「これは何?」
「リンゴという」
※暗い わけわかめ
見るからにおいしそうな果実だった。
真っ赤に熟れた実はずいぶんと大粒で、大人の握りこぶしほどもある。すべらかな表皮は磨きぬいた宝石のよう。手のひらに乗せるとずっしりと重く、鼻を押しつければあまずっぱい香りが胸に満ちる。
思わず口をつけそうになって、普賢はあわてて果実を望の手に戻した。
「これは何?」
「リンゴという」
普賢の様子に、望はのどを鳴らして笑う。機嫌がいいときの彼の癖だ。猫が笑ったならきっとこんな感じなのだと、普賢は思う。細めた目で普賢を見据えて、望は果実を顔の前に掲げる。
「寒冷な地域でよく採れる。西胡ではよく見る果物だ」
言いながら望は手に持ったリンゴを回して見せる。日に当たっていなかったのだろうか、表は目の覚めるような赤なのに、裏側は緑がかった白でいくぶん貧弱に見える。
「半分こにしような。白いほうはわしに、赤いほうはおぬしに」
くるりくるりと、目の前でリンゴがまわる。赤と白が互い違いに現れて消える。鮮やかな赤に魅せられて普賢はうなづいた。
望がリンゴに手をかけると、まるで最初からふたつだったように真中で割れる。胸をときめかせる香りが一気に広がる。誘われるまま、差し出された片割れを受け取って一口かじった。
「いらんのか?」
呆れた声をかけられて、普賢ははっと顔をあげた。
目の前には大粒の果実。見るからにおいしそうな。すべらかな表皮は磨きぬいた宝石のようで、太公望の手袋の上で陽射しにきらめいている。
「珍しいものをもらったから、分けてやろうかと思ったというに」
大げさに唇をとがらせる彼に普賢はあわてて謝った。入り込んできたときのまま、窓枠に手をかけている太公望はそのまま出て行ってしまいそうだ。封神計画の合間を縫って会いに来てくれたのだ。こんなことで仲たがいなどしたくはない。
「これは何?」
「リンゴという」
すぐに機嫌を直して、太公望はのどを鳴らして笑う。猫が笑ったならきっとこんな感じなのだと、普賢は思う。細めた目で普賢を見据えて、太公望は果実を顔の前に掲げた。
「北のほうでよく採れる。この辺ではあまり見ぬが、うまいぞ」
言いながら太公望は手に持ったリンゴを回して見せる。日当たりが悪かったのだろうか、表は燃え立つような赤なのに、裏側はくすんだ白色で味も落ちるように見える。
「半分こにしような。白いほうはわしに、赤いほうはおぬしに」
くるりくるりと、目の前でリンゴがまわる。赤と白が互い違いに現れて消える。鮮やかな赤に魅せられて普賢はうなづいた。
太公望がリンゴに手をかけると、それは最初からふたつだったように真中で割れる。胸をときめかせる香りが白鶴洞の自室に広がる。誘われるまま、差し出された片割れを受け取って一口かじった。
「ひゃっ!」
突然頬に押しつけられた冷気に、普賢は手に持った本を取り落としそうになった。
「食べるか?」
あわてて振り返ると目の前に真っ赤な何か。あまずっぱい香りが鼻先で咲く。その向こうに呂望の顔があった。本に夢中で彼に気づかなかったらしい。
「これは何?」
「リンゴって書いてあった」
呂望がのどを鳴らして笑う。猫が笑ったならきっとこんな感じなのかなと、普賢は思う。細めた目で普賢を見据えて、呂望は果実を顔の前に掲げた。
「厨房からくすねてきたんだ。いい匂いだろ」
言いながら呂望は手に持ったリンゴを回して見せる。変わった色合いをしている。表は夕日のような赤なのに、裏側は緑っぽい白で違うもののように見える。
「半分こしないか。白いほうは俺に、赤いほうはおまえに」
くるりくるりと、目の前でリンゴがまわる。赤と白が互い違いに現れて消える。鮮やかな赤に魅せられて普賢はうなづいた。
呂望がリンゴに手をかけると、小さな音がして真中から割れた。まるで最初からふたつだったように。かびくさい書庫に胸をときめかせる香りが広がる。誘われるまま、差し出された片割れを受け取って一口かじった。
* * *
白いリンゴをぺろりとたいらげると、望は行儀悪く指先をなめた。
芯は部屋のすみへ放り投げる。壁に当たった音がして、空の箱に落ちる音がした。黒で統一された部屋の中、くらがりに半ば沈みながら望はソファに身を預けていた。ひざの上でぐったりしている普賢を抱きしめなおす。
「手のかかる奴め。王子が来ずとも起きてしまう姫など聞いたことがない。真におぬしらしい、かわいげのないふるまいだ。そんなところも愛しく思うぞ、我ながら末期だのう」
押し殺した笑い声が響く。のどを鳴らして、猫のような。
「準備が終わるまで眠っておいてくれ。十重に二十重におぬしを取り囲んで、逃げ場を全てふさぎ終わるまで。それまで何度でも、白いほうがわしで、赤いほうがおぬしだ」
望は床の上に落ちていたリンゴの欠片を蹴飛ばした。
一口だけかじった痕のあるそれは、真っ赤な軌跡を描いて闇に吸い込まれていった。