「ふたりぼっちだね、望ちゃん」
「そうだな」
※捏造エピローグその2。あとしまつのそのまたものすごく後。12禁くらいで。
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卓上のぶどうをひと粒ちぎりとった伏義が顔をあげた。
つられて普賢も窓の外を見やる。
庭先に青い髪の美丈夫が見えた。
「出かけるぞ」
席を立つ彼のあとを、普賢は心得顔でついていく。神界が成立して、早数千年。
日々進化を繰り返す生命の前に古きシステムはゆっくりと取り残されていった。
対して、まだまだ弱く愚かだが、人は自らの力で歩んでいく力を蓄えていた。
神界はその役目を失い、仙道たちは、ひとり、またひとりと、輪廻の中に還っていった。屋敷を出ると、涼しい風を感じた。
空は高く深く、風は澄んでこころよい。
木々を彩っていた紅葉は、もう終わり際だ。
泉に落ちた枯葉が音もなく流されていく。
門から入り口へと続く細い道の上に、楊ゼンは立っていた。
鮮やかな青の道服と三尖刀、わきには哮天犬がひかえている。
いでたちは初めて出会ったときのもの、だがその目はもっとずっとおだやかだ。
伏義は普賢を伴ったまま彼に近づき、その手をとる。
「大儀だったのう、楊ゼン」
「はい。我ながらよくやったと思います」
ねぎらいの言葉に、楊ゼンははにかんだように笑った。
「さきほど、最後の仕事を終えました。蓬莱島および神界は、その機能を停止し、眠りにつきます」
「うむ。長きに渡る奉公であったな。
おぬしの教主としての働き、見事であった」
「ありがとうございます。師叔のその言葉だけで、僕は報われます」
楊ゼンもまた伏義の手を握り返す。
「三尖刀と哮天犬を置いていきます。このふたつだけは、師叔に看取ってもらいたいから」
「まかせておけ」
伏義は楊ゼンの手から三尖刀を受け取った。
哮天犬にも手まねきしたが、宝貝犬は楊ゼンのそばから離れようとしない。
なごりおしげに楊ゼンの腹に頭を押し付けている。
「こらこら哮天犬。おまえはそんなに聞き分けの悪い子だったかい?」
「よいではないか、すこし甘えさせてやれ」
「そうはいきません、そろそろ時間ですし」
そう言いながらも楊ゼンは、哮天犬ののどをくすぐってやった。
満足そうに目を細めるその頭もなでてやる。
「さあ哮天犬、お別れだ」
きゅーんと悲しげな声をあげる犬を、楊ゼンはもう一度なでてやった。
楊ゼンを振り返り振り返り、哮天犬は伏義のもとへ。
伏義がその頭に手をやると、バシッと音がして閃光を発した。
光が消えたとき、三尖刀の影も哮天犬の形もなかった。
ただ伏義の手のひらの上に、ビー玉のような球体がふたつ浮いているだけだった。
ビー玉をのぞきこめば、中に宝貝の姿を見ることが出来ただろう。
伏義はそれをポケットへおさめた。
「このふたつはわしが責任を持って封じる。案ずることなく新しい生を踏み出すがよい」
「……ありがとうございます。お二方も、お元気で」
「うむ」
「ありがとう、おつかれさま楊ゼン」
楊ゼンは青い髪を揺らしてふたりに礼をした。
その身体を縁取る輪郭が急激にぼやけていく。
「さようなら太公望師叔、さようなら普賢真人。
いついつまでも、健やかにお変わりなく!」
最後にきらめくような笑顔を見せると、楊ゼンの魂魄は大空めがけて飛んでいった。
衝撃で舞いあがった落ち葉が、ふたりのうえでひらひらと踊っている。
「……行ってしまったのう」
「……行ってしまったね」
ふたりで楊ゼンが消えた空を眺める。
あの奥には人間たちの世界があるはずだ。
未熟で、騒々しく、にぎやかで活気に満ちた、在りし日の自分たちのような。
「ふたりぼっちだね、望ちゃん」
「そうだな」
