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SS~リクエスト「オベロン望ちゃんとティタニアふーたん」 from桜紫織さま

 
 「お帰りなさいませ、伏羲様」
 
 『A Fairy Tail of Midsummer Night』
 
 ※夏の夜の夢パロでパラレル。長い。18禁。
 ※ふーたんが女の子で敬語。望ちゃんヘタレ度大幅UP。

 ※>>天空庭園様でも公開されています。
 
 
続き
 
 
 

 緑の森の奥深く、涼しげな小川がありました。
 せせらぎの周りには無数の草木がすっくりと花を掲げ、月の光と森の呼気を浴びて銀細工のような輝きを放っています。しかもそのどれもが、ふるえる花弁とそよぐ葉うらを持ち、夏の夜に凛とたたずんでいるのです。誰ぞが迷いこんだならば、美しさにあてられて帰り道を忘れてしまうことでしょう。
 そんな草花の間を、ちらちら光る何かが飛び交っています。遠めには羽虫のように見えますが、それは近づいてみると小さな小さな人の姿をしています。森の声が聞こえない二本足達から、妖精と呼ばれる彼らは、みずみずしい夜気を受け蛍のように明滅をくりかえしながら、背中の羽で飛んでいるのです。
 ひとつひとつ大きさも形も違う光の塊を追っていくと、小川の一部が広がり池になった場所がありました。ナイアードの長椅子と呼ばれる小さな池のまわりに、はたして無数の妖精たちが集まり、辺りは金とも銀ともつかない不思議な輝きで満たされているのです。
 中でもひときわ明るい輝きを持つのが、妖精たちの王伏羲様であらせられました。背に豪華な黒蝶の羽をおい、頭には月長石の王冠をかぶり、霊刀を腰に佩いたその姿は、多少ちんちくりんではございましたが王と呼ぶにふさわしい威厳を感じさせるのでした。
 が、何故か今彼は葉陰にお隠れになられながら、お付の者たちに何事か熱弁をふるっておられるのでありました。
「よいか、恋とはな。パッションだ、パッション。わかるか?」
「はあ……」
 舞台が英語圏だからってそれはどうかと思いながらも、王の忠実な部下である楊ゼンは真面目に拝聴しておりました。楊ゼンは人の話を最後まで聞くいい子だからです。隣に控える韋護は既に笑いをこらえるのに必死で肩がプルプル震えていましたが、伏羲様は気づかずに演説をお続けになられます。
「恋とはこのせせらぎのように清冽なものであり、そしてまた激流のように誰にも止められぬものだ。恋の小鳥の白き翼が胸に触れるとき、万人の心臓は新たな生を宿し喜びの血潮を送り出す。さながら雨風に朽ちた社がソロモン王の宮殿に変わるがごとくに。
 だがしかしその小鳥はあえかにして儚い。その訪れを感じたならば万難を排してはせ参じ胸を開かねば、瞬く間に風にあおられて朝露のごとくむなしくなるのだ。その様は例えるなら空を翔るひと筋の流れ星。故に恋を感じたならば、円卓の騎士のごとく果敢に、尼僧の祈りよりも敬虔に、その情熱を追わねばならぬ」
「……はあ……」
「何故ならば情熱は生きる糧だからだ。情熱は病の老人を寝台から起こし、傷ついた若者を再起させ、疲れた少女を美しく潤し、やつれ果てた老婆の瞳に星の輝きを灯す。いわんやとこしえを生きる我らをや。ましてやその先にネクタルよりも甘いひと時が待つとあらば、もはやこれを制する理由などどこにもありえぬ。
 わしが既婚者であるとか王であるとかいったことも、胸を焼く想いの前には水底の砂粒よりも瑣末な事柄に過ぎぬ。かような世俗すら超越するところに恋の情熱の偉大さがあるのだから。
 しかるに!」
 葉陰から月を見上げ、伏羲様はぐっと拳を握り締められました。
「古女房にはときめきがない!」
「…………」
「わかるか楊ゼン!そして韋護よ!だからわしがちょっとくらい浮気してもしょーがないのだ!」
 鼻息荒く言い切られる王を、楊ゼンは沈痛な面持ちで眺めました。ちょっと目がうつろです。韋護はとうの昔に限界を超えてセージの葉っぱの上で天道虫のようにつっぷしておりました。
「とゆーわけだからな!明け方頃帰る!妃にはいつもどおり適当に言訳しておけよ!ではな!」
 颯爽と一夜の恋人のもとへすっ飛んでいかれる伏羲様。長広舌に言い返す気力を根こそぎ奪われた楊ゼンには、もう王を止めるすべなどありません。ただでさえ妖精というものは、体が小さいものですからすぐにひとつの思いでいっぱいになってしまうのです。
 楊ゼンは背中の羽をふるわせ、豆粒みたいに小さくなった後姿に向かって力なく礼をするのみでありました。それすらも義務感100%でしたが、義務を義務と思わないところが楊ゼンのいいところです。
 疲れた顔をあげると、向こう岸に咲く白い花が目に入りました。水面からの照り返しを受けて銀に輝く花、その中央に座る姿を目にとめて、楊ゼンはくしゃりと顔をゆがめます。
 そこには王妃普賢様が座しておられました。
 透きとおった長い羽を持ち、ティアラの代わりに遅咲きのスミレを一輪髪にさした姿は妖精たちの頂点が妻に迎えるにふさわしい艶やかさでありました。
 お妃様が優れているのは容色だけにとどまりません。なにかと忘れっぽく騒々しく、未来だけで生きていける妖精たちの中にあって、お妃様は珍しく静けさを好み語り部と古い物語を好み、地霊やニンフの困りごとにまでお知恵を貸されることもしばしばありました。明るくにぎやかな輪の中で、時に王妃のつつましさは浮いてしまうこともございましたが、そこがまた泉の水のようだと遠巻きながらも確かな尊敬を受けているのでありました。
 さて、非の打ち所のないお妃様に唯一欠点があるとすれば、夫婦仲が悪いということでありました。

