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SS~氷下の炎

 
「こんなとこでオベンキョしてないで出かけようぜ。いいものあるんだ」
 
 ※俺呂望注意
 
続き
 
 

 
 
 あんまりな暑さだというのに、崑崙外周マラソンなど命じる方が悪いのだ。
 呂望は角を曲がったところでサボタージュを決め込んだ。こんな日は鳳凰山にしけこむに限る。口うるさい仙女たちはしかし、最高のもてなしをしてくれるのだ。まんまと冷えた茶を手に入れた彼は、すなおに竜吉公主の説教を聴いていた。既に彼のサボリ癖は知れ渡っていたから、毎度同じ内容だ。腹が膨れたうえに耳タコな内容をとうとうと説かれたのだから眠くなってもいたしかない。
 以上、自己弁護。
 鳳凰山からさえ叩き出された望は、しかたなしに涼を求めて書庫へ向かった。そこへ行けば同門がいると思ったからだ。
 読書用のテーブルは存外に人で埋まり、広いはずのホールには熱気がこもっている。暑さを逃れにきたのだろう、誰も集中してはいない。そんな中ひとりだけ、食い入るように本を読み進める後姿があった。暑さのせいで頬は火照り、額には汗が浮いている。
「普賢」
 右から声をかけてすぐに一歩左にずれた。声をかけられたほうは驚いて振り返り、人影がないのを見て不思議そうに首をひねる。再び本に埋まった頃合を見計らって、左から右に、もう一度同じことをする。
「もう、望ちゃん。やめてよ」
 さすがにタネがばれたのか、手を伸ばされ胴衣の端をつかまれた。怒ったとき唇をとがらせるのが普賢のクセだ。そんな顔は他人には見せない、それが小気味よくてついイタズラをしかけてしまう。
「こんなとこでオベンキョしてないで出かけようぜ。いいものあるんだ」
 そういって手首にくくりつけていたハンカチを普賢の額に押し当てる。ひんやりした感触に普賢は驚き、気持ちよさそうに目を細めた。
「氷?」
「そう、公主のところからくすねてきた」
「じゃあ次は」
 そう言うと普賢は本の山の中から一番分厚いのを抜き出して脇に抱えた。
「厨房だね」
 
 10分後、食料庫を見回りに来た番人は、お菓子の類がごっそりなくなっていることに気づいて悲鳴を上げた。
 
「今日は大漁だったね、望ちゃん」
「ふっふっふ、鍵を変えたと思って油断したな。俺たちの戦いはこれからだ!」
「呂先生の次回作にご期待くださいってやつ?」
 木陰に陣取ったふたりは、厨房での戦果を披露しあう。赤に黄、緑に水色、色とりどりの菓子が芝生の上に広げられた。おとなしい顔をしてふたりは無断侵入と窃盗の常習犯、見つけ次第グーでどついてよいと師である崑崙教主元始天尊からお触れが出ている。そしてそう簡単に現場を押さえられるような子どもたちでもない。今この場所も、庭石と垣根でできた死角で、それでいて池を渡った涼しい風が吹きこんでくる。
「俺これ」
「じゃ、僕これね」
 さっそく手を伸ばし、包みを開けてほおばる。砂糖とバターの甘い香が口の中いっぱいに広がった。手にしたものをもきゅもきゅと口に詰めるのに一生懸命だった望の前で、次の目当ての焼き菓子が普賢に取られた。
 望に視線で訴えかけられて、普賢はいったん口にしたそれを望に向けてやる。細長いクッキーが、一気に半分以下になる。残ったそれを普賢は口の中に放り込んだ。ひとくちちょうだいはふたりの間でよくあることで、食事のときもこれをやる。元始天尊からは行儀が悪いと叱られるが、なるべくいろんなものを食べてみたいというのが育ち盛りのふたりの正直なところだ。
「あ、望ちゃん、氷」
 普賢に言われて気がつけば、ハンカチはぐっしょり濡れている。おやつの〆にとっておいたのに、もう溶けてしまったかもしれない。ほどいて中をのぞくと、薄く小さくなってしまった欠けらが残っていた。
「ちょうだい」
「ん」
 望のつまんだ欠けらを、普賢もまた直接口にした。視線を上げて首をかしげる。望が顔を朱に染めて固まっていた。
「どうしたの?」
「あ、いや…なんでもない…」
「なんでもないって顔じゃないけど」
「ほんとに何でもないんだよ!」
 だがしかし望の頬は茹だったまま。左手を押さえ、視線をそらしている。業を煮やして普賢が言葉を続けた。
「なんでもないって顔じゃないんだけど?」
「だから何でもないんだよ、もういい。俺修行に戻るから!」
「望ちゃん、お菓子どうするのさ」
「いらん!おまえが食え!」
 言い捨てて立ち上がると、逃げるように望はその場を後にする。実際逃げていたのだ。
 零度の玉に冷えた指先で触れた普賢の唇があまりに熱く、粘膜のやわらかくぬめった感触に体の奥で何かがずくりと蠢いた。何より恐ろしかったのはその感覚が初めてではないことだ。今までにも何度か――最近は折に触れて――普賢のふとした仕草に蛇が這いずる。
 まだそれがどんな名なのか、ましてやどうすればいいのかわからず、熱を持った体を持て余している。
『なんなんだよ、これ……』
 チクショウと大声で叫んで、今の望にできるのは、ただ脇目もふらず走ることだけだった。
 
「どうするのさ、こんなに」
 普賢は芝生の上に転がる戦利品をながめてひとりごちた。さすがにひとりでこの量は食べられない。そもそもあの大食いな友人の食欲をあてこんでかすめてきたわけだし。それがいきなり挙動不審になったかと思うと、へそを曲げて姿を消してしまった。わけがわからない。
 氷をくわえる時に彼の指に触れてしまったのが、そんなに気に入らなかったのだろうか。自分だって人が食べているものを半分持っていったくせに。ひどく拒まれたようで、普賢は胸が重くなった。唇をなぞって、彼の指先の熱を思い出す。どうしてか体温が1度上がった気がした。
 
 

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■ノヒト ... 2010/08/20(金)23:21 [編集・削除]

最初軍師望ちゃんでしたが、どーしても脱いでくれなかったので呂望さんにお出まし願いました。

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