「木咤、こういうこと言うのはすっごく気が引けるんだけどさ」
※バカップルと苦労人
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今日はちょっと用事があるからお願いねと師匠に言われたから、早起きして洞府にきたのだ。
失礼がないようにと入り口前で日が昇るまで待って、朝日と同時に門をたたいたのだ。
なのにそろそろ昼になるのは、断じて自分に非があるわけではなく。
「もう望ちゃんったら、ダメって言ってるでしょ」
「よいではないかよいではないか」
「ダメだってばぁ、これは太乙様に差し上げるためのお菓子なんだから」
用事があったはずの弟子に茶をだしたきり、肝心かなめの師匠が黒いマントの恋人とえんえんいちゃついているからで。
木咤は今日何度目かわからないため息を我慢した。
こうも無自覚に、そのうえ傍若無人に、ふたりだけゾーンを主張されると、正気に戻れと頭を引っぱたきたくなるのが人情というもの。
しかし、こういう状態のふたりに何を言っても無駄なのはわかっている。
へたに声をかけたりしたら、(主に黒いほうの)恨みを買うのは必至、師匠から声がかかるまでじっと待っていたほうが懸命だ。
ソファの上で座禅を組み、心を無に近づけて、木咤は辛抱強く待ちつづけた。
「むー、太乙には作ってやるのにわしには何もなしか。愛がうすい、愛がうすいぞ」
「そんなことない!僕はいつだって望ちゃんがいちばんだよ」
「わはは冗談だ、愛いヤツめ」
ほっぺ、つん。
『殴りてぇ……!』
木咤は反射的に握った右のこぶしを、これまた反射的に左手でおさえた。
落ち着け自分。瞑想だ、瞑想。
相手は十二仙筆頭たる師匠と、莫大な力を持つ最初の人。
殴りかかったところで蚊ほどにも思われないに決まっている。
たぶんきっと師匠は、いま自分の集中力を試しているのだ。
この時間を耐え抜けば、またひとつ自分は成長しているに違いない。
そうだ、きっとこれは師匠が与えてくれた試練なのだ。
……えらくハードルが高いが。
「もう、ひどいや望ちゃん。そんな望ちゃんにはお菓子作ってあげない」
「なに!わしの月餅!」
「おやつは杏仁豆腐にしてあげようって思ったけど、やっぱり作ってあげないんだから」
「そ、そんな殺生な!
おぬしの菓子が食えないのならわしは死んだほうがましだ!」
「……!
……やだよ、望ちゃん。
冗談でもそんなこと言わないで……」
「……普賢」
「もう言わないって約束して。……ね?」
「うむ、すまなかった」
そういって小指を絡める二人。
これが不細工同士ならまだ生暖かく笑って流すことも、がんばればできなくもないんだろうが。
かたや、才気あふれる瞳に若木のようなしなやかさと巌のごとき威厳を兼ねそえた紅顔の美少年、伏義。
かたや、おだやかで知的な雰囲気の中に、ほころぶ直前の花のような清潔な色香を感じさせる普賢。
ふたりが頬を寄せ合う姿は一幅の絵画のようで。
「それにしても普賢も心配性よのう。
わしがおぬしを置いていくわけがないではないか」
「だって、だってやっぱりさ、わかってるけどさ……」
「まあ、そんなところもかわいいがな。ほんに愛いヤツよ」
「も、もう望ちゃんったら!やっぱりお菓子作ってあげない!」
「なんだと!どうしてそうなるのだー!」
だからこそこの春爛漫爛熟たれながしの会話が、腹立つむかつくうざいキモイ痛い、つーか一発殴らせろ。
『師匠、早く正気に戻ってくだせぇ』
もうここから出て行けるならなんでもすると木咤は思っていた。
「くそう、こうなったらわしがそれを食らう!よーこーせー!」
「ダメったらダメ!もーくーたーくー!」
来たよ来たよ、やっと来たよ。
木咤は疲れきった笑みで師匠の呼び声に応じた。
「あのね、悪いんだけど、この月餅を太乙様に届けてほしいんだ。
このあいだ見せてもらった蓬莱島宝貝研究書のお礼にね。
お願いできるかな?」
「へい」
嗚呼なんて楽な仕事なんだろう。
九功山から乾元山までは距離もあれば難所もあるが、この空間で過ごした4時間の苦痛を思えば天国のようだ。
「わーしーのー!」
「もう、望ちゃんには作ってあげないって言ってるでしょ!」
またもや始まった漫才には目もくれず、木咤は全力で洞府の出口を目指した。「へえー、そんなことがあったの。おつかれさま」
乾元山金光洞についたのはちょうどおやつの時間だった。
せっかく遠いところをきてくれたのだからと、太乙が茶を出してくれている。
「もうね、俺はね、師匠のね、あの腑抜けっぷりがね。
つらくてつらくてつらくてつらくて、たまんないんでやす太乙様!」
ハンカチを顔にあてておいおいと泣く友人の弟子を、はてどう慰めればいいものやら。
太乙はあいまいな笑顔を見せるしかなかった。