たった今、最後まで残っていた楊ゼンも輪廻に還った。
ふたつの宝貝を伏義に託して。
伏義はポケットの中のビー玉を取り出した。
息を吹きかけるとふたつのビー玉は光を放ち、宙に浮かび上がって地平線を削る山々へ飛んでいった。
「これで全部、か。何もかも終わってしまったのう」
「そうだね望ちゃん」
「もう誰もおらぬ」
落ち葉を踏みしめて、伏義が歩きだす。
そのあとを普賢がついていく。
物音ひとつ、虫の気配すらしない庭を、ふたりで歩く。
噴水は涸れはて、木々は枯れかけていた。
ほんの1000年前ならば、ここは神々の憩いの場であったのに。
「普賢、おぬし後悔はしておらぬか」
「なにを?」
のんびりした調子で、普賢は伏義に問い返した。
「……行ってもよいのだぞ……わしの永遠に無理をしてつきあわずとも、どわぁ!」
急に伏義はつんのめっった。
あと少しバランスを崩していたら地べたとキスしていたに違いない。
彼の長いマントを踏みつけたまま、普賢がころころ笑う。
「ひ、人がシリアスに決めているというのに、なにをするかおぬしは!」
「あはは。だって望ちゃんたらさ、あんまりいまさらなんだもの」
「いまさらとはなんだ、いまさらとは!わしはおぬしを心配してだなー!」
「あはははっ」
伏義がつかまえようと腕を伸ばす。
普賢がひらりと身を引く。
「くっ、待て普賢!」
「鬼さんこちら、手のなるほうへ!」
小憎らしく手など打ち鳴らして、普賢は細い小道を走り出した。
伏義もそれにつづく。
こういうときの普賢は手加減をしない。
鈴のような笑い声をひびかせながらも全速力だ。
つかんだと思えば逃げられ、捕らえたと思えばすり抜けられる。
ふわふわと舞うような動きが伏義を翻弄する。
「待たんかこのーっ!」
「あははははは~」
庭を横切って、丘を乗り越えて、木々のすき間をぬって、普賢は駆けていく。
伏義はふんと鼻を鳴らした。
普賢を追うスピードを緩める。
「あれ、望ちゃん?」
普賢が振り返ったときには、もう伏義の姿はなかった。
「どこ行っちゃったんだろう。ちょっと走りすぎちゃったかなあ」
つぶやきつつ来た道を戻っていると……。
「フゥハハハハァー!つかまえたー!」
「うわ!」
立ち木の上から伏義が飛び降りてきた。
びっくりして硬直した普賢を落ち葉の上に押し倒し、伏義はにんまり笑う。
「ふふん、わしが罠をはっていることにも気づかずひょこひょこ戻ってくるとは、おぬしもだいぶぬるくなったものよのう」
「望ちゃんってこんなのばっかりだ」
「やかましいわ」
抗議の声は伏義の唇に飲み込まれた。
普賢の腕が伏義の背にまわされ、そのままふたりは深いキスを交わした。
離れた唇の間にとろりと銀の糸が落ちる。
「……後悔なんてしないよ。僕はもう決めたんだ」
微笑んでつぶやくように、普賢は言った。
白い手が伸びて伏義の頬を撫でる。
「君がいやだって言っても、僕は君のそばにいる」
「その言葉、忘れるなよ」
伏義は普賢を抱きしめた。
細い首筋にキスを落とし、着衣に隠された普賢の体をあらわにしていく。
口付けが増えるたびに、普賢の肌が色づいていく。
「望ちゃん」
「ん?」
「大好きだよ、そばにいてね」
「……それはわしのセリフだ」
「それとね」
「ん?」
「人間界に行こうよ」
「……」
伏義は手を止めると普賢の顔をのぞきこんだ。
普賢の瞳は、まっすぐに伏義をうつしていた。
深い紫紺の瞳に吸い込まれそうで、伏義は軽いめまいを感じる。
普賢がささやく。
昔、まだ道士だった頃、いたずらを思いついたあのときのように。
「ふたりでさ。ただの人間のふりして、一緒に暮らすの。
もちろん仕事もするよ。
僕は塾の講師をして、君は、なんだろう……フリーターかな?
