「わざわざ私のところに寄り道してくれたきみに、はなむけ」
※望普バッドエンド風味
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その子は彼の手をとって、寝顔を見守っていた。
暗い部屋の中明かりもつけずに、規則正しい寝息に耳をすませていた。
私が天井の片隅から舞い降り、彼の額に手をあてようとしたら、その子は幼い顔にいぶかしげな表情を浮かべて言ったんだ。
「だれ?」* * *
珍しいこともあるものだと、申公豹はすなおに驚くことにした。
満月の下、羊の群れの上にぼんやりと座る者がいる。
深い眠りの淵にいるはずの彼の師、太上老君その人だった。
「天変地異でも起こりますかね」
大きなあくびをする人へ聞こえるようにつぶやくと、彼は黒点虎の背から降りた。
「……はじかれた」
「ほう、弾かれましたか。あなたが」
「うん」
「誰の夢をのぞこうとしたんです?元始ですか、通天ですか、それとも……」
「子どもだよ」
興味深げに指折り数える申公豹に、太上老君は言葉をかぶせた。
申公豹の手が止まる。
「あなたの存在を察知できる才能があるのですね。しかも年若い」
「教えないよ」
「教えなさい、いますぐ。私のライバルに育つやも知れません」
俄然いきいきしだした申公豹に太上老君は軽く肩をすくめた。
この話し相手は最強に飽いている。
「まあ、いいか。んーとね、崑崙の、太公望って子の夢を見ようとしたんだ」
「太公望。なるほど、覚えました。さっそく下見に行ってきましょう」
「人の話は最後まで聞くものだよ。私をはじいたのはその子じゃない」
「ではなんだというのです」
「一緒にいた子だよ。名まえは、えーと、たしか、ふー、ふー、ふー……」
なんだっけと首をかしげた太上老君に申公豹がじれてうしろをふりかえる。
「黒点虎、崑崙は視れますか」
「んー、難しいかも。でも今日は月がきれいだから多分視れるよ」
「探してください。太公望という人物です。
老子を弾いた子どもも、おそらく一緒にいるでしょう」
「がんばってみるよ」
黒点虎が大きな金色の瞳をまばたきさせる。
眉間にしわを寄せてむむむとうなっていたが、ようやく息を吐いた。
「普賢って名前みたい。机の上の筆箱にそう書いてある」
「その子はいま何をしていますか」
「太公望って子の手を握って寝顔をながめてるよ」
「こんな夜中に?」
「こんな夜中に」
黒点虎がせわしなくまばたきして首をまわす。
「おしまい。疲れちゃった。崑崙は空気が歪んでるんだもの」
「仙気にあふれてますからね。
なんにせよ名まえがわかったのは素晴らしい収穫です。
よくやりました、黒点虎」
「えへへ、ほめられちゃった」
のどをならしてすりよる霊獣を、申公豹はなでてやる。
そのまま黒点虎の首に手を置き、背中によじ登ろうとした。
「さあ、さっそく顔を拝んでこようではありませんか。
力量も見ておかねばなりません」
「それなんだけどねえ」
気の抜けた声に申公豹は師を振り返った。
太上老君は羊の上で首をひねっている。
「きみのライバルには役者不足だと思うよ」
「何を根拠に?」
「はじめてなんだよ」
「何がです」
「その子にはじかれたの」
断片的な言葉に申公豹は眉を寄せる。
「いつも言ってますが、もうすこし順序だててしゃべってください」
「いつも言ってるけど、めんどうだからいやだよ」
「わかりました、順番に聞きましょう」
「ああいやだ、なまけたい。羊にしゃべらせていい?」
「ダメです」
紆余曲折をへて月が西に傾き黒点虎が熟睡した頃、ようやく申公豹にも話が見えてきた。
普賢と太公望は同期の道士で、同じ部屋で寝起きしているのだそうだ。
太公望は寝つきが悪いうえに、悪夢を見てはすぐ飛び起きる。
そのたびに同室の普賢がなだめて寝かしつけてやる。
そんな二人の夢を、老子は以前からちょくちょくのぞき見ていた。
今までは太公望の夢にも、もちろん普賢の夢にも、するりと入りこんで添い寝することができたのだが、今日に限ってはじかれてしまったのだという。
