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SS~夢見るほどに君が好き

「彼女ほしい」

まだ両思いじゃないゆうむい キメ学時空
お誕生日をお祝いしてくれた相互さんへ

続き

 寒さも落ち着いて、桜もようやくあくびをしだした日曜日。有一郎は財布とパスケースだけの身軽な姿で「いってきます」とリビングに声をかけた。
 テレビを見ていた双子の弟、無一郎がソファから飛び降りて駆け寄ってくる。
「どうしたの兄さん。出かけるの?」
「うん」
「えー、聞いてない。聞いてない。聞いてない」
 弟から抗議を受けた有一郎はあからさまに嫌そうな顔をした。
「なんでお前にいちいち断らないといけないんだよ」
「だって気になるじゃん?」
「春物を買いに行くだけだ」
「僕も行く」
「お前今月の小遣い、使い切ってたくせに」
 有一郎はため息をついた。中学生の小遣いなんてたかが知れてる。無一郎はそれを流行りの新作ゲームに突っ込んだのだった。そして半日でクリアして「飽きた」とのたまった。買い食いも頻繁にするし、気になった音楽はすぐDL購入するし、無一郎の無は無計画の無。
「そこは兄さんが何とかしてくれるよね?」
「だからお前とでかけるのはイヤなんだよ。ナチュラルに人の財布をあてにしやがって」
 無一郎が好き勝手している間、有一郎のほうは親の手伝いをしたりテストでいい点を取ったりして小銭を稼いでいる。なお、将棋大会の賞金は親の懐に入るのでびた一文降ってこない。自力でやりくりするしかないのだ。それをこの弟は……。
 有一郎はそれ以上何も言わずハイカットのスニーカーを履いて出ていこうとした。が、襟首をつかまれカエルがつぶれたような声を出した。振り向くと無一郎が心外そうな顔をしている。
「僕も行くってばぁ」
「……なら早く支度しろ」
 無一郎の無は何を言っても無駄の無。

 駅地下のショッピングモールを二人は歩いていた。下調べ通りバーゲンの真っ最中でどこの店もやけくそみたいな値引きをしている。
「原価が気になるよね」
「そんなの気にしてたら服なんか買えない」
「なんでわざわざ買うの? 母さんが買ってくれるのに」
「お前には理解できないよ」
 有一郎は地下街を一巡りし、財布の中身と相談しながら目星をつけて回った。何回か試着し、薄手のパーカーを一つ選ぶ。細身のそれは自分が思う以上にしっくりきた。値段も手ごろ。いい買い物だと、試着室の前で退屈そうに立っている弟へ声をかける。
「どうだ?」
「よくわかんない」
 いまだオカン支給服を着ている無一郎は正直にそう返した。ここで誉め言葉の一つも出てくれば気分も上がるのだが、こいつは自分に素直すぎる。母が買ってくる、だぼっとした垢ぬけないラインのパーカーは、小柄な無一郎をさらに幼い印象にしている。同じ顔の有一郎としてはそれが気に入らない。オカン支給服を着た自分が目の前に居るわけだから、身だしなみには敏感になる。無一郎のほうはその辺ちっとも気にならないようで、ちょいダサのままだ。無一郎の無は無頓着の無と思いつつ、万が一こいつが自分で服を選ぶようになったらアドバイスくらいはしてやろうとも考えた。

