「望ちゃん、玉鼎師兄の杯空いてる。そのお皿下げたらあっちのテーブルにつまみ持っていって」
※道士時代
※即興小説お題「輝く宴」「ゴキブリ」
「望ちゃん、玉鼎師兄の杯空いてる。そのお皿下げたらあっちのテーブルにつまみ持っていって」
玉虚宮で宴とくれば、教主の弟子は走り回るのが仕事。酒瓶片手に楽しく飲んだくれる崑崙幹部を接待するのも修行のうちだ。
望は羌の頭領の子息であったし、給仕というものは女の仕事と教わって育ってきたものだから、まさか自分が酒をついでまわる側になるとは夢にも思わなかった。その点、町の子の普賢は手馴れたものだ。すれ違いざまに望へ的確に指示をとばしながらも営業スマイルは忘れない。
いつか見てろよと心に決めながら、山積みの皿を抱えて厨房へとってかえす。泡まみれの流しの中に、汚れた皿を下ろしたとき、視界の端を何かががかすめた。
物陰から物陰へ、すばやく移動し黒光りする、よりによって、最も居てはならない場所に、最も居てはならない物、が。
何故だろう。羊や草花とともに大自然の中過ごしたあの頃は、虫がキモイなんて思わなかったのに。総毛だった勢いで迎撃態勢をとり、ふと思う。
『これって殺生だよな』
ぷちっとやった日には即破門。
どうする自分? 進めば修羅場、逃げるもちょっちねー。ここ厨房だし。
そもそもなんでこんなとこに外骨格なんていう原始生物が居るんだ、崑崙のハイテクはもっと仕事しろよ。
ソードオブシンブンスィを振り上げたまま、望は動けず時だけが過ぎていく。目標は長い触角を不敵に揺らし続ける。
「望ちゃん、何やってるのさ?」
両手に皿てんこもりの普賢が、足だけで器用に扉を開けて入ってきた。
「普賢……アレが……」
望の視線の先を読んだ普賢は、ああ、アレねと呟いた。皿をまとめて調理台の端に置き、そのまま望から丸めた新聞紙を取り上げ、少し広げる。そして一歩踏み出すと同時に右手の紙束でソレをすくいあげ、一閃、左手で開け放った窓に放り込んだ。虫は華麗な放物線を描き宵闇の彼方へ消える。
「まったく。にらめっこは後にしてよ、人手足りないんだから」
言いながら窓を閉め、ついでに一枚剥がして畳んでシンクを拭く普賢に、どうやったらこいつに勝てるのかとわりと真面目に悩んだ望だった。