 対岸の葉陰でのやり取りを横目に眺めていた木咤は、そっとため息をつきました。
「木咤?」
 手を止めた彼に普賢様が首を傾げられます。
 王妃の付き人である彼は、殻を取った木の実を皿にのせてさしだしました。お妃様は手を差し伸べ、小鳥のえさほどのかけらをお取りになりました。蜜を塗り口へお運びになる姿は、従者の彼ですら見とれてしまうほど美しく、ついぞ見飽きるということがありません。
 にもかかわらず王様は王妃様ではなく一夜の恋人をお選びになられるのです。木咤にはそれが不思議でなりません。
「王は黒蝶の化身であらせられる」
 普賢は薬指に花の蜜をお取りになられながら口を開かれました。
「蝶が蜜を求めて花から花へ飛びまわるのは当然のこと」
 独り言にしてはきっぱりと、言い聞かせるにしては沈んだ声で、お妃様は告げられます。
 王としてもひとりの妖精としても常に輪の中心にいらっしゃる伏羲様と、老木のつぶやくような声に耳をかたむけられる普賢様の間には、どうやら二本足の言うところの深くて暗い川があるようで。
 夫婦とは名ばかりで、おふたりは大層清い間柄でございました。伏羲様は婚礼の晩以来そばに寄りつくことがなかったからです。そんな伏羲様を普賢様は諦めておられるご様子でした。
 もとはと言えばおふたりは、即位にあたって王の地位と力にふさわしい良縁を探した結果の、いわば政略結婚とでも言うものでありましたから、そもそも乗り気でなかったというところがあります。
 そのうえ森と山と海のすべての妖精たちが固唾を呑んで見守る妃選びの儀式にもかかわらず、伏羲様が普賢様をお選びになった理由はおっそろしくシンプルな、幼馴染だから、というものでありました。
 王にとって妃とは横に置いておく人形のようなものだったのかと思うと、木咤はなんともやるせない気持ちになるのです。嫁入り前から普賢様に仕えている彼は、もう随分と長い間主の笑顔を見ていません。
 冷たい横顔は月のように美しくはありましたが、記憶の中の春の日差しのような微笑とは比べるべくもありません。伏羲様の所業は、時に一線を越えて妃の面目に泥を塗ることもございます。そんな時も、物憂げなかんばせが揺らぐことはありませんでした。
 普賢様は蜜に濡れた指先を夜露ですすがれると白い花びらの上に横になられました。
「木苺のジュースはいかがいたしやすか」
「よい。少し眠る」
「あいわかりやした。お休みなさいませ」
 木咤はお妃様に緑の布団をおかけしました。森の中でいちばん若い楡の木からとってきた葉っぱです。お妃様の眠りを妨げないように、木咤はすぐに背中の羽を開くと白い花から離れました。ひとりになった普賢様が枕を涙で濡らしていると、彼は知っていましたから。
 柔らかい花弁の寝台も、お妃様にとってはイラクサの絨毯よりもつらいものかもしれませんでした。

 夜が明けました。
 小鳥のさえずりが響いております。ひんやりした風が木々の間を通り抜ける気持ちの良い朝でありました。
 日差しに輝くネイアードの長椅子へ向かって、葉っぱと葉っぱの影から影へ、こそこそと渡り歩く姿がありました。妖精の王、伏羲様です。夜明け前に帰る御心積もりでしたのに、うっかり寝過ごしてしまわれたのでありました。
 配下の者達の寝こけた姿を御覧になられると、王様は安心なさったご様子でスイカズラの葉の上に飛び乗られました。今日はここを寝床となさるおつもりらしく、黒い羽をはためかせると大きく伸びをなさり、そのままびきっと固まられました。草むらの一角、視点を下げた存外近くにお妃様がいらしたのです。ツユクサの葉にたまった朝露をお飲みになるために、寝床よりおいでになられたご様子でした。
 そのまま無言でおふたりは見つめあわれました。伏羲様はひきつった笑みで、普賢様は無表情に。
「お帰りなさいませ、伏羲様」
 普賢様は裾をつまみうやうやしく礼をなさいますと、そのまま踵を返しておしまいになられました。作法どおりの挨拶で文句のつけようがございませんでした。
 王様は不愉快そうな面持ちでお妃様の背を御覧になっておられましたが、やがて葉陰へ乱暴にお体を横たえられました。何故だかどうにも腹が煮えて、お休みになることができないようでありました。寝返りを何度もおうちになり、うとうとし始められた頃には夕方になっておりました。
 起きだした妖精たちがちりりちりりと羽を鳴らし、ゆったりと飛び交っております。ある者はベリーの出来を話し合い、ある者は木のうろで発酵させる酒の分配でもめています。森を荒らす二本足を道に迷わせた自慢話を披露している者も居ます。
「伏羲様、伏羲様」
 楊ゼンが青い羽をひらひらさせてスイカズラの近くにひざまづきました。伏羲様は眠たげなまま寝床から顔を出されました。
「夏至の日が近づいております。祭りの出し物を吟味していただきたいのですが」
「ふむ」
 太陽が7度昇る頃、妖精たちの力と気持ちがもっとも高まる一日がやってきます。その日は世界中の妖精たちの祝祭日なのです。この森に住まう彼らは、毎年趣向を凝らした出し物をして場を盛り上げるのでした。しかし楊ゼンがつらつらと読み上げる今年の演目は、どれもありきたりでいまひとつ王様は御興味をそそられないようであらせられました。
「……なんかこう、新鮮さがないのう」
「長年やっておりますからね。今年は旅芸人も少ないですし」
「歌も踊りも嫌いではないが、こうも同じ演目が続くとな。そういえば去年の珍しいキノコのダンスはよかったのう」
「あの舞踊団は都へいってしまわれましたので」
「ふむん。残念だの」
 伏羲様は楊ゼンが差し出した羊皮紙をお手に取られると、何度も読み返していらっしゃいましたが、やがて口の端を持ち上げられました。
「よいことを思いついたぞ」
「……はあ」
 楊ゼンは失礼にならない程度に眉をしかめました。王様がこのようなお顔をなされる時は、大抵ろくでもないことをお考えになっておられるからです。
「今年はわしがひとつ出し物をしよう。どうだ?」
「すばらしいお考えと思います。よろしければどのような内容なのかも教えていただけますと……」
「それは秘密だ。当日を楽しみにするがよい」
 ああやっぱり何か企んでる。楊ゼンはしくしくしてきた胃を押さえました。けれども王様のおっしゃることに逆らえるわけもありません。かくして企画書の一番下に題も不明なら詳細も不明の出し物の欄ができることとなりました。
 王様は機嫌よく楊ゼンを追い返すと、何やら楽しげに計画を練っておられました。一通りアイデアが出そろったところで指を鳴らされます。
「パックを呼べい!」
 パックはロビン=グッドフェロウとも呼ばれる森一番のいたずらっ子です。そそっかしくてうっかりもので、イタズラが過ぎてしかられることもままありましたが、どうにも憎めない人気者でありました。
 呼ばれた彼が王の元に参ります。そして……。
「……なんで俺がパックなんだよ。やり直しを要求する」
「そういうメタなセリフは言わぬが花だぞ。」
 パックこと王天君は、めんどくさそうに肩をすくめました。
「で、何すりゃいいんだ?アンタが俺を呼んだってことは悪巧みしてんだろぉ?」
「話が早くて助かるぞ。明朝、西の丘で最も色の濃い三色スミレの汁をとってきてもらいたい」
「何に使うんだ、恋わずらい花なんてよ。もちろん聞かせてくれるよな。片棒担がせといてだんまり決めこむたぁ粋じゃないぜ?」
「ふふん、おぬしの言い分はもっともだ。よし、特別に教えてやるとしよう」
 王様は王天君のとがった耳に、小声をお話になられました。
「じつは妃に一服盛ろうと思っているのだ」
「ほほう」
「あれはいつもツンとすましおって、じつにかわいげのない女だ。宴会でも浮いておることだし、この機会にひとつ親しみやすいところを見せて下の者との親交を深めるが吉と判じてのう」
「能書きはいらねぇよ。つまりあれだろ?嫁に一泡吹かせたいんだろぉ?」
「いやいやいやいや、わしは妃のためを思うてしているのだぞ」
 このふたり、ニヤリと笑うとそっくりでありました。
「というわけで三色スミレの花の汁が要るのだ。わしはそれを使って惚れ薬を作ろう。おぬしには妃が眠っておるあいだに、薬をまぶたに塗ってもらいたい。目が覚めた妃は運命の人とご対面、その一部始終を夏至の祭りに水鏡で皆に披露するという寸法だ」
「アンタの性悪さかげんにゃほれぼれするぜぇ。クックック……相手は誰にする?」
「おぬしに一任しよう。なるべく不細工で頭の足りないやつにするのだぞ」
「いいだろう、のってやるよ」
 王天君は不吉な笑い声をたてるとスウと消えました。西の丘へ下見にいったのでしょう。あるいはお妃様の旦那様候補を探しに行ったのかもしれません。
 伏羲様はスイカズラの茂みからお体を乗り出され、対岸を御覧になられました。宵闇の中で銀色に輝く普賢様のお姿を目に留められます。
「くっくっく、そのお高く止まった顔がどのように歪むのかのう」
 普賢様の横顔を眺められながら、伏羲様はニヤニヤと笑っておられました。
 
