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SS~冷雨

「ごほうびいる?」
 
  ※ホワイトフェスタに投稿しました『氷雨』のふーたんサイド。
 ファイル 185-1.gif
 
 ※暗い 木普 ふーたんが浮気性で女の子注意
 ※ギリギリ望普? 12禁くらいで
 
 
続き
 
 

 彼の体温を感じると体の芯がとろりとした熱をもつ。
 いつもどこか不機嫌そうな横顔の、意外に長い睫毛や形のいい鼻梁を見つめていると、頭がぽうっとして思考がゆるやかに溶けて、いますぐに目をそらしたいようないつまでも見つめていたいような、相反した思いに囚われる。
 光を弾く黒髪――触れたい。
 黒曜石のような瞳――見てほしい。
 いまだ幼げな少年の手――口付けたい。手袋を脱がせて指先に甲に、手のひらに。

 これは何?
 これは何?これは何?これは何?
 何故僕の中にこんなものがある?
 違う、これは『愛』じゃない。
 愛は雨のようなものだから。
 すべてに平等にわけへだてなく、惜しみなく降りそそぐ雨のようなものだから。
 これは何?
 誰かにだけ特別だなんてそんなの違う、愛じゃない。
 何故僕の中にこんなものがある?
 僕は愛で満たされてなくてはならないのに。
 キミの目に映る僕は一番柔らかくて一番心地よくて一番いい僕でなくちゃダメなんだから。
 違う、違う、違う。
 何故僕はそんなことを考える?
 そんなこと考えちゃいけない、それは愛じゃないんだから。
 欲しがるのはいけないこと、与えることのみがすばらしい。
 そうですよね、お母様?

 どうしてキミにだけ、僕は愛を注げなくなるの?

 +++++

 夜中に目が覚めると、普賢が一人でいた。
 木咤は暗い廊下から明かりのもれる師の部屋をのぞき、彼女がひとり机に向かっているのを眺めると、台所にとってかえして茶を淹れた。
 そろいの茶器を盆に載せて師の部屋を訪ねると、普賢はいつもと同じ穏やかな笑みを浮かべ木咤を迎え入れた。安眠を誘うジャスミンの香りが盆の上からふわりとただよう。
「上手になったね」
 澄んだ茶を一口飲むと、普賢は素直な感嘆を表した。木咤はうれしげに笑う。なんであれ師に誉められるのはうれしい。
 普賢は二杯目を空にすると器を置き、木咤に身を寄せた。
「ごほうびいる?」
 そう言って笑う。ごほうびは師匠の体だ。普賢は細いけれどやわっこくてすごく気持ちいい。初めて肌の味を知った時、木咤はすっかり彼女の体に溺れてしまい、危うく戻ってこれなくなるところだった。
「いりやせん」
 短く、だがはっきり断ると、木咤は自分よりひとまわり小さな師の体を抱き寄せ頭を撫でた。師はいつも抱きしめると目を閉じる。離れると目を開ける。童女のような笑みを浮かべて普賢は弟子に細い体を預けた。
「お淋しいでやすか?」
「なにかしてもらったら、なにかしてあげなくちゃって思っただけ」
 木咤が仙界に上がる前から、師はこうだった。求められれば際限なく与える、心も体も。誰であろうと受け入れ、愛を返す。わけへだてなく微笑み、けして自分だけを特別扱いしてくれない普賢に、業火で焼かれるような感情を抱いてもだえ苦しんだ時期もあった。
 今もまだおき火のような未練が体の芯にあるけれど、気づかないふりをする。木咤の若木のような、だがしっかりと引き締まった男の手が、癖の強い普賢の髪を無言で梳く。夜半、師弟の間には芳醇な静寂があった。
 さすがに相手が十二仙ともなると、体目当てに訪ねてくるのは難しいようで。普賢は次第にひとりで夜を過ごすことが多くなっていった。今では数えるほどしか彼女を求める者はおらず、その来訪も日が開く一方だ。
 普賢はいつしか寝息をたてている。細心の注意を払って抱き上げ、隣室に連れていき寝台に横たわらせる。
「ありがとう」
 薄い闇の底で紫紺の瞳がゆるい弧を描いている。
 起こしてしまったらしい。そもそも本当に眠っていたかもあやしいけれど、そこは自分の未熟のせいにする。師は満ち足りた息を吐き、手を伸ばして木咤の前髪をかきあげた。
「しばらくキミに抱かれてないね。もう飽きちゃった?」
 曖昧な笑みを浮かべてごまかそうとする木咤に、この子は見た目よりもずっと大人なのだと改めて気づかされる。弟子が自分を思いやる気持ちに、普賢は笑みを誘われた。
「こんなに長く僕のそばにいてくれるのはキミが初めてだよ木咤」
「そうなんでやすか?」
「みんなすぐ飽きちゃうんだ、僕に。いつもただ笑ってるだけで物足りないって」
 どうしてかなあと、腕の中の師は首をかしげた。
「僕はただ愛そうとしてるだけなのに」
 眠たげな声がとろけて聞こえる。まだ内に残っていた火をあおられた気がして、木咤は師から心もち体を離す。
「師匠のことは好きでやすけど……、そういうとこ、ちょっとヤです」
「イヤ?」
「師匠は誰でも同じように愛するんでやしょう?」
「そうだよ、愛は雨のようなものだから」
「それって、とっかえがきくってことでやんしょ」
 木咤はくしゃりと顔をゆがめた。普賢を見る瞳は、どこか痛々しいものをながめるようで。
「俺は、その、率直に言って師匠のこと好きです。でもそれが一人の人として好きなのか、師匠として好きなのか、俺にもまだよくわかってねえですし、それに……」
 うまい言い回しを思いつけないのか、木咤は語尾を濁した。唇を舌でしめして先を続ける。
「俺はほんとに師匠をすごいって思ってやす。お強いし、賢いし、なんでも上手になさいやすし、尊敬してやす。そんな師匠に、駆け出しの下っ端の俺なんかが意見するのもあれでやすけど、それでも、師匠の言ってることは、なんか違うと思いやす」
「……望ちゃんと同じこと言うんだね」
 声は小さくて聞き取りづらかった。だが次の瞬間、普賢は顔をあげてなめらかに口を動かした。
「これはとてもデリケートな問題だし、見解の分かれるところだと思ってるよ。僕には僕の考え方があってそれを翻すつもりはないけれど、キミも僕に遠慮して意見を変える必要はない。
 キミにはキミのやり方がある。大事にすればいい。選択肢が増えれば対応できる状況も増えて、結果的に集団への貢献になるのだから」
 昼の顔をのぞかせた師に木咤は頭を下げて敬意を表すと、今度こそ体を離した。だが普賢の姿はどことなくさみしげで、部屋を辞することまではできなかった。
 普賢は手を伸ばし、枕もとの灯りをともす。寝室がゆるいオレンジの光に彩られ、引き伸ばされた影が壁に映る。
「お休みになられるまでここにいやしょうか」
「そうだね、お願いできるかな」
「へえ、お安い御用でやす」
 木咤は背もたれの無い椅子を引き寄せて腰掛けた。そのまま二人でとりとめのない話をする。眠たげなままほとんどを普賢が語り、弟子はうなづくだけだった。話題が戻って愛に触れると、木咤がふと首をかしげた。
「師匠って誰でも愛せるんでやすよね」
「そうだよ」
 どうにも解せないといいたげに木咤は首をひねりなおす。
「何かコツでもあるんでやすか?」
「うん、簡単だよ。あのね」
 普賢が止まった。
 いつもの微笑みを浮かべたその顔がゆっくりと冷えて硬くなっていく。
 初めて見る師の表情に木咤が身を引いた。その姿が普賢を拘束する。いけないと理性が叫ぶ。
 早く戻らなくちゃいつもの僕に。僕はこの子の師匠なのだから、見苦しいところなど見せてはいけない。急かす心を裏切るように動悸が激しくなっていく。冷や汗がこめかみを伝った。
「すいやせん、長居しやした」
 鎖を断ち切るかのように、木咤は立ち上がり一礼した。横になったまま息をひそめている師に布団をかけてやると灯りを消して部屋を後にする。闇の中に普賢はひとり取り残された。
 寝具に埋もれたまま普賢は唇を噛んでいる。見開いた瞳は何も見てはいなかった。
 動悸はおさまらず、ひどくなる一方だ。息切れまで起こしそうで、はばかるように細く呼吸することしかできない。冷めて硬くなった粘土のような体、その中で心臓だけが痛いほどに激しく脈打っている。
 動揺していた。微笑みを保てなくなるほどに。
 取り繕うことも考えつかず、普賢は暗闇を見つめ続ける。
 何気ない一言が探り当てたものは、普賢の中の何かを壊した。張り詰めた風船に突き刺さった針のよう。ギリギリのところで保ち続けてきた均衡が崩れる音が背後から聞こえる。
 振り向いてはいけない。振り向いたらもう二度と立ち上がれない。

