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SS~歌う箱

 
「開けてくれ。そこにいるのはわかっているぞ」
 
 ※パラレル
 ※ふーたん男の子注意
 ※んう?
 
 
続き
 
 

 
 
 夏休みの終わりにサーカスがやって来た。
 幌馬車の群れが町外れに荷を下ろし、大きな天蓋を立てた。
 てっぺんから悲しげな笛の音色。その響きに誘われて、僕は最後の日記を書き終える前に鉛筆を放りだし靴を履いた。
 満月の光が石畳に降り積もり、真新しい硬貨みたいに光って行く先を示す。たどりついたまっくらやみのサーカスは鉄条網に覆われていたけれど、彼らは僕を拒まなかったからするりと中に入れた。
 ぽっかりと広いステージの中央から周りを見渡す。からっぽの客席にはどろりと濃密な人々の気配。ごめんなさい、芸はできないんです。頭上高くゆらゆら揺れる空中ブランコを無視して奥へ向かった。
 枯れた象、でこぼこのボール、壊れた檻。ごたごたと積み上げられた小道具の山。きっとショーの間は宝石みたいに輝くのだろうけれど、破れた天幕からしたたる月の光では凍りついた本性をさらけだすだけ。入り口はもうすっかり消えてしまったから、僕は出口を探して右往左往した。
 コツコツと、ノックの音が聞こえる。
 足元に目をやれば、両の手のひらに収まるほどの木箱があった。僕はどきどきする胸を押さえてそれに静かに顔を寄せた。ノックの音がぴたりとやみ、出し抜けに若い男の声が聞こえる。
「開けてくれ。そこにいるのはわかっているぞ」
 とびあがらんばかりに驚いた僕は、家に逃げ帰った。
 どこをどう走ったかも覚えていない。気がつくと僕は部屋のベッドの中で布団をかぶって震えていた。それから2週間、町中の人がサーカスに夢中になったけれど、僕は誰に誘われてもそこに近づくことはなかった。
 けれど毎年、夏休みの終わりにはサーカスが来るようになった。
 満月の夜、天蓋のてっぺんから悲しげな笛の音が聞こえる。その響きを聞くと僕は、胸をかきむしられるような焦燥を覚えてまっくらやみのサーカスへ向かう。そして箱の中の彼と短い会話をした。
 話してみると彼は人好きのするたちで、そう恐ろしいものではないようだった。
 
「キミはどうしてそこに居るの」
「昼寝をするのにちょうどよかったのだ」
「サーカスでは何をしているの」
「コーラスボックスと呼ばれておる」
「オルゴールの親戚?」
「道化の合図でわしがいくつか音を立ててやる。するとお客は拍手喝采というわけだ」
「ふぅん」
「ところで開けてくれる気にはなったか?」
「全然」
 そんな感じで月日は流れ、17になった夏の夜、僕は箱のとなりにしゃがみこみ彼に言った。
「僕、この町を出ることにしたんだ」
「そうか」
「うん」
「……」
「何も言わないんだね」
「そうだな」
「……」
「楽しかったぞ」
「そう」
 箱に手を置く。
「……開けようか」
「いいや、やめてくれ」
 僕はまばたきをくりかえし箱を見つめた。何かの聞き違いかと思っていた。
「やめるんだ。どうして」
「そうさな、どうしてだろうな」
「開けたらどうなるの」
「おぬしが死ぬ」
「どうして?」
「箱から出れぬと知った当初、わしは開けてくれた者に富と名声を約束しようと考えていた。しかし現れなかった。次にわしは思った。開けてくれる者がいれば、永遠の命と祝福を与えようと。けれどもやはり現れなかった。悩んだわしは、なんでもひとつ願いをかなえることにした。だがやはり同じことだった。腹を立ててわしは決めた。箱を開けたやつを殺してしまおう、と。そしておぬしが現れた」
 僕はどう返事をしていいのかわからず途方にくれた。破れた天幕からさらさらと月光が流れ落ちて僕の首筋を冷やした。
「だからおぬしは、わしに出会わなかったふりをして行ってしまうといい」
「…そんな、さみしいよ」
「知らぬ」
「名前、教えて」
「ダメだ」
 それっきり彼はうんともすんとも言わなくなった。
 箱を振ってもさかさまにしても気配のけの字も感じなかった。
 僕はあきらめて箱を小道具の山に戻し、サーカスを後にした。
 
