夜明けよ来い、と。
※暗い 12禁くらい
布団にくるまって、亀のように丸まって、小児のような真剣さで太公望は願っていた。
夜明けよ来い、と。
カチリと歯車を回すがごとく、夜から朝になればよい。降るような星空に背を向け、小さな暗闇の中でひたすら乞い願う。無明の中は息苦しく、ふつふつと血が煮えたぎる体から気をそらすのが精一杯だ。
元始天尊様から封神計画の命を受けて、確か今日で三日目のはずだ。自分の決めた刻限だから文句を言うつもりはない。ただこの期に及んで御しきれぬ己自身が、憎かった。
こんな感覚は何年ぶりだろう。熱気が蛇のようにのたくって頭がはじけそうだ。喉元までこみあげる名前を噛み砕いて呑み下せば、奥歯をかみしめる音がする。
脳裏にあるのはただひとつの幻。青白い、ひんやりした面影。
きっと今からでも寝所へ踏み入れば、何も言わず受け入れてくれるだろう。抱き寄せるたび、かすかに笑って力を抜いたから。
確信を持っている。だからこそ耐えねばならぬ。日輪が理性の光で太公望を照らすまで。
おそらくこの決意はあの人を前に柳のように揺れる。それでは駄目なのだ。
置いていく。断ち切って。そして忘れてしまおう。その後かの人がどうなるかなど、考えるだにおぞましい。
噴き出す未練を端からつぶしてまわる。彼は賢明であったから、夜が明ければ二度とこの地を踏まぬ旅に出るとわかっていたから。
大きく息をついて、切ない胸の内をやりすごす。
夜のおとないが途切れてからどれほどになるのか。十や二十では足らぬ気がする。長い間、うわべを取り繕って避けてきた。
ふたりは仲の良い友人であると、周りに思い込ませて、自分に思い込ませた。
顔をあわせるつど、責められている気がしてその目を見れなかっただけなのに。
きっと、そんなつもりはなかったのだろうということも知っている、それだけの年月をふたりで過ごしてきた。
思えば始まりはじつにくだらないものだった。出会わされて、半年もたたなかった頃だ。自分は愚かにもまだこの世の全てを憎んでいた。あの晩太公望は酔っていてあの人も酔っていた。そして珍しく自分に説教めいたことを言った。
一言か、せいぜい二言だったと思うが、激昂するには十分だった。
押し倒して衣を引き裂き、そうして知った肌は脳髄が痺れるほど甘かった。自分のためにあるのだと、たわけた妄想を抱くほどに。
夜の帳が訪れるたび、犬のように寝台へもぐりこんで、溺れるために性交した。そう称するにふさわしい自分本意な行為だった。抱きたいときに赴き、時に呼び寄せ、好き放題食い散らかして眠りに沈んだ。
それでよかったし、それがよかった。
憎悪と憤怒と焦燥を、衝動に変えてぶつけ続けた。それはひどく気分が良かったし、それが太公望を穏やかに眠らせていた。
一方的だったはずの力関係を、変えてしまったのはあちらの方だ。
長い、常人ならば十分に長い時間を経て、夜伽をさせる頻度も落ち着いてきた頃、名も無き河原でかの人はつぶやいた。「その時には僕もキミの横にいるよ」
その瞬間昼と夜がひっくり返った気がした。
太公望は血の気が引く音を聞き、景色が色褪せていくのを見た。
彼は知ってしまった。
自分がどれほど想われているか。
自分がどれほど醜い思いで応えてきたか。
新雪を踏み荒らすような気安さで、この清い人を穢し続けてきたか。
そしてわかってしまった。
自分は『普賢』に発情しているのだと。その日を境に、秘密にしてきた関係を切った。
明るいうちの太公望は陽気で怠け者の道士を演じきり、日が落ちると仮面を落として窓にも扉にも錠をかける。幾度か閉めきられた扉を叩く音がしたが、息を潜めているうちにそれも絶えた。
そんな風に彼は、諦念の昼と忍従の夜を交互に重ねて獣を埋めていった。深い地層の中でいつか化石になればいいと、十と二の刻を平らに伸ばした。
けれどもやはり生きていた。
圧倒的な別離を前に魂の空白など吹き飛んだ。
獣は彼自身であったから、殺すことなど出来はしないのだ。せめてこの心臓をふたつに裂いて、片方を置いていけたなら。
煩悶する太公望など構うことなく時は過ぎていった。やがて地平の端からあふれ出た最初の輝きが、鎧戸の隙間を透ってひとすじ金糸を引く。
その光よりもまっすぐな一途さで、無音のまま彼は叫んだ。
愛しい人よ、と。
■ノヒト ... 2010/10/31(日)15:02 [編集・削除]
普賢のセリフが一発変換できたmyPC。マジ偉い子。