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EVA・きっと沢山の冴えたやり方 外伝

・ 赤い海の淵で・・・   by saiki 20051030


01


私は、自分の傍らにいた フィフス(渚カヲル) の気配が薄くなり、
その存在が広く広くあたり一面へと広がっていくのを、
何処ともしれぬ闇の中で、ただ呆然と立ちながら見守っていた。

『・・・そう・・・貴方はそれを望むのね・・・』

私は、無表情に自分は何を望んでいるのかを考え続けた・・・
そして・・・

   ・
   ・
   ・

気がつけば・・・赤い海の上に、私は何の支えも無く立っていた。
そして、ふと返り見ると、壱中の制服を着た自分の姿が半ば透けているのが分かる。

『・・・碇君・・・』

いったい、自分の身に何が起こっているのだろう?
自分の現在の状況に混乱を覚えつつも、つい、彼の名を口にしてしまう・・・

そう・・・最後の綾波レイ・・・それが私・・・
私は、ゆっくりと海の波頭の上数十センチを、岸へと漂って行く。
空は紫色に染まり、満月を跨ぐ様に赤い帯が空に掛かり毒々しい光を世界へ投げかけていた。
そして、漂白されたように白い、どこまでも均一な白い砂浜に・・・自分の求める彼がいた・・・

私の方を見た、彼の表情が一瞬強張る。
でも、すぐその表情は消え、私が碇君へと近づこうともがくのを、
まるで見えないかのように赤いプラグスーツを纏い、
具現化された包帯を巻いた 弐号機パイロット(アスカ) の上に跨ると、その首を、嗚咽を漏らしながら締め上げる・・・何故?
貴方は、あのサードインパクトの中・・・最後に、私ではなく、彼女を求めたのでは無いの?

『・・・碇君!・・・』

思わず止めようと差し伸べた手は、
何の抵抗も無く彼の肩をつきぬけ・・・私は驚いて、
自分の両の手を目の前にかざしいぶがしげに見つめる。
この、悪夢のような目の前の事態は、私の見ている幻覚なのだろうか?

でも、碇君達が実体だとすると・・・
そう・・・きっと、私の方が幻覚なのに違いない。

『・・・碇君止めて・・・セカンドが死んでしまう・・・碇君・・・』

私は、悲しくなって、その場にしゃがみこむと、流れるはずも無い幻覚の涙を流しながら、
幾度も彼の名を呼び続け、弐号機パイロットの首を締めるのを、止めるように悲願する。
碇君が彼女を殺していまうと、何故彼があの補完された世界からこの現世へと戻ったのか、
その意味が、薄れてしまうように自分には思えた・・・だから、私は止めようもがく・・・

その時・・・弐号機パイロットの右手が、ゆっくり持ち上がると碇君の頬を撫でた。
それに驚いたのか・・・彼女の首を締める手から、力が抜ける。
碇君の涙が、彼女の顔の上へと滴り、それが幾つもの水滴となって頬を伝う、
私はホッとして、幻覚でしか無いはずの肩の力を抜く・・・これで・・・

「・・・気持ち悪い・・・」

私の耳へ、彼女の擦れた微かな声が響く。
私は自分の耳を疑った・・・何を言うの?
呆然とする、碇君と、幻覚の私・・・でも、次の瞬間・・・

小さな水音と共に、赤いプラグスーツだけを残して、
彼女は、LCLへとその姿を変えてしまった。

幻影に過ぎない私は、弐号機パイロットがオレンジの飛沫と化して、
碇君の体の下の真っ白い砂の中へと、
吸い取られるように消えてしまうのを、何も出来ないまま見守るしかなかった。

弐号機パイロットの、なれの果てに濡れた赤いプラグスーツの上で、
べったりと尻餅をつく格好になってしまった碇君の体が、突然の熱病に襲われたように、細かく震える。

そして、震えるその両の手がゆっくりと、彼の顔を覆う・・・私はその、
見るからに痛々しい彼の口から、搾り出すように擦れた呟きが漏れるのを、呆然としたままで耳にした。

「・・・・・・・アスカ・・・」

彼が、弐号機パイロットの名前を口にする。
それを聞いた私は、自分の胸に生じた例え様の無い、心の焼きこげる様な感触に幻影の口元をきつく食い縛った。

「・・・・ア・ス・カ・・・」

その口から、もう一度発せられた声が、
彼の心の消失感を色濃く滲ませているのを感じた私の心が、その掻き毟る様な響きに悲鳴を上げる。
私は、すぐにでも彼を抱き締めたい、自分の思いに心を焦がすが、
所詮幻影の身で何が出来るだろう、ただただ、おろおろとうろたえるだけの私・・・

