父さんと母さんは月に1~2度外泊する。
お題:これは暗黙のルールでしょう? 死ネタ キメ学時空 最後まで好きと言えなかった有一郎の話
父さんと母さんは月に1~2度外泊する。
行き先は聞かないのが子どもである俺達の暗黙のルールだ。父さんと母さんだって男と女だもんな。うちは狭いし壁が薄いからしかたないんだろう。そしてそんな日は必ず無一郎が俺にのしかかってくる。それをいなして下に敷いて満足させるのが俺の役目だ。誰にも言えない秘密、俺は、弟の無一郎と通じている。
今日も父さんと母さんが出ていくなり、無一郎は俺へベッタリと体重をかけてきた。
「兄さん、セックスしようよ」
「はいはい。ゴムまだあったっけか」
「うん、一箱残ってる。ローションもちゃんとあるよ」
思春期によくある性欲の暴発。きっとそれで片付けられる関係だ。でなきゃ弟と、同じ顔の双子の片割れと、こんなことしない。関係が続いているのは、お互いに気持ちいいから。ただの惰性だ。
俺は無一郎をばんざいさせてパーカーを脱がした。肉付きの薄いしなやかな体があらわになる。俺はごくりとつばを飲んだ。獣欲が体の奥からせりあがってきて、自然と吐息が荒くなる。
「ふふっ、兄さん発情してるの?」
「うるさい」
俺はホットローションを無一郎の胸に塗りたくった。
「ふっ、ひゃん、くすぐったい……あ」
「胸、好きだよなおまえ。女みたいだ」
「うん……」
何故か無一郎の顔に影がさした。すぐにいつもの何も考えてないような顔で俺へ抱きついてきた。
「わっ、おまえな、俺はまだ脱いでないんだぞ。ローション付くだろ」
「じゃあ兄さんも脱げばいいよ。ね、違う?」
返事をするのも面倒になったから、俺は無一郎にも脱ぐように言って裸になった。一糸まとわぬ姿の無一郎が俺にキスを求める。
「あ、あ、あん、兄さん」
愛撫を深めれば深めるほどに乱れる体。そうなるように仕込んだのは俺だという事実に若干の重苦しさを覚える。この関係はいつ終わるだろう、そうなった時俺はどうなるんだろう、ぼんやりと考えながら俺は無一郎の中へ吐精した。吐く息が白い日だった。
俺は校舎裏でクラスの女子に告白された。将棋を指す時の真剣な横顔が好きだと。特に面識のない相手だったが、俺はそのまま彼女の告白を受け入れた。これで無一郎との関係も終わりだと心のどこかで考えていた。
家に帰ると、無一郎は布団をかぶって寝たふりをしていた。乱れた呼吸とすすり上げる音だけは隠せない。
「おい、無一郎、何があった」
俺は無理やり布団を剥ぎ取った。無一郎は泣いていた。きれいな瞳からぼろぼろと大粒の涙がこぼれてまるで宝石みたいだった。
「おめでとう兄さん」
「なにが?」
「今日、告白されてたよね。付き合うんだよね、あの子と」
見られていたのか。なぜか背中を氷が滑り降りた。
「僕が女の子だったら良かったのに」
そうしたら、と無一郎は乱れた呼吸のまま続けた。
「振り向いてもらえなくても、せめて兄さんとの子どもを授かれたのに」
「無一郎……?」
俺は弟の肩を掴んで揺さぶった。
「何言ってるんだよ。冗談だよな? 俺との子どもがほしいとか、きつすぎるだろ」
「冗談なんかじゃない!」
無一郎は激しくかぶりをふった。
「僕は、僕はずっと、兄さんを、兄さんだけを好きだったんだ! 兄さんしか頭にないんだ!」
「落ち着け無一郎!」
「兄さんは違うんだろ、僕のこと、手のかかる弟くらいにしか思ってないんだろ! わかってるよ!」
そう叫んで無一郎は再び布団をかぶった。
俺は呆然とした、無一郎が俺を好きだなんて、考えたこともなかった。だってそうだろう? 俺とおまえは双子じゃないか。それ以上の関係になんてなれやしないのに。
どうしていいのかわからず、俺は帰ってきた父さんと母さんに無一郎との関係を洗いざらいぶちまけた。両親から呼ばれた無一郎は、断頭台へ連れて行かれる羊の目で俺を見たが、何も言わなかった。
