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SS~イシザチ

 
 人魚を見に来たのだと旅の人が言うので
 
 ※望普 パラレル オリキャラ視点
 
 
続き
 
 

 
 人魚を見に来たのだと旅の人が言うので、私は黙ってうなづいた。
 この旅籠の2階から見える湖は、遠い昔に人魚がいたと言われている。
 その肉をひとくち食べれば800年を生きることが出来る、そんな伝説を信じて立ち寄る人は今までにも何人かいたから、彼もまたそのひとりなのだろうと、私は判断した。
「お呼びの際はこちらの鈴を鳴らしてください。家の者が対応いたします」
 型どおりの挨拶をして礼をすると彼は軽くうなづいて、あとはもう窓の外をながめているだけだった。
 部屋を辞してきしむ階段を降りていると、母が声をかけてきた。
「どうだった?」
「人魚を見に来たってさ」
「金はちゃんとはらってくれそうかい?」
「きちんとした人に見えたよ」
 母は太い首をすくめながら、あんたは人を見る目がないからねと言った。
「こんな辺鄙なとこへ旅行に来る奴なんて、変人か食いつめ者かどっちかに決まってるんだからね、ちゃんと見張ってるんだよ。せめて荷物だけでもね」
 ならなんでうちは旅籠なんかやってるんだろうといつもどおり思ったが、いつもどおり口には出さず素直にうなづいて見せた。
 薪を割るために表に出て、湖を見やる。藻でどろりと濁っていて、たいして広くもない。沼と呼んだほうがしっくりくるほどだ。さびれた集落をへばりつかせた緑色の水たまり、私が物心ついた頃から変わらない風景だ。
 所要を済ませて中に戻ると、私は母の言いつけどおり客人の荷物置き場を確認するために部屋の前に立つ。ノックのためにこぶしを上げた瞬間、私は眉を寄せた。かすかに、話し声が聞こえたからだ。
 客人は一人だったはずだ。私は耳を凝らしたが、もう何も聞こえなかった。風の音だろうとたかをくくり、改めてノックをした。中から聞こえた応えはおだやかなものだった。
 扉を開ける。彼は私が出て行ったときのまま窓際の椅子に腰掛けていた。なんとなく部屋を見回してみたが、当然彼以外誰もいない。
「先ほど申し上げ忘れましたが、夕食は6時ごろになりますので……」
 部屋に入り込みぼそぼそと口実を言葉にしても、彼は湖を見つめている。横顔は不機嫌さの欠片もなく、それをいいことに私はさりげなく部屋の中をさぐった。目に見える範囲には荷物は見つからない。もともと手荷物だけの人だったから、クローゼットにしまいこんであるのだろうか。
「さびれたのう」
 出し抜けに彼がつぶやいて私は肝が冷えた。うしろめたさに硬くなりながらも、愛想笑いを浮かべる。
「以前こちらに来られたことがおありで?」
 彼は不意に私を振り向いた。朝焼け色の奇妙な瞳が私を映す。何故だかすべて見透かされている気がして、私は手のひらに汗を感じた。彼は口元に笑みを浮かべると、何故か視線を左にずらして小声で何かしゃべった。
「そうだな、おぬしになら話しても害はなさそうだ」
 いたずらっぽく笑うと彼は脚を組んで首を傾けた。
「まだ人魚がたくさん居た頃に来たことがある。ずいぶんと様変わりしてしまったのう。まあ時代が移り変わったのだから、当然といえば当然か」
 私は気の抜けた返事を返すことしかできなかった。生まれも育ちもこの湖畔だが、人魚なんて伝説でしかなく、影も形も見たことがない。以前頭のネジの2~3本多い金持ちが血眼になって湖をあさった時にも、網にかかったのはどこにでもいる雑魚だけだった。
 私の反応に彼は身をかがめてくつくつ笑うと、さらに言葉を続けた。
「青く美しい湖だったぞ。人魚自体はゲテモノもいいところだったが。
 まず匂いがいかん。なまぐさが食えるようになったついでに試してみたが、汚水の匂いがして食えたものではない。肉質も中の下といったところで珍しいだけが取り得だのう。見た目と来たら太ったエイに目鼻がついておって、わけのわからぬことをしゃべるしゃべる、やかましいことこの上ない。確かにあれは缶詰にでもせねば食えんのう。
 だが湖は美しかったな、南洋を思わせる澄んだ青色が、向こうの山のふもとまで続いておったのだ」
「……はあ」
「が、生憎わしの連れは見たことがないのだ。見せてやろうと思ってここまで来たのだがのう」
 私はまじまじと彼を見つめ返したが、飄々とした表情のどこにも嘘をついている気配は感じられなかった。随分とあからさまな視線を送っていたと思うのだが、なんだか楽しげな彼の態度は変わらないままで、私は急に椅子の上でくつろいでいる眼前の人物を恐ろしく感じた。なんだってこんな自信満々に与太話をするのか、そういえば部屋に入る前に話し声を聞いた気がする。誰がいるというのだこの部屋に。頭に郵便の来た人はひとりで会話を始めるというが……。