 街へ出た僕は住み込みの書生として働いた。雑用に追われながらもこつこつと研究を重ねた。やがてそれが認められ、僕は不惑の頃には大学で教鞭をとるようになった。家族を呼び寄せ、結婚もし、2人の子どもと3人の孫に恵まれた。
 大きな街だったから、サーカスだっていくつも来た。お祭りのある日は、かならずどこかのサーカス団が客を呼び込んでいた。僕は子どもたちがサーカスへ行くのにいい顔はしなかった。しなかったけど、もしコーラスボックスという演目を出すサーカスだったら教えてほしいと言うのも忘れなかった。
 見つけたという返事は、ついに聞けなかった。だから、箱に巡り合ったのは偶然だったのだと思う。
 ぼたん雪の降る日、こうもり傘をさした僕は大学からの帰り道、なじみの古本屋に寄った。路地の奥にある北向きの小さな店で、うなぎの寝床のような店内は本と同じくらい古そうなガラクタが並べられ古書店なんだか骨董屋なんだかわからない。店主はいつもどおりうつらうつらと船をこいでいたけど、僕が入ってくるなり。
 
「あなたから見て左の陳列棚の真ん中」
 
 とだけ言って毛布を抱えなおした。
 今までにも何回かこういうことがあって、彼の言うとおりのところへ行くと、どうしても必要だけどめったに手に入らない資料がそれなりの値段といっしょに無造作に置いてあったりする。出所だとか真贋だとかそもそも何故僕がそれを必要としていると知っていたのか色々聞いてみたくはあったけれど、店主が機嫌を悪くするだろうと肌で感じていたので黙っている。
 僕はその日ロビンソン・ゴールドバーグ理論の第3定理における論文に着手したところだったから、てっきりその関係だと思って陳列棚の前に立つと、そこには見覚えのある箱があった。
 明かりの下で見ると、それは本当にほんとうに小さくて古ぼけていてぱっとしない木箱だった。僕は無言のままそれを小脇に抱えるとカウンターに持っていった。チョコレート1枚にキャンディがおまけでついてくるくらいの値段だった。
 箱は相変わらず何も応えなかった。そもそも彼が中に居るかも謎だった。
 開けようとしたけれど、留め金は貼りついたように動かず、残念な思いを味わった。
 何年経っても、箱は開かず、当然うんともすんとも言わなかった。けれど僕は箱を書斎でいちばん日当たりのいい場所に置き、時折声をかけ続けた。
 
 そうして僕は今、臨終の床についている。
 子どもたちも独立し、孫も元気に育っている。妻にも十分な財産が遺せそうだ。細かいことは信用の置ける弁護士に任せてある。僕は無理を言って人払いをした。
 無人になった部屋の中で体を起こす。それだけで全身にひきつるような痛みが走った。枯れ枝のようになった両手でベッドサイドの箱を引き寄せ、ひざの上に乗せる。
「…やあキミ、僕もうじき死ぬんだ。やり残したことはとくにない。だからこの箱を開けたいと思うよ。キミの顔が見たい。キミの名前を知りたいんだ。いいだろ?」
 箱のふたを軽く叩く、ノックをする。彼に聞こえるように。
「いいよね」
 僕は留め金に手をかけた。微動だにしなかったはずの留め金がするりと動いた。
 
 彼の葬儀は2日後、街の教会で行われた。
 花に囲まれた死に顔は微笑んでいるかのようにおだやかだった。
 後日彼の妻は、誰も居ない書斎から彼と若い男が談笑しているかのような声を聞いた。
 いつの頃からかそれはぴたりと止み、気がつくと窓辺に置かれていたはずの小さな木箱は消えていた。誰も、知らないと言う。
 
 

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■ノヒト ... 2011/10/28(金)01:21 [編集・削除]

歌ってねえ!

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