 小腹が空いたと無一郎がねだるので、有一郎はバーガーショップに入った。アプリのクーポンでポテトのLとシェイクを買い、弟に押し付ける。自分はコーヒーだけ頼んで椅子に座った。無一郎はおいしそうにポテトをつまんでいる。何をするにしてもどことなく楽しそうなのは弟のいいところだと思う。将棋を打つときも、不利になればなるほど楽しそうにする。そこからあれよあれよというまに逆転してみせるのだから、まったく人は見かけによらない。じつは弟は天才なんじゃないかと、有一郎は密かに勘ぐっている。いまのところ兄の意地で無一郎相手には全戦全勝だが、いつ負かされるかと考えるとヒヤヒヤする。
 無一郎がああだこうだと話しかけてくるのを適当にいなしながらのんびりしていると、ウィンドウの外をカップルが通り過ぎていった。男の腕に女がしなだれかかっている、見るからに「付き合ってます!」と声高に叫んでいるようなふたりだった。
「彼女ほしい」
 ぼそりとつぶやくと無一郎が顔を上げた。
「ひとりいる?」
 飲んでいたコーヒーを噴き出しかけた有一郎は、ばくばく鳴る心臓を押さえた。
「そ、それは、どういう意味だ」
「んー? 僕、女友達たくさんいるから、一人紹介してあげるよ?」
「ああ、そういう意味な。誤解を招く表現はよせ」
「誤解? なにを?」
 無一郎はきょとんとしている。へんに気をまわしすぎたかと有一郎は冷めてきたコーヒーを一息に飲み干した。
 弟はもてる。特にプロ棋士志望としてテレビに出てからはプレゼントやラブレターが山ほど送られてきて、教室でもよく女友達に囲まれてきゃあきゃあ言われている。彼女ができないのがおかしいくらいだ。その気になればとっかえひっかえしても「無一郎君だし」の一言で許されそうな雰囲気すらある。実際は、無一郎の無は無関心の無で、これでもかと迫りくるラブコールを笑顔でバッサリ切り捨てている。
 一方、有一郎に回ってくるのは「これ、無一郎君に渡して」などという無惨な一言だったりする。まあ、あまり人付き合いは得意ではないし、気の合う仲間と将棋談義をしているほうが性に合っているのでべつに不満ではないが、無一郎と間違われて告白された時はちょっと気が遠くなった。
 有一郎は目の前の弟をとっくりと見つめた。自分と同じに見えて、やや幼い顔だち。ぽやんとした雰囲気。あと寝癖。性格は人畜無害……に見えてわりとわがまま。けっこうな傍若無人。すぐに手が出るほう。将棋盤を前にしたときのとのギャップがすごい。なんというか、母性本能というやつをくすぐるのだろうか。かなりの年齢のおねえさま層にまでファンがいることを知っている。
 いいなあと思わなくもない。思わなくもないが、じゃあ同じ境遇になりたいかと言われたら死んでもごめんこうむる。自分は無一郎ほど世渡りが上手じゃない。自分がきゃあきゃあ言われる側になったところを想像するとゾッとする。
 だけども、年頃の男子としては、やっぱり思ってしまうのだ。
「はー、彼女欲しい」
 恋がしたいのか、彼女というイベントが欲しいのか、それすら有一郎にはわかっていないけれども。
「どんなのがタイプ?」
 無一郎の無は無邪気の無。そう返しそうになった有一郎だった。とはいえせっかくなので頭の中をひっかきまわしてみる。
 同じ時間を親密に過ごすのだから、やっぱり気の合う相手が良い。自分は四角四面なので柔軟な考えができる人だと良い。話題が豊富でよく笑いよくしゃべる子が良い。甘えられると張り切ってしまうクチだから、すこし甘え上手だといいかもしれない。空いた時間は将棋にあててばかりなので、若干強引なくらいが良い。……有一郎は目の前の弟をながめた。気が合うと言えばこれ以上合う相手もいない。なにせ生まれ落ちたその時から文字通り酸いも甘いも分かち合ってきた相手だ。うっとおしく感じることも多いけれど、一緒にいると落ち着くし、なにより自分にはできないことをいともたやすくやってのける。テレビが好きだし、暇があると動画サイトを見ているし、流行り物にも感度が高い。それでいて、いつでもゴーイングマイウェイ。
(こいつが女だったらな)
 そんな考えがふとよぎり、有一郎は思わず自分を鼻で笑った。そうだな、とりあえず。
「小柄で気が強いのがいいな」
「ふーん、ほかには? ほかには?」
「急に言われてもわからないだろ。好きになった人が好きなタイプかもな」
「なにそれ、ぶっちゃって」
「仕方ないだろう? 俺はお前とは違うんだから」
 無一郎が残ったポテトをごっそり口の中へ放り込んだ。
「小柄で気が強い子だね、覚えておこうっと」
「いい子がいたら紹介してくれ」
 あまり期待せず有一郎はそう返事した。音を立ててシェイクの残りを飲み干した無一郎はなにか企んでいる風だ。
「いや、やっぱいいわ」
 反射的に有一郎はそう言った。長い付き合いでこういう表情の無一郎はろくでもないことを考えていると知っている。今頃頭の中でお見合いカードでも並べているのだろうか。有一郎の予測は半分あたりで半分はずれだった。なぜって無一郎は「あの子とあの子とあの子だけは兄さんに会わせないようにしよう」と決めていたから。
(兄さんはモテるからなあ……変な虫がつかないよう気をつけなきゃ)
 無一郎は知っている。自分へ群がる女子たちがただのミーハーだということ。みんなの無一郎くんであって、べつに本気で愛されているわけではないこと。本当に熱い視線を送られているのは、兄の有一郎のほうだということ。そして、そして、兄は、そっちの方面はすばらしく鈍感だということ。
 いいかげん気づいてほしい。自分がどんな目で有一郎を見ているかを。とっくにただの双子の距離感を超えていることを。なのに、この兄は、この兄は、甘えたがりでスキンシップの激しい弟、くらいにしか見てくれないのだ。幼稚園ならいざ知らず、もう思春期だ、中学生だ、さすがにそろそろ何か反応があってもいいんじゃなかろうか。
「腹ふくれたか、無一郎。行くぞ」
 ああまったく、人の気持ちも知らないで!
「てりたまバーガー食べたい」
「晩飯入らなくなるぞ」
 せめてこのふたりきりの時間を引き伸ばしにかかってもいいじゃないか。なんだかんだで買ってきてくれる有一郎にも問題はあると、無一郎は感じる。そういうことをするから自分はどんどん離れられなくなっていくんだ。諦めたい、双子だ、兄だ、男同士だ。諦めきれない、好きだ、好きだ、大好きだ。ものごころつくと同時に自覚した思いは歳を重ねるごとに燃え盛る一方。
(兄さんが女の子だったら、さらっていっちゃうのに)
 アブノーマルだとわかっている。だけど「もしも」が捨てられない。
「そういえば」
 憤然とてりたまを食べていた無一郎は有一郎の声にこくびをかしげた。
「お前はどんなのがタイプなんだ?」
 兄さんだよと答えたくてでもできなくて、無一郎はあかんべえをした。