「し、失礼します。あ、御用がありましたら、えっと、呼び鈴で」
 礼をすると私は1階に逃げ帰った。厨房に飛び込み、落ち着くために水を飲み干す。青い顔をした私に母がいぶかしげな顔で寄ってきた。
「ごめん母さん。やっぱり変な人だった」
 母はほらねと言わんばかりに首をこきりと鳴らした。
「どんな風にだい。金を持ち過ぎて地に足がついてない奴かね、勉強のし過ぎで頭だけ桃源郷に行ってる奴かね、それとも退屈で普通な人生にうんざりしてるだけの小市民かね」
 私は胸に手をあてて考え込んだが、彼はどれにも当てはまらない気がした。確かに話題こそ突飛であったが、話し振りはおだやかだったし、態度もあの若さにしては随分と洗練され、いっそ老成していると言ったほうがしっくりくる。恐慌の収まった今、いたずらをしかけた時のような彼の両目を思い返してみると、私はただ単にかつがれたのではないかという思いがわいてきており、実際その可能性は非常に高い気がした。
 答えがないことにいらだったのか、母はフライパンを台の上に乱暴に置き、とにかく食い逃げだけはされないようにと念を押して憤然と夕食を作り始めた。私は身の置き所がなくて母の後ろをうろうろしていたが、井戸の水を汲んで来いとの怒号を食らい、素直にそれに従った。なんであれ、やることがあるのはよい。特に今のように混乱した時は。
 水瓶いっぱいに水を汲み終えた時には、夕飯の頃合だった。当然2階の客人に声をかけねばならないわけだが、どうにも最初の一歩が踏み出せない。
 見慣れた階段が今や私を異次元に誘い込むためにぽっかりと口をあけた洞穴としか思えず、すすけたランプが放つ光がわびしい木造の陰影をことさらに強調して不吉なモノが今にも顔を出しそうだ。しかし夕飯はすでにできあがっており、今頃我が家の古いテーブルクロスの上へ見栄えよく並べられているはずだ。このままでは、せっかくの料理が冷めてしまうことをなにより嫌う母に、ぐずな私をどやしつけられることだろう。
 意を決して踏み出そうとしたとたん、階上から床板のきしむ音が聞こえて私は飛び上がらんばかりに驚いた。
「どうしたのだ。幽霊でも見たような顔をして」
 のんびりと階段を下りてきた彼は、私の顔を見て少し笑った。温かな笑顔にほっとした私は、取り繕うために笑顔を浮かべ、固まった。彼とすれ違うその時、何か得体の知れないものが私の鼻先を通り過ぎて行ったのだ。衣擦れの音と冷ややかな気配を、私は確かに感じた。
 思わず後ずさると、彼がふりむいた。無言のまましばらく見つめあう。私は、たぶん蒼白な顔で。彼は口元にわずかな笑みをはいて。
「……冷めてしまうぞ」
 笑みを深くして、彼がつぶやいた。夕飯のことを言っているのだと気づくまで間が要った。
「せっかくの手料理だ。機を逃さずいただくとしようではないか」
 低く笑いながら、彼が背を向けた。ようやく呪縛のとけた私は、おそるおそる彼のあとについてダイニングに入ったのだった。
 夕飯はお通夜のようだった。
 母は不機嫌だったし、私はうつむいていたし、彼も強いて自分から話題を振ることはせず、結果としてさわがしいラジオをBGMに腹に物を詰め込む作業に従事することとなった。8人が座れる大テーブルの隅に集まり、黙々と食事を取る緊張感が痛くて味などわからない。何より、私の向かいには彼が座っているのだ。先ほど感じた気配を思い出し、私は背筋の寒さをこらえるのに必死だった。
 彼はこの重たい空気をものともせず旺盛な食欲を見せ、大皿に盛られた料理を私の分までたいらげていく。それをいいことに私はさっさと食器を置いて席を立った。まきを割ってくると言い残して外へ出る。後ろ手に扉を閉める。
 夜気に触れ、身の引き締まる思いをするとようやく不安が晴れた。
 同時に疑念がわいてくる。さっきのあれは何だったのかと。しかし、考えれば考えるほどよろしくない結論に陥りそうで、私はあえて思考を止めた。ポケットの中の財布を確認し、飲み屋へ向かうことにした。客が来ているのにと、あとで母にしかられるのは目に見えていたが、彼と一つ屋根の下で過ごすためには酒精の助けがいる。
 月明かりを頼りに財布を握り締めて道を歩く。この町に一軒だけのバーに入り、テキーラを頼んだらマスターに肩をすくめられた。
「どうしたんだい今日は、ビアで顔を真っ赤にするくせに」
 本当のことを言うわけにもいかず、私はいつもどおり母と衝突したとだけ伝えた。マスターはひとくさり説教をしながら強い酒をグラスに注いでくれた。
 つかんだ杯のひやりとした感触に階段下で感じた冷気を思い出して、私はグラスを一気にあおり、むせた。
 
