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SS~黒い羊の歌う歌

 
「普賢姉!いっしょに帰ろ!」
 
 ※現代 暗い 死んでる
 ※オリキャラ出没注意 義姉弟設定
 ※普賢姉は「ふげんねえ」と読んでください。
 
 
続き
 
 

 
 
 隣の席に座った人を見て、私はつい目を丸くした。
 中学校での有名人だったからだ。
 彼女のほうでも私を覚えていたらしく、こちらを見て会釈をしてくれた。
 話しかけようとした途端に予鈴が鳴る。私はおとなしく席に着き、胸の花飾りのずれをなおした。
 ドアが開き、おだやかな顔つきの初老の教師が入ってきた。まだ日直も決まっていないので、彼が号令をかけると、ついさっき入学式を終えたばかりの新入生一同はばらばらと立ち上がった。
「入学おめでとう皆さん。既に紹介されましたが改めて、私が担任の……」
 教壇で先生が挨拶を始めたけれど、午後の授業で聞いたら眠ってしまいそうな声では、教室を支配するうわついた空気を退けることはできなかった。空気の正体は、今日から始まる高校生活への期待だけではない。
 私はちらちらと隣へ視線をやる。中学から持ち上がりの子はみんなそうしていた。つられて外部生まで彼女を盗み見る。
 隣の彼女、名は普賢という。
 有名なのはいかめしい名前のせいではない。どちらかといえばおとなしく控えめな、はっきり言うと地味で目立たない子だ。
「ねえ、来ると思う?」
 前の席のまなみがこっそり振り返った。小学校からの親友は私に小声で話しかけてくる。
「どうだろ。高校だもん」
「あたしは来るに一票ね」
 そう言ってまなみはにやりと笑った。
 先生からの言葉も終わり、生徒同士の自己紹介も終わった。日直も決められ、入学後の儀式は、つつがなく終了していく。裏では有名人普賢とその理由が着々と広められていき、帰りのHRが始まる頃には事情を知らない生徒は居なくなっていた。終わりが近づくにつれて、教室のうわついた空気はさらに濃くなっていく。
「……それでは皆さん、明日からの授業でまたお会いしましょう」
 先生が眉の下のまぶたをしょぼしょぼさせると、日直が立ち上がり起立を唱える。今度はびしっと立った生徒一同、誰も先生なんか見ちゃいない。隣の彼女への興味は頂点に達していた。教室中の視線に晒されて、普賢は困ったようにうつむいている。
 号令に合わせて粛々と礼をした、その時。
「こ、こら!勝手に入っちゃいかん!」
「やかましい、再来年には生徒だっつーの!ふーげーんーねーえー!」
 廊下の端から聞こえてきた叫びに、教室中が爆笑した。
「ほら来た!ゆみえ!あたしの勝ち!」
「賭けてないじゃん!知らない知らない!」
 私とまなみはお互いの肩をばんばん叩きながら腹を抱えて笑った。普賢は両手で顔をおおってしまった。みみたぶまで真っ赤だ。
 教室のドアががらりと開け放たれる。
「普賢姉!いっしょに帰ろ!」
 満面の笑みを浮かべて扉にしがみついてるのは、中学の詰襟を着た男の子だ。うしろでジャージの教師が彼を引っぺがそうと躍起になっている。
 これが彼女が有名人なわけ、超絶シスコン弟、望くんだ。ふたつ下の彼は幼稚園の頃から姉である普賢の後をついてまわってるとのうわさだ。『いっしょに帰ろ!』攻撃のすさまじさときたら職員室でも語り草になっているらしい。
「戻りなさい!中学校はまだ午後も授業があるだろう!」
「いーや、ダメだ。普賢姉には俺がついてなきゃな!というわけだ離せ、このわからず屋ども!」
「何を言うか!いいから戻りなさい!」
 ドアをつかんだまま汗だくでの攻防に笑いすぎて息が苦しい。普賢の事情を聞いても半信半疑だった子たちもいっしょになって笑ってる。あ、扉めきめき言ってる。うちの学園古いからなあ。
 怒鳴りあいを続ける弟のもとへ、顔をあげた普賢がつかつかと歩み寄った。
「……いいかげんにしなさい」
 一言で教室中がしずまった。私の知る限り、普賢はいつも静かに笑ってる子で、怒り心頭な顔なんてはじめて見た。特に声を荒げてるわけじゃないけど、威圧感がすさまじい。ブリザードが吹き荒れてるのが目に見えるよう。
「いくらなんでも度を越してます。授業をサボるなんて、そんな子はうちの弟じゃありません」
「そんなぁ!」
 望くんが悲痛な声をあげた。教師相手には威勢が良かったのに、眉もハの字になっている。
「わかった、普賢姉を送ったら学校戻る」
「そういう問題じゃありません」
「じゃ、じゃあさ、待ってて、俺が学校終わるの」
「望ちゃん」
 普賢はにっこり笑った。怖い、なんかすごく怖い。
「もう二度と、迎えに来ないで」
 一言一句はっきりと発音し、普賢は踵を返した。あっけにとられた私たちの間を通って席へ向かう。進路に居た生徒は皆一歩下がって道をあけた。最初に我に返ったのはジャージだった。
「さあ君、戻るんだ!」
「は、離せ!普賢姉!ふーげーんーねーえー!!」
 望くんは未練たらしく扉にかじりつく。そこへ廊下の奥から複数の足音が聞こえた。中学校からの加勢みたいだ。見知った顔の先生たちがネクタイを胸ポケットにつっこんで腕まくりをする。
「チクショウ普賢姉ー!6・3・3制反対ー!」
 ひきずられていく望くんの叫びが本日のフィナーレだった。

