「×××××?」
※現代パラレル 18禁
※望普で……妲普?
※寝取られ注意
↓
夜毎窓辺に現れる彼の名を僕は知らないのです。
ガラスをたたく硬く軽い、その音が僕の眠りを撫ではらう夜半、気がつくと彼はいつも窓の外に立っています。ここは古いマンションの最上階なのだけれど、窓の外は空虚な暗がりをビル風が吹き抜けていくだけなのだけれど、彼にはなんの問題もないようなのです。だけど窓は開けられない。
窓を開けるのは僕でなくてはいけないのだと、いつか彼は言っていました。昨日だったかおとついだったかもう何年も前になるのかあるいは明々後日かもしれませんが、そう言っていたような気もします。
曖昧なのです。
思えばいつ彼と出会ったのかも覚えていない。そもそも僕たちは出会っているのかすら定かではない。地上13階の闇夜に浮かぶ彼の姿はあまりにも現実感がなく、夢だと言われたほうが自然な気すらしてくるのです。
ビル風になぶられて黒い外套が鵬の翼のようにはためくその狭間から見えるのは高速道路を走る車のライト。対になった無数の光が際限なく行き交う様は、空腹のあまり正気を失った獣が檻の中を走りまわる様に似て、彼の思いつめた瞳とともに僕をさらに曖昧にさせるのです。
窓を開けるのは僕。
寝る前にかけた鍵に手を伸ばし、ひやりとした金属の感触を指先に感じたら引きおろす。それだけ、たったそれだけ、だけど彼は窓を開けられない。窓を開けるのは僕。鍵があく音はいつもやけに大きいのに、肌寒い僕の部屋の壁を探して波紋のように広がりはすれども、たどりつけずに消えていく。
窓を開ける。風雨にくたびれたサッシは軽やかに動かない。両手を窓枠にかけて奥歯を噛む。両腕に力をこめるとひらいた、夜風、吹き込んでくる。凶暴な風がうねりもそのままに狭い入り口をこじ開けて室内になだれ込む、目も開けていられない。はねた僕の髪がなぶられ、2年前の誕生日にお母様に買っていただいたネコさんプリントのパジャマがひきちぎられそう。本が落ちる音が聞こえる。
いつも唐突に風はおさまる、あんなにも吼え狂っていたのがうそのように静かになる。そして目を開けると、後ろ手に窓を閉めた彼がベッドの中の僕をのぞきこんでいる。
窓からのぼやけた光が彼の輪郭を縁取り、艶やかな黒髪に淡い輪を描く。気がつくと僕はいつも彼に手を伸ばし、彼は僕の手をとって指先に口付ける。口付けは甘噛みになり、やがて僕の指先は彼の口内へ招かれる。やわらかな、ひどくやわらかな、こどものように無垢な唇、なのに獣じみた淫蕩さで僕の指先をしゃぶる。
何度経験しても(何度だろう?数え切れないほど僕はこうしてもらった気がする。まだ出会ってないかもしれないのに)僕はこれに弱くて指先を伝い落ちる彼の唾液を見つめるうちに体が熱を帯びてくる。ひっそりと濡れた吐息を漏らす、それだけで彼は僕に唇をくれる。やわらかさに溺れて僕は目を閉じる。長い接吻の終わり際、彼はいつもささやく。
「すまぬ」
何を謝るのか、何か誤っているのか、彼は、僕は、僕たちは。
僕の夜着を剥ぎ取りながら、外套を投げ捨て上着を脱ぎ捨て、手袋を口で引き抜き。触れ合わせる肌は既に汗ばんでいるから僕は薄く笑う。こんなにも彼は僕を欲してくれていて、こんなにも僕は彼の愛撫を求めている。
慣れた手が僕を追い詰めるけれど、知り尽くしているのは僕も同じ。躊躇なくあげる甘い声。指先でなぞる彼の背中、若木のような体の奥にあるたしかな骨の感触、脈打つ心臓の響きが肌に食いこませた爪から伝わる。
やさしくてもどかしい愛撫の果てに、彼が僕の中に入ってくる。おとなしいふりでとろけそうな感覚に身を委ねる頭の奥どこかに狂喜に笑う僕がいる。
「すまぬ……すまぬ……」
謝りながら、だけど彼は僕の内を貪る。汗に濡れた肌が僕に密着し離れるたびにかすかな水音。熱をわけあう悦びで体が震える。僕は足を開き彼を抱きしめ、突き上げられる衝動のままに淫らな声をあげる。
恥じらいなどという初々しい感情はとうの昔に捨ててしまったのです。彼が僕の中にいる、この瞬間を手放したくない。だから僕はできうるかぎりの痴態をとって彼を誘惑する。
「……普賢」
彼が僕の名前を呼ぶ。何故彼は、彼だけが、僕の名を知っているのか。彼が口にするのは呼ばれ慣れたそれと同じではないのだけれど、たしかに僕の名だと魂がわななく。
「普賢。普賢」
希求する。名を。
腕を伸ばし汗が流れる彼の背を包む、懇願する。呼んで、もっと呼んで。
「……普賢!」
何故僕は彼の名を知らないのか。
こんなにも熱く注ぎこまれる想いに応えられるのは、ただ君の名ひとつだけなのに。
見つからない。どうしても。さみしい。さみしい。
いつか白日の下、会うことができたならば、僕は君の名をつかめるだろうか。「×××××?」
我に返る。
「……お母様」
「またお熱がでたのねん。薬をお飲みなさいん?」
静かな声。呼ばれ慣れた名前。
風で落ちたはずの本ももとどおり、何事もなかったみたいに。
お母様がシルクのハンカチで僕のひたいの汗をぬぐってくださった。そしてお母様はサイドテーブルの引き出しをお開けになられ、細い手で薬ビンを取り出されると、白い錠剤をふたつ僕の手に握らせてくださった。僕はコップにそそがれた水とともに薬を飲み下す。冷えた感覚が僕の中を落ちていき、体にたまった熱を滅ぼす。
「まぁ、鍵が開いてるわん。無用心ねぇん。夜風は体に毒よん?」
お母様がしなやかな美しい腕を伸ばされた。鍵をかける音がいやに耳につく。そのままお母様はカーテンを閉めておしまいになられる。
「お母様、やめて!彼が見えないの?窓に!窓に!」
畏れ多くもお母様のなさることを阻害せんと僕はカーテンをつかむ。だけど開け放つその前にお母様のお顔が僕に近づき、ひたいに接吻を施してくださった。とたんに僕はすべてうやむやになる。くらくらと視界が揺れて、甘い睡魔に脳がしびれる。彼のことも、もう、カーテンの向こう。
「さぁ、×××××。今は夜、よい子は寝る時間よん。おやすみなさいん」
「……はい、お母様」
お母様のおっしゃることはいつだって正しい。お母様は女神のように微笑まれ、僕をベッドに寝かしつけてくださった。すぐにお母様は立ち上がられ、部屋を出て行かれた。扉が閉じ、僕は無明の闇の中へ取り残される。
僕を包む闇は彼の(彼?誰だろう)外套と違いねっとりと重く暗く、お母様の残り香が漂っていて、僕は安心して瞳を閉じた。