すごいなと、言った。すごいねと、返ってきた。
※ヤンデレ 12禁
※血は出てないですよ
すごいなと、言った。すごいねと、返ってきた。
背後の窓からこぼれるわずかな灯りに、頼りなく照らし出された虚空から幾千幾万の、雪が。
ひとつひとつが先を迷いながら有るか無きかの寒風に煽られて降ってくる。うねりは竜のように長くも、雪片は花びらよりかよわく地に落ちるとともに消えていく。
きっと凍えた空に居場所を失って、身投げしてしまったのだ。
雪は空に在りたかったのだろう。さもなくば結晶があんなに美しいはずがない。機嫌を取るために自身を飾って、代わりに重みを纏って、気がつけば最愛の空に見放されている。
そんな馬鹿馬鹿しい想像が頭をよぎったから、太公望は普賢を後ろから抱きしめた。空模様に見惚れる横顔を盗み見る。寒さのせいかそれとも傾けた酌のせいか、頬は朱に染まっている。こんな夜半にも青空色の前髪に小さな白いかけらがふわりとからんだ。
ああ、しまった。口に出さずつぶやいた。妙に甘い気分で。
とんでもない失態を犯してしまった。
こんなに近くで普賢を見つめることができるなんて、こんなに近くに自分が居ることを許してくれるなんて、こんなにも二人が、恋人のように身体を寄せ合えるなんてまるで愛し合っているように振舞えるなんて。
さわさわと血潮のさざめく音がする。耳を閉じて、目を押さえて、このままずっと感じていたい。時間は無慈悲で責務は膨大で大望は容赦無く太公望の心を追い立てるけれど、今この場所、数えきれない雪たちが死滅していく庭で、この人の命だけは守らねばならないと限りなく本能に近い部分が吼えた。
だけどそれでは困るのだ。山を降りるときに、この人を伴うことはできないのだから。
手放す定めの人だからいつでもさよならを言えるように、出会ったときに1本、手をつないだときに1本、唇を重ねたときにもう1本、線を引いた。
焼け出されたあの時から、一人で居ることに決めたのだから手を離すのは必ず自分、そうでなくては。
無防備な普賢の首筋にかみついた。驚きと抗議が混じった短い悲鳴。振り向いたその顔をまともに見もせず、抱かせろと、言った。沈黙が返ってきた。
太公望の様子をうかがう視線、曖昧な微笑。いつもの普賢の顔。さっきまで寄り添っていたはずの心が潮が引くように離れていく。
そうだ、それでいい。
寒々しい安堵を感じつつ、顔を引き寄せ無理に口付けた。わずかに酒気の残る口内をまさぐるとおずおずと応えてくる。生娘のような反応に、太公望は小さく笑った。優しく頭をなでてやれば、緊張した身体から力が抜ける。唇を離すと銀色の糸が引いた。
間近にある普賢の瞳に霞がかかっている。湖のような瞳の奥にあるのは諦念と、よく見えない、何か。哀れみに似ている気がする、けれどもっと不快。いつも太公望の心を引っ掻いて落ち着かない気分にさせる。
「戻るぞ」
言い捨てて、普賢の手を取りきびすを返した。大人しくついてくる軽い足音。冷えてしまったのだろうか、手袋越しの手は体温を感じない。
これから寝台にもぐりこんでいつもどおりの手順でいつもどおりの事をして、普賢を温めてやるのだ。その熱に触れた自分はとろけてしまって獣さながらに白い身体を貪って何も考えられなくなって、そのときだけ少し幸せ。普賢の指先はいつも冷たいから、本当のぬくもりを知っているのは崑崙で自分ひとり。多分。そうだったらいいのに。
まつげにからんだ雪がうっとおしくて太公望は乱暴に目元をこすった。大またで歩きながら、散漫な思考を放置する。もしもふたりの姿がこれ程まで歪じゃないありふれた何かなら、また違った道があっただろうか。また違った接し方ができただろうか。少なくともこんな風に何処へ行っても行き止まりと知っていながら分かれ道で途方にくれているなんてみっともない真似はしていない気がする。
我知らず眉間にしわを寄せながら、太公望は扉を開けた。一足先に屋内へ入る。瞬間、普賢の手が太公望の手を強く握った。振り向いた先に赤い花が咲いていて、心臓の止まる気がした。暗い廊下で四角く切り取られた粉雪が普賢を縁取っている。花に見えたのは首筋、自分がかみついた痕だった。つないだ手から常に無い緊張が伝わってくる。
「これから言う事、秘密にしてほしい」
わずかな静寂の後、普賢の真摯な眼差しが太公望を貫いた。
「僕はいつもキミの幸せを祈ってる」
思いもよらない告白に太公望は言葉を失った。頭の中が色褪せ、代わりに血の気が引く音を聞く。幾重もの線の上を、気の遠くなるような分岐の道を、普賢は踏み出してしまった。それは自分が最後の逃げ道を失うことを意味した。
「…冷えるよ、行こう」
目を伏せると普賢は太公望の横をすり抜けた。つないでいた手をひっぱられて太公望はたたらを踏む。まだ思考の整理がつかない。言われた言葉の意味を理解したくなかった。なのに普賢がぐいぐい手を引っ張って、不意打ちで砕けてしまった仮面を探す暇もくれない。
何か返事をしなくては。気ばかり焦って余計に混乱する。喉元までこみあげた声は音になる前に消えてばかり。視線は普賢の首筋に魅入られたように吸いついたままだ。
暗闇の中ににじむ噛み跡、まるで花のような。
いつか本当に赤い花が咲く時、自分はどうしているのだろう。今はまだ考えられない考えたくない。
「普賢!」
床を蹴ってその背に飛びこんだ。ふたりもつれあって音をたてて倒れる。体中がじんと痺れるも無視し、もがく肢体を押さえつけ歯を立てる。荒い息と悲痛な声が交差した。
冷えきった廊下の隅で悲鳴がすすり泣きに変わっても、太公望は細い肩に喰いついて離れなかった。
■ノヒト ... 2011/02/05(土)04:47 [編集・削除]
ハチ氏の『Christmas Morgue』というボカロ曲をヘビロテしてたらいつのまにかできてました。いつも以上に右脳で書いてるので読みづらいと思います。