父さんと母さんはこんこんと無一郎を諭した。一時の気の迷いだということ、いずれいい相手が現れるだろうこと。……恥ずべきこと、けしてしてはならないことだと。
両親が言葉を出し尽くした時、それでも、と無一郎はつぶやいた。
「それでも僕は兄さんがいいんだ」
そして家族会議の結果、無一郎は親戚の継国家へ引き取られることになった。時透家には俺だけが残った。父さんと母さんが以前と同じように接してくれる、それだけがありがたかった。無一郎は俺への接触禁止令を出され、律儀にそれを守っている。無一郎のいない暮らし……俺は想像したこともなかった。朝起きて、ついおはようと言いそうになる、カラっぽの二段ベッド。でも無一郎の事を考えたら、今の状況が最善手だ。そう思い込むことで、俺は無一郎のことを忘れようとした。夢を見た。とても、とても淫靡な夢だった。白い肌の人が俺へ笑いかける。俺は招きに応じてその人を抱く。ああ、帰ってきた。そんな安堵感が胸にあふれる。なつかしい、なによりも待ちわびた感触。求めていたもの。肉の薄いしなやかな体、やわらかな笑み。長い、先端につれて青く染まっていく黒髪。俺と同じ顔の……。
最悪の夢だ。なのに毎晩のように俺はそれから苦しめられた。中途半端に滾った体で自慰をしては、どうしようもない空白にため息をついた。無一郎がいない。無一郎が抱けない。無一郎、無一郎……。頭にあるのは俺の下で甘い声を上げる無一郎の姿、そればかりだ。学業に支障をきたし、趣味の将棋も楽しめず、俺は腑抜けのように日々を過ごした。
そんな折、彼女から「心配だ」と言われた。そうだ、俺には彼女が居るじゃないか。健全なお付き合いはできそうにないけれど。父さんと母さんが外泊する日、俺は彼女を家に呼んだ。
ぽつぽつと会話をして、ソファに押し倒し、体をまさぐった。彼女は嫌がらなかった。柔らかな肉の感触が俺を出迎えた。なのに、俺自身はまるっきり反応しなかった。あせる俺を見つめた彼女は「そんな日もあるよ」と俺を慰めてくれた。ああ、いい子だ。俺にはもったいないくらいの。俺は神に感謝し、彼女を愛しぬこうと決めた。それがまるっきり紙以下の決心だったと、その夜あの夢の中で思い知らされた。
夢は俺へ絡みつき、あの感触を、忘れたくても忘れられない快感を、忠実に再現した。汚した下着を洗いながら、俺は惨めな気分で朝を迎えた。
もう無理だ、耐えられない。
俺は休みの日に友達と遊びに行くと嘘をついて電車に乗った。
継国の家は隣の市にある。俺はバスに乗り換え、帽子で顔を隠して大きく立派な旧家然とした継国家の前までやってきた。
こんなところまできてなにがしたいんだ俺は。そもそも無一郎を追い出すきっかけになったのは俺だ。ただひと目無一郎に会えたら……。
「にい、さん?」
背後から声が聞こえた。振り向くな。そんな心の声とは裏腹に俺は顔を向けていた。そこに立っていたのは、知らない制服を着た無一郎に他ならなかった。
「兄さん、会いに来てくれたの? あっ」
気がつくと俺は無一郎を抱きしめていた。きつく、きつく、息もできないくらいに。唇が勝手に動く。
「ヤリたい。ヤラせて」
無一郎が息を呑むのがわかった。弟はあたりを見回し、幸運にも誰もいないことを確かめると「兄さん、こっち」と言った。
無一郎に導かれるままついていった先は、小さな神社だった。プレハブの社務所には誰もいない。そんなところだ。セミの鳴き声がうるさかった。
「ここ、誰も来ないから……時々、兄さんを思いながら一人でしてる」
「無一郎……」
「抱いて、兄さん」
その続きは重ねた唇の中で消え去った。興奮でガチガチになった俺自身を無一郎の腰へすりつける。頭の中は性欲でまっしろ。愛撫とも呼べない稚拙さで、俺はひたすら無一郎の体をまさぐった。あんなに知りぬいたはずの体が、たまらなく俺を煽った。
「にいさ、いいから、入れて」
「けどおまえ、慣らさないと、ローションもないのに」
