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SS~春先

 
 僕の暮らす独身寮、いわゆる文化住宅的な何か
 
 
 ※現代 パラレル
 ※>>prifimaの斑目さまに捧ぐ。
 
 ※>>斑目さまの拍手SS読み返して思いつき、勢いで書き上げたものです。設定を勝手に拝借してしまいました。ごめんなさい、ありがとうございます。
 
 
続き
 
 

 
 
 ぽこぺんぽこぺん。
 僕の暮らす独身寮、いわゆる文化住宅的な何かのインターホンは、妙に独創的な音をたてる。布団から顔を出した僕は、曇りガラスの向こうにぼんやり浮かぶ姿を確認した。背格好から彼だと悟ったので、僕はパジャマの上からどてらを羽織って立て付けの悪い引き戸を開ける。そこにはやはり望ちゃんが立っていた。
 仏頂面なので一瞬身構えたけれど、よく見れば微妙にかたむいてたりして眠いのを我慢しているだけなのだとわかった。徹夜明けなのだろう、おさまりの悪いえりあしがいつもより乱れていて、頭を何度もかきむしったあとがある。ワークパンツのふとももにはコーヒーがはねたらしきシミがあったし、よれよれのTシャツの襟首は、黒いから目立たないだけで汚れの首輪が浮いている予感。
 望ちゃんはだしぬけに僕の目の前であくびをした。
「さっき、できた」
「そう。編集さんあてのメールにちゃんと添付できた?」
「なんかエラーが出てきおったから、取りに来いと言ってやった」
 日曜日の早朝にたたき起こされる編集さんの身にもなれというものだ。望ちゃんのマンションから僕のうちまで、徒歩30分くらい。お空は明るくなってきているけれど、まだ太陽は顔を出していない。
「いましがた引き渡した。ついでに、歩いてきたのだ」
 僕はそう、とうなづいた。
 初仕事が望ちゃんだというのだから、担当の楊ゼンさんも運が悪い。いやいや、ひょっとしたら望ちゃんという荒馬を乗りこなすことで大きく成長すると見込んでの人事かもしれない。
 僕も何度かお目にかかったことはあるけれど、真面目で礼儀正しくて、若さに似合わないしっかり者だったから、さぞかし上の人の覚えはめでたかろう。当然期待も半端なく大きかろう。まあ、ようは運が悪い。
 そう言ったら口をへの字に曲げられた。
「締め切りを2ヶ月も早められたのだぞ。クライアントの主演映画の封切が夏になったとか何とか、こっちは死ぬ思いだっつーの。奉公人の分際で早起きが何だと言うのだ」
 寝不足のせいで歯に衣着せぬ言いように拍車がかかっている。僕は適当に流して話題を変えることにした。
「書店に並ぶまで、どのくらい?」
 望ちゃんが首をひねる。
「7月なのは決まっているが、日付までは未定だの。校正だの版元チェックだのがあるしのう。今回は自伝的暴露本だから事前の広告は打たんことに決まっているぶん、日取りに気を使って大々的にやるだろうし」
「ふーん、装丁とか執筆者とかはどうなる予定なの?」
「装丁はまだわからん。執筆者は本人の名だな。ま、芸名だが」
 そう言うと望ちゃんはさる大物俳優の名を口にした。うちにテレビのない僕でさえ名前を知っている芸能人だった。
「あいかわらずすごい仕事してるね」
「んむ、すごいな。これだけ苦労してわしに入ってくるのは泣けるほどの原稿料だけというあたりがすごいな。いや、我ながら良い仕事を選んだ」
 望ちゃんは目をぎゅっとつむってあくびをかみ殺すと、眠そうな目のままにやりと笑った。
 小学6年生にして朝寝朝酒朝湯で暮らしたいと将来の夢に書いてのけた望ちゃんは、長じた後も夢を追い続け、たゆまぬ努力の結果、ゴーストライターをしている。
 僕は彼の仕事に明るくはないし、彼もしいて自分から話してくることもない。ただ、年に数度、大きな仕事をこなした後はこんな風に報告に来てくれる。教えてくれる断片的な情報を頼りに揃えた、他人様名義の彼の本、そのレパートリーを見るに、望ちゃんはそっちの業界ではかなりの実力派らしい。純文学から官能小説までなんでもござれだ。おかげさまで僕のうちの、唯一胸を張って値打ち物と言える家具であるところの、本棚の一角はカオスになっている。
 膨大な資料を読み込み、クライアントに合わせて変幻自在の筆を操り、博士論文でもエッセイでも次から次へと量産してのける、その生産力たるや門外漢の僕でさえ嘆息してしまう。
 だけど、誰も彼の業績を知らない。僕の本棚の3分の1を埋める量の書籍を出版しながら、事実を知っているのはほんの一握り。本人と出版社とクライアント、それから僕みたいな身近な人間。富も名誉も彼の頭の上を素通りしていくだけで、けして手の内へ納まってはくれない。それでもけっこう、本人は、満足しているようなのだ。
「ま、7月だ。それは確定している」
「わかった。探してみるよ」
 今度は僕があくびをした。東の空へようやくお日様が顔を出して、桜土手の花びらが色を変える。望ちゃんがくるりと背を向けた。
「帰る?」
「んむ、寝る。寝るのだ。親の仇のように寝てくれるわ」
「送っていくよ」
 僕はひっこんで急いで服を着替えた。うん、さすがにパジャマで出歩くのは僕の美意識に反する。おしゃれかどうかは置いておいて、見苦しくない服装になると僕は玄関の引き戸に鍵をかけた。望ちゃんと並んで土手の上を歩く。
 ゆったりと流れる川に沿って、どこまでも淡く色づいた桜並木が続いている。生まれたての朝日に照らされた花々は、近くはきらきらと輝き、遠くは春霞にたゆたい、僕は柄にもなく芥川龍之介の一節を思い出したりなんかして。……あれは蓮だったっけ。
 ポケットに両手をつっこみホテホテと歩く望ちゃんの、丸めた背中に触りたくて手を伸ばした。けれど触れてしまったら、この猫背がしゃんと伸びていつもの早足に戻りそうで、僕の手は彼のうしろでひらひらと舞う。
 望ちゃんが今日一番大きなあくびをした。開いた口から漏れ出た声は、猫の鳴き声にそっくりで、僕はこらえきれず声をあげて笑ったのだった。
 
 

COMMENT

■のひと ... 2008/04/21(月)22:32 [編集・削除]

望ちゃんがさりげなくええとこのボンボンなせいか、なーんかふーたんは貧乏人の叩き上げなイメージです。
どてら、きっと、似合う。

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