 へべれけになった私を心配したのか、それとも面倒ごとを避けようと思ったのかは知らないが、ほどなくして私はていよく追い出された。手に持たされたビール瓶はマスターなりの心遣いらしい。扉をたたいて不平の一つでも言ってやりたかったが、あいにくそんな度胸は無く、私は夜風に追い立てられて家路に着くしかなかった。
 自宅が近づくにつれて足取りが重くなっていく。湖のほとりをとぼとぼと歩きながら、私はこれからのことを考えた。母の機嫌が悪いのはいたしかたがないとして、問題はあの客人だ。いったいどのくらいうちに泊まるつもりなのだろうか。いや、泊まるのはいい。問題はあの客人が、ひどく不気味な、なんというか、まるで、幽霊のようなものを……。
 そこまで考えたところで前方に人の気配を感じ、私は棒立ちになった。
 小道の脇の丘の上に、彼の姿があった。そしてその隣には……見間違えようもなく青白い人影が……。
「ヒィヤアアアアアア!」
 声が裏返った。私は絶叫しながら、悲鳴というものは勝手に出て行くものなのだなと頭の芯でぼんやり考えていた。
 彼が振り返る。人影も。
 恐怖に襲われた私は走り出そうとして足をもつれさせ、見事にすっころんだ。起き上がろうにも恐ろしさに体に力が入らず、無意味に土を掻くだけだ。
「大丈夫か?」
 呆れた声が近づいてくる。
 私はヒイヒイと声にならない悲鳴をこぼし、服が泥でまみれることもいとわず、ただもう彼らから遠ざかりたい一心で手足を動かした。すぐそばまで来た足音に恐怖が臨界点に達し、急速に意識がかげる。
 月光に透ける青白い人影が私を覗きこんできた。その姿が存外美しいことに気づいたけれど、その時にはもう、私は白目をむいて気絶していた。
 