「・・・・・・・ァ・・・ヵ・・・」

碇君は、体を二つに折る様にして、その頭を地面に擦りつけ苦悩の鳴り声を上げ続けた。
私は、それを見ながらもどうする事も出来無い、
差し伸べる半ば透き通った腕は、彼の体をすり抜け、私の焦りばかりが空回りする。

「・・・・・・・・」

ついに、彼の口から繰り返し漏れていた弐号機パイロットの名さえも、
擦れるように聞こえなくなっってしまった。
このままでは碇君が壊れてしまう・・・そんな思いが私の中を駆け廻る。

『・・・碇君・・・』

亡霊の様な私は・・・何も出来ずに、震える声で呼びかける。
それに答えるように突然、碇君が立ち上がった時、私は彼が自分の声に答えてくれたと思って、
一瞬、歓喜に包まれた・・・でも、それは違った・・・
ただ、私の呼びかけるタイミングで、偶然彼が立ち上がっただけだったのだ。

『・・・碇・く・ん・・・』

彼は、弐号機パイロットの赤いプラグスーツを掴んだまま、まるで電池の切れ掛かった機械のように、
ぎこちない歩みで私の目の前を、振り向きもぜずに、あてども無く歩き出した。


02


自分を見てくれない彼に、胸を針で刺される様な痛みを感じながら、
糸で引かれる風船のように、ふらふらと涙を流しながら、私は半透明な姿でその後を追う。

彼の、黒曜石を削りだしたように輝いていた瞳が、
今ではまるで死んだ魚のような虚ろな光しか宿していない。
碇君は、何度もその名前を呼ぶ幻影の様な私の声に耳を貸さずに、永遠と白い砂の上を歩き続けた。

そんな彼の上に、赤く染まった太陽が幾度も昇り・・・そして、同じだけのあの不気味な紫色の夜が訪れる。
休まず、睡眠や取らずに、足をひこずる様なあゆみで歩き続ける彼・・・

碇君は疲れ無いの?・・・喉は、お腹は空か無いの?
私は、彼の体を心配し、幾度も性懲りも無く声を掛けるけど、
存在の希薄な私に、彼は何も語ってくれない・・・

やがて、ぼつりぼつりと白い砂に瓦礫が混ざり初めて、
半ば崩れ掛かったビルや家、それに電柱が目に付くようになった。

そして、碇君の前に、彼を招き入れるように、勝手口のドアを細く開いた家が立ちふさがる。
私は、サードインパクトからこっち、正に真赤に染まる夕暮れの中で、
彼が迷わず、その夕日を浴びて赤く光る、ステンレスのドアのノブに手をかけたのに驚いた。
なぜなら、今まで同じような建物を、碇君は何度も無意識に避けていたから・・・

『・・・碇君?・・・』

何が起こったの?・・・私は、彼に聞こえていないかも知れ無いのに、とっさに声を上げる。
やはり、私の声に碇君は答えてくれない・・・彼は土足のままで、土間からキッチンへと上がりこむ、
几帳面な彼らしからぬ行動に、私は知らないうちに顔を顰めていた。

彼の目が、流しに置かれたまな板と、その上で赤い夕日で鈍く輝く包丁に注がれるのを、
私は、顔から血の気が下がる思いで見つめる・・・碇君の手が、ぎこちなくそれへと伸ばされた。

『・・・い・碇君!?・・・』

私は、無駄なのを忘れて、声を上げ彼を止めようと手を伸ばす。
制止する私の透き通った手は宙を切り、彼の包丁を持った右手は、
まだ赤いプラグスーツを持ったままの左の手首に、その切っ先を深く深く突き立てる。

私はその時、初めて碇君の顔が薄っすらと微笑んだのを見て、絶望にかられた。
彼はちょっと顔をしかめると、突き立てた包丁を震える手で抜き去る。

勢い良く彼の左手首の傷口から血が噴出し、夕日に赤く染まる辺り一面に、更に赤い血を振りまいた・・・


03


幻影の私は口元に両の手を沿え、彼に聞こえないのを忘れたまま思わず大きな声を張り上げる。

『・・・い・か・り・く・ん!・・・』

彼の命の糧が・・・
赤い飛沫となって、薄っすらと埃の積もった台所の床へと、赤い水溜りを広げていく・・・
私は、崩れるように膝をつき、がくがくと体を振るわせた。

『・・・あ、あぁっ・・・な、なぜ・・・』

呻き声の様な声を絞り出しながら・・・私は、涙に濡れる瞳を彼に向ける。
次ぎの起こるだろう事態を、歯をくいしばって、私は、せめて彼の最後を見取ろうと彼の顔を見上げた。
そして、其処に困惑を浮かべた顔を見つけて、途方にくれる・・・