「……私は太公望の夢に入ろうとして普賢にはじかれたけど、とうの本人の夢はなんの支障もなくのぞき見られるよ」
「奇妙な話ですね」
「そうでもない」
黒点虎によりかかって顎をつまむ申公豹に、太上老君はかるく頭を振って言葉を続けた。
「火事場のバカ力って知ってる?」
「もちろんです、私が知らないことはありません。緊急時に実力を超えた力を発揮することでしょう」
「概ね正しいね。じゃあ子育て中の母親が気配に敏感になる傾向については?」
「もちろん知っています。個体差はありますが、種の保存欲求が警戒心につながると、外敵の気配に敏感になります」
「けっこう。まあそんな感じだよ」
「適当に結論付けないでください、私がまとめましょう。
あなたの言いたいことを総合すると、今回の件は偶然、ということですね」
「うん」
「なるほど」
申公豹がつまらなさそうにため息をついた。
「普賢という子どもは太公望に強い庇護欲求を持っている。
それゆえあなたの気配にも気づいた、と。
それは本来の能力を超えた力であり、私のライバルたる器ではない」
「そういうこと」
太上老君の瞳の色が、まばたきのたびにめまぐるしく変わっていく。
それは彼なりの感情の発露だった。
「かわいそうだね、こんなに想ってるのに叶わないなんて。
泣き死ねたら楽なのにそうもいかないから」
太上老君の口が笑いの形に歪む。
皮肉な光が瞳に宿った。
申公豹が片目を閉じる。
今師が語っているのは未だ来ない物語だ、口をはさまないに限る。
「もうすぐ彼は下に降りて、いろんなことで頭がいっぱいになって、あの子をぽいってする。
行き場のない執着を恋だと勘違いもする。
あの子は自分の役どころをよく知ってるから、最後まで笑いながらバイバイってするんだ。
そしてひとりで泣くんだよ。
あんまりつらくて西に行っちゃうけど、やっぱり忘れられなくて泣いてるんだよ。かわいそうにね」
ダメ男に惚れちゃったのがケチのつき始めだよねとつけくわえて、夢を診る人はあくびをした。
「まあとにかく、きみはもうしばらく退屈な最強でいなくちゃならないってことだよ」
「なんともつまらない話ですね」
申公豹は大きく息をついて立ち上がり、黒点虎の背を叩いた。
「ふわぁ、おはよう。お話終わった?」
「ええ、黒点虎。いつもどおりこの人から有益な情報は得られませんでした。
寄り道はおしまいにして、当初の目的どおり北へ飛びましょう」
「そう」
霊獣が彼を乗せて大きく伸びをする。
落ちないように背にしがみついた申公豹に、羊の上に寝そべった太上老君が手を振った。
「きみが探してる遺跡なら、北より北北東のほうがいいと思うよ」
「おや」
申公豹が師を振り返る。
「今日は本当に天変地異がありそうですね」
「わざわざ私のところに寄り道してくれたきみに、はなむけ」
「それを言うならお土産です」
太上老君が何か言ったようだが聞き取れなかった。
おそらくはこういったのだろう、どっちでもいいよ、と。
羊上の彼はすでに深い眠りに落ちている。
「……全部知ってるんなら、なにもかも教えてくれるといいのにね」
黒点虎が空へかけあがりながらつぶやいた。
軽いいらだちが声に含まれている。
申公豹はのどの奥で笑って霊獣の頭をなでた。
「いいえ黒点虎、逆にそれはじつにつまらないことなのですよ。
考える楽しみや真実に到達する喜びを失くしてしまうわけですから」
「そうなんだ」
「そうです。永遠を生きるには致命的です」
「じゃああの人、申公豹よりヒマでしょうがないんだね」
「ええ、私より退屈しているのは確かです」
「ふーん」
満月の下、風を切って走る黒点虎の背で申公豹がつぶやいた。
「帰りにも寄ってあげましょうかね。おそらく、寝ているのでしょうけれど」
※老子の未来話の翻訳
望、あとしまつ後、妲己に心を奪われたまま地球を放浪。
ふーたん、文殊に誘われ、望を忘れるために西方で仏門に、けどやっぱ無理みたい。