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SS~ハリネズミ

 
「ごめんじゃなくて、すまぬ、でしょ」

 ※ヒステリーふーたんとちみっこ望。暗い。

 ↓

続き

 
ポケットの中にはビスケットがひとつ
ポケットを叩くとビスケットはふたつ

 伏義が歌っていた。
 甲高いその声をうっとおしいと思った。
 普賢は手をとめ、床の上に寝そべっていた伏義をにらんだ。
 とげとげしい視線に気づいた伏義の、朝焼け色のあどけない瞳におびえが走った。
「ごめん」
「ごめんじゃなくて、すまぬ、でしょ」
「すまぬ」
 うなだれる彼は、幼い子どもにしか見えない。

 普賢はそのまま作業を再開した。
 蓬莱島磁場の観測レポートは最終段階に入っている。
 集計したデータがはじきだす答えは、3度目の点検を終えたいまでも仮説とそぐわない。 
「ふげん」
 伏義が普賢の翼めいた羽衣を引いた。
「なに」
「えほんを、よんでくれるのではなかったのか」
「終わったらねって言ってるでしょ」
「きのうもそういったのだ」
「しょうがないじゃない。仕事が終わってないんだから。ほんとはこの部屋から出て行ってほしいぐらいだよ」
 羽衣をひっぱる手が止まった。
 そうかとつぶやいて、伏義は絵本をもったまましょぼくれる。
「おわるまで、むこうにいたほうがいいか」
「そうして」
 にべもなく言い放つと、普賢は振り向きもせずコンソールを叩き始めた。
 もういちど羽衣がひかれる。
「なにさ。おやつなら戸棚の中だよ」
「……いいこにしてるから、ここにいてもいい?」
 きっと普賢のまなじりがあがった。
「何度言ったらわかるのさ。そんな喋り方しないで!」
「ご、ごめん」
「ごめんじゃないでしょう!」
「すまぬ……」
 おどおどした瞳が癇に障った。
「ああもう出て行ってよ!キミなんか嫌いだ!」
 小さな伏義が色を失った。
 蒼白な顔で固まっている伏義の輪郭がぶれ、影が剥がれ落ちるようにゆっくりと前のめりになり、ごとん、にぶい音がした。
 伏義は、ゆっくりとまばたきをした。
 足元のそれをみる。
 普賢と自分のあいだに転がっているのは、まぎれもなく彼自身。
 土気色の肌には生気がない。
「ごめんね、また割れちゃった。捨ててくるから」
 言い訳をするように早口でまくしたてると、伏義はしゃがみこんだ。
 もう1人の自分の両足をつかみひきずっていく。
 一回り小さくなった、その影。
 重い音が、廊下を遠ざかっていく。
 普賢は眉間のしわを深くしたまま扉を閉ざす。
 椅子に座り、指だけをコンソールに置いた。
 そのまま動けないでいる。
「……望ちゃんなんか嫌いだ」
 くいしばった歯の間から、普賢は言葉を押し出した。

 受け入れられないでいた。
 平穏が戻り、神としての生活にも慣れたころ、改めて対面した恋人は、もはや普賢の知るあの人ではなくなっていた。
 同じ顔で、同じ声で、ふたりだけの甘酸っぱい思い出も覚えていて、だけど、やはり彼ではない。
 なによりも、普賢を戸惑わせたのは。
『それでもなお、おぬしを愛しておるよ』
 当然のように、その人はそう言ったのだ。
 受け入れられなかった。

 だって望ちゃんが、僕を好きになるはずないじゃないか。

 望ちゃんは欠けてた。
 心が足りてないから、誰かに埋めてほしがってた。
 相手は誰でもよかった、そうだ、僕じゃなくてもよかった。
 僕は全部知ってて、彼の、欠けたところに、つけこんだ。
 ぴったりとそばに寄り添って、四六時中好きだとささやいて、笑顔でしばって、暗示をかけた。
 キミには僕だけだよ。
 欠けてるキミを埋められるのは僕だけだよ。
 少しづつ、僕にほだされるキミ。
 うれしくてうれしくて、僕はキミの望む完璧な恋人を演じ続けた。
 キミに夢中だったから、嘘をつきつづけた。
 天使のように、やさしくておだやかで、虫けらにも慈愛の限りを尽くすような、そんな偽りの人格。
 仮面のような笑顔の奥で、彼を取り巻くすべてを嫉妬していたくせに。
 キミが愛した僕は幻。
 全部知ってるんでしょう、本当は。
 なのにどうしてそんなことを言うの?

「……ふげん、ふげん」
 やさしくゆすられて、普賢は目を覚ました。
 コンソールに突っ伏して眠っていたらしく、窓の外はすでに暗い。
「かぜをひくのだ。となりでねたほうがいいのだ」
 幼い瞳が心配そうに普賢を見上げてくる。
「……ほっといてよ」
「よくない。かぜをひく」
「ほっといてよ!」
 金切り声で普賢は叫んだ。
「うっとおしいんだよ、いちいちかまわないでよ!
 そんなことしたって僕はキミなんか好きにならないよ!
 なにさその惨めな姿は、割れて割れてちっぽけになってこれが始祖様なんだから大笑いだよ!」
 伏義が唇をかんだ。
 大粒の瞳にみるみるうちに涙がもりあがる。
「きらいにならないで」
 ちいさな手を精一杯伸ばして、伏義が普賢にすがりつく。
「きらいにならないで。
 ふげんのきらいなオレは、ぜんぶうらにわのあおいコスモスのしたにうめるから。
 だからきらいにならないで」
 縮んだ背で、舌足らずな喋りで、伏義は普賢に懇願する。
 きらいにならないで、ふげんがだれをすきでもいいから、そばにおいて。
 普賢は伏義を突き飛ばした。
 軽い体はかんたんに転がる。
 普賢は伏義にかまわず自室に飛び込んで鍵をかけた。
「ふげん!」
 扉を叩く音がする。自分の名を呼ぶ声がする。
「うるさい、うるさい、うるさい!」
 普賢はその場にへたりこんで両手で耳をふさぐ。
 涙がこぼれた。

 どうしてそんなうれしいことを言うの?
 僕は期待してしまうよ。
 ほんとにキミに愛されてるんじゃないかって思ってしまうよ。
 近づかないで。
 もう僕は嘘がつけない。
 キミが望んだ僕になれない。