「幸多かれ」
※お題「でこちゅう」 ふーたんおんなのこ注意。
>>さよならバイバイこんにちはのどーでもいい続き。
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私が小さかった頃、おとなりに宇宙人が住んでいた。
宇宙人は黒髪の小柄な青年と色の白いおっとりした人のふたり組みで見かけこそおとなしかったが、ある日突然やってきてご町内の皆さんを洗脳し、あたかも以前からの住人のようにふるまってうまいこと町に入りこんだ。
当然私の家族にもその害は及び、母などは「最近野菜が高いですねー」「そうなのよホント困っちゃうわ」「駅裏のスーパーがいちばん安いようだのう」「うーん、でもあそこ品が悪いのよねえ、ホント。こないだ買ったほうれん草もしおれてたし」などと立ち話をする仲になった。
ふたりが宇宙人であることに気づいていたのは私だけだった。
当時幼稚園生だった私は、全人類を守るため、なにより家族を守るため、よくおとなりに忍び込んで二人の正体を暴こうと努力したが、そのたびに狡猾な彼らにの手によって、お茶とお菓子をご馳走になり、絵本を読んでもらってお昼寝させられ、あげく土産を持たされて帰されるという凶悪な手段で持って妨害された。
お土産はいつも酢コンブだった。
どうも宇宙人はそれが私の好物だと思い込んでいた節がある。
わたしは毎度その酢コンブを処分しようとしたのだが、そのたびに両親に奪われてしまった。
この中にはきっと洗脳成分だかなにかが入っていて、これを食べると宇宙人の傘下にはいってしまうのだと懸命に説明したが、父は私の説明を一笑に伏し、母からは「食べ物を粗末にするなんて!」と大目玉をくらった。
なんとも不服だったのを覚えている。
私が中学校にあがる頃、おとなりから宇宙人が消えた。
来たときと同じように、ある日突然いなくなり、家はもとの空き家に戻っていた。
父も母もご町内の誰もが、彼らを忘れてしまっていたが、私は覚えていた。「暑いわねえ」
ミーンミーン、しょわしょわしょわしょわ。
セミの鳴き声がうるさいそろそろ残暑。
私は幼稚園帰りの娘を連れ、買い物をすませて家に帰るところだった。
「あれ?」
娘が立ち止まり、きょろきょろとあたりを見回す。
「どうしたの、めぐみ」
「あのねー、むこうにね、水たまりがね、あったの。でもなくなっちゃったみたい」
「ああ、それは逃げ水ね」
「にげみず?」
「蜃気楼の一種で……ってわかんないか。
あのね、あれは魔法の国の水たまりなの。
だからつかまえられないの」
「そっかー。だったらね、めぐみもね、魔法ね、使ったらね、つかまえられる?」
「めぐみは魔法が使えるの?」
「まだなのー、でもせんせいはね、使えるの」
「そう、どんな魔法なの?」
「んとね、なくしたものがあったらね。
ないないのかみさま、ないないのかみさまってね。
10回ね、となえてからね、さがすとねー、見つかるんだって!」
「なるほど、それはいいわね」
「ねー、だからね、めぐみもね、こないだ青いブロックね、なくしたときに魔法使ったの。
そしたらね、でてきたんだよ。すごい!」
私は娘の無邪気さに笑みを浮かべた。
ようするに、探し物がある時は落ち着くことが大事だということだ。
あせっていると、見ているようで見えてない部分が出てくる。
なんでもいいからワンクッション置くことによって、自分を落ち着かせるというテクニックだ。
だが娘には魔法に見えるのだろう。
私は娘の頭をなでた。
「それにしても本当に暑いわねえ」
6丁目5-2にある私たち家族の家は、山の中腹に建てられた典型的な建売住宅だ。
そのため家に続く道は長い坂。
なだらかではあるが、こんな暑い日には果てしなく続いて見える。
一軒家が欲しいと夫に無理を言ったのは私だが、こういう時ちょっと失敗したかなと思う。
汗が吹きだすひたいをぬぐい、私は買い物袋を抱えなおした。