 誰でも愛せるよ、僕は。愛は雨のようなものだから。
 誰にでも分け隔てなく平等に降りそそぐ雨のように、僕は誰であっても同じように心から愛せる。
 難しくなんかない。とても簡単なんだ。あの人だと、思いこめばいい…………。

 急に自分が蟻のように小さくなった気がした。暗闇が壁のように普賢を取り囲み、今にも押しつぶそうとしている。そんな気がする。怖い、怖い、怖い。
 暗闇が怖い。一人が怖い。
 初めて味わう恐怖に、なすすべもなく普賢は震えた。
 明晰であるはずの思考は混乱したまま空回りしている。歯車を欠いたカラクリのように、際限なく同じところを回りつづける。足は萎え、体は震え、ねばっこい不快な汗が全身を濡らした。
 己が己を制御できない。理路整然を美徳とする普賢にとって、それは恥辱でしかなかった。いついかなる時も押し込めていた感情が、昂りと暗闇の力を借り次々と蓋を開けてあふれ出て来る。
 心細い、助けてほしい、すがりたい、すがりたい、すがりたいあの人はいない、ここにはいない、遠くにいる、帰ってこない、あの人は僕を抱かなかった、僕はあの人に気に入られなかった。
 瞳が濡れていく。勝手に濡れていく。
 最初の嗚咽が喉の奥から飛び出そうとしたその時、噛み締めていた唇が唐突に動き出した。機械のようになめらかに言葉をつむいでいく。
「欲しがるのはいけないこと、いけないこと。与えることのみがすばらしい。愛は雨のようなもの。誰にでも分けへだてなく平等に。これが真実、これが正しい。間違ってない、僕は間違ってない」
 くりかえし、くりかえし。同じ言葉をくりかえし。唇は言葉をつむぎ、普賢は乾いた瞳を見開いたまま闇を見据えている。
 切迫した響きの小さな声は、いつまでも寝室に響いていた。
 
 +++++
 
 お願いがあるの、僕を抱いて。
 気持ちいいことなんでもしてあげる。
 だから僕で喜んで。僕を気に入って。
 ……あいしてください。

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■ノヒト ... 2007/05/16(水)00:58 [編集・削除]

ただひたすらニコニコしてる心底いい人、というのはもうそれだけでホラーだ。

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