「どうしたの望ちゃん、なんだか元気がないみたいだけど」
※道士時代 誕生日 ほのぼの
8月3日、それは太公望にとって特別な日。
相弟子である普賢にも、きっと特別な日。
今年も普賢は腕によりをかけて料理を作ってくれて、玉虚宮のふたりの部屋には食欲をそそる香りが満ちている。窓辺の花瓶にたっぷりと酔芙蓉が活けられ、喜びを表すように色づいていく。隣の厨房から普賢が顔を出し、またひとつ白磁の器を机に置いた。
「どうしたの望ちゃん、なんだか元気がないみたいだけど」
机の上の料理はどれもこれも太公望の好物で、味だって保障付き。けれど本人は、渋い顔のまま口をへの字に結んでいる。
普賢は茶を注ぎ終えると、向かいの席に座り対面の太公望へなだめるように声をかけた。
「そんな辛気臭い顔しないで、はじめようよ」
「……ああ」
「ほら、望ちゃん」
普賢はにっこり笑った。「32歳の誕生日おめでとう!」
「……」
祝われたほうは鉛のようなため息を吐いた。
「もー、なんなのさキミは。せっかくご飯作ったのに、テーブルクロスだって新調したし、カーテンも変えたんだよ」
「ああ、ありがとう。おまえの好意はちゃんと伝わってるよ。ただ……32か、ふふ、ふふふ……ここに来て20年も経ったのかあ……」
「仙道になるとはいえ、1年1年を大切にしていきたいから、誕生日は何かしらお祝いをしようって言い出したのはキミじゃないか」
「忘れてないって!けど32だぞ、32。なのに俺相変わらず童顔だし、身長はここ10年ちーとも伸びてないし」
「ひょっとしてまだ計ってるの?」
「計ってるとも!毎朝!」
「あほくさ」
ずっぱり切り捨てると涙目の親友を無視して普賢は椎茸のスープを取り皿によそった。
「それより早く食べなよ、冷めちゃうからさ」
「んむむ」
取り皿を普賢から受け取り、望は澄んだスープをすすった。肉厚の椎茸をたっぷりと使ったそれは薫り高く舌に染みる。文句なしに美味い。鼻腔をくすぐる快楽と、比例する罪悪感とが、望にまたひとつため息をつかせた。
「年を取るのがそんなにイヤなの?」
スプーンをテーブルに置いて、普賢が太公望を見つめた。責めるでもなくいぶかしむでもなく、ただ静かに答えを待つまなざしに、太公望は観念して肩の力を抜いた。
「……父上に、追いついてしまった」
太公望の心を、下にいた頃の思い出がよぎる。空と、一面の草原。羊の群れ。頼れる兄に、かわいい妹、同じ年頃の友人たち。杖を手に羊を追う、柔らかな母の立ち姿。そして、引き絞った弓を放ち、馬上から鳥を落とす父の勇姿を。
厳しく、けれど愛情を持って接してくれた父。ただ憧れるばかりだったあの頃は遥か遠く、今や炎の中、時を止めた父と同じ年に。見た目だけは大して変わらないままで。
濁っていく心を止められない。知らず下がっていた顔を上げれば、向かいにいた普賢がいつもの調子で微笑んだ。
「じゃあ次はおじい様だね!」
「そういう問題?」
どうもこいつには情緒欠陥の気があるような。付き合いだして20年経つが、本気なのかジョークなのか未だつかみかねる。普賢、おそろしい奴め、と太公望は心の中で拳を握る。
「だって白鶴が仙人になるには何百年と修行しなくちゃいけないって言ってたから、僕たち百歳になってもまだこうしてる可能性高いじゃない」
「むぐ」
太公望の頭を70年後の自分がよぎる。テーブルの上の料理だけ豪華になってる、今の自分たちと変わらない二人の姿が。うつむいていく太公望を普賢は心配そうにのぞきこんだ。
「むぐー」
「望ちゃん?」
「……むがー!」
跳ね起きると同時に箸をつかみ、太公望は料理をむさぼり始めた。
「決めたぞうえん!」
「何?口の中のものはちゃんとのみこんでしゃべろうね?」
「今日から俺は、んと、わしはじーさんになる!」
「えっ」
「ええ年こいてアタマゆるふわな仙人になどなってたまるか!わしは崑崙一実年齢が似合う男になってやるからな!」
「ええー、一人だけずるいよ。じゃあ僕は、えーと、崑崙一頼られる仙人になる!」
「無理だろ」
「何それひどい」
そして話題はそれていき、食卓はいつものにぎやかな雰囲気を取り戻す。暮れていく窓辺で芙蓉はほろ酔い加減。ゆっくりと紅に染まりやがて満足げに顔を伏せた。