「……なんかかわいそうよね」
「そお?あたしは面白いけど」
 学校帰りのハンバーガーショップでポテトをかじりながらまなみが言った。入学式から一ヶ月。高校にも慣れてきた。
 そしてあいかわらず望くんは毎日彼女を迎えに来て、そのたびに泣きながら先生に引きずられていくという日々を過ごしている。まあ、そんなのは中学の頃からなんだけど。変わったのは、彼女が無視を決め込むようになったということ。中学まではなんとか時間をやりくりしていっしょに帰ってたみたいなんだけど、さすがに高校ともなると。
「あれだけおねえちゃんべったりだったら、さぞかしきついと思うんだけど。最近必死度あがってる気するし」
「普賢姉には俺がついてなきゃダメなんだ!だっけ。目ぇマジだったよねアレ」
「あんなの言われたらひくよね。うちも弟いるけど、第一自分から話しかけてくることほとんどないよ?」
「そりゃ嫌われてんのよ、あんた」
 う、やっぱりか。
「でもさでもさ、望くんはおかしいよね、絶対」
「だよねー。中2の頃にね、ひとみんちで彼女呼んでお誕生日会やったのよ。そしたらついて来たのよ望くん、呼んでもないのに」
「うわ、そんなことあったんだ。カワイソ」
「あんな弟居たら彼氏も作れないし、あたしだったら家出するかも」
 なんて言うまなみの右薬指には銀色のリングが光っている。学校でははずしてポケットにいれてるやつだ。この前、落としちゃって真っ青になってたけど、新しいの買ってもらったらしい。
「望くん、普賢さんのことカノジョだって思ってんじゃないの」
「弟なのに?でもちょっと気持ちわかっちゃうなあ……」
「マジで?ゆみえおかしいんじゃない?」
「ちょっとよ、ちょっと。ちょっとだけだってば」
 あわてて手を振りながら、私は学校での彼女の面影を頭の中で追う。
 おなかいっぱいの午後の授業は聞いてるのもだるくって、視線を外にやればちょうど窓際の彼女が目にはいる。
 くせっけがちの普賢は髪を短くしているけれど、前髪だけは少し長い。そのせいで彼女の瞳が隠され、薄く開いた口元だけがのぞける。先生の話にうなづく、そのたびに揺れる前髪の下、唇がやけに柔らかそうに見えて困る。
 彼女の指はとても細い。その手がふるぼけた紫のシャーペンに添えられ、ノートを几帳面な字で埋めていく。そんな時たいてい、窓の外は陽光で真っ白で。彼女の白い肌とあいまってそのまま春の空に溶けていってしまいそうな気がする。
「なんかさあ、儚げ?って感じ?俺が守ってやるー!って感じじゃん?」
「あー、わかるかも。でもけっこう気強いよね。あたし普賢さんがカネセン言いまかしてるの見たことあるよ」
「ほんと?勇気あるねえ。あいつ生徒食ってるってうわさなかったっけ」
「目ぇつけられてたらしいよ、だからじゃない?」
「えー、ほんと?」
「うわさだけどね。そういえば一昨年卒業した先輩の中にさ……」
 そのまま話はうつって、気がつけば6時が近い。私はあわてて席を立ち、まなみと別れて塾へと走った。
 私たちの学校は授業のレベルが高くて、塾にでも行かなきゃやってられない。小・中・高の一貫した教育を売りにする学園だけど、一番の売りは有名大学への合格率だ。クラスも最初から諦めてる派と受験戦争を受けて立つ派ではっきり分かれている。けれど、最初から諦めてる派でも、そこそこの大学へは受かることができる。そんな学園だ。
 蛍光灯で光るホワイトボードを目で追いながら、ノートをとっていく。この講師は板書が多くて嫌われてるけど、写すだけだから授業は楽だ。ノートを書き写しながら、普賢のことを思い返す。目立たない子だけど、学力だけは頭ひとつ分ぬきんでていて、名は体を現すよねなんてまなみに感心されていたっけ。あれだけ頭がよかったら、こんなとこ来なくていいんだろうなあ。
 夜はまだまだ寒く、暖房が中途半端に効いてて頬だけ火照ってきた。羽虫が蛍光灯にコツコツとぶつかっている。
 9時を過ぎる頃ようやく塾が終わり、解放された生徒がぞろぞろとビルの入り口から吐き出されていく。私は外に出た瞬間、あまりの寒さに身を縮こまらせた。後ろからやってきた誰かが、私にぶつかった。
「ごめんね」