 *****

「さて、と」
 王天君は楡の木の上でブーツの具合を確かめました。ヒップバッグには小瓶がふたつ、ひとつは伏羲様がお作りになられた惚れ薬、もうひとつは自分で作った眠り薬です。それとクッキーの袋がひとつ。眼下にはユリの茂みがあり、いくつもの白い花が咲いています。
 なめらかな葉の上で4~5人の楽師が静かな音色を奏で、詩人が中つ国の物語を吟じておりました。もっとも立派なユリの花に、普賢様がいらっしゃいました。花弁に体を預け、夢見るような瞳で妙なる調べに聞き惚れていらっしゃいます。
 今日は夏至。妖精たちのお祭りの日です。
 しかしお妃様は、王様からじきじきに今日の祭りには出ずともよいと言われておりました。もとより人ごみの苦手なお妃様はすなおにその命令をお受けになられ、会場であるネイアードの長椅子から離れたこちらでゆっくりと音楽を楽しんでおられたのです。
 急に調べが止まり、普賢様は目を開けられました。あたりはしんと静まり返っています。
「木咤、木咤?」
 普賢様はお傍付の少年をお呼びになられました。いつもならすぐに飛んでくるはずの彼が返事もしません。代わりに姿を現したのは、王天君でした。
「よう奥さん、邪魔するぜ」
「あなたは王天君……。何用ですか?」
「預かり物を渡しに来たのさ」
 王天君がにまりと笑いました。普賢様はいぶかしげにショールをかき寄せられます。
「下に居た者どもはどうなったのです」
「王さんに呼ばれて長椅子まですっとんでいったぜ」
 お妃様は警戒を解かれません。王天君の言うことが信じられないのです。事実、彼の言うことはうそっぱちで、眠り薬をかがされた木咤と楽師達は地上に蹴落とされておりました。
「出所のわからない物を受け取るわけには参りません。出直しなさい」
「そうつれねぇ態度をとるもんじゃないぜ奥さん。そんなだからひとり寝が長いんじゃねぇの?それとも最初から股にクモの巣はってんのかぁ?」
 下品な言葉に普賢様は眉を寄せられました。意味は半分もおわかりになっておられませんでしたが、愚弄されたということはよくわかるものです。しかし王天君はここでひょいと肩の力を抜くとバッグの中から袋を取り出しました。
「というのは冗談でよぉ。お届け物はこっちさ。アンタの好きな木の実のクッキーだ。王からのお心遣いだぜ?」
 白い袋に金のリボンがかけられたそれは、牧場のニンフたちが焼きあげたお菓子でした。新鮮な牛乳から作られたバターをたっぷり使ったクッキーは、お妃様の大好物です。思わずおなかがくうと鳴りました。
「王が私に?」
「そうさ、せっかくの祭りだってのにひきこもってるアンタをかわいそうに思ってな。わざわざ取り寄せたんだぜ。受け取ってやりな」
 普賢様は手を伸べて白い袋をお受け取りになられました。
 王天君の唐突な出現や口車には不自然な点がいくつもありましたが、いと賢きお妃様といえど所詮は妖精、あんぽんたんなところもございます。何より、平時なら妃を気にも止めない王様が、自分を気づかってくれたことに感激していたのです。顔にこそ、出されませんでしたが。
 普賢様は王天君が見守る中で、するりと金のリボンをほどきました。中から甘い香りがあふれ、小麦色に焼けたクッキーが顔をのぞかせます。ひとつ御手に取られると、小さく割って口に運ばれます。カリと音がしました。
「……おいしい」
 お妃様はほっこりとお笑いになられました。
「王天君よ、お役目御苦労でした。王へは私が礼を言っていたと伝え……」
 言葉が途中で途切れます。普賢様は突然お体から力が抜け、倒れておしまいになられました。クッキーには眠り薬がたっぷりしこんであったのです。
「はい、眠り姫サマ一丁上がり、と」
 喉を鳴らして笑い、王天君は普賢様を抱き上げます。ユリの花に散らばったクッキーが、風に揺られてほとほととこぼれます。王天君はそのままスウと消えてしまいました。
 彼が再び姿を現したのは、森の東のはずれ、木々の間にぽかりとひらけた広場でした。古い切り株がそこかしこにあります。そのひとつに普賢様を横たえると、王天君は惚れ薬をとりだし、まぶたに塗りこみました。
「これで下ごしらえは終了。あとは仕上げだな。……ついでだ、お妃サマとけだものの世紀の恋を演出してやろうじゃねぇか」
 王天君は唇の端を笑いの形にゆがめ、またもや姿を消しました。
 あとにはこんこんと眠るお妃様が残るのみ。