「いいんだ、兄さんを早く感じたい」
俺はもうたまらず無一郎のズボンをずらすと一息にねじ込んだ。無一郎がくぐもった悲鳴を上げる。あまりにきつくてこっちも痛い。それでも勢いに任せて突き上げていると、しだいにほぐれてきた。
「にいさ、あっ、いいよ、好きにして……!」
行為はあっけなく終わった。萎えたままの無一郎のものを見ていたら、自分がどれだけやましいことをしたか思い知らされた気分だった。なのに無一郎は、恥ずかしそうに告げた。
「あのね、僕、兄さんのオナペットでいいよ。だから、また会ってくれる?」
無一郎はその場で新しいLineのアカウントを取り、俺のスマホに転送してきた。
「兄さんのしたい時に呼んで。僕はいつでもOKだから」
学校でも、継国の家でも、いい子にしてるんだと、無一郎は儚げに笑った。それから俺は耐えられなくなると無一郎を呼び出し、犯した。犯すと称するにふさわしい自分本位の行為だった。会話はほとんどせず、自分の欲が満ち足りるまで中へ射精する。それでいて終わった後もなんとなく離れがたく、無一郎が帰る時間になるまで背中から抱きしめていた。どうしてそんなことをするのか、自分でもわからなかった。無一郎は、俺に犯されるたび泣いていた。痛みと、喜びで。俺はそんな無一郎の顔が見れなかった。だから思い出すのは、いつもあの長い黒髪だ。
町中で黒髪の美女を見かけるたびに、無一郎を思い出した。なんのために離れたのか、これでは。状況が変わっただけで、やってることは前と同じじゃないか。それどころか以前よりもひどい秘密を抱え込む羽目になった。
無一郎との逢瀬を重ねる一方で、彼女とのセックスは相変わらずうまくいかず、次第に疎遠になり自然消滅した。そうやって俺は何人かの女と付き合い、しだいにそれすらもうっとおしくなっていった。孤独に拍車がかかった俺は、ひたすら将棋へ打ち込んだ。時間だけはあったから、腕は勝手に上がっていった。大学への入学が決まるころ、俺はプロ棋士としてデビューしたものの愛想のいいことは言えず、マスコミからは最初ボロクソに書かれた。だがそれも段位が上がるにつれて評価が変わっていった。他人の言いようなんてあてにならないもんだ。俺が竜王戦を制した時、孤高の帝王とかいう見出しが新聞に踊った。バカバカしくてやってられなかった。そんな下馬評より、俺は下世話なネタを拾いに走るパパラッチのせいで無一郎に会えないことのほうに苛ついていた。そしてどうにか会えた晩は、さらに激しく乱暴に無一郎を抱くのだった。無一郎は棋士としての道を諦め、高校を出てすぐ地元の企業へ就職していた。仕事場であいつがどんな顔をしているのか俺は知らない。今にして思えばもっと話し合うべきだったんだ。そうしたら、もしかしたら、それが万が一の可能性であっても、別の道がひらけていたかもしれないのに。けれど俺は心のなかにどろりと溜まった膿のようなものを、ひたすら無一郎にぶつけ続けた。無一郎は何も言わなかった。ただいつも、何かを諦めたような悲しげな目で俺を見つめていた。
「あのね、兄さん」
冬の、ひどく冷える晩だった。今でも覚えている。俺はラブホの底冷えのする部屋で無一郎と乱れ、エアコンだけではどうにもならない寒気をやわらげるために弟の体へしがみついていた。無一郎は温かい。いつも、いつもだ。やがて無一郎は俺の背を優しく撫でながら言った。
「お見合いを、することになったんだ」
そうか、とだけ俺は返した。だからなんだ。心にヒビが入った気がしたが、俺は無視した。ややあって無一郎はなつかしい問を繰り返した。
「また、会ってくれる?」
「……ああ」
「よかった……」
それはこの関係を続けるということだ。無一郎は心底ホッとしたようだった。いいのか無一郎、おまえはそれで。俺はおまえのことなんて、そうだよ、都合のいいオナホくらいにしか思ってないのに。そう言うと無一郎は「わかってるよ」と寂しそうに笑った。いつのまにこんな大人びた顔をするようになったんだろう。記憶の中の無一郎と眼の前の無一郎が重なり、俺は不機嫌になった。