「・・・なんで・・・なんでだよ・・・」

彼の口から、呪詛のように恨みがましい擦れた声が漏れる・・・
何時の間にか、碇君の左手首からの血の流出は止まっていた。
彼は自分の唇を、血が滲むほど噛締める。
そして、次の瞬間、一週間近く飲まず食わずだったとは思えない素早さで、
碇君は、床へべったりと座ったままの私を突き抜けるようにして、外へ飛び出した。

『・・・待って!!・・・』

あまりの事に呆けていた私は、彼の姿を見失って慌てて後を追う・・・
ただの存在の希薄な私の移動速度は、自分の焦る心が空回りするほどに遅い。
辛うじて目に入った、彼の後姿を追って行くが・・・やがて見失い途方にくれる。

『・・・碇君・・・どこ?・・・』

最後に彼の影を見たビルの前のT字路で、どちらへ行ったのか決めかねて私は躊躇する。
このまま彼の姿を見失ってしまったら、二度と碇君と巡り合え無いような気がして・・・
左右、どちらの方向に進むべきか、焦りと迷いに翻弄されて立ちすくんでしまった私・・・

そんな私の背後で、突然物が落ちる嫌な音が響く、
幻影でしか無いはずの私が、何故か冷や汗をその額に浮かべて恐る恐る後ろを振り向く・・・

『・・・碇君!・・・』

私は、引きつった声で、彼の名を呼びながらそれへと駆け寄った。
それ・・・そうとしか言い表せ様の無い、元碇君で有った物体・・・
あらぬ方向を向き割れ爆ぜた頭、臓物を晒しごぼごぼと血を噴出す胴・・・
そして、其処まで原形をとどめぬ状態でも、まだしっかり赤いプラグスーツを握ったままの手・・・

『・・・あ・・・ああぁぁぁぁっ・・・』

それを前にして、私は・・・心が引き裂かれるような、悲鳴を上げ続けた。
アスファルトの上を、彼であった物体から吹き出る真赤な血が、
ぬるりとその湖面を広げ、幻影の私のスカートの裾さえ濡らさずに、配水口へと流れ去っていく・・・


04


でも、そんなにも成ってさえ、碇君は生きていた・・・
全ての骨が粉砕され、肉がミンチになっている様な状況だというのに、
その指が、碇君の血に染まりその赤さを増したプラグスーツを、ぎりぎりと握り締める。

『・・・い・・・碇君・・・』

私は、信じられない事態、それを目のあたりにして目を見開きそれを見つめた。
そしてほんの少しのホッとした想いと、胸を焼かれるような想いの狭間で翻弄される。
存在の希薄な私は、彼に何もして上げれない・・・それが堪らなく、辛く悲しい・・・

こんな状態で生き続けるなんて・・・
零号機の事故の時や、第5使徒の過粒子砲の掃射に曝された時以上の、
自分では、とても考えつけないほどの苦痛に碇君は曝されているに違い無い。

やがて私は、ジリジリしたスピードで、碇君の体が再生されていくという事実を確信して、
その現実に戦慄さえ覚える・・・サードインパクトの中で、彼の身に一体何が起こったのだろう・・・

ミンチ肉の様に潰された彼の体が、じわじわとじれったいほどのスピードで再形成されていく。
やがて虚ろな目が、声に成らない呪詛を呟き続ける口が・・・ドクドクと脈打ち続ける心臓が再生され、
それが肺にまで及ぶと、思わず耳を塞ぎたく成る様な悲惨な呻き声が、碇君の口から漏れ始める。

「・・・ううぅっ・・・うわぁぁぁぁぁぁっ・・・」

私は彼の前でひざまずき、両の手をアスファルトに突いたまま、
彼が繰り返した、弐号機パイロットの後を追おうとする行為に、滝のように涙を流し続けた。

『・・・私では・・・駄目なの?・・・』

幻影でしか無い私の流す涙は、いったいどこへ行ってしまうのだろうか?
でも、ひょっとしたら碇君は、私があそこへ横になぅていても、同じように悲しんでくれたかもしれない。
その時、ぐがっとでも言うような、説明不能なコンクリートが粉砕される音が、突然辺りに響き渡る。

『・・・なに?!・・・』

私は、なにが起きたのかとっさに判断できずに、とっさに再生途上であろう碇君の上に、
いま起こった何かから守ろうとして、覆い被さろうとして、そのまま彼の残骸の中を突き抜けて転がる。
幻影としか言い様の無い私が、地べたへ転がるというのは、いま思えばおかしな気がするが、
おそらくこう言う動作をすれば、転がるであろうという、自分の無意識が勝手になしたことだろう・・・

「・・・くううぅぅぅぅっ・・・くあぁぁぁぁっ・・・」
『・・・はぅっ・・・い、碇君?・・・』

私は、地面に転がった結果、碇君とまともに至近距離で顔を見合わせる結果となって、
彼の顔が、殆ど再生されていた事もあり、思わずほのかに頬を赤く染めた。
でも、その一瞬の倒錯した幸福感は、彼の虚ろな瞳に宿る、禍々しい光を見るまでだった。