 数刻後、ナイアードの長椅子では祭りが大詰めを迎えつつありました。
 白樺の舞台では役者達がアンコールに応えています。喜劇あり悲劇ありの見ごたえあるお芝居でした。次はいよいよ最後の出し物。盛り上がった雰囲気に、王様の監督、おまけに誰もその内容を知らないとくれば、いやでも期待が高まります。
 王様は九輪桜の玉座よりお立ちになられると、場を見渡し意味ありげに笑いました。
「皆の者よ、夏至の祭りもいよいよ残りわずかとなった。毎年知恵と力をしぼって座を盛り上げるおぬしらに、今宵はわしからひとつ見世物を出すことで労苦に報いたいと思う」
 身を乗り出してお言葉に聞き入る無数の妖精たちの前で、王は左手を掲げられました。すると池を満たす清い水の流れが、ゆるゆると回りはじめ膜でも張ったように虹色に輝き、中央が鮮明な像を結びました。切り株の上で無心に眠るお妃様の姿が映し出されます。
 何事かと見守る妖精たちに王はお言葉をたまわれます。
「この者は我が魔力により、目覚めて最初に見た者を恋するようになっておる。無論朝になれば溶けて消える淡雪のような恋ではあるがのう。さあ、雪解けの水のごとき冷たき王妃の恋の相手は誰であろうな」
 語尾が揺れて夜気に溶けました。酔いも回って残酷な本性をさらけ出した妖精たちは、興味しんしんで水鏡を見つめます。
 しばらく画面にはなんの変化もありませんでした。
 暗い夜の森と眠るお妃様の姿だけが映されています。
 やがて、ガサリと茂みをかき分けて、ひとりの妖精が姿を現します。
 ――鳥文化でした。
 水面を囲む妖精たちの顔が半笑いになります。
 ずんぐりむっくりとした姿がしめすとおり彼は獣の精霊で、妖精の中でもいっとう位が低く、空を飛ぶための羽すら持っておりません。
 顔はワニを叩きつぶして団子っぽく丸めたよう。祭りにあわせたおめかしのつもりなのか、頭のてっぺんにちょんとさした花がどうにも間が抜けています。中身のほうときたら、これが仲間からも首を傾げられるほどです。
 王天君のセッティングは、道に迷った鳥文化が普賢様を見つけるというシチュエーションなのでしょう。
 はたして鳥文化は普賢様を見かけると、背筋をピンと伸ばしました。目を皿のように見開いて、まるで雷にでも打たれたかのようです。頬が赤く染まりました。一目で恋に落ちた模様です。
『……なにやら筋書きが違う気もするが、まあよい。これはこれで面白い』
 王様のお考えでは、普賢様がブ男相手に恋焦がれる姿を笑ってやるだけでございした。どうやら王天君、鳥文化にも惚れ薬を盛った模様です。
 鳥文化は急ぎ足で切り株に駆け寄り、普賢様に鼻を寄せてふんふんと匂いをかぎます。気配を感じられて、普賢様が身動きをなさいました。紫の瞳がゆっくりと見開かれます。
 お妃様の頬に朱がのぼりました。そのままふたりは熱く見つめあいます。
「ぶっ!」
「ぎゃははははははは!」
「いやー!もうダメ!しぬ!」
 いたずら好きな妖精たちに、これは大いに受けました。
 何せいつも静かな、見ようによっては冷たくとりすましてらっしゃるお妃様が、よりによってあの獣の精の鳥文化と恋しあっているのですから。酒の勢いも手伝って、妖精たちは大声で笑い騒ぎ、ひやかしの声をあげます。
「わははは!ほら見てみろ楊ゼン、あやつときたらまるでうぶな小娘のようではないか!」
 妖精たちの反応に王様も上機嫌。次々と杯を重ねられます。
 見られているとは露知らず、お妃様は鳥文化と熱い視線を交わします。頬を染めてはにかむ様はたいへんに愛らしく、よけいに鳥文化の間抜け面が際立ちます。
 お妃様がふと微笑まれました。運命の人に会えたかのように。見守る妖精たちは腹の皮がよじれそうです。祭りは最高潮に達するかと思われました。
 が。
 王様の胸がちくんと痛みました。
『そんな顔、わしにも見せたことはないぞ……』
 ちくちくちくちく。針で刺すような痛みは次第に強くなっていきます。
『おぬしはいつもいつもツンケンしおって、にこりともせんではないか。それを、それを……』
 甘い酒を飲んでいるはずなのに、なんだか口の中がしょっぱくなってきました。王様は杯の中の残りをむりやり飲み干します。
『惚れ薬ごときで正気を失いおって。おぬしは仮にもわしの妃ではないか。わしに並ぶ力を持つはずではないのか。それがなんだ、いともたやすく醜態をさらしおって……おぬし、わしよりそやつのほうがいいとでも言うのか?』
 差し出される杯に酒をつぎながら、楊ゼンは不穏な気配に気づきました。王様の機嫌が目に見えて悪くなっていきます。
 鳥文化が一歩踏み出しました。切り株に座るお妃様に近づき、抱きおろします。そのまま柔らかな草の上に横たえました。何をしたがっているかは一目瞭然でした。多少お脳の足りない鳥文化は、目の前にふってわいた幸運に後先考えずかぶりつかずにいられません。
「ああいけません、私達まだ出会ったばかりですのに……」
 普賢様は恥ずかしげに微笑みながら、形ばかりの制止の声をあげられます。白い手は押しのけるどころか受け入れるように鳥文化の首にまわされています。

