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SS~合成キャンディ屋

「なにか入り用か」

※望普かもしれないパラレル

続き

 街は雨の帳に閉じ込められている。角に小さな合成キャンディ屋ができる前も。できてからも。空は常に暗雲に覆われ、光は人工の灯りのみ。街の下層にあるこのストリートでは、その灯りさえもとぼしく寒々しい。そんな中を傘をさした少年が歩いていた。下層で傘を差すものは少ない。実用の面と費用の面から、人々はフード付きの分厚い防水コートを選ぶからだ。傘は、コートを着るほどでもなく、車を乗り回すほどでもないミドル層の証だった。少年は人混みの割れ目をすりぬけるように歩き、ときに立ち止まり腕時計型モバイルの仮想ディスプレイで地図を確認する。そしてようやく、その店へたどり着いた。薄汚れた街角にある小さな、合成キャンディ屋へ。
「あの」
 少年が店主とおぼしき青年へ声を掛ける。
「なにか入り用か」
 青年は来客用らしき笑みを浮かべ、少年を見つめた。蛇に睨まれた蛙とはこういう感覚なのだろうか。青年は笑顔であるにもかかわらず、枯れきった翁のような視線で少年を無遠慮にじろじろ眺め回した。勢いに飲まれかけた少年は、負けじと顎を引く。
「ここに来れば、みたい夢をみれる飴が買えるって聞いた、から……」
「おお、あるとも。どんな吉夢だ? 松竹梅、猪鹿蝶、アイスの当たりから億万長者までお望み通りだぞ」
「友達に、会える飴ってある?」
「ご友人か。離別か死別か、何をしたいかで値段が変わってくる」
「顔を見たいだけなんだ。お金ならちゃんとあるから」
 少年は胸ポケットを探り、真っ青になった。ポケットは無残に切り取られ、そこに隠していた虎の子は煙のように消えていた。愕然とする少年を笑い飛ばすように青年はからからと声を上げた。
「時々居るのだ、この店の噂を聞いてアッパークラスからのこのこ出てくるカモが。まさか帰りの電車賃もホテル代もスリにくれてやったとは言うまいな」
 どうやらそのまさかであったらしい。少年はうなだれて傘を握りしめた。きびすをかえし、とぼとぼと歩きはじめる。
「どこへいく」
「歩いて帰るよ」
「やめておけ。臓器目当てでバラバラにされるのがオチだ。それよりおぬしに耳寄りな話があるぞ」
 少年は足を止め、すなおに青年のもとへ戻った。
「うちの店では買い取りもやっているのだ。おぬしの感情を売ってくれぬか」
「どのくらいになる?」
「おぬしが持参した金を超えてお釣りがくるほどだ」
「嘘じゃないよね?」
「うさんくさく思うか。それもまた当然かな。では名乗りくらいせねばなるまい。わしの名は伏羲。この店の主だ」
「僕は普賢」
 短くそう言うと、普賢は警戒心もあらわに伏羲を見上げた。伏羲は楽しげに笑いながら扉を開けて普賢を招き入れる。店の奥には、天蓋付きの大きな寝台があった。
「おぬしにはここで眠ってもらう。なに、わしの作ったキャンディを一舐めすればころりと寝こけるわ。そのあいだにわしはおぬしの感情をいただくという流れだ」
 そう言うと伏羲は普賢へ札束を渡した。手の切れそうな新札の束がふたつ。普賢は目を丸くした。
「こんな値段がつくの?」
「ああ、おぬしの持っている感情は純粋で芳醇だ。良い材料になる。ぜひとも売ってもらいたい」
「そう」
 普賢は濡れた傘をたたんでベッドサイドへ立てかけるとブーツを脱いだ。これを、と差し出された夜着に着替える。伏羲はその間自主的に背を向けていた。鼻歌が聞こえる。相当に機嫌がいいのだろう。普賢は夜着のすそに腕を通した。ひんやりとした感触が普賢を出迎える。
「普賢よ」
「なに」
「ご友人の夢とやらを用意するから、概要を聞かせてくれ」
 普賢は長い間無言だったが、やがて諦めたようにつぶやきだした。伏羲に伝えると言うよりも、自分に言い聞かせるかのように。
「あのね、望ちゃん、僕の友達ね。背丈は僕くらいで、黒髪で青い瞳で童顔。頭がよくて、ちょっと怠け者。それでね、この間、死んじゃった。望ちゃんは小さなマフィアの参謀役で、抗争に負けちゃったんだ。弾丸が十何発も食い込んでてね。痛かっただろうな。顔も体もぼろぼろでさ。見れたものじゃないから、お葬式のときは仮面を被せられてた。苦しいだろうな、つらいだろうなって、思って、だからせめて僕が覚えてなきゃ、望ちゃんの顔。覚えて、いたい、から……」
 シーツの上にしみができた。ぽつりぽつりと増えていくしみは普賢の涙の痕だった。
 知ってか知らずか、伏羲は部屋から出ていったかと思うと、しばらくして白と黄色と濃紺の三つの色が混じり合うロリポップキャンディを持って戻ってきた。
 普賢は布団に入り、キャンディを口にいれた。すっぱいような甘いような味が口の中いっぱいに広がり、いつしか彼は眠りに落ちていた。
「さて」
 伏羲は胸元から蛇口をとりだした。
「質をもらおう。おぬしの恋心を」
 伏羲が寝台へのしかかる。ぎしりと支えが軋む音が聞こえた。夜着の前をはだけ、まっしろな胸へ蛇口を取り付ける。そのままバルブをひねると淡い水色の液体が勢いよくあふれでた。それは空中で大きくねじ曲がり、寝台の下へ置かれていたバケツへ入っていく。対して普賢は身じろぎ一つせず夢に浸っている。あふれでていく水勢もものの五分ほどで勢いをなくした。最後のしずくが蛇口からたれるのを見計らい、伏羲は普賢から蛇口を取り外した。蛇口の痕にはほんのりと薄赤い太極図が浮いていたが、それもすぐに消えた。
「大漁大漁」
 伏羲は満足げに口の端をあげ、バケツの中の液体を一匙すくって味を見た。
「よいのう、初恋の味。これは高く売れるぞ」
 笑う伏羲の隣で、眠る普賢。その目元には一筋の涙がこぼれていた。

 目を覚ますと、見知らぬ天蓋付きベッドだった。
 普賢は一瞬驚きのあまり声を出しそうになったが、昨日の経緯を思い出して自分で自分の口を押さえた。それにしても、と、枕元に転がっていたなめかけの飴を見やる。夢を見た。だがどんな夢を見たのか覚えていない。ただ、悲しい夢だった気がする。なめかけの飴を取り上げ、舌先でつつく。ふわりと脳裏に描かれたのは亡き友人の面影。なのにどうしても、胸が空っぽになった気がして。つい昨日までそこにあった衝動を思い出せない。
 そもそもどうして自分はここへ来たのだったのだろう。ああ、望ちゃんの夢が見たいからだっけ。それは確かだ。記憶は、はっきりしている。だけどそれにともなう感情が消えている。
「……僕、どうして望ちゃんのことであんなに苦しんでいたんだろう」
 わからない。わからない。わからなくていい気がした。枕元には新札の札束がふたつ。早くこれを使ってこんな不潔で混沌とした界隈からおさらばしてしまおう。普賢は立ち上がり、傘をさした。
 それから数ヶ月の間、合成キャンディ屋の店先には水色の飴が並び、好評を博したという。