「わかってるよ……ちょっとだけ待って」
※こころよせゆかりのおそざくら
※現代パラレル 重い 12禁くらいで
※『桜下非止恋心~あるいは出会いなおす2人の話~』の後日談
※ふーたん男の子注意
※ありょ?
目を覚ますともう6時半だった。あわてて飛び起きる。
望ちゃんは既に身支度をすませていた。
「ごめん!まだ時間あるよね?すぐ朝ごはんにするから」
「よいよい、おぬしがあまり気持ちよさそうに寝ているからの。起こすのは気が引けたのだ」
春眠暁を覚えずだなと笑われた。昨日の夜さんざんいじめてくれたくせに。頬をふくらませるとそこをつつかれた。こどもっぽいイタズラに思わず吹きだす。2人して笑いあった。
「次の休みは23だからな、22日の晩に来る」
「22日の晩ね。夕飯はどうする?」
「戻る頃には日付が変わるかもしれん。ひとまず食べておくが、夜食を頼む」
「わかった。なにか軽いものを作っておくよ」
僕はカレンダーに目を走らせた。10日後か。うれしいな、今月は2回も会えるんだ。
裸にYシャツを引っ掛けて、僕はいそいでトースターにパンを差しこんだ。ついでに鍋に水を入れて火にかける。鍋の中に卵を落として、キッチンタイマーをセットした。望ちゃんは半熟が好きだ。冷蔵庫からレタスとトマトを取り出したところで後ろから抱きつかれる。耳を噛まれ、ぞろりと舐めあげられた。
「わっ!ちょ、ちょっと何するのさ!」
「おぬしが悪い」
「なんで!?」
「そんな格好でうろうろしているおぬしが悪い」
シャツの合わせ目からするりと手がしのびこんでくる。身をよじる僕に望ちゃんの笑みが深くなる。いやだとかやめてとかは、言わないことにしてる。キミがくれるならなんだってうれしい。
「出かける前にな、おぬしの温もりをこの身に残しておきたい」
「わかってるよ……ちょっとだけ待って」
じわじわとあがっていく体温をこらえて僕はコンロの火を落とした。抱き上げられて布団の中に逆戻り。あと30分、時間いっぱいたっぷり鳴かされるんだろうな。いつも思うんだけど、望ちゃんて体力あるなあ。僕なんか終わったら動けないのに。
ぐったりと布団にうつぶせる僕についばむような口づけをすると、望ちゃんはさっさと立ち上がって乱れた着衣を直す。腕時計をながめて玄関を見やった。
出かけるんだね。
愛されたなごりで火照った体を押して、僕は布団を出た。その場で正座して三つ指などついて、にっこり笑ってみる。
「いってらっしゃいませ、旦那様」
ネクタイを締める望ちゃんの手が止まった。
「……今のはかなりキたぞ」
僕の頭をくしゃくしゃなでて苦笑い。
「あまり煽ってくれるな。連れて帰りたくなる」
「だめだよ、そんなの」
「ではもう少し広い部屋に住み替えるとか」
「僕のお給料じゃここが精一杯なの。それに、望ちゃんにおんぶにだっこなんてやだよ」
「おぬしは強情だのう。もうちっと欲をかいてもよいのだぞ」
あきれたような笑顔を見せると、望ちゃんはかがみこんでキスをくれた。
「いってくるぞ、わしの普賢」
「いってらっしゃい、望ちゃん」
あくびをする僕を寝かしつけて、望ちゃんは出て行った。鍵を閉める音がする。僕は8時までに着けばいいから、もうちょっと寝ていよう。+++++
職場と家を往復してるうちに、あっという間に日は過ぎて。4月22日。
朝食をとって散歩から戻ると、出勤時間までまだ間があった。洗濯物を取り出してベランダに干す。今日は一日中晴れらしいから布団も干しておこう。望ちゃんの羽根布団を先にしようかな。
彼が僕を探し当ててから一年がたった。僕はあいかわらず書店の店員をやっている。あの頃と変わったことは月に何度か望ちゃんがたずねてくるようになったこと。それから部屋に望ちゃんの私物が増えたこと。
