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SS~枯れる花

「本当にすまない、旅のお方」

※王奕捏造

続き
 
 

 
「本当にすまない、旅のお方」
 顔を伏せ、もみ手をして謝る村長はしかし、どこか安堵した風ではないか。聞けば日照りが続いて畑が干からびそうなのだという。なるほど昨日の歓待はこれが目的だったかと、縄をかけられた王奕は一人納得する。
「お社様の下にあんたを埋めさせてもらうよ、いやあすまない、すまないねえ。あんたはまだ若いのに、本当にすまないことだ。遺す物はないかい。家族や知人は。なんなら使いをやって、遺品を渡しておくよ」
 王奕は首を振る。無言のままで。
 この体の真の持ち主は百年ほど前に魂を手放した。
 血筋を辿れば子孫が居るのかも知れないが、今更何をしてやることもない。自分に与えられたのは丈夫で長持ちする体と、この身の奥でこんこんと眠り続ける伏羲の名を隠しとおす使命だけ。
 不老で長寿に変化したこの肉体は多少小突かれたくらいではびくともしない。剣で刺されても、腕がもげても、手当たりしだい腹に物を詰め込めば、いつの間にか回復している。土中深く埋められたとしても息苦しさに慣れてしまえば、どうということもあるまい。
「すまないと思っているんだよ、ちょいとあんた、本当に何もないのかい。せめて遺言だとか」
 縛られたまま抵抗もせず押し黙っている王奕を、村長は不気味に思ったのだろうか。とってつけたような腰の低さが猫なで声に変わる。
「好きにすればいい」
 平べったい声で返事をすると、王奕はそれ以上何も言わなかった。主たる伏羲が応と定めた刻限まで無為に地上をさすらうのが役目なら、たとえくだらぬ迷信といえど、人柱にされ村人らのつかの間の心の拠り所になるのも悪くはないと、そう思った。だがそれを言葉にする必要を感じなかったし、肝心な言葉そのものも見つからなかった。
 あまりに物分りのいい少年に、村長も周りを固める若頭たちも、槍を持って王奕を威嚇している男達も、それぞれ気味悪げに視線を交わす。
「村長、やはりあんな子どもを人柱にするのは」
「では村の者から立てろというのか、おまえがそれになると言うのか」
「いえ、いいえ、そこまでは申しませんが」
「明日までに柱を立てねば今年は凶作と託宣で決まっているのだ。おまえもしかと聞いただろう」
「そのとおりです、ええ、はい……」
 低い声でささやきが交わされる。そのすべてに興味を失い、王奕は目を閉じた。やがてゆるく眠気が立ち上ってくる。長い時をやり過ごすためか、王奕には眠りを制御できる地味な特技があった。うたた寝から昏睡まで自由自在だ。後のことは村人達に任せてしまうことにして、王奕は深い眠りを選んだ。
 知覚が違和感を伝えて脳が警告を発する。
 その揺らぎに王奕の意識が覚醒に向かう。最初に気づいたのは自分の横を歩いている年かさの女だった。目が合ったとたん慌てて逸らされる。そこから視界がはっきりしていき、自分が馬車の荷台に転がされていることに気づいた。空は見事な夕焼けに染まり、馬車の前後を村人たちが固めている。
「起きた」
「起きたらしい」
「起きました」
 さざ波のように伝言が広がっていく。そう恐ろしいものではないのだがと王奕は思う。少しばかり、生きる営みが違うだけなのに。言ったところで信じてはもらえないだろうが。
 一行はやがて紅で塗られた小さな社の前についた。これがお社様というものらしい。裏手には深い穴が掘られ、かがり火が四方に焚かれている。
「お社様への供物をここに」
 にび色の装束を着た壮年の男が右手を掲げる。司祭であろうか。王奕は彼を捕まえようと伸ばされた手をすべて無視して自ら立ち上がり、すたすたと司祭の傍へ向かった。司祭はその態度にたじろいだ様子だったが咳払いをすると穴を指差した。王奕は何も言わず穴の中に飛び込む。中で座ってしまえば、もう彼の姿は誰にも見えず、王奕に見えるのは頭上の赤く焼けた空だけだった。
 そして未熟で稚拙な、多次元物理方程式を知る王奕にしてみれば、でたらめもいいところの呪文が聞こえ、頭の上に何枚も札が投げ込まれる。やがて女達が果物や穀物を差し入れるようにそっと穴に落としこみ、男衆が道具でもって本格的に土砂を放り込みはじめた。
 足が埋まり腹が埋まり胸が埋まり、顔が埋まったところで少し息苦しくなったので息を止めてしまった。やがて頭まですっかり埋まり、うず高く土が盛られ若い男たちがその両足で硬く硬く踏みつける。それを土中できちんと正座をしたまま王奕は感じていた。
 はたしてこの村に雨は降るだろうか。難しかろう、王奕は冷静に分析する。近年の気候変動は顕著だ。この空模様では凶作は確実だ。人柱なぞ立てているひまではないのだ、本当は。けれど自分にはその過ちを正すほどの力も権限もない。
 また瞳を閉じ、眠気が来るのを待つ。次に目覚めるのはいつにしよう。十年か、百年か。その頃には村はきっと消えているだろう。けれど、どうか雨よ、一度くらいは降ってやってくれまいか。
 王奕の唇が小さく動く。それはもしかすると祈りであったかもしれない。けれど土砂に遮られ、本人の耳にも届くことはなかった。