私の前数十センチの所で、彼の黒い瞳の奥に宿る真赤な赤い炎が燃えていた・・・


05


碇君がまだ明解な声を上げる事の出来ない、その喉から搾り出す怨嗟の唸り声が聞こえるたびに、
瞳の奥の赤い炎が明るさを増して、あの、言葉に良い尽くす事が出来無い破砕音が辺りに響き渡る。

『・・・な、何が起こっているというの?・・・』

私の、誰にも聞こえない呟きに答えるように当然、碇君がその屋上から飛び下りたビルが、
一瞬の内に、見えない丸い球面に抉られたように、その二階から上の構造物を失う・・・
破砕音と一陣の風、そして重低音が辺りを巻き込んで、大量の埃を旋風が周辺へと舞い上げた。

そして、今までそのビルにさえぎられ見えなかった町の風景が、私の目に入る。
私は一瞬、言葉を失った・・・目に見える一面のビルの2,3階から上が軒並み抉れるように消失していた。

「・・・ぐぅ・・・があぁぁぁぁぁっ・・・」

碇君の地獄の底から響くような唸り声と共に、遥か遠くの山の峰が瞬時に抉れる。
さっきから続いていたこれは、彼は引き起こしていたのだ。
それも意識せず、ほとんど漏れ出る行き場の無い思いの、余剰現象のような物かも知れ無い・・・

おそらく、いま起こっているのは・・・
場所未限定で広範囲に展開されたATフィールドが、一瞬の内に無限小にまでちぢめられることによる圧壊・・・

私は、じわじわと唸り声を漏らしながら、再生して行く碇君を見つめて呆然とする。
自分の前で再生を遂げようとしている、ATフィールドを展開できる碇君は、使徒なのだろうか?
もし使徒なら、彼は第18使徒リリンなのか、それとも第1使徒アダムとでも言うのか?

何が出来るわけでも無い、幻影の私は、碇君の再製されて行く姿を見守り続けた。
割れ爆ぜてしまっていた頭部は繋がり、頭髪が元のままに生え揃い、ミンチ肉と化していた胴がやっとその姿を戻す。
でも、あの優しいかった顔には、全てに対する怒りと、困惑が渦巻いたままだった。

「いやだ・・・もういやだ・・・なんで・・・なんでなんだよ・・・」
『・・・碇君、止めて・・・自分を追詰めないで・・・』

体が元に戻るに従い、あの無差別にふるわれる力の爆発は納まって行った。
でもその代わりに繰り返し、彼の口からは自分を含めた全てを呪う呪詛の言葉が漏れる。
私は眼に涙を溜めて、そんな彼を見守る事しか出来ない・・・

そして、彼がまた、何処かへ向かうためによろよろと立ち上がる。
ぼろぼろになった壱中の学制服を纏ったまま、左手にはあの赤いプラグスーツを握り締め、
まだ、完全に体が再生されていないのか、その右足を引きずりながら・・・

その姿を、亡霊のように私は追い続ける・・・
彼を見続ける・・・自分にはそれだけしか出来る事は無いのだから・・・


06


おかしい・・・私がそれに気が付いたのは、情け無い事に、かなりの日が立ってからだった。
サードインパクトの、あの日から、ずいぶんと日が立つたのに、
碇君と弐号機パイロット以外に、誰もあの赤い海から帰って来ないのだ。
誰もが、自分自身をイメージできれば、人の形に戻れるはずなのに・・・

やがて、何故、人々が赤い海から帰って来れなかったのかを、私は自分の身で知る事になる。
でもその時は、自分の心の視野が狭さくしていたのか、
目の前をふらふらと力無く歩き続ける碇君の姿だけを、私は見ていた。

『・・・どこへ行こうとしているの?・・・』

私は、目の前の彼を見て、もう数えようも無いほど繰り返していた問いを、一人呟いていた。
驚く事に、あれから碇君は一度として、休みや眠りと言う物を取らなかった。
それに一滴の水も、一欠けらの食事さえも口にしていない・・・

「・・・きっと間違ってたんだ・・・僕なんて居なければ良かったんだ・・・消えたい・・・
どうして・・・まだ生きてるんだろう・・・誰もいないのに僕一人いても仕方ないのに・・・」

虚ろなままの眼で、ぶつぶつと自分を追詰める呪詛の言葉を呟き続ける彼は、
埃まみれで、ずたぼろになった壱中の学生服を風になびかせながら、海沿いに歩き続けていた。
左手にまだ握られて、地面に引きずられ続けた真赤なプラグスーツの丈夫な素材も、
流石に擦り切れ初め、ところどころで地の、黒い素材が顔を出し始めている・・・

