どうして食べてはくれないの
※パラレル
※ファンタジー
※なのか?これは。
望という男の子がおりました。
頭のいい子でありましたので、誰もが彼をかわいがりました。
12歳の誕生日に、望は大きな館に連れて行かれました。
そこはありとあらゆる物が並べられ敷き詰められて、この世の天国のようでありました。
「この館にあるものからひとつ選ぶがよい、それをおぬしにあたえよう」
おひげのおじいさんは穏やかに微笑んで望の頭をなでました。
望は鍵束を手に屋敷中を探検してまわりました。
青い部屋にはおもちゃがたくさんありました。
ボールや竹馬や楽器や、ちかちか光って動き出す人形がありました。
緑の部屋には天井までずらりと本が並んでいました。
やわらかな色使いの絵本から目のまわりそうな小さな字の書物までそろっていました。
赤い部屋では鎧や兜がならんでいました。
よく磨かれたカタナや槍、大きな弓に勇ましい飾り羽のついた矢もありました。
どの部屋もきらきらとまぶしく、あらゆる物が望を手招きしているかのようでありました。
望はあっちへうろうろこっちへうろうろ、首をひねってためつすがめつしているうちに、お菓子の部屋へ迷い込んでしまいました。
ケーキのお城のふもとには、白いお皿にあふれんばかりのチョコレートが盛られ、とろりとしたジュースの噴水がふきあげておりました。
ふんわりとおいしそうな匂いがいたしますが、望はちらとながめて出口を探しました。
お菓子はたしかに好きではありましたが、食べればなくなってしまうこともわかっていたからです。
しかしクッキーの迷路を通り抜けたとき、泣き声が耳をかすめました。
望は不思議に思って物影をのぞいて息をのみました。
たわわに実ったキャンディーの木陰で、砂糖菓子の人形が泣いていました。
望と同じくらいの子どもの姿をした、うっとりするほどきれいな人形でした。
どうして泣いているのかと、望はたずねました。
誰も食べてくれないからと、人形が答えました。
せっかくお菓子に生まれたのに、誰にも食べてもらえない。
舐めると甘いのに、かじるとおいしいのに、誰もそうしてくれない。
見た目がよいからととっておかれたまま、乾いて朽ちていくのが悲しい。
そう言って人形は青い涙をこぼしました。
涙はころんところがって、ひろうと飴玉であることがわかりました。
望はちょっと悩んで、だいぶ考えて、部屋を出ると長い廊下を走っていきました。
おひげのおじいさんに鍵束を返すと、望は欲しいものを言いました。
帰りの馬車の中には、望のとなりに砂糖菓子の人形が座っておりました。
屋敷から帰ったその日から、望は片時も人形のそばを離れませんでした。
屋敷から移ったその日から、人形はひと時も泣きやみませんでした。
望はお姉さまたちからきれいなドレスを借り、赤いリボンや真珠の首飾りで、人形の気を引こうとしましたが、相手は目もくれません。
飴玉の涙をこぼしてはひっそりとため息をつくばかり。
誰もが顔をほころばせる甘いお菓子もおいしいお茶も、お父様の寝室からちょろまかしたお酒の瓶も、人形の顔を曇らせるだけでありました。
どうして食べてはくれないのと、砂糖菓子の人形は泣き続けます。
食べたらなくなってしまうからと、望は口ごもりました。
食べてほしいのにと、うつむく人形のひざにまたひとつまあるい涙がころがりました。
望はそれをひろって口に入れました。
甘い味がするそれは飴玉以外の何物でもないのでありました。
6日目の夜、望は風呂あがりにお母様からおやすみのキスをもらいました。
ほんのりあたたかなおでこをさすって部屋に戻ると、望は人形にキスをしました。
ひんやりした堅い肌に唇をあてると、お砂糖のにおいがしました。
舌の先でそっと舐めると、甘い味がして、望はあわてて人形から離れました。
食べてくれるの?
人形は、初めて顔をあげて望を見つめました。
大きな瞳が望を映すので、望の頬が熱くなりました。
……食べたらなくなってしまうのに。
望はちょっと考えて、だいぶ悩んで、それからかすれた声で言いました。
食べてあげるよ、と。
人形がゆるゆると微笑んで、望もまたうれしくなりました。
望は手を伸ばして人形の小指に触りました。
ほんのすこし力を加えると、小指はあっけなく折れました。
期待に満ちた人形の眼差しを受けながら、望はそれを口に運びました。
こりこりと音をたて、望は小指をゆっくりと噛み砕きました。
あまいあまい味がしました。
おいしい?と、人形が聞きました。
おいしいと、望は答えました。
よかった。
そうつぶやいて人形は、とろけんばかりの笑みを見せました。
それから望はドアに鍵をかけて、窓のカーテンをしめて、一心不乱に人形を食べ続けました。
手や足や髪や肩や頬や耳やひざを、噛んで舐めてかじって飲みこみました。
砂糖菓子の人形はどこもかしこもあんまり甘くて胸焼けがして、望は何度ももどしそうになりましたが、こらえて食べ続けました。
朝が来て夜が来てまた朝が来て夜が来て、もう一度朝がくる頃、望はすっかり人形をたいらげてしまいました。
カーテンのすき間から差し込む朝日の中で、光の粒がちらちらと踊っていました。
望はすぐにベッドにもぐりこみました。
胃がむかむかして頭がガンガンして今にももどしてしまいそうでした。
望は吐き気をこらえながら空っぽになった椅子をながめました
食べたらなくなるのに、わかっていたのに。
わかってはおりましたが、どうしても裏切れませんでした。
あのとろけんばかりの微笑みを。
布団をかぶって、望はちょっと泣きました。
吐き気がせりあがってきていました。
せっかく食べたのに。せっかく食べたのに。
望は目をぎゅっとつむって我慢しました。
けれど空えづきが起こって、望は全身をふるわせながら口を押さえます。
体中がじっとりと汗ばんでくるのに、寒くてたまりません。
喉の奥からぎりぎりと押し上がる吐き気はひどくなる一方で、意識が朦朧としてきました。
ついに耐えきれなくなって、望は手を離してしまいました。
ひらいた口の奥、おなかの底からずるりと何かが出ていきます。
せっかく食べたのに。
きつく閉じたまぶたのあいだから涙がにじみだしてぽとりとこぼれました。
なにもかも吐きだしてしまうと、望は体中から力が抜けてベッドに倒れこみました。
「だいじょうぶ?」
意識を手放そうとしたそのとき、耳元で声が聞こえました。
望は最後の力を振り絞ってまぶたをあけました。
裸の子どもが望を心配そうにのぞきこんでいました。
子どもは、あの人形とそっくりでありました。自分の中で生まれ変わった人形に、望は普賢と名づけました。
普賢はいつもニコニコと笑い、望をふくふくとうれしい気持ちにさせます。
だから望と普賢はいつもいっしょ、片時も離れることはありません。
もうお菓子ではないので、食べてほしいと言うこともありません。
なくなってしまうこともありません。
キスをすると甘い味がするけれど、それはお砂糖とは違う何かでありました。
けれど砂糖菓子のような白い肌を見つめているうちに、無性に心配になることがあります。
だから望は時々、となりで眠る普賢の肩にそっと歯をたててみるのでした。