それで同じ家に帰ってね、いっしょに食事をするんだ。
今日何があったかしゃべりながらさ。
休みの日は近所のお店で買物をして、店先のおばあさんと立ち話したり。
暑い日はプールに行くよ。海もいいね。
肌寒い日は押入れからストーブを引っ張り出して火を入れようよ。
なのにそのストーブは壊れちゃってて、僕らはそのことでケンカしたりするんだ。
……きっと楽しいよ」
伏義が笑む。
永遠と同じ長さの時を過ごす、そのことだけに心がとらわれていた。
神界がゆっくりと滅び、取り残されていく中で、終わりのない生命は、ただつらく苦しく寂しいものだと思い込んでいた。
こんなにも近くに、ともに歩んでくれる人がいるというのに。
「わしはきっとたくさんおぬしを怒らせるのであろうな」
「僕は同じくらいたくさん君を困らせるんだろうね」
「楽しそうだ」
「楽しいよ、君といっしょだから」
「そうだな」
行こうか。
あのつらく厳しく世知辛く、心踊る輝かしい世界へ。* * *
「どうしたの、のぞみ?」
ママがのぞみを呼んでる。
でものぞみは目の前のこの人たちを見張るのにいそがしいの。
「ごめんなさいねえ、ホント。いつもよくしてもらってるのに、今日はどうしちゃったのかしら。
ほら、のぞみ。おとなりの並日さんじゃない。こんにちは、は?」
ママがのぞみをせかす。
おとなりのなみひさん、だって。
黒髪のちょっと怖い笑い方のお兄ちゃんと、色の白いぽやっとした感じの人。
ふたりともおそろいのサマーシャツにブルージーンズ。
でものぞみはこんな人たち知らない。
だってこの家は空き家で、今朝まで誰もいなかったの。
くもの巣がいっぱいで草がぼうぼう、のぞみは何度も忍び込んだから知ってるの。
なのに今日幼稚園に行って帰って来たら、この家がぴかぴかのできたてみたいになってて、もうこの人たちはここに住んでて、しかもママが角のタバコ屋のマツばあちゃんにするくらい気安く話しかけてる。
……あやしい。
「のぞみ、のぞみったら」
「いやいや、かまわんよ御婦人」
「そうですよ、お気になさらず」
「あらー、もうホントすいませんねえ。ホントこどもって気まぐれで困りますわあ」
3人であははって笑う、のぞみはおいてけぼり。
違うもん、ほんとにのぞみはこんな人たち知らないもん。
きっとこのふたりがなにか悪い魔法を使ったのよ。
ママったら見事にだまされちゃって。
きのうパパといっしょに見た映画にもあったじゃない。
わるい宇宙人がちきゅうをしんりゃくしてくるの。
ヤツらはちきゅうじんをせんのーしてはいりこんでくるのよ。
『おい、普賢。どういうことだ。この子どもにはわしの術が効いておらんようだ』
黒髪のお兄ちゃんが色の白い人にささやく。
外国語みたいなんだけどのぞみにはどうしてだか意味がわかった。
ママには聞こえてないみたい。
『望ちゃん、この子仙人骨の持ち主だよ。まだいたんだねえ、お仲間』
色の白い人が面白そうにのぞみを見る。
黒髪のお兄ちゃんがふむとうなづいてポケットに手を入れた。
取り出したのは、酢コンブ。
「気に入ったぞ、のぞみとやら。いつでも遊びにくるがよい」
お兄ちゃんはのぞみの幼稚園バックに酢コンブをねじ込むと頭をなでてきた。
ぐりぐりわしわし、いたいいたい。
のぞみが正体に気づいたから攻撃してるのね。
やっぱりこの人悪い宇宙人だ。
「望ちゃんったら、ロリコーン」
「なんだと!わしは純粋にだな……」
「おほほ、いつもかまっていただいて、ホントすいませんね」
「いえ、また遊びに来てください。僕らでよければ面倒見ますから」
「ありがたいわあ、よろしくお願いしますね」
ママはニコニコ笑いながら会釈をする。
だからこの家は空き家で、この人たちは悪い宇宙人なんだってば。
てゆっか酢コンブきらいなのに。
「またね、のぞみちゃん」
ぽやっとした人がぽやっとした顔でのぞみに笑いかける。
お兄ちゃんも大きくうなづいた。
「よかったわね、のぞみ。でも酢コンブは食事の後よ」
それじゃ並日さん失礼しますねってママは言って。
もう、ママったらこれじゃあいつらの思うツボじゃないの。
「ママ」
「なぁに、のぞみ」
「ママはのぞみが守るわ、だから安心してね!」
「やーだもう、ホント何言ってるのこの子ったら」
ママは笑う。
でものぞみはもう決めたもん。
ぜったい、ぜったい、あいつらの正体を暴いてやるんだから。てくてく歩きながら、のぞみはこぶしを高くかかげた。