「おーい普賢!いるな?開けるぞ!」
※普賢昇仙後くらい
問いを解く作業はガラクタの山を整理することと似ている。
公式と定理で山を切り崩し、右のものは右へ、左のものは左へと、法則に沿って並べ替えていくのだ。あらかた並べ終わったら、次に不要なものを捨てていく。似たものを見比べて、要るものを残す。両手に持って、重いものを取っておく。これを最後のひとつになるまで続ける。
こんがらがった図と表をほどいて、ほどいて、ほどけた毬の中に宝物のように隠されていた解を、うやうやしく取り出す。すべてが終わった後、残るのはシンプルな数字だけ。
満足して普賢は瞳を閉じる。
あらゆる要素があるべきところへ収まった、調和と静寂の世界。膨大なデータと数多の検証を重ねた果てに、ようやくたどりつける場所だった。山を越えた先には、新たな山が待っているのだけれど、それでも歩んでいけるのは、やはりこの瞬間のためだと思う。
感慨にふけっていると、廊下からドヤドヤと音がした。
「おーい普賢!いるな?開けるぞ!」
返事も聞かずに扉を開けたのは、まだ道士をやっている同期の太公望だった。
「元始天尊様の桃畑に入ったのだが、見張りにやられてのう。すまんが匿え。礼は豊満半分でいいな?」
しょっぱい対価といっしょに押し付けられた申出に、普賢は返事の代わりに苦笑いをした。断ることなど、はなから頭にないと言わんばかりの態度には、呆れを通り越して天晴れとすら思う。
親友はさっさと長椅子を占領すると、桃にかぶりつきはじめた。
「んむ、うまい!まったく元始天尊様も人が悪い。このような美味なものを独り占めするとは。裏の畑は弟子にくらい解放すべきだ」
「そうなると僕を始め十二仙がこぞって畑に押しかけるかもよ」
「望むところだ。そうなれば誰もがこの味に目覚めて種を持ち帰り、自分のところで栽培するであろう。世話は各自の弟子にまかせておけばよいしな。そして3年後、そこには立派に育った豊満の姿が…!わし崑崙中で豊満もぎ放題!」
「自分で育てた方が確実だとおもうんだけど…」
「お世話係が付きっきりで育てた桃とド素人がなんとなく育てた桃が同じ味なわけなかろーが。わしは結果だけほしいのだ」
それじゃ、豊満の木倍増計画の意味がないんじゃなかろうかと思ったが、普賢は口に出さなかった。浮島の集合体である崑崙は、限られた面積を最大限利用するために、居住区、行政区、生産区など、区画分けされ厳格に管理されている。私有地を持つのは、一山の主である十二仙と、その脇を固めるわずかな弟子のみだ。
それぞれがそれぞれの目的と意図を持って彼らなりに修行と研究を重ねているわけで、当然私有地も各人に合った用途でめいっぱい使用されており、桃畑を作るスペースなどない。
1~2本植えて片手間に世話をするくらいならやる仙人も出てきそうだが、元始天尊様が仙桃の品種改良実験場にしている畑レベルのものが作れるとは思えない。(そもそも豊満だって元始天尊様が作ったのだ)
大体、崑崙の食料はほとんどが生産区で賄われている。巨大プラントの中で、宝貝による徹底した品質管理のもと、地上のものより多くの栄養素を含んだ野菜や穀物が一年を通して栽培され、箱に詰められて配給されているのだ。だから土いじりの経験を持っている者など、薬草から毒草まであらゆる植物を研究する鳳凰山一門でもなくばそうそう居まい。
そんなわけで、今太公望が口に放り込んでいる桃は、崑崙では相当な贅沢品なのだ。普通はていねいに皮をむき、一口サイズに切り分けて、じっくり味わっていただくものを、彼は駄菓子でも食うように次々と平らげていく。
「そんなに食べるとおなかこわすよ」
もういちど苦笑して、普賢はそう言った。
「仙桃には解毒作用があるから問題ない。ほれ、おぬしも食え」
ずいと突き出された桃を前に根負けして、普賢はその香り高い対価を受け取るために手を伸ばした。
その時。
「む」
太公望の眉間にしわが刻まれた。怒ったように、困ったように、ほっぺたをふくらませてくるくると表情を変えている。視線の先には小さなディスプレイ。そこに九巧山外郭を飛びまわる鶴の姿があった。
「ぬぅ…白鶴を出すとは。今日は別の者が見張りだと調べた上で忍び込んだというのに…」
ぶちぶちと文句を垂れていたが、やがて普賢にやろうとした桃を口の中に放り込んだ。
「普賢、明日また来るからの。これはちゃんと冷やしておくのだぞ」
そう言って籠をクッションの上に置くと立ち上がった。
「行っちゃうの?見つかっちゃうよ?」
「しかたあるまい。今白鶴がわしを取り逃せば、これで3回連続逃げられたことになる。元始天尊様から小言のひとつも出るであろう。それはあまりにかわいそうだ」
