「異常はないよ」
※道士時代 オリジナル設定(何を今更)
「異常はないよ」
「そうですか」
本人より付き添いのほうが深く胸をなでおろした。
終南山の医務室で、雲中子は足を組みかえ、今朝方真っ青になって駆け込んできた教主の直弟子ふたりをながめた。
患者が普賢、付き添いが呂望。三種類の簡易検査を終えた普賢は興味深そうに結果がプリントされた紙をのぞきこんでいる。非難がましげな望の瞳が雲中子を捕らえた。
「じゃあ、どうして急に普賢の髪の色が変わってしまったんですか。昨日までは確かに亜麻色だったんですよ」
「君のその目も、ずいぶん青くなってきたようだけれど」
口をつぐんでしまった望を相手に、雲中子はまた足を組み替えた。めんどくさそうに首のうしろを掻く。
「一般教養でやらなかったのかな。仙人として長じていくにつれて、見た目が変わっていくと」
「それは……」
「はい。元始天尊様に、ご教授いただきました」
普賢が胸を張って答える。どこか誇らしげで微笑すら浮かべている普賢に対して、望は口ごもり下を向いた。
「結構。どういう内容だったかな」
「熱エネルギーを動力とする肉体から仙人骨のエネルギーに適した肉体に変化していくと教わりました」
「優秀だね、となりの不勉強君も見習うべきだよ」
「……」
「あ。そういえば、白鶴童子の手ってどうなってるんでしょうね。あれも最初はなかったのかな?」
不穏な空気を察して、普賢が次の話題を振った。雲中子は講義をする時の面持ちになり、気持ち背筋を伸ばす。
「妖怪は原形に変化はない。よって変化の術を用いて人間の姿に近づくんだ。白鶴童子もあれで相当な努力をしているんだよ。常に術を使い続けるのは消耗が激しいからね。
さて、そんな高いコストを払いながらも、どうして妖怪は人間の姿を目指すのか。
理由は諸説あり、もっとも支持を得ているのは人間の身体が機能的であるためとする説だが、私はこれに疑問を抱いている。なぜなら人間の身体は生物としては非常に脆弱だ。体温を調節するための毛皮を持たず、地を走れず、空も飛べず、己の体重の三分の一にも満たない肉食動物に捕食されてしまうほどに。
にもかかわらず妖怪と呼ばれる存在は、例外なく人間の姿に固執する。より美しくより完璧な人間の姿が、彼らの力の誇示であり価値の最上位にある。既存の説ではそのあたりがカバーできないのだよ」
「なるほど」
普賢がうなずく。
「これはまだ仮説だが、私が思うに人間・妖怪問わず『人間の形をした何か』が原形として刷り込まれているのではないか。妖怪たちが目指す最終形態はそれであり、同時に我々人間もまた、それに向けて変化しているのではないか」
「ということは僕たちも、うんと修行したら元始天尊様のように頭が長く……」
「仙人骨の持ち主は元々頭蓋骨が長く脳容量が多い。あの方ほどの高みに昇った例は崑崙では確認されてないが、可能性は高いね」
どうしよう望ちゃんと不安そうに顔を向けた普賢へ、知らないよと望が毒づいた。「だってさ、頭がにゅーってなるんだよ。さすがにちょっとね、うーんって感じじゃない?」
「だから、知らないよそんなの。なるとしてもン千年後だろ」
「道行師兄も、昔は僕らくらいの背丈だったんだってね、背は伸びるものだと思ってたけど、まさか縮むなんて」
「どうでもいいよ!」
終南山からの帰り道、道士ふたりは雑談をしながら飛び石の階段を昇っていく。
「でも病気じゃないってわかって安心したな。望ちゃん、付き添いありがとう」
素直な微笑を向けられたが、呂望はつと視線をそらした。
「おまえはさ、嫌じゃないのか」
これ?と、普賢が自分の髪を手ぐしで漉く。すっかり空色になってしまった髪が望にとってはおぞましく、それを大人しく受け入れる普賢に違和感を覚える。
「僕はこれ、あんまり嫌じゃないんだ。仙道として、ひとつ上のステップに上がったってことでしょう? それに風変わりな格好の人はたくさん居るし、望ちゃんの瞳の色だって僕……」
「もういい」
「望ちゃん?」
飛び石を蹴るスピードを上げ、望は普賢を置いてけぼりにした。気になるのは、外見の変化そのものではない。
もし。
呂望は考える。
もしこのまま順調に仙道としての腕を上げていき、形が変わっていくのなら、下に降りることができなくなる日が来る。それだけは勘弁だ。
けれど、望がここに居るのは仙道の力を得るため。せめて宝貝を手に入れるくらいにまでならなくては話にならない。
自分の形を、何処まで変える?
どこまでを威容にする? どこまでを異形にする?
「望ちゃん、待ってよ」
「待たない」
口の中でつぶやき、望は先を急ぐ。
後を追う友人を利用するなんて、そのときの望には思い浮かばなかった。
>つづき