 ふりむくとそこに立っていたのは窓際の彼女だった。ぼんやりした蛍光灯に照らされた普賢の姿に、彼女が夜の闇から浮き上がってきたような錯覚を覚える。驚いて立ち尽くした私に彼女は小首を傾げて微笑んだ。
「どうしたの?」
「あ、えと、普賢さんも塾来るんだなって思って……」
 心底意外そうな私に、彼女は目元をやわらかくゆるませた。
「見学に来たんだ」
 私はなんとなく彼女といっしょに夜道を歩いた。駅前の繁華街は再開発の真っ最中で人通りは少ない。ぽつぽつと言葉を交わす私たちの横を、ひっきりなしに車が通り抜けていく。
「意外」
「そう?」
「普賢さんって勉強できるから」
「勉強と受験対策は別物だもの」
「えらいなあ、私なんて授業についてくのが精一杯なのに」
「そんなことないよ」
 口元に手をやってくすくす笑うと、彼女はふと遠い目をした。
「ほんとはね、憧れだったんだ」
「塾が?」
「うん。ほら、うちって望ちゃんがああだから」
「あー、うん、ああだからねえ」
 にごった返事を返す私に普賢は苦笑した。こんな風にいろんな笑顔ができる人だって今知った気がする。いつも彼女は静かに微笑んでいて、それは無表情よりもさらに透明で近づきがたい印象を抱かせていた。
「望くんって、その、変わってるよね」
「そうだね。少しは、姉離れしてくれるといいな」
「めんどくさいでしょ」
「正直それもあるけど、このままじゃ望ちゃんのためにもよくないから……」
「そっか」
 彼女の横顔は澄んだ憂いを帯びていて、拒絶は心から弟を思ってのことなのだと知れた。普賢にそんな顔をさせることのできる彼を、私は少しだけうらやましく思う。
「もちろん、いろんなことに挑戦してみたいってのもあるよ。せっかく高校生になったんだから」
「お、やる気だね。私もなんかがんばろって気になってきた。やっぱり勉強ばっかじゃつまんないよね」
「ふふ、ゆみえさんどんなことしてみたい?」
「うーん、そうだなあ。バイトしてみたいな。お小遣い足りないし、自分でお金稼ぐのってあこがれるじゃん?ほしいものいっぱいあるもん。普賢さんは何かやりたいことある?」
 彼女はちょっと眉を寄せて、恥ずかしげに口を開いた。
「……友達がたくさんほしいな」
「ともだち?」
「うん。学校帰りに友達とマック寄ったり、塾行ったり、日曜に買い物いったり、そういうことしてみたい」
 うっかりふきだした私に、普賢は笑わないでと顔を赤くした。
「なーんだ、そんなの。いっしょに行こうよ、私と」
「いいの?」
 普賢が目を丸くする。立ち止まった彼女が今から私の友達になるのだと思うと胸が高鳴った。
「私とまなみ、いつも帰りにつるんでるから。いっしょに遊ぼ」
 彼女は穴が開くほど私を見つめたあと、ほんのりと微笑んだ。
「じゃあ今から友達だね」
「うん。友達、よろしくね普賢」
「よろしく、ゆみえさん」
「呼び捨てでいいよ、私もそうしてるし」
「で、でも急に呼び捨てなんて……」
「じゃあちゃん付けね。慣れたら呼び捨てだよ」
「ゆみえ……ちゃん?」
「そうそう」
 私の笑顔に、普賢も笑った。ほっこりと白い息が上がる。
「ありがとう」
「なんでお礼なんか言うの、友達でしょ?」
 ありがとうと、彼女はもう一度言って晴れやかな笑みを見せた。その笑顔だけで、私は充分に彼女の手をとる気になった。右手に触れると普賢はかすかに首をかしげ、それから握り返してきた。
「ふふ」
「ふふふ」
 笑いあって、手をつないだまま夜の歩道を歩く。もこもこしたダッフルコートより、彼女の手のほうが暖かかった。
 ふと、普賢が立ち止まった。つないでないほうの手をあげて、前を行く制服の女の子を指さす。
「あれ、まなみちゃんじゃない?」
「ほんとだ。おーい、まなみ!」
 私はつい彼女を置いて駆け出してしまった。普賢が友達になった事実を、一刻も早くまなみに告げたかった。いっしょに喜んでほしかった。
 だけど、追いついて声をかけた相手はまったくの別人で。よく見れば背格好もちっとも似ていない。何故その人をまなみと見間違えたのか。かすかに疑問に思いながら、私は照れ笑いを浮かべて普賢を振り返り、そして見てしまった。彼女の頭の上に鉄骨が降ってくるのを。
 