今もポールハンガーに僕のでない背広とカッターシャツがかけてある。浴衣に作務衣なんかもある。歴史ある茶道の一派、姜家の家元をやってる望ちゃんはTシャツにジーンズより和服のほうが落ち着くらしい。
押入れから羽根布団をひっぱり出す。もこもこした布団は見た目よりずっと軽く、さりげなく2人分の大きさがある。
使えと、笑顔で押しつけられたこれ。望ちゃんに僕の私物を買わせるのはいやだったから断ったんだけど、わしも使うからいいのだとかなんとか言われて押し切られた。まあたしかに僕の煎餅布団は一人用だし固くて重いから寝心地悪いのはわかるんだけどね。結局羽根布団は望ちゃんが来たときだけ使うようにしている。
ピンポーン。
インターホンが鳴った。誰だろう。僕をたずねてくるってことは望ちゃんかな。予定が変わったんだろうか。僕は布団ばさみをとりつけると返事をしながら玄関のドアを開ける。
時が止まった気がした。
艶やかな長い髪。血筋のよさが一目でわかる人形みたいに整った顔立ち。柳のような立ち姿。扉の向こうに居たのは写真の中で何度も眺めた、望ちゃんの、奥さんだった。
頭の中が真っ白になる。
なぜか彼女も面食らったみたいだった。僕の顔をまじまじと見つめている。
すぐに気を取り直し、彼女は僕をきっとにらみつけた。
「話がある。中に入れてもらおうか」勤務先に電話を入れて急な休みを告げる。不倫相手の奥さんが押しかけてきましたなんて言えないから実家でトラブルがあったことにした。
ちゃぶ台をはさんで座る。お茶を、淹れようかと思ったけれど、とてもそんな雰囲気じゃなかった。黙りこくったままお互いの出方をうかがう息詰まる時間がじりじり過ぎていく。
正面に座る彼女の名前は竜吉という。
望ちゃんが、僕の恋人が、5年前家督を継いですぐ結婚した相手だった。いろんな肩書きがあるらしいけれど、僕は彼女が彼より年上で華族の出だということくらいしか知らない。望ちゃんは家のことを話さないから、夫婦仲がどうなのかはわからない。僕もあえて聞かなかった。でも子どもはいる。幼稚園に通う女の子が1人だ。
「まだるっこいのは好かぬ」
沈黙を破ったのは彼女のほうだった。
「何が望みだ」
突きつけられた言葉に僕は戸惑った。意図がわからない。でも罵倒よりも緊迫した空気を感じた。
「知ってのとおりあれは姜家の当主だ。愛人の1人や2人では私は揺るがぬ。囲うは男の甲斐性、許すのは妻の甲斐性じゃからな」
だが、と彼女は言葉を切った。
「おぬしが姜家に仇なすならば話は別じゃ」
冷えきった彼女の視線が僕の肌をすべる。カッターの先で撫でられているような感覚に背筋が寒くなった。
「……僕は、そんなこと考えて……」
「愛人はみなそう言う」
ぴしゃりと決めつけると彼女はトートバッグから絵本のようなものを取り出した。緋色の地に華麗な刺繍が施されたそれをひらくと書類が一枚はさまっていた。
「これに署名しろ」
書類入れごと僕の前にさしだして、彼女は万年筆を押しつけてきた。僕はあわてて細かい文字に目を滑らせる。財産、相続、分与といった単語が並んでいた。
「姜家に関する一切の権利を放棄すると誓約せよ。さもなくばあらゆる手を使っておぬしを追いやる」
言い切る彼女の目は本気だった。僕は奥歯をかんで彼女を見返す。
「待ってください。望ちゃ……望さんが個人で使うお金はこの中に入ってるんですか?」
彼女が眉をはねあげた。目元がさらに険しくなる。でもここで引いたら、なし崩しにすべて思い通りにされてしまうだろう。どもりながら先を続ける。
「僕は姜家に近づくつもりはありません。物理的にもそれ以外でもです。諸々の権利を主張するつもりもありません。この話は望さんにも再三言っていますし、了承を得ています。
