【961プロ前夜】

 黒井は、暗闇の中に光るテレビの向こう側で華々しく歌う少女を苦々しく見つめていた。
 スピーカーから流れてくる歌声は、この私が手に入れるものだったはずだ……。
 高木さん、いや、高木順一朗め……。
 ふいに、部屋の中が明かりで満たされ、テレビを見ている目を細めてしまう。

「社長、テレビを見る時は部屋を明るくして離れて見てくださいと、いつも言っているではありませんか」

 音も無く部屋に入ってきたのは、我がプロジェクトフェアリーの一翼を担う四条貴音だった。
 北欧系のクォーターである彼女は、その現実離れしたシルバーヘアーで見るものを真夏の世の夢へといざなうのだ。

「はは、貴音ちゃんは厳しいなあ」
「いいつけを守らないほうが悪いのです」
「私はね、自分を夜の闇に包むのが好きなのだよ」

 そんな黒井の話を聞いているのかいないのか、貴音は黒井の横を通りすぎ、黒井の座っている後ろの大窓にかかっているカーテンを開け放った。
 ただでさえいつも黒いスーツを着ているというのに、逆光によってその顔さえも影になり、よく見えなくなってしまう。
 こんな真昼間から夜の闇もないものですよね、まったく。これでは高木社長と一緒ではないですか、と貴音は765プロのオーディションを受けた時のことを思い出していた。

「今の美希ちゃんですよね」
「ああ」

 私と響ちゃん、二人がオーディションの最終選考を受けに765プロにやってきた時に出会ったのが美希ちゃん、星井美希でした。
 事務所のビルの前で立ち往生していた美希ちゃんを私が案内してあげた縁で、そのまま仲良くなったんですよね。
 結局、私達はオーディションに落ちてしまい、美希ちゃんはそのことを一緒になって悲しんでくれて。
 「芸能事務所なんて、いっぱいあるの! 貴音と響なら、絶対デビューできるって信じてるの!」って励ましてくれたことは、今でも忘れていません。
 とても、嬉しかった……。
 そのことが支えとなって、今はこうして961プロのアイドル候補生として席を置き、デビューを待ちながらレッスンに励む日々を過ごせています。
 そんなこともあって、美希ちゃんが765プロのオーディションに合格した時は3人で肩を寄せ合って喜び合いましたし、テレビでの活躍を見るたびに友人としてとても誇らしく思います。
 私も早く美希ちゃんと同じ舞台に立てるように、より一層の精進を行わなければいけませんね。

 貴音が美希について思いを馳せているのと同時に、黒井もまた美希について思い出していた。しかし、残念ながらそれは、あまりいい思い出ではない。
 何故ならば、「星井美希に先に接触したのは私のはずだ……!」からである。

 タイミングは最悪だった。
 黒井が新しい芸能事務所を作るために着々と準備を進めていた矢先に、高木さんの765プロが立ち上がったと話を聞いた。
 高木さんは黒井の最も尊敬する人だ。それゆえに、いつかは越えるべき壁なのだ。
 しかし、タイミングの悪さに嘆いては仕方ないとばかりに、不本意ながらも後に続く形となってはしまったが、堂々と961プロを立ち上げることに成功した。
 ……せっかくなのだから、一発目から大きな花火を上げたい。それで、タイミングの悪さも挽回できるはず。
 そう思って、街へと繰り出した黒井の目に留まったのは、妖精だった。
 高校生だろうか? 確かにスタイルは抜群だし、東京の街のど真ん中とはいえあの金髪は目を見張る。しかし、それ以上に彼女の纏っているオーラが……ここまで届く透き通った声が、言い寄ってくる男共をかわすしなやかさが、全てが黒井の理想だった。
 この子だ!
 この子ならば、高木さんを一気に追い抜ける!
 黒井は、その少女を追いかけて繁華街にあるカフェへと入り、少女とその友達であろう女の子が座っているテーブルの横に陣取った。
 注文してすぐに運ばれてきたアイスコーヒーで、喉を潤す。ここまで走ってきたため少し汗ばんでいたが、その汗もさーっと引いていき……代わりに鼓動が高まっていくのが分かった。
 少女達というものは、どうしてこうも無駄話が好きなのだろうか。
 なかなか話しかけるタイミングがつかめないまま、時計の針は2時間をゆうに回っていた。
 このままでは、らちがあかない。
 そう悟った黒井は、清水の舞台から飛び降りる気持ちで少女に声をかける。

「あー、そこの君」
「ん? ミキのこと?」
「そうだよ、そこのミキだ。いや、君だ」

 辺りをきょろきょろと見回し、話しかけられたのが自分だと分かると、ミキは明らかにいぶかしげな表情でこちらを睨んでいた。
 ……確かに、先ほどの様子を見るに、男共から声をかけられることはしょっちゅうのようなので、十把一絡げに見られているのも仕方ないだろう。
 だが、私は違う。違うのだ!
 話せばきっと通じると、このときは揺るぎなく思っていた。

「君、アイドルやらないか?」
「あやしいから、や」

 即答だった。
 しかし、これくらいのことは黒井にも既に織り込み済みで本番はこれからだ、そう思ったのだが……。
 黒井を睨み付ける目が増えた。
 この展開は正直言って、まずい。
 この年頃の女の子達が騒げば、あっという間に悪評が立ってしまうことだろうし、ミキを我が961プロへと誘うのは不可能となってしまうことだろう。
 仕方がない、今は退こう。

「……分かりました。しかし、もし気が変わったらここに連絡をください。私は、いつまでも君のことを待っていますから」

 まだ刷り上がったばかりの名刺を一枚差し出し、潔くその場は後にした。
 その数ヶ月後、雑誌のグラビアで彼女の姿を見かけたときは、どうしようもない悔しさと怒りで社長室をめちゃくちゃにしてしまい、結果として経費が切迫してしまったため少し後悔している。
 いつか、我が手に収めてみせる……星井美希!