 ぐしゃ。
 
 お葬式は土曜日だった。
 参列者は案外多く、男子の姿もあった。女子は皆おおいに泣いた。私もまたハンカチじゃ涙に追いつかず、まなみにハンドタオルを借りるはめになった。
 普賢の母親は嗚咽を必死にこらえ、父親はそんな母の肩を抱いている。出棺の時が近づき、棺の蓋に釘が打ち付けられる。槌が釘を打ちはじめると、母親は棺に取りすがった。
「閉めないで閉めないで、閉じこめないでください!この子はまだ15で、まだ15で!」
 あとは言葉にならず、臓腑を搾り出すような嘆きが響くだけだった。
 弟は、望くんはというと、存外にしっかりと背筋を伸ばし、硬い表情で棺を見つめていた。わずかに口元が緊張しているだけの無表情は、どこかそっけなく悟ったような感じで、あれだけ姉のあとをついてまわっていたくせにと、私は理不尽な怒りを感じて彼をにらみつけた。
 むかむかしながら斎場へ向かう車を見送り、やっぱりむかむかしながら式場を後にした。あんまり気分が悪くて、まなみと別れた後も私は夕暮れの河川敷をうろついた。
 水のうえを渡ってくる風は冷たかったが、気にならなかった。空がじっとりと赤く、重く、なんだか血に濡れているように見える。私の目の前で花のように散った鮮血は心にべっとりとへばりつき、これから私の歩く道に花色の足跡を残すのだろうか。それとも、多くがそうであるように、私は少しづつ彼女を忘れていき、靴痕が赤いことも忘れてしまうのだろうか。
 にぎった彼女の手は暖かく、もう二度と触れられないのだと思うと気持ちが打ち沈んだ。あの日、喜んでいた彼女。友達がほしいといった彼女。思い返せば、教室ではいつもひとりでお弁当を食べていた。弟につきまとわれて、きっといろんなことを諦めてきたんだろう。これからはたくさん、楽しいことに出会っていくはずだったのに。
 堤防に人影を見つけた。草むらの上に腰をおろしている。夕暮れに溶ける黒いシルエットに近づいてみれば、彼女の弟に他ならなかった。
「……なんであんたがここにいるの」
 彼は私を一瞥し、すぐに視線を川へ戻した。途端に、私の中でぷつんとなにかがはじけ飛んだ。
「バカじゃないの!?なんでここにいるのよ!今日普賢のお葬式だったのよ!なんで身内のあんたがここにいるのよ!普賢姉普賢姉って、毎日迎えに来てたじゃん!大事だったんでしょ!なんでここにいるのよ!」
 怒鳴りまくってるうちに、涙があふれてきた。何を言ってるのかもよくわからなくなってきて、私は地べたに座り込んでわんわん声をあげて泣いた。しゃくりあげる私を、彼は静かな目で見つめていた。
「人にはそれぞれの悲しみ方がある」
 ため息とともに紡がれた声は老人のような響きだった。妙な違和感を感じて、私は彼を見上げる。
「だが、そうだな、わしは薄情かもしれん」
 自嘲に似た笑みを口元に浮かべる望くんは、中2男子には見えなかった。まるで大木のように長い長い年月を経た老賢人のようで、外見と内面が乖離したまま重なっている、そんな違和感を抱かせた。
「恥じているのだ、わしは。またも失敗したと、己のふがいなさを悔いているのだ。それはやはり、死者への哀悼とは呼べまいよ」
 ぽかんと口を開けたまま、私は彼の言葉を待った。骨の髄からじわじわと全身にあふれてくる感情は、畏怖と呼ぶべきものだろうか。超越したなにかが、今目の前に居ると、私の中の本能が叫んでいる。