「…くっ」
漏れ出た声に、太公望はいぶかしげに同期を見やった。一度漏れてしまった声は止まらず、普賢は肩を震わせ、ついに腹を抱えて笑い始めた。
「なんだおぬしはー!失礼なやつだのう!」
「あはは、だって、あははははは!」
普賢は懸命に笑いをこらえ、太公望を見つめる。
「望ちゃんってさ、わからない人だなあって思ってさ」
その言葉に太公望は不服そうに鼻を鳴らした。
「わからんのはおぬしのほうだ…」
「そうかなあ」
「ああわからんな。さーっぱりわからん。これだけ長くつきあっているのに全然まったく一度たりともおぬしを理解したと思ったことがない」
「その言葉そっくりキミに返すよ」
まだこみ上げてくる笑いを口元で抑えながら、普賢はディスプレイを指差した。
「早くしないと行っちゃうよ。白鶴童子」
「ぬう…いたしかたない。桃は頼んだぞ普賢。つまみぐいは2個までなら許す!」
2個までだぞと念押しして、太公望は足音高く駆けて行く。
まったく。自分勝手で、我がままで、こちらの都合などおかまいなしで、そのくせ周りに気を配って、心の動きをよく読んでいる。そして誰かが被害をこうむりそうになる前に、災いをそらしてやるのだ。時には自分が身を呈して。
多少の災難など意にも介さず、己の信じるところを行く。その様はまるで、ガラクタの山を蹴倒して行くようだ。散らばったガラクタには見向きもせず、時にソレが足を取るとわかっていながら、なお前へ進めるのは、きっと彼が山脈の向こうにある空を見つめているからなのだろう。
初めから、自分と太公望では見ているところが違うのだ。
普賢にはわからない。太公望が何を感じているのか。どう考えているのか。どのように思っているのか。観察は出来る。観測もできる。分析をして、仮説をたてることだってできるだろう。なんなら、一席ぶってみてもいい。そのくらい昔から、太公望の一挙一動に心奪われている。
だけど、しかし。それはあくまで太公望の行動をデータ化したにすぎない。太公望という本流から流れ出る過去の事象をすくいあげ、研究室の標本棚に虫ピンで止めて、すっかりひからびてしまったそれを相手に論文を書き上げる頃には、彼はもうずっと先へ行ってしまっている。
だから普賢にとって、いつまでも太公望は未知の存在だ。理屈なんて通じない。太公望の言動は普賢の予想をいつも裏切る。自分にできるのは、せいぜい彼の残した足跡をほどいて中身を見ることだけ。その中身がまた、予想もつかないものばかりで、もうひとつもうひとつと、普賢の手は先を追い求めてしまう。
普賢は長椅子に腰掛けると、桃の肌に指を滑らせなめらかな触り心地を楽しんだ。口元に寄せると、ほんのりと香がする。土の香。大地の恵みを力強く吸い上げ、結実させた残り香。地下プラントの大量生産品では、けしてまとうことができない香。
『望ちゃんは、本当は、土の香りのするものが食べたいだけなのかな』
彼の胸に隠された悲願は、地上へ置き去りになったままだ。こうしているあいだにも、かの地では国が荒れ、民は重税と貧困にあえいでいる。太公望の目には、打ちひしがれた地上の民と、衣食住を保障され、自分の研究に没頭する崑崙の仙道が、どのように映っているのだろう。
桃の表に歯を立てると、それだけで甘い汁があふれ出た。こぼさないように気をつけながら味わう。ゆっくりと桃を食みながら、普賢は太公望を思う。
はっきりと口に出したことはないが、彼はきっと山を降りるつもりだ。そのことには気づいていたし、彼の力になりたいと修行を重ね、十二仙にまでなった。その時が来たならば、躊躇せず彼の横に並ぶつもりだ。
けれど、そこに至るまで、太公望はいくつの山を蹴散らしていくつもりなのだろう。
「…うん、だけどね、大丈夫だよ望ちゃん」
キミがどこへ行くのか、何を欲するのか、どうやっていくのか、僕にはさっぱりわからないから、僕は走り抜けたガラクタの山から、キミの足跡を探して集めよう。いつかキミが転んだそのときに、これがキミの来た道、忘れないでと、すぐに差し出せるように。大丈夫、整理整頓なら得意だから。
僕の生きるのは静寂という名の停滞の世界。
キミが生きてるのは騒音鳴り響く混沌の世界。
僕とキミの間にはいつも線が1本。僕はソレを越えられないけど、キミもソレを踏み抜けない。
でも手を繋ぐことはできるよね?
桃をひとつ食べてしまうと、普賢は手布で口元を拭ってディスプレイに目をやる。その中で白鶴に叱られている太公望に、ごちそうさまとつぶやいた。
■ノヒト ... 2010/09/09(木)02:31 [編集・削除]
地元野菜より工場野菜の方が安心できる私は田舎の国道沿い育ち。