに行きたい」
人形はしずかに微笑んでいる。
「……返事をしてくれぬか」
人形はしずかに微笑んでいる。
「わしはもういやだ。生きておるのがつらい」
人形はしずかに微笑んでいる。
「おぬしに会いたいのだ。会って話がしたいのだ。
笑ったり怒ったり笑わされたり怒られたりしたいのだ」
人形はしずかに微笑んでいる。
「返事をしてくれ!」
伏義は声を荒げた。
人形はしずかに微笑んでいる。
返事などするわけがない。
これはただの人形だから、人形に過ぎないものだから。
いや、伏義は思う、自分ならできる。
この人形に声を、この人形にぬくもりを、そしてかの人を。
かの人の思考を、性格を、完璧にシミュレートする自律回路を組み立てて、埋め込めばいい。
自分ならできる。
失敗したらやり直せばいい。
何度でも何億回でも、時間なら無限にある。
腕の中の人形を、伏義は血走った目で食い入るように見つめた。
彼にはそれができた。だけど、そうしなかった。
伏義の頬を、涙がつたう。
腕にほんの少し力をこめると、精魂込めて作りあげた人形がゆっくりと崩れていく。
土くれから生まれた人形は、さらさらとした砂になり、チリになり、風にのって大気に溶けていった。
腕の中がまるっきり空っぽになってしまったとき、伏義は声をあげて泣いた。3
夜明けが近かった。
闇が薄れ、深みを増した空につられて、海も少しづつ青さを取り戻していく。
珊瑚礁の一角、ちいさな孤島で、1人の男が砂浜に倒れていた。
鵬のような黒いマントに身を包んだ、幼さを残した顔立ちの青年だ。
名を伏義という。伏義は涙のあともそのままに、砂浜に伏して眠っていた。
波音が彼を包み、おだやかな風が時折その背をなでていく。
ふと気配を感じて、伏義は目をあけた。
眼前にあるのはまだ暗い海、陰った砂浜、そして普賢。普賢?
ぽかんとした。
目をこすった。
普賢は消えなかった。
もうずっと以前からそこに居たかのように、ごく自然にかの人は砂浜に座っていた。
まばたきするのも忘れて、伏義は普賢を見つめた。
自分が作りあげた人形と同じ容姿、だがそこにはたしかに生命が息づいている。
普賢は海を見ていた。
海原から来る風を受けて、気持ちよさそうに目を細めている。
やがて、ふりむいた。
「あ、望ちゃんおはよう」
あの頃と寸分変わらない、のんびりした声だった。「何者だ!」
伏義はがばりと跳ね起き、臨戦態勢を取った。
宝貝を(そうだ、まだ持っていたのだ)かまえる。
「どうしたの、望ちゃん」
「だまれ化け物め!わしをたばかってどうするつもりだ!」
「ひどいなあ、たしかにさっきまで魂魄体だったけどさ。
いまはほら、体もちゃんとあるよ?」
「だまされぬぞ!」
普賢はにっこり笑ってみせた。
「本物だってば。正真正銘、君の普賢だよ、望ちゃん」
「疾ッ!」
打神鞭から風が生み出され、真空の刃と化して普賢を襲う。
普賢は上へ跳ねてそれを避けた。
やしの木の天辺に、ひらりと飛び乗る。
「望ちゃん、動きが大振りになってるよ。戦のカンにぶった?」
「疾ッ!疾ッ!疾ッ!疾ーッ!」
次々と新たな風がはなたれる。
風は砂浜をえぐり、木々をなぎ払った。
普賢は笑い声さえたてながら、ひらひらとそれを避ける。
「落ちついた?」
肩で息をする伏義のもとへ、普賢は舞い降りた。
「……何者だ」
陰惨な光のこもった目で、伏義は普賢をにらみつけた。
「わしらの文明は滅んだ。あのとき、信仰を糧とする神も死んだはずだ」
「うん」
「封神フィールドも神界も消えた。保護されない魂魄体は数年もせぬうちに擦りきれる」
「そうだね」
「ほとんどの神は輪廻の中に逃げ込んだはずだ。
魄を捨て、魂のみの存在になれば、もはやそれはただの生命。
一己の人格は保てぬ」
「さすがによく知ってるね」
「貴様は何者だ!」
伏義は打神鞭を普賢に突きつけた。
「何故あやつの姿を保っておる!何故あやつの記憶を持っておる!
