「望ちゃん、すき……」
「わしも愛しておるよ、普賢」
※暗い、18禁。>>あけない夜の微妙なつづき。
↓
窓の外は雨。
のびやかな緑が恵みを受けて光っている。
白い部屋の中、シーツにくるまったまま、普賢は窓を見ていた。
あそこはどこだろう。
窓の外に緑があるからといって、ここが森の中というわけではない。
この部屋は籠。
普賢を閉じ込めるために、彼が世界から切り取った空間だ。
はめ殺しの丸窓だけが外界の様子を朧に伝える。
ひとりは退屈だろうと、彼があけてくれた窓だった。雨よりも濃い気配がした。
普賢は急いで身を起こす。
なにもない壁に扉が現れ、それがひらく。
「ただいま」
耳慣れた声がする。
普賢は裸身にシーツをひっかけたままの姿で彼に駆け寄った。
「おかえり、望ちゃん!」
強く抱きつくと、彼の長く黒いマントから雨のにおいがした。
こころなしか湿っている気もする。
「待たせたな普賢、ちとてこずってのう」
彼はよしよしと普賢の頭をなでてくれる。
たったそれだけで、普賢は天にも昇りそうな心地になる。
「変わりはないか」
「ないよ、なんにもない。望ちゃんが好き」
「そうかそうか、愛い奴め」
彼は破顔して、普賢の腰を抱く。
そのままベッドの上に座らせて、懐から小袋を取り出した。
普賢の両手を差し出させて口を下にして袋を振ると、桃色にきらきら輝く袋からは、やはりきらきら輝く星屑のような砂糖菓子が転がり出てきた。
「土産だ。なかなかうまいぞ、食べてみるといい」
「わあ、ありがとう。望ちゃん、大好き」
紫色の粒をひとつ手にして口にする。
砂糖菓子は舌の上でさらりととけ、清涼な甘味が広がった。
「おいしい」
「そうだろう、わしも気に入っておるのだ」
彼は普賢の手から桃色の粒をつまみあげると自分の口へ運んだ。
その何気ない動きにすら見とれてぼうっとしてしまう。
普賢の視線に気づいたのか、彼は直前で手を止めた。
差し出された桃色の粒に、普賢は口付ける。
甘い菓子と一緒に伏義の指が口内へ忍び込んできた。
普賢は夢中になって彼の指をむさぼる。
唾液をたっぷりとからませて、ぬるつく舌で、彼が少しでもよろこんでくれるようにと願いながら。
指が引き抜かれた。
その感触に普賢は身を震わせる。
「望ちゃん、すき……」
「わしも愛しておるよ、普賢」
笑みを含んだ囁きをそそがれて、頭をなでられる。
まるで犬か猫にするように。
熱くなる肌で、普賢はそれに応える。
「ぼ……ちゃん……好き……だいすき……」
うわごとのように繰り返しながら、普賢は伏義の熱におぼれていく。目覚めると、もうとなりには誰もいなかった。
乱れたシーツとその上にちらばる砂糖菓子だけが彼の来訪を告げていた。
淡い緑の粒をひろって食べた。
彼と口にしたあの一粒ほどに、美味しくはなかった。
普賢は菓子を拾い集め、袋に戻した。
テーブルの上に袋を置き、ベッドに腰掛けて窓を眺める。
音もなく雨は降り続いている。
次に彼がここを訪れるのはいつだろうか。
部屋の外で伏義が何をしているのか、普賢は知らない。
知りたくもない。
自分のそばにいてくれない彼など、いないも同然だった。
この身にあるのはただ彼への想いだけ。
手がつけられないほど醜くつのった彼への想いだけ。
彼がいないと時間も動き出さない。『愛しておるよ、普賢』
空白の時間は、いつも彼の囁きを思い返して埋める。
彼の声はなんと甘く魅力的なのだろう。
耳にするだけで胸のうちが灼け、体の芯が熱くなる。
「望ちゃん、好き」
普賢はつぶやいた。
好きだ。
たまらなく好きだ。
彼と同化したい、ひとつになりたい。
その傍らに立ち、彼を支え、彼の望みを全てかなえ、身も心も彼に捧げつくしたい。
