「いらっしゃい」
※原作寄り コメディ?
「いらっしゃい」
けれどその言葉の鋭利さに木タクは内心肩をすくめた。
戸口では太公望師叔がドアノブに手をかけたまま渋い顔だ。お供の霊獣は所在無さげに主人と洞府の主を見比べている。
「どうしたの、入ればいいじゃない。客室は空いてるよ」
洞府の主にして木タクの師匠、普賢真人は太公望のもの言いたげな視線を無視すると、きびすを返した。
そんなにつっけんどんにしなくてもと木タクは思う。たかが道士の自分と、十二仙である師匠では思うところに隔たりがあっても仕方がないが、それにしても師匠の師叔への態度は冷たすぎる気がする。
遠ざかる翼に似た羽衣を見送ると、木タクは太公望と目を合わせると会釈をした。
「奥、使ってください。夕餉は客間まで持っていきやす」
「すまんな。ほら来いスープー」
「ラジャーっス」
ずかずか上がりこんでくる太公望も、陽気な風でいてどこか表情が硬い。計画が始まる前から傍らで二人を見つめてきた自分にはわかる。
そう、こんなぎこちない空気が白鶴洞に流れるようになったのは、封神計画が始まってしまったからだ。
木タクが崑崙に上がった頃からずっと師匠と師叔は仲が良かった。午後のお茶の席にはいつも太公望の姿があり、師匠が用意したお菓子をいただきながら機知に富んだ二人の会話を聞くのが木タクは大好きだった。裏の菜園の桃を師叔に盗み食いされたときでさえ、師匠は苦笑してむぐむぐ動くその頬を軽くはたいただけだったのに。
けれど計画が発動してから、何かが変わってしまった。師匠は以前より独りで考えこむ時間が長くなり、話しかけても上の空で返されることも多い。師叔が人間界で着々と力を蓄えつつあることは風の噂で聞いている。自分も近い将来、駆りだされることになるだろう。
だからこうして、たまの定例報告で仙界に戻ってきた太公望と旧交を暖めるくらい、してもいいんじゃないかと。そう思うのはやはり自分が未熟なせいなのか木タクにはわからなかった。
夕餉をお盆に乗せて客間に行く途中、木タクは普賢の私室の前を通った。中から鋭い声が飛んできて危うく汁物をこぼしそうになる。
「何度僕に同じことを言わせる気?」
「そうではない、わしはただおぬしと話がしたいだけなのだ。何故わからぬ」
「キミがその話術でどれだけの情報を僕から掠め取ってきたか、忘れたとは言わせないよ」
「そんなつもりではない、わしはただ……」
「出て行って。宿は貸すよ、けどそれだけだ」
「確かにわしは封神計画遂行者だ。だがおぬしの前でだけは望でいたく思う」
「それが甘えでなくてなんだと言うの。もうこれ以上僕に近づかないで」
張り詰めた雰囲気が扉越しにも伝わってくる。立ち聞きしていると気づかれたらどうなることか。木タクは足音を忍ばせてその場を離れた。
一日の労を終えて寝台にもぐりこんだ後も、木タクの頭の中では二人の刺々しいやり取りがくりかえされ、うまく寝付くことができないでいる。うつらうつらしてきても不安が胸中、刃物を滑らすようによぎり眠気を散らしていく。
何度目かもわからない寝返りをうつと、彼は起き上がった。水でも飲みに行こうか。少し体を動かしたら、この苛立ちにも似た感情は形を変えるだろう。
暗闇の中を歩き、辿りついた厨房で水を飲む。喉を落ちた冷水が濁った熱を洗い流し、いくらか気分が軽くなった。コップをすすぐと夕餉の後洗った皿と一緒に並べる。ついでに両腕を上に組んで背筋を伸ばす。深呼吸して肩の力を抜くと、窓の外蛍がひとつふたつ飛んでいた。もうそんな季節になったのかと木タクは小さく笑った。
裏口から庭に出るとせせらぎの音のするほうへ歩く。菜園へ水を供する小川は師匠の私室の前で小さな池になる。その部屋からまだ明かりが漏れていることに気づいて木タクは足を止めた。師叔は客間で眠っているはずだ。それは寝付く前の自分が見送った。あの後も師叔は起き出して師匠と話し合いの場を設けようとしたのだろうか。明朝発つのだし遅くまで起きてはいられないはずだけれど。
好奇心に負けて、木タクは窓から部屋の中を覗きこんだ。
「…………」
普賢が、太公望の上着を手に、針仕事をしている。
ばっちり視線が合ってしまった師弟はしばらくのあいだ妙な沈黙を続け、唐突に普賢が立ち上がりこちらに近づいてくると勢いよく窓を開けた。目が据わっている。
「黙ってて」
「はあ」
「男友達の服を夜なべしてつくろってるなんて自分でもドン引きだから黙ってて」
「わかりやした、忘れやす」
「よくできました、おやすみ」
ピシャンと窓が閉められカーテンが引かれた。
翌朝。
「ん、なんか動きやすくなっておる気がするのう」
「気のせいです」
「いーや気のせいではないぞ。ほら、肩回りとか明らかにゆったりしておるような」
「気のせいです、朝飯食ってくだせえ。ほーら四不象さん、獲れたて飼葉っすよー」
「うわーおいしそうっス!いただくっス!ほら御主人、早く食べないと置いていくっスよ」
「あ、おぬしわしより先に!えーい、食べ比べだ!」
がふがふがふがふ。
うまいことごまかされてくれたらしい。おかわりだコラァ!と突きだされた茶碗に飯を盛りながら木タクは思う。
ま、もーちょっと平和っぽい。
「普賢は来んのか」
「まだ寝てやす、夜型なんで。知ってるでやんしょ」
「やかまっしゃ」
「出掛けにケンカってのもどうかと思いやすよ」
「ぐぬぬ」
そうとも、師匠は昼まで起きて来るまい。
目覚まし時計はオフにしておいたもの。
■ノヒト ... 2011/12/03(土)22:44 [編集・削除]
木タクのちゃっかり度がどんどん上がっていく