返答次第ではただでは済まさぬ!」
普賢はやれやれと首をふった。
「だからさ、僕だよ。まるっきりそのまんま僕。君の、僕」
「たばかるな!」
「うそなんかじゃないよ。わかるでしょう?」
普賢は伏義を見つめた。
伏義がわずかにたじろぐ。
「そうだよ。たしかにあの時、神々は輪廻に還っていった。
でも僕はそうしなかった。そうしなくても、消える心配はなかったから」
「……なんだと」
「だって望ちゃん、君がね、僕のことおぼえててくれたから」
「わし……が……」
伏義は困惑したようだった。
「うん。望ちゃんが僕のことずっと覚えててくれたから。
だから僕は僕を捨てる必要もなかったし、消えなくて済んだんだ」
「わしは……」
「うん、何度も忘れようとしてたね。
記憶を心の奥にぎゅっと押し込めてさ。
でも望ちゃんは僕を覚えててくれた。
今、僕がここに居るのがその証拠だよ」
「……」
伏義は腕をおろした。
宝貝を腰にさし、かまえをとく。
やがて、伏義はつぶやいた。
「わしは……わしはおぬしらを見殺しにした……」
「そう?」
「あのままでは人は滅ぶとわかっていた。
人が滅べば神界も消えると知っていた。
だがわしは、なにもしなかった……」
「だってあんなになっちゃったら滅んじゃってもしょーがないよー。
でも人ならざるものの干渉は最低限にしようねってことで僕らやってきたわけだしさ。
その結果がああだったってだけで、うん、その点に関しては僕らもみんな納得づくだったよ」
普賢は腕組みをして何度もうなづいた。
「……そうか」
伏義はほうとため息をついた。
ずっと背負っていたものが少し軽くなった気がする。
空も海も、ずいぶんと透明度を増してきた。
「で、何故今頃になっておぬしは出てきたのだ」
「やだなあ、僕ずっと君のそばに居たよ」
「は?」
普賢は鈴を転がすような声で笑った。
「僕、ずーっと君のそばに居たよ。君が気づかなかっただけ」
「な、なんだと!?」
「だって保護されない魂魄体はすりきれて消えちゃうんだよ。
だったら僕のことを覚えててくれる君のそばに居るのが一番安全じゃない」
「そ、それはそうだがっ!だったら何故姿を現さなかったのだ!」
「君が見ようとしなかったから」
普賢は笑いをおさめて伏義を見つめた。
深い菫色の瞳が伏義を映す。
それは手ずから磨き上げた紫水晶などより美しかった。
伏義の胸が高鳴る。
「君は僕のこと覚えててくれたけど、でも一方で忘れようとしてきたでしょう?
その思いが障壁になって、僕の姿を君から隠してたんだ」
「……そう、だったのか」
うん、と普賢がうなづいた。
「正直に言ってね、望ちゃん。
あの人形、ほんとうに僕に似せて作りたかったの?」
「あれは……」
伏義は思い返す。
もてる力の全てを注ぎ込んで人形を組上げたあの日。
必死になって材料を探した日々。
一握の砂のことを。
「……おぬしを作るつもりはなかった」
「そう」
「いつのまにか、おぬしになっておったのだ」
そうだねと普賢がうなづく。
「望ちゃんのすなおな思いが、形になったのがあの人形だったんだ。
そのうえありったけの思いを、最後に籠めてくれたよね」
「……」
「涙と一緒に、障壁が取り払われた。
君には僕が見えるようになった。
それは同時に僕が、君に干渉する力を得たということ。
そして、まわりには君の思いがいっぱいつまった微粒子。
ね、僕が肉体を手に入れても、なんの不思議もないでしょう?」
ひまわりのようにおおらかに、普賢が笑った。
伏義の胸が熱くなる。
一歩、また一歩、伏義は普賢に近づいていく。
伸ばした手が普賢のほおに触れた。
指先に感じるぬくもりに、伏義は泣きそうになる。
「……わしが、おぬしを完全に忘れてしまったら、どうするつもりだったのだ」
「その時は、うーん、消えるしかないんじゃないかな。
ぶっちゃけ何度か覚悟したこともあったしね。
でも僕は、望ちゃんは僕のことを忘れないでいてくれるって信じてたし。
それに、望ちゃんが僕を忘れるってことは、僕を吹っ切ったってことだから、たとえそうなったとしても、僕は安心して消えていけたはずだよ。
まあ、結局は、見てのとおりだし、結果オーライだよね」
ころころと笑う普賢に軽いめまいを覚える。
「意外と出たとこ勝負だのう」
「うん、我ながら後先考えてないなあって思うよ。
それでも僕は望ちゃんのそばにいたかったんだ。
君が好きな僕のままで。
……さみしかったよ。
望ちゃん、ぜんぜん僕に気づいてくれないんだもの」
そう言って普賢はしずかに微笑む。
あの人形よりも、もっとずっと生き生きと強く。
ほおに触れていた手をおろし、伏義は普賢を見つめた。
夜明けが近い。
東の空が白んでいる。
「普賢、わしはおぬしに言わねばならんことがある」
うん、と普賢がうなづいた。
「生命は愚かだ。しばしば見苦しい」
うん、と普賢がうなづいた。
「文明を得た者は愚かだ。似たような過ちを何度も繰り返す」
うん、と普賢がうなづいた。
「わしもまた愚かだ。見守ると決めたはずなのに時代が滅ぶたびに苛立ちと不満を感じる」
うん、と普賢がうなづいた。
「わしはこのままでは女禍と同じになってしまう」
伏義は真っ直ぐなまなざしで普賢を見る。
うん、と普賢がうなづいた。
「だからわしはここらでテキトーかつちゃらんぽらんなわしに戻らねばならぬ」
うん、と普賢がうなづいた。
「わしは愛したり愛されたりしていなくてはならぬ」
うん、と普賢がうなづいた。「もう、ひとりはいやだ」
……うん、と普賢がうなづいた。「わしには伴侶が要る」
普賢はうなづく。
「わしと同じ時を歩んでくれる者が要る」
もういちど、普賢がうなづく。
「そしてそれは、おぬしでなくてはならぬ」
普賢の双眸が濡れ、目尻に涙の粒が浮かんでいく。
ぽろりとこぼれた。
「僕も」
普賢は目元をぬぐうと伏義の頬を両手で包んだ。
「僕も、同じことを考えているよ。望ちゃん」ふたりはひしと抱き合った。
お互いのぬくもりに酔いしれ、鼓動に聞きほれた。
生きている。
そばにいる。
こうして抱きしめあっている。
いつしかふたりとも涙を流していた。
泣いて泣いて泣いて、言いたかったことも聞きたかったことも、心のトゲも不満も長い長い年月のことも、全部涙にして、ずっと抱き合ったままで。水平線の奥から、太陽が最初の光を放った。
清らかな金色の光が、二人の影を砂浜のうえに長く伸ばす。
夜明け。
あたらしい一日の始まり。