唐突に、碇君がその足を止める。
彼の行く手には、金網のフェンスと、広い空港らしき物が広がっていた。
フェンスには錆が浮きかけたパネルが掛かり、
その白い表面には、戦略自衛隊第108駐屯地、政府管理地所、
フェンス高圧電流通電中、地雷原アリ進入禁止と、赤い文字達が幾筋も躍る。

碇君はその警告を無視して、その顔に薄く笑みさえ浮かべてフェンスを登る、
その手や足に、青い火花が纏わり付き、焦げ始めても、有刺鉄線がその皮膚を抉り、血が流れようとも、
彼は、全く躊躇することなくフェンスを越える・・・私も、はらはらしながらフェンスを通り抜け、彼を追った。

幾らも行かないうちに、重低音と共に彼の足元が吹き上がるように爆発し、対人地雷が碇君の足を吹き飛ばす。
私は、またも自分が何も出来ない事を思い知らされ、ただ、涙を流しながら彼のすぐ横でたたずむ、
でも、碇君は、血を流し片足になったままで、その両手を使い地雷原を這い進みながらも笑っていた。


07


あれからもう一度、吹き飛ばされた碇君は、その腹から内臓を引きずりながらも、
滑走路のアスファルトまで這い進み、そこで顔に笑みを浮かべたまま気絶した。

陽炎のような私は、その、絶え間なく悪夢にうなされる彼の傍らにたたずむ、
目覚めた後、彼が何を求め何をするかが分かっていてさえも、碇君の目覚めを願わずにいられなかった。
日が沈み、やがてまた日が昇る頃、やっと彼の体の再生が終わる。

そして、悪夢にうなされ、唸り声を一晩中上げ続けていた彼の目が、ゆっくりと開く、
碇君の顔は私の方を向いていたが、その瞳には幻影の私は一片たりとも写りこまない・・・
私しか、一方的に姿を見る事が出来ないのは、とても不幸だ・・・
これがまだ、お互い姿だけでも見ることができれば、
手振り身振りでその心を通わせることさえ、出来たかも知れないのに・・・

「ううううぅぅぅっ・・・くぅっ・・・まだ生きてる・・・」

唸り声と共に眼を覚ました彼は、自分が生きている事をとても残念そうに口にする。
そして碇君は、よろけながらも飛行機のハンガーと足を向けた。
服だけを残してLCLに戻り消え去った人達が残した、駐機中の爆撃機や戦闘機を調べながら、
彼は途中で拾った鉄バイプを杖代わりに、何かを探すように歩き続ける。

私は、とぼとぼとその後を追った・・・悪い予感がした。
きっと、これらはネルフを攻撃するために動員される途中だったに違いない。
そして、その私の悪い予感はまさに的中する・・・

黒光りする、円筒形の塵をかぶった巨大な物体・・・
その胴には、UN−N2BONB−1Mtの血のように赤い刻印が眼を引く、
同じように埃に塗れた、真っ黒なステルス塗料の塗られた爆撃機に、
積み込むばかりのままで、キャリアーに乗せられ捨て置かれたそれに、碇君がよじ登る。

「見つけた・・・これならきっと・・・」

そして、信管に挿された赤いセーフティを引き抜いた碇君が、クスクスと満足そうに笑いながら、
さっきまで杖代わりにしていた鉄パイプを振り上げ、先端を鋭く鋼色に輝かせる信管を何度も叩き付ける。

『・・・碇君・・・無駄なのに・・・なぜ・・・』

私は、そんな事では爆弾が爆発し無い事を知っている。
でも、平凡な生活を送っていた碇君はそんな事を知らないのだ、
彼は汗だらけになりながらも、狂ったように笑いながら、信管を鉄パイプで殴り続けた。

そして、爆発し無いはずのN2爆弾が、閃光と共に碇君を巻き込んで爆発した・・・


08


大量の熱と、衝撃波の中、おぼろげな影しか持たない私は絶叫する。

『・・・い・か・り・く・ん!!!・・・』

基地内の、全ての物が光の中へと消えていく・・・
大量に集積された弾薬が、当たり構わず駐機されたままの戦闘機や爆撃機が・・・
誘爆や溶け崩れる暇もなく、全てをN2爆発の火球が飲み込んで行った・・・

放射能を伴わないクリーンな爆発・・・使徒には、全く役に立たなかったそれ・・・
しかし、その威力は第7使徒で戦時に、海岸線を大きく抉ったようにとても大きい。

その、ありえないはずの爆発、其処に彼の意思が介入したであろう事は、私でも想像が付いた。
光と熱が大地を襲う、山を切り開いて作られた戦略自衛隊の基地周辺数十キロをその熱と衝撃波で抉り取っていく。