ただ、彼が僕を訪ねてくることだけはゆずれません。個人使いのお金も財産に入るなら、望さんは僕に会いに来ることもできなくなる」
「ふん、月々の手当と贈与品は見逃してほしいということか?」
「そうじゃありません!」
膝を握りしめて叫んだ。一触即発の空気をはらんだ分厚い沈黙が落ちる。細められた彼女の瞳にもいらだちが現れていた。
「……僕はそんなもの受け取ってないし、受け取るつもりもない」
煮えくりかえる腹を押さえ、つとめて冷静に言葉を搾り出す。
「3日ください。僕に法律用語はわかりません。だから、この誓約書を預かって弁護士に相談させてもらいます。サインはそれからでもいいでしょう?」
返事はなかった。探るような彼女の視線を負けじと見返す。緊張で心臓が破裂しそうだった。
どのくらいそうしていただろう。彼女がふっとため息をつき、場が軽くなった。
書類入れを引き寄せ、音をたてて閉じた彼女はバッグの中にそれを戻す。
「また来る」
鋭利な言葉を投げつけ、彼女は立ち上がりきびすを返した。ひとまず波は去ったらしい。全身から力が抜けて、背中が冷や汗で濡れていることにいまさらながら気づく。立ち去る彼女をあわてて追いかけた。
「頭を下げられた」
彼女は玄関で僕に背を向けたまま靴をはくと、独り言のように言った。
「……あれは傲慢な男だというのに」
ちらりと僕を見かえす。
「まさか男だとは思わなんだ」
……言ってなかったんだね、望ちゃん。
「おぬし、あれとはいつからの関係じゃ?」
いぶかしげな表情を隠しもせず彼女が僕に疑問を投げかけた。
どっちの関係のことを言ってるんだろう。体なら去年からだけど、出会ったのはもっと昔だ。すこし迷って、結局僕は正直に幼稚園からだと答えた。怪訝そうな顔をされる。
「幼馴染で、ずっといっしょでした。お互いがお互いを好きなのは当然だと思ってた。だけど、普通じゃないって気づいてから、僕は距離を置くようになりました。でも彼は変わらなくて。
11年前、僕は怖くなって失踪しました。それからずっと望ちゃんは僕を探し続けてくれた。去年の春に再会したとき僕は彼についていくことに決めました」
「夢見がちな馬鹿が二人か」
吐き捨てるように言われた。彼女の言葉は辛らつだけどもっともだ。
「まだ幼い子どもも居るというのにな。言っておくがおぬしの存在は悪影響しか与えぬ。そのへんよく考えることじゃ」
勢いよく扉を閉め、ハイヒールを音高く響かせて彼女は去っていく。そっとドアを開いて彼女を見送った。虚勢に満ちた彼女の背中は悲しいくらいきれいだった。
動き出した高級車の後部座席で、両手で顔をおおってうつむく彼女。その震える肩を僕はアパートの廊下から見ていた。車が走り去ったその後も、ずっと。望ちゃんが帰ってきたのは、日付も変わってずいぶん経った頃だった。
「竜吉が来たそうだな」
息せききって玄関に入ってきた望ちゃんは、靴も脱がずに出迎えた僕の肩をつかんだ。僕は無言でうなづく。
「すまん……ここは教えていなかったのだが、興信所を使われた。本当にすまん。ここのところ妙におとなしくしておると思ったら、やられたわ」
「いいよ。いつかこうなるって思ってたし」
ため息をつきながら僕は望ちゃんの頬を包む。
「ねえ、望ちゃん。お花見に行こうよ」
望ちゃんは不思議そうに僕を見た。こんな時に何をと思ってるのかもしれない。とうに桜の盛りは過ぎたとも言いたいのかもしれない。
「行こうよ、ね?」
微笑む僕に望ちゃんはうなづくしかなかった。
トレンチコートに袖を通すと、僕は望ちゃんの手を引いて歩き出した。アパートの裏の老木はすでに葉桜になっている。右手に望ちゃんの体温を感じたまま、ぶらぶらと歩き続ける。
