リクエスト「背中合わせに座っている二人」
by>>instant 文月みなみさま THX A LOT
湿った土のにおいが鼻をつく。遠くから夜の鳥が低い声を響かせているのが聞こえる。冷たい壁にもたれて、普賢はため息をついた。
薄すぎる月明かりは、鉄格子の影をほんのり廊下へ伸ばしている。
とっくにみんな寝静まっている頃だろうが、とにかく湿気が多くて横になる気になれない。
尻の下に敷いた敷布もどこかじっとりして居心地が悪かった。
居心地のいい独房なんていうのもないんだろうけど、これはちょっとひどすぎるんじゃないか、と思う。
こつんと頭を壁にもたれさせると、壁の向こうから、コンと弾くような音がした。
「………寝てるか」
くぐもった小声で呼びかけられ、普賢はほんの少しほっとする。ああ、そうか。一人じゃなかった。
「起きてる。…寝られなくて」
返事をすると、相手も明らかにほっとしたように、そうだよな、と言った。
「今、何時だろうな…」
「さあ………でも」
まだ朝は遠いような気がする。
ちょうど頭のところに、ゴツンという振動が伝わった。それで普賢は、壁の向こうで望も自分と同じように壁にもたれて座っているのだと分かった。
「普賢」
呼びかける声はどこか上の空という感じに聞こえた。
「…もうやめるか」
それにどう返事を返してよいものか、普賢は迷い、口を噤む。
黄巾力士を持たない一介の道士が下界へ降りるには、2つの手段しかない。一つ目は、決められた手順を踏んで師匠に頼み、許しをもらうこと。そして二つ目は、師匠の目を盗んでこっそり降りること。
二人がこうしてじめじめした独房に別々に入れられているのは、二人揃って二つ目の手段を選び、運悪く見つかってしまったからだった。
しかも初めてではない。口頭の注意で済んだのは3度目まで。
この程度で許されるのかと調子に乗って同じことを繰り返してしまったのは浅はかだったに違いない。
相手もきっと、もう一度やるとわかっていたのだろう。
(太公望はともかく………普賢、なぜおぬしまで)
元始天尊は大きなため息をついて高座から見下ろした。
普賢は黙って俯いた。
その横で望がもどかしそうにこちらを見ているのが分かったが、説明できることなど、普賢にはなにもなかった。
(ただ、望ちゃんがそれを望んでいたから、なんて)
言えるわけがなかった。
「………ちょっとやりすぎたな」外に響かない、低い望の呟きは、湿った土壁を越えて普賢の耳元に届いた。
「でも、降りたかったんでしょう」
普賢がそう問うと、ああ、と苦笑交じりの返事が返ってきた。
「夢に見るんだ」
しっかりと地に足をつけ、高く青い空を見上げている。
この地上のために、どんな辛いことも耐えようと誓ったあの日のこと。
「夢だって分かってる。でも………わしはこうして遠すぎるところにいる」
目覚めるたび、足元を見る。空の上に築かれた、雲のように現実味のない平和。
ほんとうにこの場所にいていいのだろうか、という焦燥が波のように押し寄せてくる。
「…いつになったら、あの場所に帰れるんだろうな」
普賢は目を閉じた。自分とともにあるこの場所も時間も、彼にとっては通過点に過ぎない。
この壁の向こうの、頼りない背中の中は、彼の愛する地上のことでいっぱいなのだ。
他の誰も入り込む隙間などないほど、ぎっしりと詰まってしまっているのだ、過去も未来も。
その思いは、薄暗い独房を照らす朝日の輝きに似ていると、普賢は思う。
心の中に入り込む隙がないなら、それなら、強い瞳に、言葉に、照らされてできる影のように、
(僕は全力で彼を支えよう)
「望ちゃん」目を開けて、暗闇を見つめた。
「僕、仙人になるね」
冷たい壁ごしに、驚いて身じろぎする音が聞こえた。
「普賢、」
「それでうんと偉くなって洞府を持てば、黄巾力士の1つや2つ、簡単にもらえるじゃない?」
「………………」
「そしたら望ちゃんに貸してあげられるよ。いつでも好きなときに、好きな場所に行ける」
「勝手に決めるな」思いがけずむっつりした声に、普賢は壁のほうを振り向く。
「…いつだって二人でやってきた。どんなに偉くなっても、おぬしも連れて行くからな」
その頃の自分たちが、どんな風になっているのかなんて、想像できないけれど。
うん、と言って、普賢はもう一度壁に背をつける。
「望ちゃん、運転下手だから」
「うるさいわ」
押し殺した笑い声が壁を通り抜けて響いてくる。
姿も見えない独房の中にいても、その声だけで体温が伝わるようだった。
(あと何日、こうしていられるだろう)
夜がまだ明けそうにないことを、この日普賢は初めていとおしく思った。
(了)
■ノヒト ... 2007/09/12(水)18:57 [編集・削除]
文月さんがサイトで5周年記念にリクエストを募っていらしたので特攻してきました、ぎゃぼー!!て勢いで!!
いいですよねコレ、背中合わせ。間に壁!これがまたツボ!
じんわりくるぬくもりとか信頼関係とか。間が壁でへだてられているからこそ感じるこの友情。見えないからこそ感じる相手の存在感。爽やかかつ力強い!たまりませんうへへうへへうへへ!
文月さん素敵なSSをありがとうございましたー!そして掲載許可もありがとうございました!
うれしくてきゃっきゃしています。きゃっきゃ!きゃっきゃ!