全てが納まった時、其処には深いクレーター以外に何も無かった。

私は風に吹かれ舞うこの葉のように、碇君の姿を求め彷徨う・・・
この身が実体を伴っていれば、例え両の手が擦り切れようとも、碇君を探して瓦礫を除け様としたのだろう。
けど、悲しいかな、私の亡霊のような両の手は、何かを掴むと言うことが出来ない。
それさえ出来れば、こうなる前に、碇君を優しく抱き止める事さえ出来ただろうに・・・

私の赤いルビーのような眼から、けして大地へと届く事の無い、幻影の涙が流れ続けた。
幻影の自分から、途絶えることも泣く流れ続ける幻影の涙が、何でできているのか私は知らない・・・
でもきっとそれは、碇君を心配する自分の思いが、この捉え所の無い、存在の希薄な体から溢れだしているのだと感じる。

爆発で流れが変わった河からの水が、抉れた大地へと流れ込む・・・
ゆっくりと焼け爛れた瓦礫を、盛大に蒸気を噴出しながら、
水が冷たく優しいその抱擁で、自らの下へと全てを沈めて行く・・・

クレーターが漫然と水を湛えた、クレーター湖と化しても私は待ち続けた。
いつかまた、碇君が復活して、呪詛のように自分を責めながらも、何かを求め歩き続けるのを・・・
彼の呟きを聞き続けるのはとても辛かったけれども、待ち続ける今はそれさえも求めてしまう・・・

『・・・もう何も求めない・・・碇君さえ居れば良い・・・』

私の呟きは、赤い筋が掛かる、夜空に浮かぶ月を写した湖面に静かに吸い込まれ、波紋一つ立てなかった。
両の手で足を抱え込むように、座り込む私は・・・N2の業火の後を、何も無かったように飲み込んだ湖を見つめ続ける。
このときの私は、まだ幸せだったのかも知れ無い・・・いつか、碇君が戻ってくると信じていられたのだから・・・

やがて夏しかなかったここに、雪が舞い始めた・・・初めて見るそれは、私の心のように冷たく、心細いほどに儚い・・・
氷の張った湖面に降り積もる雪は、やがて全てを覆い隠し、見わたす限りの白い平原は私の心の有り所さえ失わせた・・・


09


ここはどこ?
一面の銀世界は、亡霊のような私の空間認識さえ狂わせる。
どんよりと鉛色に曇った空から振り続ける雪は、体が上昇しているかのような感覚さえもたらし続けた・・・

幻影の私に、寒いとか暑いとかの五感は無い・・・
それどころか、三叉器官さえ無いのだから、地面に対して立っているのか、寝ているのかさえも視覚に依存している。
なぜ、幻影の自分に視覚があるのかは、私には全くわからないのだけれども・・・

『・・・助けて、碇君・・・いや・・・ここはいや・・・だれか・・・助けて・・・』

だから、周りが白一色で埋め尽くされた時、自分の存在感を失った・・・
自分の位置が判らない・・・それはとても心細く、自分そのものが無に帰ってしまいそうで、私は悲鳴を上げ続けた。
無に変えるのが望みだった私・・・でも、それは過去の事だ、碇君との短いあいだの静かな交流・・・
それにより、凍ったようだった心が変質してしまった自分は、もうあの頃には帰れない・・・

真っ白な風景の中、ジリジリと足先から焦げて行くような焦燥感が、心を蝕んで行く・・・
私は、それに絶えられなくなって、硬く目をとじ震えながら、碇君の名を繰り返し呼び続ける。

凍えるような孤独感に苛まれていた私は、ふっとそれが消えたことを感じて、恐る恐る硬く閉じていた眼を空けた。
そこには・・・あの赤く染まったLCLの海の中の、子宮の中のような補完世界が広がっていた・・・

『・・・なぜ・・・ここへ・・・』

私は、辺りに満ち満ちている、ごく普通の人々の、薄く広がるほのかな気配と、
強烈な個性を持つ人のみが放つ、燃えるような気配を感じ取り、小さく呟く。

そう・・・きっと、碇君を待ち続ける。
いえ、彼が居なくなってしまったと諦めた自分の心が、ここへ来る事を望んだのかもしれない。

そして、疲れ果てた私の心は、固く殻を閉じて、ゆるりとした眠りの中へとまどろんで行く・・・
その過程で・・・遠くに、幾つかの見知った心を感じる、その中に、何故か微かにアスカの気配も合った。


10


どれだけの時間が立ったのか・・・自己補完した緩やかな、時が止まったような世界で・・・
私は、きっと夢を見ていたのだろう・・・それは、碇君が出てくる少しだけ嬉しい夢・・・

夢に出て来る碇君は、あの悪夢の中での、自らを傷つけようとする彼では無かった。
少しだけ、そう・・・少しだけ悟った表情を見せる、私の知ってるより、少し背の高くなった彼・・・