あの淫靡な夢は変わらず見ている。場所はいつも時透の家の中だ。まだ俺とお前が無邪気に肌を重ねていた頃の。そこで俺はあの頃のおまえへ愛を囁き、あの頃のおまえへ口づけてひとつになるんだ。白い肌へ溶けていく夢。何もかも手放して安堵の海に沈む。
くだらない。くだらない夢だ。くりかえし見てしまうのは、現実逃避なのか。このクソみたいな自分と、それでも見捨てずにいるダメなおまえの。
月に数度の逢瀬とは裏腹に、表向きは俺たちは赤の他人だった。俺は弟などいないような素振りをしたし、それは無一郎の方も多分そうだったんだろう。お見合いはトントン拍子に進み、結婚式の段になってようやく、俺は血の呪縛と向き合うことになった。式の招待状。なぜこんなものが俺へ届いたのかというと、むこうのお嬢さんが俺のファンで、どうしても会いたいという下衆な根性からだった。いちおう親戚ということで、俺は出席の欄へいびつな丸を描いた。それと同時に感じた。もう終わらせなきゃいけない。俺達がこんな関係だとしれたら身の破滅だ。無一郎、おまえは俺と無関係な場所で、無関係に生きていけ。それが、きっとおまえのためだ。
春がやってきて新居の内見も終わり、式の準備が順調に進む中、俺は久しぶりに無一郎を呼び出した。
「兄さん」
無一郎はうれしそうな笑みを浮かべていた。餌をねだる子犬のような、みじめったらしい笑みだ。
「……」
「兄さん? どうしたの?」
「もう、会わない」
無一郎が固まった。大きな瞳を零れんばかりに見開いたまま。
「……なんで」
「おまえに飽きた」
「僕じゃないと勃たないって……」
「そんなわけないだろ。方便だ。じゃあな」
「兄さん!」
待ってとすがりつく無一郎を突き飛ばす。
「いつまでも続けられるわけ無いだろ! いいかげんにしろ! 目を覚ませ!」
「兄さん」
「おまえはシアワセになるんだよ! 嫁さんと仲良くして、孫に囲まれて! それが正しい道だ、おまえが歩むべき道だ! そこに俺はいらないんだよ!」
無一郎の瞳に絶望の色が浮かんだ。
「兄さん、僕は、兄さんがいないと……」
「いなくてもやっていける。気のせいだ」
「そんなの、そんなの誰かが決めることじゃない。兄さんにだって決められない。僕の気持ちは僕にしかわからない!」
「知るか。おまえのおきもち表明されたところで俺には関係ない」
「兄さん……」
本気なんだねと無一郎はつぶやいた。
「兄さんに捨てられたら、僕はどうすればいいんだよ……何も楽しいことなんてない。上辺をなぞって生きているだけなんだ。兄さんに会える、それだけが、喜びなのに」
「おまえの都合に俺を巻き込むな」
俺はさっさと背を向けた。無一郎がついてくる気配はなかった。夜風が身にしみて、妙に目が潤んだ。これからは、どれだけあの夢を見ても、耐えなきゃならない。長い間ズルズルと傷つけてきた兄として、せめてもの償いだ。……なんで俺は無一郎じゃないとダメなんだろう。ゲイなわけでもないのに、他の相手じゃそそられない。どうして無一郎なんだろう。わからない。わかったところでどうしようもない。無一郎は弟だ。血を分けたたった一人の。だからこんな関係はダメだ。狂ってる。遅きに失した感はあるが、ただの双子に戻ろう。式ではせめて兄らしく振る舞おう。写真で見ただけの嫁さんに、せいぜい笑顔で会釈でもしよう。
そのままバーで飲み歩き、5軒目で記憶をなくした。頭痛がひどい、喉が渇く。完全な二日酔いだ。路地の道端に寝転がっていた俺は、鳴り響くスマホのコール音で目を覚ました。母さんからの電話だった。不機嫌もそのままに通話に出る。
「有一郎、あなたどこに居るの!? 無一郎が、無一郎が!」
自殺したのよ。
耳に入った言葉が海馬にたどり着くまで時間がかかった。
自殺? 誰が? どこで?