その強い目も笑みを浮かべる唇も黒い髪もなめらかな肌も、声もにおいも音も影でさえも、彼を構成するすべてが好きで好きでたまらない。
彼の踏んだ大地ですら、自分は伏し拝んでありがたさに涙をこぼすだろう。
「望ちゃん、大好き」
なのに届かない。
この想いは届かない。
何度肌をあわせても、祈りのように呪いのようにくりかえし音にしても、この言葉は彼に届かない。
伏義はやさしい。
触れてくる手のひらにも、笑みにもまなざしにも、普賢への愛情がこもっている。
だがそれは普賢の想いとは次元が違っていた。
伏義のやさしさは、愛玩動物にそそがれるものだ。
相手の意思など関係ない。
普賢が泣き喚き怒り、全身で彼を拒絶したとしても、変わらずあたたかなまなざしで愛しているとささやくだろう。
伏義は、普賢を必要としない。
それを思うといつも普賢は、たまらない孤独に押しつぶされそうになる。
普賢は彼がいいのに、普賢には彼でなくてはならないのに。
『望ちゃんには僕が要らない』
自業自得だとわかっていても、普賢の魂は悲鳴をあげる。
これは罰だと、普賢にはわかっていた。
60年ものあいだ、普賢は太公望をあざむき続けた。
彼を封神計画の礎とするために、その心を惑わし笑顔でしばりつけた。
彼のすべてを受け入れるふりをして、彼を拒み続けた。
その罰。
上手についたと思っていた嘘は、あっさり見抜かれていた。
すべてが終わり、太公望の名を捨て去り伏義となった彼は言った。
『それでもなお、おぬしを愛しておるよ。 だがもはや信じぬ』
死刑よりもなお、むごい宣告だった。
普賢が彼にしたのと同じように、彼は普賢を拒んだのだ。
もう涙もでないから、ベッドにくずおれてシーツをにぎりしめる。
窓の外では雨が降り続いている。いつしか普賢は眠りに逃げ込んでいた。
嵐のように荒れ狂う心を沈めるためには、そうするよりほかはなかった。
浅い眠りの中で夢を見た。
狭い部屋の中で、老人とこどもが棋板をあいだに対峙している。
『……どういうことですか』
こどもが問う。
『いま言ったとおりじゃ』
老人、元始天尊はひげをしごきながら言った。
『崑崙山において、おぬしに太公望を篭絡する全ての権利を与える。
というか、してくれねば困る』
こどもは緊張を顔にはらませ、舌で唇を何度も湿らせている。
隠しきれない歓喜がにぎりしめたこぶしの震えになって現れている。
……ああ、あれは僕だ。
伏義自身も知らない過去の出来事だ。
まだ道士だった普賢は、あの日、秘密裏に玉虚宮へ呼び出された。
最奥にある元始天尊の私室に通された普賢は、思わぬ取引を持ちかけられることになる。
封神計画に協力するなら、太公望をやる、と。
断れば命はなかっただろう。
だがそんなことは思いつきもしなかった。
太公望は普賢のあこがれそのものだった。
優秀で、才気走っていて、そのくせひとなつっこく、なにより強かった。
目標に向かってまっすぐ突き進んでいくねばり強さと頑強な意思を持っていた。
普賢はずっと彼に恋焦がれていた。
そんな自分が、ただ同期という以外に彼と共通項のなかった自分が、玉虚宮の強力なバックアップを受けて、あの黒髪の、強い瞳の、いつもどこか遠くを見ている彼を、自分のものにできる。
そうだ。
あの時自分は、嬉々として誘いにのったのだ。
「……望ちゃん、好き」
シーツにくるまったまま、普賢はつぶやく。
彼が好きだった、ずっと好きだった。
気がつけば自分でも手がつけられないくらい、想いはつのっていた。
どんな手を使ってでも、彼のそばにいたかった。
彼に、置いていかれたくなかった。「僕は望ちゃんのたったひとりになりたかった……」
窓の外はずっと、雨。
>>終わらない恋