それが、何故夢なのか?
何故なら、彼のバックの空が抜けるように透き通った綺麗な蒼だから・・・
あの、悪夢に出てきた紫色に染まった空や、スモッグで薄灰色だった空は、どこにも出て来ない。
それに、風景もとても日本とは思え無い砂漠や、峡谷が続く・・・
でも、何故か看板や表示は日本語、だからきっとこれは夢・・・私の願望が引き起こす、夢に違いない・・・

   ・
   ・
   ・

私の夢の中の碇君は、砂に埋もれた町で生活に必要な物を調達して、料理し、学び、本を嗜む・・・
たまに、何処かの研究所や軍施設みたいなところへ入りこんで物を調べたり、自ら機械をいじったり・・・
夢の彼のする事を見るだけで、私は飽きる事が無い・・・この夢が永く続けば良いのに・・・

そして、やがて私は夢の中の碇君が、少しずつだけど歳を重ねて行っているのに気が付いた。
どんどん凛々しく、まるで天使のような容貌をまとっていく碇君・・・これは、自分の願望なのだろうか?

そして、時々見覚えのある風景・・・そう間違えようも無い、活動を停止したエヴァ量産機の残骸・・・
それが、夢に現れるたびにどんどん劣化して行く・・・まるで、コマ落しで十年単位の時間が進んでいくように・・・
崩れていくそれは、やがて形を保てなくなり、一気に瓦礫の山へと代わる。
でも、何故かあの、私の瞳のように赤いコアだけは、僅かにひび割れただけでその姿を残した。

何かが、心の中でざわざわと蠢くように引っかかる・・・私は、何を不安に思っているのだろう?

   ・
   ・
   ・

そして、穏やかなまどろみからの、突然の覚醒。
誰かに呼ばれたような気がして、硬く閉ざした心の隙間から辺りをうかがう・・・
そして、まるでノイズのように、あれだけ重複して混在していた、
薄く広がるほのかな気配が、まるで無いのに気がつき呆然とした。

微かに、いまだそれなりに強い気配が点在しているが・・・
かっての、補完された世界の温かい気配は無く・・・ただ、空虚ながらんどうの世界が広がっていた。

『綾波・・・』
「・・・だれ?・・・」

私は、確かに自分を誰かが呼んでりるのを聞いた・・・


11


この気配は何処かで・・・
私は、自分に呼びかけてくる存在を、知っているような気がして・・・しばし首を傾げる。

『綾波・・・』
「・・・まさか・・・碇君なの?・・・」

そして、気が付いた。
呼びかけてくる気配が、あの第5使徒に加粒子砲を浴びせられた時、
煮え立つエントリープラグから助け出してくれた、彼の気配に近いことを・・・

私は碇君の呼びかけに答えようと、自分自身をイメージし人の形に戻る為に、
心を凝らして集中する、ジワリとLCLから再構成される自分の体・・・
それと共に、微かに残っていた、補完された世界の温かさから自分が切り離される、
えも言えぬ嫌な感覚・・・私は、それに耐えながらも、遥かな頭上の水面を目指す・・・

私は、赤いLCLをかき分けて、水面に顔を覗かせる。
蒼銀のショートの髪から、微かに血の匂いを漂わせるLCLが滴り落ちた。

「綾波?・・・」
「・・・碇君?・・・」

LCLから顔出した私の目に、信じられない事に・・・
あの夢で見た、成長した碇君の姿が目に映りこむ、
私を見て、天使のような笑みを浮かべる碇君・・・夢の続きかと私は一瞬、我が目を疑った

そして、自分へと差し伸べられる、逞しさの増した彼の手・・・
その手を取ろうと、私もLCLから再構成された手を伸ばす・・・

でも突然、えも言えぬ気持ち悪さが背筋を駆け抜ける。
彼の手を取りそこね、気持ち悪さに呻くことさえ出来ぬ間に、
私の体は、再びLCLと化して、赤い海へと崩れ落ちて行った。

その時、私は悟った・・・
弐号機パイロットが、”気持ち悪いと”言い残して、LCLへと戻ってしまったわけを、
そして、碇君以外、誰も赤い海から、元の人に戻って帰って来なかったわけが・・・


12


補完された人は、麻薬に依存しきったように、
補完世界を離れた、補完されざる外界の刺激に、すでに耐えれなくなっていたのだ。
これでは、誰も元に戻れなかったのも、当たり前かも知れ無い・・・

そして、その補完世界も、いまや滅びかかつている。
永久の時を、普通の人の心が、どこまで絶えれると言うのだろうか?
永遠の揺り籠の中で、揺られる毎に存在感を薄れさせ、
何時しか、その存在自体が消えてしまうのでは無いだろうか?

