『なんにもないがある』
※ふっきゅん散文 わけわかめ
※タイトルは/二/十/億/光/年/の/孤/独/より by谷/川/俊/太/郎
世界を2のn乗と捉えるか、それもまた有りだな。
だが純化とは殺していく作業だ。
突き詰めれば隙間がなくなる。
わしのような挟雑物には居心地が悪いのう。じゃあキミは世界をどう捉えているの?
0と1の狭間には0.5がある。そう考えている。
矛盾してる。0と1ってのは存在と非存在の比喩だよ。
そもそも0というのは存在の完全なる抹消だからこそ0なのであって。何もないを0と名づけることこそ矛盾ではないのか。
『なんにもないがある』と言うに等しい行為だ。……。
だがこの矛盾によって、存在と非存在は『在る』という点において等価になる。
ここに2のn乗は否定され、世界は隙間を持つことが可能となった。
このコペルニクス的転回をわしは心から歓迎する。
0を0と呼ぶことで人類は近視眼的な1と9の間から脱却し、広大な世界を掌中に収める方法を手に入れたのだ。0と1は対立事項ではなく、同じカードの表と裏、循環する白と黒。そう言いたいのだね、キミは。
そのとおりだ普賢。
2のn乗の世界は完全に過ぎる。
きっぱりと線を引かれてしまえばわしの居場所は無くなる。
呼んでくれ。周の軍師であり崑崙の道士であり金傲の幹部であり異国からの漂流者であり、あるいは始祖であり謀略者であり血泥にまみれた羊飼いの子どもであるわしを。
意味はいらぬ。ただ呼んでくれ。
わしをひしめく0と1の集合体からすくいあげて0.5にしてくれ。
おぬしの呼ぶその名の中に特定し、分断し、完全性から解放してくれ。
おぬしが名を呼んでくれるから、わしはこの世界で生きていけるのだ。
独りだと完璧になっちゃうからわざと弱点を残しとく器用な人ではないかと。