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トタン屋根に焼きついた猫

「淫婦め……」
 
 ※寒い ポエムっぽい 12禁くらい
 ※>>永夜のしょーもない続き
 
 
続き
 
 

 
 
 言い訳をひとつ口にした。
 最初の1年はそれだけつぶやいて過ごした。
 言い訳がふたつに増えた。
 次の1年を過ごすことができた。
 もうひとつ言い訳を増やした。
 3年目をやり過ごせた。
 999年目に、言い訳が底をついた。
 
 男は屋根の上にへばりついていた。
 縁に手をかけ、あとは身を乗り出すばかりだ。
 ほんの少し覗きこめば窓の中に、この家の主の姿を見ることができる。
「……淫婦め」
 食いしばった歯の間から、男は言葉を搾り出した。
「……わしは……おぬしごときに心惑わされたりはせぬ。
 ……下賎で愚痴な淫婦め……男のなりをしていれば、わしが心許すとでも思ったか……」
 歯を食いしばる音がぎりぎりと。
 男の全身は硬く、筋は緊張しきっている。屋根の縁を握りつぶさんばかりに。汗にまみれているのは、太陽から降りそそぐ熱線のせいばかりではない。
「おぬしを伴えば……崑崙での地位は磐石だ……爺も気を許して監視を緩めるだろう……」
 だから、だから。
 思考はいつもそこで止まる。くるりと裏返ってまた最初から。
 際限なく同じ罵倒を誰に聞かせるわけでもなくつぶやき続け。ともすれば男の口元はへの字に曲がった。子どもが泣き出す直前のように。
 鵬のような黒いマントも、風のない屋根の上ではいたずらに熱をすすって男を苦しめるばかり。
「ああ、畜生……!」
 男は手を離し、仰向けになった。まぶたを閉じても差し込む日光に脳を焼かれながら、頭をかきむしる。
「……そやつに男を教えたのはわしだ!男なしではいられぬ体にしたのもわしだ!畜生!」
 絶叫した、その声はどこにも響かない。男の体はこの世とは少しずれたところに在る。
 好きなだけわめくことができた。
 
 男の脳裏にあるのはただ一つの光景。静謐な夜、風がかぐわしい閨の風景。
 たくましい男の腕に抱かれて、やわらかな声をあげる普賢の姿。
 相手は同じ十二仙の、そうだ黄竜と言った。日に焼けて締まった体躯、精悍で穏やかな眼差しが知性と余裕を感じさせる。鍛えあげられた腕は、己のひょろりとしたそれとは比べるべくもない。
 きっと彼ならば、愛撫そのままに、やさしく心をそそぐのだろう。
 
「畜生……淫婦め」
 待っていてくれるのではないかと。
 待っているわけがないと。
 それでも、もしかしたらなんて、ぬるま湯みたいな期待を抱いて。
 本音はもうそれ以上耐えられなかった。その人のいない夜に。
「淫婦め……」
 罵った。たくさん、たくさん。ひどいことを言って、ひどいことをして。
 足に鎖が巻きついたままと知っていたから、安心して追い詰めた。何もかも奪われて餓えていたあの頃、普賢の想いを踏みにじるたびに暗い喜びにふるえた。
「そやつは淫婦なのだ……爺に言われて股を開くような馬鹿だ、犯されて悦ぶような淫乱なのだぞ……わかっておらぬ、騙されておるのだ」
 きれいだった。
 少し年上で、やさしくて。
 何を言っても、どんなことをしても。
 包んでくれた。抱きしめてくれた。
 望ちゃんと、静かな声で呼んでくれた。
「……淫婦め!わかっておらんのだ誰も!そやつは淫婦だぞ!触るな!穢れるぞ!
 触るなよ!触るなよ!……誰も普賢に触るなあ!」
 吠える。誰にも聞こえないから、思う存分。
 吠えて狂う。誰にも届かないから、吐き出しても吐き出しても想いは内圧を高めるばかり。
 
 999年かけて目をそむけてきた事実。
 もう普賢には、わしの隣にいる理由がない。
 
 鎖がちぎれるなんて夢にも思わなかった。
 あれは己と普賢をつなぐ運命の糸で、赤くもないし細くもなかったけどその分頑丈だと思っていた。
 なのに普賢は普賢自身の意思で、鎖を断ち切った。
 身を焼き尽くすほどに想いを示し、すべて清算して、外へ。
 後に残ったのは、ちぎれた鎖を手に呆然とたたずむ己一人。
 
 行かないで。行かないでよ。
 だけど、どうしよう、俺はおまえに嫌われるようなことしかしてない。
 どうしよう、俺にはおまえをつなぎ止めるものがない。
 
 後の祭り。
 
 男は転げまわって、屋根に頭を打ち付ける。砂利が彼の額に食いこんだが、内にある痛みに目を奪われて気づきもしない。
 荒い息を吐き、体を起こした。ちぢこまる。
 
 ……快楽を。
 とろけるような快楽を。淫婦にふさわしく。
 くれてやろう、いくらでも。欲しいまま望むまま。
 だからこの閨へ誰も入れないでくれ。
 ここに入ることができたのは、わし一人だと思わせてくれ。
 
 嫉妬に煮えたぎった脳で、おぞましい魔物を生み出して屋根の下へ放り投げた。
 魂魄を分かつことができるのだ、何ほどでもない。 
 
 それっきり。
  
 男は屋根の上にいる。
 下がのぞけない、様子がうかがえない。
 屋根の下がどうなっているのか、想像するだにおそろしい。
 ……降りられない。
 ひりつく日差しは灼熱の針、糸のように細く長く隙間なく降りそそぐ。
 分厚いマントも突き抜けて、容赦なく痛みは染みとおる。
 苦痛に追いやられて、幽鬼のように男は歩く。屋根からは降りられないから、同じところをぐるぐると。ここは遮るものがない、逃げ場がない、熱い。
 男の姿は誰にも見えず、影だけが屋根の上でふらふらと動いている。
 
 

COMMENT

■ノヒト ... 2007/10/14(日)05:29 [編集・削除]

 いつも使ってる自販機を何気なく見上げてみると、てっぺんにカラの水槽が置いてあって、中で猫が昼寝してました。いやー、びっくりしましたね。

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