私には、、いまの空虚ながらんどうの世界が、それを証明しているように思える。
短慮な老人達の狂った心から生み出された、この、新たな存在を生み出さぬ補完世界が、
標本箱の中にピンで止められた美しい蝶の様に、
何時しか茶色の干からびた、ミイラと化すことは、最初から定められた事かもしれない・・・

私は、最初のLCLへの崩壊の後、すぐさま、三度再構成を試み、そして三度ともそれに失敗した、
なんて事だろうか・・・私は、自分の試行錯誤を見守る、碇君の悲しそうな目が忘れられない・・・

そして、上手く行くまで何度でも繰り返そうとした私の試みは、彼からの優しい制止によって止められた。

『綾波・・・もう止めて、僕の方でも、
幾つか手が打てるかも知れないから・・・もう少し待っててくれる?・・・』
「・・・碇君が・・・そう言うのなら・・・」

私は、彼の声になら無い声を信じて、
おとなしく引き下がり、寂しくなってしまった赤い海の中で、また、しばしのまどろみを貪る・・・
碇君が、その、優しい声で、私をゆり起こしてくれるのを待ちながら・・・


13


   ・
   ・
   ・

『・・・・あ・や・なみ・・・綾波・・・』

碇君の繰り返される温かい声が、私のまどろみを揺さぶり、優しく覚醒へと導く、
精神的に目を覚ました私は、喜び勇んで彼の元へと近づいていく・・・
私が、碇君が何所へ居るか迷う事はない・・・
この、崩壊し掛かった補完世界から見上げる、現世の彼の姿は、明るく輝く太陽の様だ。

彼に合いたいという自分の心が、また、いつかのように幻影の体を作り出す、
私は、壱中の制服をまとったその姿で、赤い海の海面すぐ下まで浮かび上がった。

「・・・私は・・・どうすれば良いの・・・碇君?・・・」
『綾波が、前の時の様に、体を再構成して上がってくれれば、僕の方で何とかするから」

再構成された体が、またLCLに戻るのを感じるのは、私にとっても、あまり良い気持ちではないけど、
きっと、碇君が何とかしてくれると信じて、私は彼の指示に従う・・・
意思を集中し四たび、再構成される私の体・・・
でも、赤い海から出たところで、それも再び崩壊を始める・・・

しかし、全てが崩壊する前に、私の体を碇君の温かい気配が包みこみ、
LCLへと崩壊する体を、極小の単位で 力場形成体(アストラルボディ) へと入れ替えていく・・・

僅かな瞬くような時間で、全てが入れ替わり、私は赤い海に半身を浸したまま、
薄く向こうが透き通る、自分に与えられた白い体を久しぶりに自らの腕で出し締めていた。

私は、あの幻影と同じように半ば透き通った体に宿る自分を感じ、戸惑いを浮かべる。
でも、幻影と違ってこの体には、微かながら五感がある・・・
私は、指の間から流れ落ちる、LCLの生温さを感じ、自分の指を目の前へとかざして見つめた。

碇君が、私のために作り上げてくれた体・・・
微かに、体自体から彼の温かい気配が感じられ、この体が幻影では無い事を、自分に悟らせる。

「綾波?・・・」
「・・・碇君・・・」

そんな私へ、碇君が呼びかける。
私は、彼の呼びかけへ、あの第5使徒戦で煮えたぎっていたプラグの中で、
生き残り、再会した時の様に、取っておきの笑みを浮かべて答えた・・・

彼も、それに答えて顔に漫然の笑みを浮かべる。
私は・・・私は、再び彼と合う為に、生き残ったのかもしれない・・・

幻影と見間違うほど存在が希薄な私の体、でも、私の赤い眼から滲み出た涙は、
頬を伝って、まだ、その半身を沈めたままの赤い海へと滴り落ちて、小さな波紋を描いた・・・


At that point the story comes to an abruptEND.....



-後書-


フィフス(渚カヲル)  = 第17使徒/タブリス、TV第弐拾四話「最後のシ者」
N2爆弾 = NNネオニュートラル爆弾など、ニュートラルセカンドなど
 いろいろ諸説が有るが、いまだ何の略か良く分からない、TV本編から使用後放射能装備無しで
 各種調査などをしていたため、放射能を撒き散らさない爆弾らしい。
力場形成体(アストラルボディ)  = 当SSでのオリジナル設定、ATフィールドの応用らしい(苦笑
第5使徒戦 = TV第六話「決戦、第3新東京市」、ラミエル戦


暗めで、ちょっと駄作っぽいのですが(滝汗
某小説投降掲示板へ掲載した「プロローグ・2015年への帰還」の前の話です。
書込み自体が最近ひどくなった、(うちの掲示板へも再三書込みが有るのですが)
変なサイトの宣伝などで流されてしまった為、ここに復活させました(苦笑
その際、多少手を入れて見たのですが、
無口な綾波さんでは前半の「碇君」連呼は避けれませんでした(無念

ご注意!:新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAXの作品です。


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