 夏至の夜、森の神霊が集うナイアードの長椅子。妖精たちのお祭り会場は、水を打ったように静まり返っておりました。
 水面には彼らの王妃と抜け面の獣精の甘くきわどいやりとりが音声付で映し出されております。見ているだけならば、確かに滑稽と言えなくもありません。
 パキンと硬い音が響きわたりました。彼らの王が木の実の殻の杯を握りつぶした音でした。こぼれた蜜酒が膝を濡らしましたが、王は頓着なさいません。永遠の若さと喜びを謳歌する祭りの玉座で、伏羲様は完全に目が据わっておられました。
 『どうやって逃げよう……』
 無数の妖精たちの考えていることは一つでした。
 誰も彼もが地雷を踏んだ心もちでありました。王の怒りがあとわずかで臨界点に達すると知りながら、最初の一歩が堪忍袋の尾を踏みそうで動けないのでありました。
 水鏡の映像はまだまだ続きます。
 獣の精らしいでかい図体を意に介さず鳥文化は普賢様にのしかかろうとします。つぶされそうなところを柔らかくかわし、普賢様は鳥文化に細い肢体をそわせました。長い舌で頬をなめまわされて、くすぐったげな笑い声をたてられます。
 そのうち鳥文化は普賢様の唇を吸おうと顔を寄せました。普賢様は頬を染めて視線をそらされましたが、やがて瞳を閉じ自分から唇をさしだされました。
 ――突風が吹きました。
 黒い風が祭りの場に吹き荒れ、水面を波立たせお妃様の姿をかき消しました。シロツメクサの精の子どもがひっくりかえってひゃんと鳴きます。風が過ぎ去った後の玉座に、彼らの王の姿はありませんでした。
 王は梢を貫き、弾丸のように飛んでいって、瞬く間に切り株の広場までたどりつきました。妃と獣の精が今まさに唇を重ねようとするその場所へ。
「ええい、やめだやめだ!このような茶番、酒の肴にもならぬわ!来い普賢!」
 伏羲様は大きく腕を一振りなさいました。王様の魔力で仕掛けられた恋は、この瞬間終わりを迎えたはずでした。
 しかし。
「……」
 あろうことか普賢様は鳥文化とひしと抱き合われたままではありませんか。
 お妃様が夫である伏羲様を見る目は、ロミオとジュリエットの逢瀬に踏み込んだパリスを見るがごとくです。
 予想外の展開に王様は一歩ひいてしまわれました。口数少なく起伏に乏しいお妃様が、これまでにない剣幕でにらみつけておられるのですから、よけいに。
「邪魔が入りました。あちらに参りましょう鳥文化様」
「うが」
 羽を広げた普賢様に、素直についていく鳥文化。
「……ま、ままま、待て待て!待つのだ普賢!」
 ようやく現世にお戻りになられたとおぼしき伏羲様が、大きな声で去り行く二人を呼び止められました。
「おぬしは惚れ薬を盛られておるのだ!夜が明ければ正気に返るのだぞ!後悔する前にわしの元へ戻って来い!」
 既に舞い上がっておられた普賢様は、ゆっくりと伏羲様を振り返られました。不吉なくらい、ゆっくりと。
「一夜の恋とおっしゃられるのですか」
 お妃様はゆるやかに微笑まれました。背筋が寒くなるような微笑でありましたが、伏羲様はとにもかくにも普賢様の足を止めたことに安心してしまっていて、その氷室を思わせる冷気にお気づきになられませんでした。
「そうだ、はしかのようなものだ。夜明けがくれば消えてなくなる儚いものだ。だからのう、わしの言うことを聞いておとなしく……」
「それなら、いつもあなた様がなさっていることと、同じではありませんか」
 普賢様のお顔は柔和な面のようでございましたが、吹きあがるオーラは青い炎のようであらせられました。
 ここに来てようやく伏羲様は、お妃様が激怒してらっしゃることにお気づきになられました。そして崖っぷちに立っているのは自分だという事実にも。
 たらたらとあぶら汗が流れます。
「の、のう妃よ」
 伏羲様は両手を広げられ、猫なで声をお出しになりました。
「何もそのような下賎な輩と一夜を過ごさずともよいではないか、おぬしは王妃なのだから」
「その王妃よりも『下賎な輩』をお気に召しておられるのはどこのどなた様でございましょう」
 一刀両断。ぐうの音も出ない夫を白刃のごとき眼光がねめつけます。
「私、聡明で貞淑な妻は今を限りとさせていただきます。よろしゅうございますね?」
 言い捨てると同時に普賢様は鳥文化を伴って梢の向こうへ去っておしまいになられました。

 取り残された伏羲様は、ぽかんと口を開けられたままふたりが消えた方角を御覧になられておりました。夜風が黒い羽を揺らします。
 まわらない頭で、伏羲様は一生懸命考えておられました。何を考えているかもよくおわかりになっておられませんでしたが、とにかく一生懸命でございました。王であれど結局妖精でしたので、小さな体に受けた衝撃はあまりに大きく、いろいろなものがスコンとはみ出してしまっておりました。
「えーっと……ここでわしが普賢を追いかけるとこうなってー、追いかけないとこうなってー……」
 小枝で地面にフローチャートなんかお書きになられたりして。
 追いかけなかった場合の未来予想図を伸ばしていくうちに、御手がぴたりと止まられました。
「待て!わしはまだ普賢とちゅーもしておらんのだぞ!」
 悲鳴のようなお声をあげられ、伏羲様はまたもや黒い風と化し普賢様の後を追われました。すぐにお妃様の居場所を探し当て、不埒なコトに及ぼうとしている鳥文化の後頭部に蹴りを食らわせます。
「何をなさいます!大丈夫ですか鳥文化様?」
「ぐおーんぐおーん」
 普賢様は痛がる獣の精の頭を抱き、よしよしと撫でさすられました。王は血管ぶち切れそうでございましたが、最高位の妖精たる矜持が辛うじて踏みとどまらせました。
 右手の手袋を引き抜くと、伏羲様はそれをふたりに向けて投げつけました。手袋はあやまたず鳥文化の背にあたり、ぺちんと間の抜けた音を立てました。
「勝負だ鳥文化。おぬしに決闘を申し込む」
「ふが?」
「下等な獣ごときに妃を寝取られたとあっては沽券に関わるでのう。さあ手袋を拾うがよい」
「……が?」
 長いセリフはわからない模様です。
「ぬがー!この卑しい獣めが!普賢、おぬしほんっとーにこやつと添い遂げたいのか!?」
 逃がした魚は大きいという言葉を知らんのか!とか、わしのほうがいい男だぞ王様だし!とか、ぎゃんぎゃんわめく伏羲様を無視し、普賢様は鳥文化の耳元に口をお寄せになられました。 
「鳥文化様、鳥文化様。ケンカして勝ったほうが私の夫になるそうですよ」
「……。……うが!」
 普賢様に翻訳していただいてようやく理解できたようです。とたんに鳥文化は殺る気満々。太い両腕を振り回し、伏羲様に向かって突進します。
「え、わ、ちょ、ちょっと待て!」
 伏羲様はあわててお腰の刀を抜かれ、宙を一薙ぎしました。これぞ王の威光の源。神聖な森へ押し入る邪悪な怪物や徒党を組んだ二本足ですら恐れ入る雷帝の一撃でありました。
 青みを帯びた刀身から鋭い電撃がほとばしり鳥文化をしとめる……はずでありましたが、頼みの綱の霊刀には、パリと静電気が走っただけでありました。
「ふんがー!!!」
 ガスッ。
 ひゅるるるるる、ぽて。
 魔法の使えない魔法使いなんてこんなものです。そもそも魔法というのは多大な集中力を要するものでありまして、御自身で思われる以上に動転しておられる伏羲様に雷を呼ぶことなど土台無理なのでございました。
「うぬう、不意打ちとは卑怯なり……」
 刀を頼りにふらつく体を押して立ち上がられる伏羲様。口の端からひと筋血をしたたらせるお姿はなかなかに悲壮で凛々しく、ここに詩人が居たならば荒波にすべて剥ぎとられ身一つで海岸に打ち上げられたオデュッセウスに例えることでしょう。
 しかし鳥文化は詩人からはほど遠く、そもそも情けですとか容赦ですとか手心ですとか情状酌量ですとかいった主人公補正に必要なものは持ち合わせておりませんでした。
「うが!」
 ゴスッ。
「ぬが!」
 ドゴッ。
「ふんごー!」
 メキョッ。
 ええ、情けなんてものはひとっかけらもございませんでした。
「鳥文化様、もうおやめくださいまし!」
 普賢様がお声をかけられると、ようやく獣の精は動きを止めました。普賢様は鳥文化の肩に両手をおかけになられ、眉を寄せて訴えられました。
「勝敗は決しました。私はあなたのもの。どうぞお好きになさってくださいまし。ですから、どうか、どうか、もうその辺で……」
 涙すら浮かべて懇願なさる普賢様に鳥文化はだらしない笑みを浮かべると、細い体をつかむように抱きこみました。ズーンズーンと腹に響く足音が去っていきます。後にはもみくちゃになった妖精の王様がぽてんと転がっておりました。

