「ねえ炭治郎、僕を抱いて」
ゆうむいでたんむい未満 原作時空
時透君がいなくなった。
俺は善逸や伊之助といっしょにぼろぼろになった隠れ里を探し回った。
「アー、もうヤクタタズねえ! さっさと見つけなさいよ!」
鎹烏の銀子によると、時透君は鬼を斬ると一人になりたがるらしい。だから行き先は銀子にもわからないそうだ。
「炭治郎、俺、向こうを探してみる!」
「同じところを走り回っても意味がないからな、俺はあっちだ!」
「善逸、伊之助。頼んだ! あっでも道に迷うんじゃないぞ、特に善逸!」
銀子とも離れてひとりになった俺は、深い山へわけいった。この辺ならまだ鼻が利く。里の匂いを追っていけばもとに戻れるはずだ。その範囲内で時透君を探さなきゃ。あんなことがあったばかりだ。どうか無事でいてくれ時透君。
深い薮を抜け、急な坂を登り、奥へ奥へ。どんどん里の匂いが遠くなる。俺は内心の焦りを隠しながら転ばないよう慎重に歩を進めた。
その時、視界の隅を人影がかすめた。
「時透君!」
夜影の中に立っているのはまぎれもなく時透君だ。吉祥文様の入った黒い一枚物を身にまとっている。
「どこ行ってたんだい。心配したんだよ」
けれど俺が近づくと、時透君は身を翻して駆け出した。名前を呼んでも振り向きもしない。やっと見つけたのに! 俺は内心むっとしながら時透君を追いかけた。そうやって追いかけっこをしているうちに、不思議なことに気づいた。
──匂いがしない。時透君の匂いが。
そういえば人の形を真似る鬼もいると小耳に挟んだ。もしかして……。自分の想像にぞっとしながら俺は足を早めた。ついでに鼻をひくつかせる。相変わらずなんの匂いもしない。鬼の匂いもしない。ということは悪いものじゃないのか?
その子は息も切らさず、かもしかのように俺の前を行く。俺はでこぼこ道にひいひい言いながら彼を追いかけた。山を越えた辺りだっただろうか。急に視界がひらけ、草原に出た。そのまんなかで仰向けに倒れているのは、まぎれもなく俺が探していた時透君だ。黒い着物の子のほうは、その傍らへしゃがみこみ、すっと消えた。
「無事か!?」
抱き起こし耳元で呼びかけると、時透君はうるさそうに顔をしかめた。俺はざっと時透君の体を見やる。傷はすべて処置されていて、新たな血の臭いはない。隊服も整っている。おおかた一人になった後この草原で力尽きて眠っていたのだろう。まったく世話が焼けると思いつつ、俺はさっきの時透君はなんだったんだろうと首を傾げた。よくよく考えてみれば目の前の彼より、やや幼かったようにも思う。本当に何だったんだろう。
「炭治郎……」
時透君は霞のかかった両目で俺を見た。年下とは思えない……色香だ。同じ男なのにそんなものを感じてしまうなんて、どうかしてる。
「時透君、無事みたいだね。よかった、早く里へ帰ろう」
「誰もいない?」
俺は周囲の匂いを嗅いだ。
「うん、誰もいないよ」
「そう」
そのまま時透君は黙り込んだ。何か迷っているふうだった。
「ねえ炭治郎、僕を抱いて」
「え、今抱いてるけど?」
「そういう意味じゃなくて……」
時透君は俺の首に腕を回した。
「知ってる? 男同士でも子作りの真似事はできるんだよ」
「は?」
「抱いて、炭治郎。僕、寒くてたまらないんだ」
「寒いならこたつに入ったほうが……」
「だから、そういう意味じゃないって言ってるよね?」
視界がぐらりと揺れた。気がつくと俺は時透君に押し倒されていた。時透君は俺の隊服の襟をくつろげ、第一ボタンに手をかけた。
「待って! 時透君、お願いだから!」
「待たない。寒いんだ、あたためてよ炭治郎」
「ダメったらダメー!」
ごちん。迫ってくる時透君に頭突きを一発。さすがに今のは彼にも効いたらしい。くらくらとしおれる彼の下から逃れ、ほころびた第一ボタンを止める。
「正直言って! いま時透君、すっごくいい匂いがするけれど! ダメなものはダメ! こういうのは夫婦になってからするもの! それ以前に、俺たちは男同士!」
「炭治郎って頭固いんだね、二重の意味で。柱と寝る機会なんてめったに無いよ?」
「時透君はまだ14だろ、それに、俺は君をそんな目で見れないから! げっほ、ごほっ」
大声でわめきすぎてむせてしまった。そんな俺へ失望の匂いを返し、時透君は「あーあ」とつぶやいてまた草原へ寝転んだ。
「いいよ、屋敷についたら隠を手配させるから」
「あのね……」
俺はあきれてものも言えなかった。隠に手を出している柱がいるとは聞いていたけれど、それが時透君だったとは。たしかに戦いの後は血の昂りを感じる時がある。けど、それを他人の体を使って癒やすなんて俺には考えられなかった。
「そういえば」
「なに?」
ふてくされた時透君はこっちへ背を向けた。その背を眺めながら俺は続ける。
「来る途中に道案内をしてもらったよ」
「銀子に?」
「違う。君にそっくりの黒い着物を着た……んっ!」
バネじかけのように時透君が飛び起き、俺の襟をしめあげる。
「話して! くわしく!」
「ぐ、ぐるじい……」
時透君はあわてた様子で手を離した。俺は喉元を押さえながら道中の黒い少年のことを話した。
「……兄さん」
「え?」
「なんでもない」
時透君は目元をこすり、鼻を鳴らした。
「あのさ。出過ぎたことを言うようだけど、あれはきっと悪いものじゃなくて、君を見守ってると思うんだ。だから、あの子に恥じるような行いはやめといたほうがいいんじゃないかなって」
「わかってるよ!」
時透君が急に大声を出したもんだから、俺はぎょっとした。なんだかさっきから振り回されちゃってるなあ。俺は時透君へ手を差し伸べた。
「里へ帰ろう? みんな君を心配してる。君を待っているよ」
「……うん」
苦味の混じった微笑みを浮かべ、時透君は俺の手を取った。
「ところでさっき『兄さん』って聞こえた気がしたけど」
「き、気のせいだよ」
「そうなんだ。まあ、話したくなったら教えてよ。俺はもっと知りたいな。時透君のこと」
「やっぱり僕と寝たいの?」
「いやいやいや、むしろどうしてそうなるんだよ。友達としてだよ!」
友達、ともだちかあ……。時透君はその単語を口の中で転がしているようだった。記憶障害だった彼にとって、馴染みが薄いことなのかもしれないなと、改めて思った。
「うん、友達。俺たち友達になろう!」
両手で時透君の手を包むと、彼は年相応の少年の顔に戻った。あのいい匂いも消え去っている。
「わかったよ炭治郎」
「よろしく! 時透君!」
「うん、よろしく……」
時透君はおとなしく俺についてくる。里への道を先に進ませて俺は怪我の深い時透君をサポートしながら進んだ。
なのにあの時、どうして俺は振り返ってしまったのだろう。
草原の真ん中に、取り残されたような黒衣の少年。時透君にそっくりの、泣き腫らした顔。血まみれの体。その瞳は時透君だけをまっすぐに見ていた。やがてその子は俺へぺこりと頭を下げ、霞のように消えてなくなった。悪いものではない。わかってはいたけれど、背筋が急に寒くなった。知らないふりをしよう、俺はそう決めた。