「いつまで寝てるんだい!」
 母の大声に、私はようやく目を覚ました。ねぼけまなこをこすりながら体を起こすと、急速に昨夜の出来事がよみがえってきた。
「か、母さん。あの人は?」
「はあ?」
「お客さんだよ、お客さん。昨日の、変なの連れてた……」
「まったく何失礼なこと言ってるんだいこの子は?あのお客さんはね、酔っ払って道で寝こけてたあんたをかついで帰ってきてくれたんだよ」
 その後説教が続いたが、私はそんなのうわのそらで、身なりを整えるとすぐに部屋を出て二階に向かった。扉を開けると誰もいない部屋が私を迎える。
「……母さん、あの人は?」
 何事かとついてきた母に、呆然と問いかけた。
「さっき出て行ったよ。まったくお前ときたらお客さんにみっともない姿を見せて、少しは跡継ぎとしての自覚をだね……」
「ごめん、母さん。出かけてくる」
「ちょっと聞いてるのかい?ちょっと!!」
 私は叫ぶ母を無視して手荷物をひっつかみ、家を出た。さっき出たのならばまだ駅にいるかもしれない。昨晩のあれはなんだったのか。太陽の下ならば、それを問い詰めることができそうだった。
 息せききって湖のほとりを走り、ホームが二つ並んでいるだけの簡素な駅にたどり着く。ホームの上に彼の姿は見えない。私は切符売り兼駅長のじいさんの襟首につかみかからんばかりの勢いでたずねた。
「ああ、その人なら線路の上を歩いていったよ」
「どっち!?」
「向こうのほうだ」
「ありがとう!」
 じいさんの指差す先を目指して私は必死で走った。一日に3本しかない列車のひとつをのがしてしまったのなら、確かに歩いていくのも選択肢としてはありだ。ゼイゼイとのどを鳴らしながら走り続ける。町を抜けてしばらくたった頃、ようやく目的の背中が見えてきた。
「お客さぁん!」
 いまだ彼の名前を知らない私には、そう呼びかけるしか術はなかった。彼は驚いたようにまばたきをして歩みを止めた。
「き、きのうの、あれ……あれは……」
 急にマラソンなんぞやってしまったせいで体中がきしんでいる。のどが痛くて息をするのもつらい。崩れ落ちそうなひざを押さえるのがやっとだった。
 彼は私の様子が落ち着くのを待つと、くすりと笑った。
「昨日はすまなかったな。まさか見えているとは思わなくてのう」
「見えていた?やはり、それは普段なら見えない何かなんですね」
「そうだ。最近はすっかりそっちの方面は退化した人間が多いからのう、油断しておったわ」
 彼は楽しげにくつくつ笑うと、左手を空に向けた。
「昨日の人影はわしの連れ、お察しのとおりこの世ならぬものだ。見えぬだろうが、今もここにいる」
 彼が視線を投げかけた先には、昨日の晩月光に照らし出された青白い人が存在しているのだろう。私は見ることができなかったけれど、その視線のやわらかさから彼がずいぶんとその人を大事にしていると感じられた。
「おどろかせてしまってすまなかったと恐縮しておるわ。おぬしを家まで送り届けたわしの功績に免じて不問にしてやってくれ」
 そもそもの事の始まりを棚上げしきった顔で、彼は言った。人を食った微笑に私は緊張を解かれる。
「そのことはもういいです。あなたがたは一体何者なんですか?」
「閑人だ」
 ……ひまじん、ときた。うろんな目でながめた私が相当おかしかったのか、彼は機嫌よく笑って続けた。
「そうだ、閑人だ。物見遊山が趣味でのう。こやつを伴ってあちこちブラブラしとるのだ」
「そうですか……」
 何を聞いても無駄だと悟った。おそらく、この人は嘘などついていないのだろう。ひとつも。それを受け入れる私の常識の枠組みから逸脱しているだけの話だ。彼らは、私とは少しずれた世界を、違ったベクトルの上を歩んでいる。その予感は当たっている気がした。
「……人魚は、いましたか?」
「ん?」
「昨日、あなたはずっと湖を見ていた。人魚を探していたのではないかと思ったのです」
「そうだ、そのとおりだ。よくわかったのう」
「いましたか?」
 彼は小首をかしげて、ニヤリと笑った。
「昨日は見つけられなんだ」
「……」
「次は探し当ててみせよう。その時は、おぬしにも見せてやろうな」
 そう言って、彼は私に背を向けるとゆっくりと歩き始めた。夏草の茂る線路の上を彼は歩いていく。彼の影は長く濃く、なんだかまるで大きな鳥の翼に見える。それがゆらゆらと揺れるのを見ながら、私は両手を口にあて、小さくなっていく背中に声をかけた。
「またのお立ち寄りの際は、是非当店をご贔屓に!」
 彼は振り返らず手を上げ、ひらひらと振った。
 かげろうの中に彼の姿が消えたとき、ようやく私はきびすを返した。せみの鳴き声が盛大で、夏の盛りが近いことを感じる。
 さあ、帰ろう。ひなびた、くたびれた私の家へ。沼みたいな湖のほとりにへばりついた小さな町へ。
 帰ったらまず掃除をしなくては。それから母に料理を教わらねばなるまい。もう一度彼が我が家に宿をとる時のために。何せ宣伝をしてしまったものだから、つぶれていては様にならない。
 それから、少しずつでいいから、湖をきれいにしていこう。
 いつか彼が再び訪れる日には、湖は青を取り戻しているだろう。だから、その澄んだ水の中から不細工な人魚を釣り上げて、恋人の幽霊に見せてやるといい。
 

COMMENT

■のひと ... 2008/07/23(水)02:22 [編集・削除]

人魚の逸話はソウルハッカーズのノベライズから。
夢に出るぐらい衝撃だったんだぜ。あれ以来人魚というと、汚れた湖と缶詰がセット。

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