「はっ!」
 どれほど気を失っていたのでしょう。伏羲様がお目覚めになられると、お体は夜露で濡れておりました。あまりの痛みに立ち上がることもできない御様子でした。寝転んだまま首を回されますと、鳥文化の足跡がてんてんと続いています。
「わしは……」
 負けた
   ↓
 普賢は鳥文化のもの
   ↓
 今頃ふたりは夫婦に
「いやだあああああああああああああああああ!!!!」
 伏羲様は跳ね起きられると、地を走り始めました。彼が常日頃馬鹿にしている二本足のように。
「普賢はわしの妃だ!わしの妃は普賢しかおらぬのだあああ!!」
 普段は一息で飛びこしてしまえる落ち葉や枯れ枝やキノコが、彼の行く手を阻みます。王様はよじ登り、飛び降り、またよじ登り、息を切らして先を急ぎます。自慢の羽はくしゃくしゃで、服も手足も泥だらけ。霊刀もどこかに落としてしまったようです。
 ですがそんなことは気にも留めず、伏羲様はがむしゃらに走りました。朽ち葉に顔を叩かれ、木の根に足を取られて転び、そのたびに立ち上がり走り続けます。体中が痛くてたまりませんけれど、それより胸の奥のほうがひどく痛くて。
「ぐあっ!」
 伏羲様の足元が崩れ、浮遊感に襲われました。きまぐれなもぐらの掘ったトンネルの上だったようです。普段なら飛ぶこともできるのですが、今は背中の羽が用を為しません。伏羲様はなすすべもなく穴の中へ落っこちてしまわれました。したたか背中を打って、しばらく息もできない御様子でした。ほんのついさっきまで、祭りの玉座で悦にひたっていたというのに。
 ――なんでまたこんなことになったのかのう。
 穴の中から伏羲様は、ひっくり返ったまま月を見上げられます。
 木々の合間からかすかに見える月は病人のように青白く、痛む体を癒してはくれません。
 最初はただ、普賢のみっともない姿を見て笑ってやろうとしただけでした。
 それは普賢に腹がたってたいたからで。
 何故腹が立ったのかというと、普賢があまりに平然としているからで。
 例えば旦那の朝帰りの現場を見ても、何も言わないようなそんなヤツだからで。
 例えばあの場でなじるとか取り乱すとかしてくれたなら、多分腹も立たなかったからで。すまんとかごめんとか悪かったとか、わりと本気で謝って、きっともう浮気なんかしないからで。
「わしは普賢の夫なのだぞー……」
 どれだけ浮気しても眉ひとつ動かさぬとは、いくらなんでも心が広すぎるではないか。それともわしのことなど、どうでもよいのか。
 聞くのが怖くて、ずっと。
 婚礼の日にできた溝を埋めることもせず、せっせと墓穴を掘ってきたのは自分のほうで。心はずっと曇りで晴れる日なんてなかった。何で今頃それに気づくのか。
 腕を振った瞬間、惚れ薬は効力を失ったはずでした。なのにお妃様は自分ではなく醜い獣の精を選ばれ、決闘を挑むも返り討ちにされ、王としても夫としても男としても完膚なきまでにいいとこなしの、今頃になって。
「逃がした魚は大きいぞ、か」
 ほんとに逃がしてしまったのは……。
 目頭が熱くなって、大粒の涙がぽろりとこぼれました。苦い涙でした。涙はあとからあとから湧いてきて、王様にはもう止めることなどできないのでありました。
「普賢……!」
 一目でいい、もう一度会いたいと、王様は心の底から願われました。ですから。
「呼んだ?」
 穴のふちからひょっこりと普賢様が顔を出されて、伏羲様は本当に、これは真夏の夜の夢ではないかと思われたのです。