「ままー、こっちこっち!」
とてぱたと走っていった娘が角で止まって私を呼んでいる。
子どもは元気だ、うらやましい。
家までもうすぐ。
娘の待つ角を曲がった5軒先がゴールだ。
私は息を切らしながら角を曲がる。
町棟さん宅前を横切り、羽田さんちのを通り過ぎる。
児玉さん宅のとなりはまだ空き家、その先の佐々木さんのとなりが我が家。
通いなれたいつもの道に、違和感があった。
空き家の前に人影がある。
おそろいのサマーシャツにブルージーンズ、黒髪の小柄な青年と色の白いおっとりした風なふたり組み。
「あ、なみひさんこんにちはー!」
娘がまっすぐに駆けていく。
私は買い物袋を取り落とした。
「こんにちは!」
「うむ、こんにちは」
「はーい、こんにちはー」
彼らはニコニコと笑い娘に手を振る。
まちがいない、あのふたりだ。
記憶の中と寸分違わない姿を私は凝視する。
「ままー、どうしたの?」
娘が私を見上げる。
私はこぶしを握り締めて、もう何年も口にすることがなかった名前を押し出す。
「……並日……望さん?それと、普賢さん?」
「ああ、そうだが。ん?」
「あれ」
ふたりは私をしげしげとながめた。
「……のぞみちゃん?」
普賢さんが、色の白いおっとりしたその人が、私の名を呼ぶ。確認するように。
「のぞみちゃん、やっぱりのぞみちゃんだ。ほら望ちゃん、よく僕らのとこに遊びに来てた」
「ああ!」
望さん、黒髪の青年が手のひらをぽんと打って、ニヤリと笑った。
「久しいのう」
私はうなづく。
うまくうなづけただろうか。
なつかしい日々に胸がいっぱいになって視界がにじむ。
「泣かんでもよいではないか」
望さんは困ったように私に手を伸ばし、涙をぬぐってくれた。「しかし、おぬしの目が黒いうちに会えるとは思わんかったぞ。なかなかうれしい偶然だのう」
望さんは懐かしそうに目を細める。
夏の太陽がその顔を照らす。
「のぞみちゃん、今何してるの?」
「わ、私は高校を卒業して専門に入って結婚して……。
夫の転勤で、4年前ここに引っ越してきたの」
「そう、おめでとう。きれいになったね。とても」
「うむ」
「ありがとう、あなたたちは?」
「わしらか。ブラブラしとるよ」
「うん」
普賢さんがクスクス笑う。
娘はさっきから不思議そうに私たちのやり取りを聞いている。
「この幼な子が娘か」
「ええ、めぐみって言うの」
「よい名だ」
望さんが娘を抱き上げた。
瞳をのぞきこんで頬にキスをする。
「幸多かれ」
短くつぶやかれた祝福に、娘は笑い声を立てる。
「せっかくだし僕も」
普賢さんが娘をひきとり、おでこにキスをする。
「往く手に恵、数多あれ」
私は両の腕を差し伸べ、娘を抱き取る。
娘の小さな体が喜びに包まれている。
「ありがとう」
心からの感謝を私は彼らに捧げた。
「さて、これでわしらには縁が出来た。この娘に加護をやったからのう」
望さんがまたニヤリと笑った。
「わしらはもう行く。そういうルールなのでな」
「また会おうね、のぞみちゃん」
ふたりは微笑むと、すっと消えた。
あとに残されたのは、いつもの空き家。
「まま?」
腕の中から娘が見上げてくる。
不思議そうに。
夢から覚めたように。
「はやくね、おうちかえろうよ。めぐみあついよー」
「そ、そうね」
私は娘をおろし、買い物袋に手をかけた。
う、卵が割れている。
魚もすっかり身がゆるくなってるみたい、炎天下に放置していたのだからしかたないのだけど。
あのふたり、ついでに魚がいたまないようにしてくれるとよかったのに。
私は空き家を振り仰いだ。
夏の日差しがふりそそいで、軒端が輝き、影は黒く濃い。
無人の家が中に抱くのは、沈黙。
もう二度と、ここであのふたりを見かけることはないのだろう。
でもいつかまたどこかで、きっと会える、そんな気がした。
「さあ行くわよ、めぐみ」
「うん、まま!」私が小さかった頃、おとなりには宇宙人が住んでいた。