だから無一郎よ。新居の風呂場で、首をカミソリで切って。
視界が揺れる。まともに座ってられない。なんだそれ。おまえはシアワセになるんじゃなかったのか。傍から見れば順風満帆だっただろうが。どうしてそんなことを。母さんはだまりこくってる俺相手に、内心の激情そのままにしゃべりまくった。
「遺書があったのよ。『好きな人がいます。どうしても諦められません。ごめんなさい』って。これ、あなたのことじゃないでしょうね、有一郎! 有一郎、なんとか言ったらどうなの!」継国家に呼び出された俺は、無一郎の嫁さんになるはずだった女性へ頭を下げた。あくまで遠く離れて育った双子の兄として。我ながら堂々としていたものだから、父さんも母さんも、もちろん親戚も相手のお嬢さんも騙されてくれた。事故物件になった新居は、俺が今まで溜め込んだ賞金で買い取ることにした。相場より高めの値段を提示したから、すんなりと受け入れられた。向こうの両親は自殺者を出した家とは早々に縁を切りたいようで渡りに船だった。お嬢さんは泣いていたけれど、そのうち涙も乾くだろう。泣けない俺は、ひたすら事務的に、淡々と物事を進めていった。母さんなどは、やっぱりお兄ちゃんね、なんて、見当違いな感動をしていたくらいだ。無一郎の葬儀を終えて一ヶ月後、俺は身一つであいつが死んだ家へ引っ越した。
「ただいま」
誰もいないはずの初めて入る家、俺は後ろ手で玄関のドアを締め両腕を開く。
「『諦められない』んだろ、無一郎」
奥の部屋のカーテンが風もないのに揺れた。とたたっと、軽い足音が近づいてくる。何かがふわりと俺へ抱きついた気がした。ああ、おまえはあの頃のままなんだな。
「バカだな、おまえ。本当にバカだよ。でもあいにく俺のほうができが悪いんだよな。49日過ぎても一緒だ」──数々のタイトル戦を勝ち残り、孤高の帝王と称された時透有一郎については、私生活の資料が無きに等しい。
当時のインタビューに残る無愛想な物言いからは将棋に対するストイックな態度しか読み取れず、派手な生活とは無縁の人だったとだけわかる。他にわかることといえば、親しい友もおらず、門弟も取らず、親類縁者くらいしか付き合いの範囲がなく、一日に一度決まった時間に散歩へ出る以外は家へこもりきりだった、という程度であろうか。さて、時透といえば神の一手にも等しい数々の逆転劇が有名だが、そのひらめきはどこから来るのであろうか。時透はほぼ独学で将棋を学んできたため、研究者の間ではいまだに議論が分かれている。
ところで、将棋界にはこんな噂話がある。同期たちが一度時透を限界まで酔わせて極意を聞いたところ、時透はぽつりと「弟が教えてくれるんだ」とこぼしたらしい。