「泥だらけだね」
 普賢様はくすりと笑って、伏羲様の頬をぬぐわれました。飛べない伏羲様に普賢様が手を貸されて、おふたりは野薔薇のしげみの上にあがられたのです。清い夜風がかぐわしい香を広げ、おふたりを抱いた花をゆりかごのように揺らします。
「鳥文化はどうしたのだ?」
 伏羲様の問いに普賢様は後方を指差されました。ベリーの茂みの下に大の字になっている影が見えます。太平楽にいびきをかく獣の精は、野いちごを腹いっぱい食べてそのまま眠りについたようです。
「僕、苺に負けちゃった」
 すねたように唇をとがらせる普賢様が愛らしくて、伏羲様はつい笑ってしまいました。
「やっぱりキミは笑ってるほうがいいね」
 普賢様がふわりと微笑まれました。鳥文化に見せたものよりずっと優しく、柔らかく。
「……普賢も笑っているほうがよいな」
「そう?ありがとう」
 普賢様はさらに笑みを深くされ、伏羲様に体をお預けになられました。月の光に似た銀の輝きを持つお妃様の頬には、涙の痕がありました。
「泣いていたのか?」
「ちょっとね」
「わしのせいだな……すまん」
 伏羲様は体を離されると、普賢様に深々と頭を下げました。
「わしが悪かった。おぬしを苦しめたあげく笑いものにしようなどと、悪魔の所業としか思えぬ。この埋め合わせをどうしたらよい?わしは何でもしよう」
「顔をあげて。もういいから」
 普賢様は膝を寄せられ、伏羲様の頬を包みこまれました。
「薬を盛られているとは気づいていたよ。僕はキミと同等の力を持つからこそ、妃の選に残ったのだし。だからね、よけい悲しかった。キミが本当に僕をうとましく感じているのだと思って……。
 ずっと、我慢してたんだ。キミが僕を避けていても、僕を選んでくれたのはキミだから、いつかきっと僕のところに戻ってきてくれるって、そう信じて。でも、薬のことに気づいた瞬間僕は……キミが憎くなった」
 普賢様は視線をそらされました。声は静かで、悲しみを帯びています。
「だけどキミがね、鳥文化に殴られてるのを見ていたら、つらくてたまらなくなったんだ。涙が止まらなくて、やっぱり僕が好きなのはキミなんだって。追いかけてきてくれて、うれしかったよ。
 だから、だから言わせてね。ずっと我慢してたから、これだけは……」
 普賢様はお顔を上げられ、伏羲様を見つめられました。紫紺の瞳にみるみるうちに涙が盛り上がります。
「……望ちゃんのバカ、浮気なんかしちゃヤだ!」
 普賢様が伏羲様の腕の中に飛びこみました。子どものように声をあげて泣き崩れます。伏羲様はそおっと普賢様を抱きしめます。やさしいぬくもりを感じたとき、伏羲様の脳裏に浮かんだのは遥か遠い昔のことでありました。
 妖精は何もかも忘れてしまうけれど、たまに思い出すこともあるのです。まだふたりが朝露から生まれたばかりのがんぜない子どもだった頃のことを、伏羲様は夕闇に最初に輝く一番星のように、すっきりと明るく思い出すことができました。

『望ちゃん、お話ってなぁに?』
 小さな普賢が首を傾げます。
『あのな、俺、大きくなったら王様になるんだ』
 小さな伏羲は、その頃は望と呼ばれていました、得意そうに胸をはります。
『もう決まってるんだ。森の者すべての声を聞けるのも、魔法がいっぱい使えるのも俺だけだし、古木の爺さんたちだって俺が王様になるのがいいって言ってるんだ』
『そうなんだ、すごいね』
 普賢はにこにこと笑っています。
『それでさ、王様になったら、お妃様とケッコンしないといけないんだ』
『わあ、望ちゃんケッコンするんだ。きれいな人だといいねえ』
 とぼけた答えを返す普賢は、心の底から望の幸福を祈っていました。望はちょっとへこみましたが、めげずに続けます。
『妃選びの儀式っていうのがあって、たくさんいる中からお妃様をひとり選ばないといけないんだ』
 そこまで言うと、望はごくりと生唾を飲みこみました。
『お前、それに出ろよ』
『なんで?』
 きょとんと聞き返す普賢に望はだいぶへこみました。
『ああそうか、僕お客さんになるんだね。式なのにお客さん居ないのはさみしいもんねえ』
 いいよ、まかせといてと胸を叩く普賢に望は大層へこみましたが、がんばりました。めげませんでした。
『違うって、おまえがお妃になるんだよ』
『……なんで?』
 それでも望はくじけませんでした。この時のがんばりっぷりはなかなかどうして、大したものでありました。
『お、お妃様になるといろんないいことがあるんだぞ』
『たとえば?』
『一番美味しい苺が食べれるんだぞ』
『僕、裏の木の実で充分だよ?』
『一日中昼寝してても怒られないんだぞ』
『そんなに寝たら頭がとけちゃうよ?』
『お祭りの時、一番いい席に座れるんだぞ』
『僕、うるさいの好きじゃないよ?』
『うう……ずっと俺といっしょに居られるんだぞ』
 普賢はまばたきをすると首をひねりました。何かを考え込んでいるようでした。
 やがて顔をあげてにっこりと微笑みました。
『うん、わかった。僕、望ちゃんのお妃になる』