手をつないで歩くのは小学校以来かな。30近い男が2人、こうしてるのはたしかに滑稽かもしれない。望ちゃんは黙ったまま僕についてきてくれる。いつもと逆だ、そのことがなんだかくすぐったい。
8本目の街灯を目印に僕は路地裏に入った。ぐねぐね曲がった細い道は真っ暗闇だ。足元に気をつけながら進む。望ちゃんはものめずらしそうに辺りを見回しながらついてくる。
あ、つまづいた。
転びそうになる彼を支えて、そのまま抱き合う。
「望ちゃん」
「ん」
「もうちょっとだから」
「ん」
手をつないだまま、夜を歩く。
鼻をつままれてもわからない闇の中で、ぬくもりと足音だけが頼り。角を曲がって、終点。
ぽかりとひらけた空き地に満開の桜が一本立っていた。周りを固める家々の窓から漏れる光が、舞い散る花びらを染めあげている。
「まだ咲いているとは」
「ここね、日陰だから。毎年ちょっと遅れて咲くんだ」
望ちゃんがそうかと答えた。
「……きれいだのう」
桜なんて見飽きてるだろうに、望ちゃんはうっとりと花々を見上げていた。きれいなものをきれいだと、まっすぐに見つめる。そういう所は子供の頃から変わらないね。花を見る望ちゃんの横顔をながめているうちに、のどの奥がごつごつしてきた。
「望ちゃん」
望ちゃんが僕を振りかえる。曇りのないまなざしに僕の胸が痛みを増す。
「どうして、僕が男だって竜吉さんに言わなかったの?」
望ちゃんは首をかたむけて眉を寄せる。
「そういえば言っておらんかったのう」
「どうして?」
「どうしてと言われてもな。おぬしが男なのはわしにとって当然のことだからのう。伝達事項からすっぽぬけておったわ」
なんてシンプルな理由。真面目な顔でそんなこと言われたら、泣き笑いみたいな顔になるのを止められない。握った手に力をこめると、望ちゃんも握り返してきた。
当然。当たり前。
そうだね、もう四半世紀も、キミは僕を好きでいてくれたんだよね。そして僕はいつだって、キミにばかり言わせてきたね。ずるいね。
僕も、言わなくちゃ。
「望ちゃん……」
意を決して、顔をあげて。見つめる、彼の瞳。
「僕は来年も……望ちゃんとここで桜を見たい……」
口に出すともうダメだった。唇を噛みしめて、嗚咽をこらえる。ひとつ、またひとつ熱いものが頬をつたう。つないだ手が離せない。
「望ちゃん……望ちゃん……」
涙で汚れたまま僕は彼を見つめ続ける。
「好きだよ望ちゃん……!」
「……わしも好きだ普賢」
僕らの間には何ひとつ確かなものはなくて。愛情だの信頼だの、笑っちゃうくらい幼稚なものしかない。信じられなくなったらおしまいで。いつその日が来てもおかしくなくて。握った手で、ぬくもりで、なんとかつながってる。
「来年も見よう。再来年もな。一緒に見よう。2人で一緒に」
抱きしめてくれた望ちゃんも、ちょっと泣いてた。+++++
名前を呼ばれて、ゆっくりと意識が浮上する。
「普賢」
背広を着込んだ望ちゃんが眠る僕をやさしくゆすっていた。
ああ、出かけるんだね。
窓の外はまだ少し暗い。
「すまんな、急な予定が入った。午後には戻るからゆっくり過ごそう」
かすみのかかった意識の中で、僕は手を伸ばして望ちゃんの頬を包む。引き寄せてキスをした。重ねるだけのそれは深いものに変わっていく。何度も口づけられて、僕はとろけそうになる。
名残惜しげに僕の唇を舐めて、望ちゃんは離れていった。
「いってくる」
「いってらっしゃい」
そして僕は、彼を送り出す。
『好きだ』
その言葉だけを信じて、瞳を閉じた。
■ノヒト ... 2007/04/16(月)20:03 [編集・削除]
裸にYシャツが褌(ふんどし)にYシャツに見えました。
ああ、たしかに、悪い格好だな。