至上最悪の勘違い



「弦一郎。今度の日曜日、俺の家に来ないか。練習も無いことだし」

幸村にそう誘われた真田は、頭の中で予定を確認し、特に問題無いと判断した。

「ああ、構わない」
「本当?嬉しいよ、ふふ…」

OKしただけで、幸村はニッコリと笑みを浮かべとても上機嫌になっている。真田はそれを少し不思議に思った。

「何かあるのか?」
「いや、あるわけじゃないけど、そろそろ俺は状況を進めたいなーって」
「?何を進めるんだ?」

重ねて問うた真田に、幸村はきゅっと目を細めて軽く睨んだ。

「嫌だな、そんなことここで言わせる気かい?」

ここ、とは休み時間の教室であって、誰も二人の話す事など気にも留めていない。真田は益々不思議に感じたが、幸村は時々こんな風に理解出来ないような行動を起こす事がある。突然機嫌が悪くなったり、また先ほどのようにとても喜んだりと。仕方の無い奴だ、と真田は呆れたように、しかし軽く笑みを浮かべた。

「おかしな奴だな。分かった。日曜日、訪問させてもらおう」

幸村は一瞬、目を奪われたように真田の表情を見つめた。それから本当に嬉しそうに破顔し、晴れ晴れとした表情をしたのだった。この後、幸村の上機嫌はずっと続き、テニス部の皆も怪しむ程だった。

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そして、日曜日。真田は約束通り、幸村の家にやって来た。何があるわけではなくとも、友と語り合うのは悪くない。最近気に入った本も貸してやろう、それに母から預かった手土産も、と自分なりに準備もしてきている。さっそく家に上げられ、ソファに座るよう薦められた。そこで手土産や本を幸村に手渡すと、とても喜ばれた事に真田は嬉しく感じた。

「ふふ、嬉しいよ弦一郎。ありがとう」
「そうか、そんなに喜ばれるとは思わなかった」

素直に受け取ってもらえ、笑顔でお礼を言われると微笑ましい。真田がそんな幸村の様子を見て、フッと表情を緩めた時だった。幸村が異常なほどくっついて隣に座り、手を伸ばしてくる。

「今日、家に誰も居ないんだ。意味、分かるだろ?」
「?」
「弦一郎…」

何だ?と幸村の方を見やると両手を真田の首に巻きつけ抱擁し、顔を近づけてきた!真田は咄嗟に幸村の肩を両手でガシィッと掴み、己から少しでも離そうとした。

「なっ、なんだ精市!」
「なんだじゃないよ弦一郎、俺はずっと我慢してたんだから」
「何が我慢だ?!どうしたんだ!」

驚き、幸村がどうにかなったんじゃないかと心配しながら叫んだ真田は、次の瞬間我が耳を疑った。

「キスくらいいいじゃないか!」
「……?!!!」

キス、きすって鱚?いや、幸村は明らかに接吻しようとしているような気がする!

「言っただろ、ちょっとは関係を発展させたいって」
「やめんか精市!」
「ダメだよ弦一郎、男の家にのこのこ上がってきた時点でOKって事なんだから」
「何を言っとるんだ!たわけっ!俺も男だろうが!」

真田が怒鳴ったところで、幸村のパワーには適わない。真田はソファに押し倒されてしまった。その間にも二人は腕を掴みあい、恐るべき攻防が行われている。そして、再度真田は己の聴力を疑うことになった。