「普賢よ」
「なに?」
「わしの妃でいてくれるか」
「……」
「もう二度とわしは、このようなことをせぬ。おぬしを悲しませるような真似をせぬ。
 だから、わしの妃でいてくれ。おぬしを幸せにするのは、このわしでありたいのだ」
 伏羲様は真摯な瞳で普賢様を見つめられます。普賢様は涙をおさめて微笑まれ、伏羲様の手をお取りになりました。
「ちゃんと僕をキミのものにして、もう二度とこんなことがないように」
 ささやくような声音がぞくりと背筋を震わせました。間近で見上げてくる瞳が紫水晶のようで、伏羲様は引きこまれそうな心持になられます。そのまま顔を寄せ、口づけようとなさいました。
 けれどその瞬間、婚礼の夜の失態が稲妻のように脳裏を駆け抜け、口づけは直前で止まりました。伏羲様は苦しげにのどをふるわせますが、どうしても普賢様の唇に触れることができません。
「望ちゃん……大丈夫だよ」
 普賢様は伏羲様の背へ包み込むように腕を回され、御自分から唇を重ねられました。触れるだけのキスをくりかえされ、桃色の舌先がちろりと唇を舐めあげます。誘い出されて舌を絡めた伏羲様は、糸が切れたように細い体を抱きこむと押し倒されました。水音が耳につくほど長く深い口づけをかわします。
 次第に息が上がってきたおふたりは、互いに互いの衣服を脱ぎ落とされました。貪るような口づけを続けながら生まれたままの姿で肌を触れ合わせます。ようやく唇が離れたときには、おふたりは汗ばんだ肌で抱きあっておられました。
「すまぬ、なるべく優しくしたいが……」
「いいよ、好きにして。この身も魂もキミのものなのだから」
 微笑むお妃様を見つめる王様は、薬なんてなくても恋に落ちることができるのだと知ったのです。
 普賢様の肌は上気して薔薇色に染まっておりました。細い肢体のあたたかさが伏羲様を酔わせます。なめらかな肌を音を立てて舐めあげ、そこここに所有の印を落とし、片手で普賢様の腰を抱き寄せられると、もう片方の手で胸の赤い突端をつままれます。
「……ん!」
 普賢様のお体がびくりとふるえ、白い喉がのけぞりました。押しつぶすようにこねまわすたびに、小刻みに体が動きます。普賢様の耳たぶを甘噛みなさいながら、伏羲様は腰を抱いていた手をじわじわと進めていかれました。たどりついたそこは既に蜜であふれていて、指先にくちゅりと粘ついた感触がいたします。中指で入り口をまさぐり、ゆっくりと飲みこませます。根元まで埋まってしまうと内側を撫でるように指を動かされました。
「は、あ……」
 普賢様は切なげに睫毛をふるわせられると、細い手を伏羲様の腹の下へすべり落とされました。熱く立ちあがったそれに指先を絡ませます。触れてはみたもののどうしていいのかわからない御様子で、やわらかく握りこんだまま恥ずかしそうに目を伏せられてしまいました。伏羲様は頬にキスをすると指を引き抜き、濡れた御手で普賢様のやさしい手をはずされ、両の足の間に割って入り空色の髪を撫でられました。
「ゆっくりいくからな、つらかったら言うのだぞ」
「ん……望ちゃ、ふ、は、あああっ!」
 いたわるような口づけをなさると、伏羲様はゆっくりと腰を進めていかれます。初めて夫を受け入れるそこは慣らしてもまだきつく、先端を埋めこむのでさえ時間をかけねばなりませんでした。
「大事ないか?」
「……ん、だいじょう、ぶ……」
 伏羲様ははやる体を抑えて普賢様が呼吸を整えられるのを待ちました。やさしいキスに徐々に落ち着きを取り戻し、普賢様の御体から力が抜けていきます。少しずつ少しずつ押し広げて、とうとう一番奥まで入りこみます。すべてを普賢様に包まれて、伏羲様はたまらず熱い息を吐きました。
 普賢様を抱きしめられ、濡れた赤い唇に接吻をほどこすと動き出されます。最初はゆるやかに、段々速く。
「ん、望ちゃん……ふあ、あ、はあ、望ちゃん……」
 突き上げられる感覚に身をよじらせ涙をこぼし、普賢様は伏羲様を受け入れられます。濡れた瞳が映すのはただひとり、夫たる伏羲様だけでありました。
「すまん……すまん、ちと我慢できそうにない」
 何度目かの熱い口づけの後、伏羲様は普賢様の腰を抱えこまれました。それから激しく動き出します。狭い内側を穿ち、最奥に突き立てこじあけるように何度も何度も。
 望んでいた快楽にすべての理性を焼き切られ、意地もプライドもすべてもうどこにもなく、ただひたむきな恋の情熱だけがその身にありました。炎のおもむくままただひとりの妃を求めます。
「あ!う、ああ!望ちゃ、好き……好き!」
 苦しげに切なげに普賢様は声をあげられます。なすがままに揺さぶられながら、それでも普賢様は伏羲様から離れようとなさいません。すがりつくように腕をまわされ、肩に頭を押しつけられます。
「ん、普賢……普賢……!」
「望ちゃん、望ちゃん……ん、ふあ、ああああっ!」
 何度も名を呼びあって、くりかえし口づけて、一気に駆け上った高みにふたり白い空を見ました。濁ったものすべて焼き尽くした清浄な白を、ふたりは共に見たのです。

「王様ー、お妃様ー!」
「伏羲さま!普賢さま!いらっしゃいますかー!」
 決死の、主に八つ当たりを恐れた、捜索隊がベリーの茂みにたどりつくと、王様とお妃様は仲良く手をつないで薔薇の上に座っておられました。
「おふたりともご無事でしたか!ようございました」
「おう皆の者、大儀だのう」
 先頭の楊ゼンが胸をなでおろすと、伏羲様はにへとお笑いになって御手をヒラヒラさせられました。その様子を御覧になられて普賢様がくすりと笑われます。不仲で知られたおふたりが嘘のようです。そこはかとなくすっきりして見えるのは何故なのでしょう。
「王様ー、祭りのしめが残ってるんでちゃっちゃと戻ってくださいよー」
「そうでした。お戻りください伏羲様。先ほどの件で他の妖精たちも動揺しております」
 韋護の言葉に襟を正した楊ゼンに、伏羲様は立ち上がられ大きく伸びをなさいました。汚れていた衣装も黒蝶の羽も、月の光の魔力をたっぷり受けて元の通り威厳を感じさせるたたずまいに戻っています。霊刀もまた、主人の腰で落ち着いた輝きを放っておりました。
 伏羲様は普賢様の御手をお取りになられ、共に野薔薇より降りられます。その立ち居振る舞いは柔らかく自然で、春風のように優しいものでございました。付き添われる普賢様も、ごく身近な者にしか見せなかった心安さをまとっておられます。
 不思議そうにおふたりをながめる楊ゼンの肩を、韋護がぽんと叩きました。
「そうじろじろ見てやるもんじゃないだろ、新婚さんってのはよ」
「新婚?おふたりは御成婚なさって随分たつと思うのだけれど」
「いやいや、そこは察してやろうぜ楊ゼン」
「どういうことだい?」
「どうにもお前は野暮だよなあ。さあ当てられる前にとっとと戻ろうぜ、な?」
 いぶかしげに首をかしげる楊ゼンの両肩を韋護はぐいぐい押していきます。つられて腰を上げた一行をながめ、おふたりは微笑みあわれました。
 ほどなくして一行はネイアードの長椅子に戻りました。別人のように仲睦まじいおふたりのご様子にすわ泥沼かと危惧していた妖精たちもほっと一安心。祝い酒とばかりに呑みなおしが始まり、新しい酒樽の封が切られます。
 夏至の日の最後のひと時は、笑顔にあふれた長い長い宴会で、にぎやかな歌声はいつしか子守唄へ。吹く風の色が紺から青に変わり、揺れた梢に小鳥が飛び立つ頃、森は新しい一日を迎えました。
 山のてっぺんから、太陽が最初の光を投げかけました。森の中にも金のべールは届きます。
 ナイアードの長椅子の周りは、酔いつぶれた妖精たちでいっぱいでした。誰しもくちた腹をさすりながら、幸せそうな寝顔をさらしております。
 九輪桜の上でお休みになられていた伏羲様が目を開けられます。腕の中では普賢様が安らかな寝息をたてておられました。伏羲様が細いお体を抱きなおすと、普賢様もまたお目覚めになられました。
 そして朝の光の中で、おふたりはいつまでも優しい口づけをかわしあっておられました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
楊「結局不仲の原因はなんだったんだろう?」
韋「初夜のとき緊張しすぎて勃たなかったらしいぜ!」
 
 
 おしまい。
 

COMMENT

■ノヒト ... 2007/06/07(木)04:21 [編集・削除]

最後の最後でしょっぱい気分になっていただけると私の勝ちです。

書いても書いても終わらなくてどうしようかと思いましたが、なんとか形になってよかったです。
楽しいリクありがとうございました!