「社長、いるさー?」
「いるよ、響ちゃん。入ってきなさい」

 大きなポニーテールを左右に大きく揺らしながら社長室に入ってきたのは、我がフェアリープロジェクトの一翼を担う我那覇響ちゃんだ。
 響ちゃんは沖縄出身の元気な女の子だ。……時々、彼女の言葉が聞き取れないが、まあ今のところはコミュニケーションに問題ない。

「はいたい! なー、社長ー。もう掃除は飽きたー。いつになったら、歌を歌えるのさー。こう、チムドンドンするようなさー!」

 ビル前の掃除、それが響に与えられていた日課だった。
 掃除をするのは別にかまわない。嫌いではないからだ。でも、いつまでたっても掃除とレッスンでは、遊び盛りには飽きも来ようというもの。
 こんなことをするために上京したわけではない、そういった想いが響の中で渦巻いていた。

「すまなく思っているが、まだプロデューサーの採用が決まらなくてね……。それに、所属アイドルが君たち2人というわけにもいかない。せめて、もう1人、もう1人居れば……」

 そう、星井美希。彼女さえいれば……。

「響ちゃんは、星井美希と知り合いだったよね」
「うん、ドゥシさー。とっても大切な友達さー」
「なんとか、彼女を我が961プロに誘えないものかね」

 正攻法でダメだったのならば、搦め手でいくしかない。
 それにこれは逆にチャンスだ。
 星井美希を高木さんのところから引き抜いたとなれば、向こうにとっても大きな痛手。
 一泡吹かせることができる……!

「お言葉ですが、社長。いくらなんでもそれは無理というものでは……」
「貴音ちゃん。そんなことくらい、分かっている……。しかし、プロジェクトフェアリーには、どうしても彼女を迎えたいのだよ」
「……どうして社長がそこまで美希ちゃんにこだわるのか、理解できません」
「社長は、美希オタクだからなー」
「こらっ、響ちゃん、まぜっかえさないの。……それに、今の美希ちゃんには今のプロデューサーが必要なんです」

 ……貴音の一言に、黒井の直感が働いた。これは、上手くすれば星井美希を961プロに引き込むことができるかもしれない、と。

「もし、貴音ちゃんの言うとおり、星井美希にそのプロデューサーが必要だとしよう。ならば、そのプロデューサーごと、こちらに迎えようじゃないか」
「……? 本当にそんなことできるんかー?」
「いいかい、響ちゃん。これは、君たちにとっても悪い話ではないのだよ。考えてもみたまえ、君たちにだってプロデューサーは必要なのだ。そこに、既に星井美希という実績のあるプロデューサーが我が事務所までやってきたとしよう。これは、君たちが大きく羽ばたくための第一歩として、申し分ないとは思わないかね」

 もちろん、これはまったくのはったりだ。新たなプロデューサーの発掘はこれからも続けていく。さもないと、あっという間に事務所が傾いてしまうからな。
 しかし、どうやら響ちゃんには効果があったようだ……ふふふ。

「そうか! プロデューサー来るのかー! 美希とプロデューサーがいっぺんに来たら、わたしも楽しいわー!」

 早速、貴音ちゃんの袖を引っ張って美希を誘いに行こうとしている響ちゃんだったが、やはり貴音ちゃんは渋っていた。
 貴音ちゃんは聡明な子だ、この論理が無茶なものだということはわかっているのだろう。

「あのね、響ちゃん。美希ちゃんのプロデューサーさんが来ても、美希ちゃんをプロデュースするだけで、私たちのプロデュースはしてくれないと思うの」
「がーん! そ、そうなのか……?」

 当然だな。

「……でも」

 貴音が遠慮がちに言葉を紡ぐ。

「それでも……少しでも社長のお役に立てるなら、自分の未来を切り開ける可能性があるのなら、私は美希ちゃんにこの話をしてもかまわないのではないかって、思います」

 その夜、黒井は部屋の明かりを消して、星一つ見えない夜空に浮かぶ満月を眺めていた。
 これは、賭けだ。とても分の悪い、ね。
 貴音ちゃんと響ちゃんだけでは、すぐに立ち行かなくなるのは事実だ。もう少しアイドル候補生の数を増やしたいのは山々だが、うちの懐事情ではあと1人が精一杯。
 だからこそ、最後の1人には特大の仕掛けが必要だ。
 高木順一朗……私は、必ずあなたに勝ってみせる!
 流れゆく大きな雲が満月を隠し、辺りは夜の闇に包まれた。


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