「だって、俺たち付き合ってるじゃないか!」
「…………?!!!!!」

そんな馬鹿な!呆然とした真田が思わず力を抜くと、幸村はぎゅーっと抱きしめながら、思い出すように言った。

「あの時は嬉しかったな、俺が告白したら弦一郎も同じ気持ちだって言ってくれて」

必死に思い返した。確か、あれは練習後の部室、居残りでとても熱の入った打ち合いをした後だった。幸村がポツリと言ったのだ。

『こんな事言ったら、おかしいと思われるだろうけど…』
『なんだ、精市』
『俺、弦一郎の事好きだな』

真田も当然、幸村のテニスも練習姿勢も部活での態度も、そして友人としても好きだったので返事をした。

『俺も好きだぞ』

まさか、あれがそういう事になったのか?!真田は冷や汗をかいた。

「それに、デートだってしたし」
「ちょっと待て精市!聞け!俺はそんなつもりじゃ…!」
「はあ?!二人でプリクラだって撮ったし手も繋いだじゃないか!今更ウソとは言わせ無いよ。弦一郎だって、俺たちの仲は順調だって言っただろ!」

確かに、幸村にねだられてゲーセンに行って遊んで、プリクラを撮った。帰りしな、幸村は突然手を握って来たので、具合でも悪いのかと心配したものだ。具合は悪くないがそうしたいと言っていたので、そのままにさせておいたのが良くなかったのか。さらに思い出せば、幸村は『俺たち、順調だね』とニコニコしながら言っていた。その時は意味が分からなかったが、勉学にも部活にも順調に励んでいる意味かと思い『うむ、そうだな』と返事をしたのも駄目だったようだ。
もはや真田は青ざめている。

「待て!俺はそういう意味で言っていたわけでは無い」
「いいや、待てないね。…はっ!まさか、弦一郎。もう俺に飽きて心変わりしたんじゃないだろうね?!」

そう言った幸村はドス黒いオーラを纏っており、見た事も無いほどの恐ろしいまでの表情をしていた。真田もぎょっとして見返す。

「何を言う…」
「弦一郎、俺のこと嫌い?」
「いや、そうでは無い」
「じゃあ、他に好きな奴でも?」
「それは居ないが…」

しどろもどろになりながら答えると、幸村は漸くその美貌故に余計恐ろしく見える表情を消した。

「そっか。良かった」
「…………」

真田的には良くなかったような気がする。しかし、上手く説明しようにも口で幸村に勝てるわけはないし、何を言っても丸め込まれてしまうだろう。

「じゃあ続き。ね、弦一郎。俺、ずっと大切にするよ、お前のこと」
「いや、それは…」

再び攻防が行われようとしたその時。
ピンポ−ン、ピンポーン

誰かが来た!幸村の家のチャイムがこのリビングの雰囲気には程遠い、のどかな音を立てたのだ。インターフォンのモニターを見ると、赤也が見える。その奥には丸井とジャッカル、柳も。

「ちっ…弦一郎、今日家に来ること、漏らしたね」
「あ、ああ」

そうだ、何気なく尋ねてきた蓮二に答え、自分も来たいと言った赤也に、なら来ればいいと答えたんだった。それが己の貞操(?)を守ったことになったと真田はホッとした。

「酷いよ弦一郎、そんなに俺が嫌なら最初っから断ればいいのに…」

幸村が見るからに落ち込み、俯いてしまったので真田はぎょっとした。

「い、いや、そういう訳では…すまない。まるで気付いていなかったんだ」

何故謝っているのかは分からないが、とりあえず幸村の機嫌を元に戻そうと頑張る真田。すると、幸村は笑顔で、でも目はまるで笑わずにじっと真田を見据えた。

「そう。じゃあ今日で良く分かってくれたよね。これからよろしく」
「…………」

真田は何て答えていいのか、迷った。とても、かなり、めちゃくちゃ迷った。うむ、と頷いてよろしくと言えばよろしくされてしまう。かと言って嫌だと言ってしまっていいのだろうか。逡巡しているうちに、幸村はキッと睨んで「どうなんだい」とピシャリと追い討ちをかけるように尋ねる。

「う、うむ…」
「ほんと?!ふふっ、良かった。じゃあ続きはまた今度、二人の時ね」

どうしてもNOと言えず、つい頷いてしまった。とても嬉しそうに笑みを浮かべる幸村を見ながら、この笑顔を向けられる為なら仕方がない事なのだろうか、とついつい流されてしまう真田だった。