「昔は違ったんでやす。普賢師匠はもっとこう、気高くお強くあられやした。
剣の手ほどきをしてくれるときなんか、ぽーっと見惚れちまうくらい凛としておいでで。
俺が周軍のもとへ行くことになった時だって、『何も怖がることはない、君には僕のすべてを教えたんだから』って微笑みながら言ってくれやして、俺はその笑顔があったから戦場が怖くなかったんでやす。
それなのに、今はあの頃の気高さなんてどこ吹く風、朝から晩まで師叔と愚にもつかない会話を延々と繰り広げて……あれは頭に花でも咲いちまってるに違いねえでやす!」
「あー、うん、まあ、そうだね、つらいねー」
「わかってくれやすか太乙様ぁ!」
さらに激しく泣き出した友人の弟子の扱いに、太乙は困り始めていた。
たしかに普賢は変わった。
だが変わったというよりあれは、戻ったといったほうが正しいのではないかと、太乙は思っていた。
「木咤、こういうこと言うのはすっごく気が引けるんだけどさ」
太乙はため息とともに語り始める。
「君はね、師匠としての普賢しか見たことないからよけいそう思うんだろうけれど、昇山したころから普賢を知ってる私としては、今の状態はそう悪くないんじゃないかなあって思ってるんだよ」
「そ、そうなんでやすか?」
木咤が顔をあげる。
その目にすこしばかり非難のまなざしが混じっているのを感じながら、太乙は続けた。
「仙界入りした頃の普賢は、病的なくらいだれかを傷つけることを嫌がっていてね。
草がかわいそうだと水しか飲まない、虫を踏んでしまうからと庭にも出ない、そんな子だったんだよ。
なぜそうだったのかは、私は知らないけど」
木咤がぽかんとしている。
師としての落ち着いた普賢しか見たことのない彼には想像もつかないのだろう。
「そんな普賢の心を開いたのが太公望だったんだ。
太公望はほんとにあきれるくらい献身的だったよ。
まあ、ちょっとは下心もあったんだろうけど、それ以上にほっとけなかったんだろうね。
四六時中普賢について、なだめたりすかしたり怒ったり叱ったりしながら、普賢の心を少しづつ明るくしていったんだ。
あれはただの同情なんかでできることじゃない」
「……」
「きっと太公望にも、普賢が必要だったんだろうね。
一族を惨殺されて、彼も大概ぼろぼろだったから。
普賢がはじめて笑ったとき、太公望は物陰でこっそりうれし涙を流してたよ。
自分にもできる何かがあるんだって、確信が持てたんだろうね。
その頃からふたりは、今みたいに親密になっていった。
同時にものすごい勢いで仙人としての腕を上げていったんだ。
太公望は通常400年かかる修行を40年で終わらせたし、普賢は原始天尊様すら扱いに困るような高機能人工頭脳太極符印を己が物とした。
私はふたりがお互いに支えあっていたからこそ出来たんじゃないかと思ってる」
「……」
「封神計画がからむようになってからは、ふたりの仲はずいぶんややこしいことになっていたけれど。
それもすべて終わった今、もう何にも気兼ねする必要なんてない。
ようやくふたりが、お互いのために時間をさけるようになったんだから、喜ばしいことなんじゃないかなって私は思うんだよね」
木咤は困ったようにうつむいている。
「……普賢が笑えるようになるまで、20年かかったんだよ」
太乙はやわらかく微笑んだ。
「まあちょっと、周りが見えてないかなとは思うけど。
いまの普賢がどれだけ幸せかって、ほんとは君だって知ってるんだろう?」
木咤はむっと口を尖らせた。
尖らせてはいるが、瞳は逃げ場を探すように右往左往している。
やがて、深いため息をついた。
「ええ、ええ、わかってやすよ」
肩を怒らせて、木咤は冷えた茶をがぶりと飲んだ。
太乙の言うことはいちいちもっともだし、自分だって本当は知っている。
ふたりがふたりで居れることが、どれだけ当人たちにとって幸福なことなのか。
そうだ、わかっているのだ。
ふぬけたピンクのオーラより、頭の悪い会話より、なにより腹が立つことは、自分にも見せたことがない笑顔で、師匠が彼の人に微笑みかけることなのだから。
「……そうすると当分、ひょっとすると独立するまで、俺は白鶴洞の離れにいなきゃなんねえでやすね」
「まあねー、邪魔しないためにはそれが一番だろうね。
なんだったら、道徳のところに間借りするかい?
話つけといてあげるよ?」
木咤は首を振って肩をすくめた。
「気持ちだけありがたくいただきやす。
俺の師匠は、やっぱり普賢様だけでやすから」
それに俺がいなきゃ、師匠は頭に花が咲きっぱなしでやしょうからね。
そう言って木咤は苦笑いを浮かべた。
茶請けにと太乙が出してくれた、おつかいものの月餅を手に取る。
菓子でケンカしてた師匠と師叔へのせめてもの意趣返しに、木咤はゆっくりと味わって食べた。