「代理自殺者」
 吐き捨てるように彼は言った。
「他者の業を背負い、身代わりと成る定めの者。
 その生は幸福と未来への生贄、その死は繁栄と存続の捨石。その口がすするのは悲嘆の泥水、その胎に宿るのは憤怒と憎悪の双子。右手に不幸、左手に不運、道連れにはじけて消え、生まれ変わり死に変わり、何度でもくりかえす羊の一生」
 謳うようにつむがれる言葉は、私の頭に水のように染みとおっていく。同時にビデオを早送りにするように私の頭の中を映像が高速で通り過ぎた。塾、塾で勉強してる私、自分の部屋、自分の部屋で勉強してる私、学校、学校で空をながめてる私、テスト、勉強、テスト、勉強、1年、2年、3年、テスト、勉強、テスト、勉強、下がってく成績、怒ってるお母さん、志望校に足りない点数、模試、Dランク、Dランク、模試、模試、模試、Dランク、Dランク、学校、学校、まなみの笑顔、学校、テスト、怒鳴るお母さん、馬鹿にする弟、あがらない成績、封筒に入れたままの願書、ポストじゃなくてどぶに捨てた願書、学校、屋上、遺書、さかさまの青空、靴の先に見た青空、ぐしゃり。
 私の代わりだったの?
 さっきまでとは違う涙が頬を伝っていく。
「そうだ。あやつは代理自殺者。西方の異教にかぶれ、衆生を救うためなどと世迷言を真に受けて、いつ果てるとも知れぬ苦行を自らに課しこの世を彷徨っているのだ」
 望くんの声は静かだったけれど、にぎりしめた彼の拳を見れば内側に感情が渦巻いているのがわかる。憤りと、悲しみ、切なさ、愚かしいまでの。
「生を受けても、あやつは数年でこの世を去る。腹の中にいるうちに命果てることもたびたびだ。この世には業があふれ、あやつの背骨には荷がかちすぎる。だがあやつにはそれがわからぬのだ。身を呈して浄化を続ければ、いつか必ずすべての業が消えうせあらゆる命が悲しみから救われるとかたく信じているのだ」
 彼は拳で心臓のあたりを叩いた。胸のつかえを砕くように。
 ぼんやりした頭で、私は毎日学校で聞いた彼の叫びを思い出していた。普賢姉には俺がついてなきゃダメなんだ。言葉は事実で、そっくりそのまま真実だったのだ。
「……あなたが、普賢を守ってたの?」
「そのとおりだ。わしはすべてから完全に独立した永久機関。輪廻の特異点。運命の真空地帯。台風の中の目。あらゆる波のしずまる凪。わしがついていれば、普賢は他者におびやかされることなく天寿をまっとうできる」
 彼が踵を返す。
 探しに行くのだと気づいた。どこに生まれ落ちるかもわからない彼女、あるいは彼を。きっと彼は、長い長い時を普賢の魂を守るために費やしてきたのだ。何度も失敗してきたのだろう、今回のように。諦めていないのだ、それでも。
「待って!」
 思わずその背に声をかけた。
 私は何を言うべきか迷い、悩んで、何度も唇を舌で湿した。彼はじっと待っていてくれた。一生懸命考えて考えて考え抜いて、私は。
「普賢に、会ったら……ずっと友達だよって、言ってね」
「伝えておこう」
 彼はかすかに笑い、そして前を向きまっすぐに歩いていく。
 黒尽くめの背中に、夕暮れの赤がにじんでいる。その影が長く長く尾を引いて、まるで大きな鳥の翼のように見えた。