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SS~哲学的ゾンビによる思考実験

 
「人を呼んだほうがいいのかな?」
 
 ※血ぃ~? 暗い。わけわからん。 
 
 
続き
 
 

 
 
 たとえばその首筋に、よく研いだ刃物をあてがって一気に横へ引いたなら、空と同じ色が噴き出すのではないか。赤ではなく、青が。
 
 無論そうではないことを太公望はよく知っている。衣の下からのぞく普賢の四肢は、確かに血の気が薄いけれども、触れれば暖かいし情事の際には朱に染まる。昨晩の痴態を思い出しながら彼は寝台脇の椅子に腰掛ける普賢を見つめた。
 窓枠に切りとられた夜明けをながめる背中は、脚こそ組んでいるものの背筋はきりっと伸ばしている。それが無言で彼を拒んでいるようで、色のない肌に一点落とされた昨夜のなごりが不快だ。
 名を呼ぶと振り向いた。普賢はいつものように微笑している。唇の端をすこし持ち上げた、透きとおった表情にはなんの感慨もない。一切の不純物を取り除いた水のよう。それは、舌に苦いと聞く。
 手招きをすると寝台の中に入ってきた。早朝の冷気にあてられた身体が太公望の腕に収まる。ふわふわした稀有な色の髪が鼻先をくすぐるのを感じて、彼は小さな頭を乱暴に抱きこんだ。さてこの中に、一体何がどれほど入っているのやら。できるなら叩き割って見てみたい。
 広げればタタミ半畳ほどもあるらしいそれをくまなく探して、どこに誰の名が記されているかを調べたい。見つけたら己の名以外をすべてむしりとり、ひとまわり小さくなったそれを詰めなおして、割れた頭蓋をパズルみたいに組みたてよう。糊でふさいで髪を植えつけたら、普賢はきっと何事もなかったように、歌でも歌ってくれるだろう。虚空を見つめてひとり笑っている普賢となら、うまくやっていけそうだ。
 白い肢体の上に自分の体を乗せた。重みに小さな抗議が上がる。聞こえなかったふりをして細い首に両手を回す。普賢がわずかに目をすがめ、体から力を抜いた。
「つまらんな、抵抗せんのか」
「人を呼んだほうがいいのかな?」
「それはそれで趣深い」
 普賢は微笑を消して太公望を見た。紫紺の瞳から放たれる視線はあくまで透明だった。にらみもせず、突き刺しもせず、ましてそらしもせず、無気力に無感動にただ見ていた。すみれ色の瞳に自分が映っている。不機嫌そうに唇を引き結び、顎を突き出して居丈高に。その裏に塗りたくられた虚勢を見透かされているようで、太公望は両の手に力を込めた。
 普賢が遠い。もう少し力を入れて、5分ほどもらえれば、この命を奪うことだってできるのに、普賢はいつも遠い。曖昧で透きとおっていて、およそ手ごたえというものを感じさせない。どれだけ目を凝らしても、わかるのは向こうにある関係ないものばかりだ。真夏に逃げ水を追うように、進んでも進んでも近づくことがない。蜜のような熱気だけが太公望を囲む。いっそのこと最初から手の届かぬ相手ならよかった。
 例えば普賢はジジイのお手つきで……ありそうだ、つまらん。例えば普賢は金鰲の出で……だからどうした、つまらん。左からでた案はかたっぱしから右にダメ出しされる。もっとこう、はっきりと、決定的に、普賢と自分と分かつ何かを。とくとくと脈打つ皮膚の下には、おぞましい青が流れているとか。
「普賢」
「なに?」
「おぬしは気味の悪い目をしているな」
「そうだね」
「髪も気持ち悪い」
「そうだね」
「肌の色もおかしい」
「そうだね」
「きっと血も赤くないのだろうな」
「かもしれないね」
「試してみるか」
「どうぞ」
 太公望はふっと力を抜いた。いつもそうだ、こやつは。何を言っても受け入れる。だから遠い。だから、安心できない。髪は引きちぎれる。目は抉り出せる。肌は切り裂ける。体は犯せる。目に見えるものならば、どこでも手に入れることができる。だが見えないものは。
 見えないから手に入らないのか、手にしてないから目に見えないのか。太公望にはわからない。わからなくて、苛立って、嫌いになる理由を探している。
「もうよい。わしは寝る、帰れ」
 寝台の奥に寝転び、普賢に背を向けた。衣擦れの音が聞こえて、やがて気配が遠ざかっていった。
 
 玉虚宮の廊下を、普賢は白い息を吐きながら前に進む。ここの廊下は普賢が道士だった頃から、がらんと広く、寒い。不意に足がもつれて、ぱったりと転んだ。床とぶつかった痛みで痺れてしまい起き上がる気になれない。うつぶせたまま、ぼんやりと景色を見ていた。
 朝日がゆっくりと顔を出し、雲海を金一色に染め上げる。壮麗な光景に、だがなんの感情もわかない。いつもそうだ。太公望に抱かれた後はからっぽになって何も考えられなくなる。この首を締め付けたぬくもりを思う。
『あのまま殺してくれればよかったのに』
 きっと自分の血は、太公望の言うとおり人の色ではなくなってしまっているのだ。なんならこの首筋に、よく研いだ刃物をあてがって一気に横へ引いて、海と同じ色を噴き出してしまいたい。赤ではなく、青、彼の瞳の色を。
 手首に浮いた静脈に、そんなことを考えていた。朝。
 
 

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■ノヒト ... 2010/06/11(金)17:30 [編集・削除]

てめえらの血は何色だーっ!!

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