【幻想庭園に咲く幻想】  
 
 

「やあ、兄くん…………。今日は、私に付き合わなければいけないよ…………」

 …………兄くん、大丈夫だから…………フフフ。
 ちょっと困ったような…………そしてどこか不安そうな顔をする兄くん…………。私が兄くんを誘うと、いつもこんな顔をする…………。今までだって、とりたてて何かがあったわけでもないじゃないか…………。
 私は…………そんなに兄くんを恐がらせるようなことを…………してしまったかい…………? 私としては、早く慣れてもらわないと困るのだけれど…………。

 …………あぁ、この香りだ…………。

「さぁ、兄くん…………まずはここだよ…………」
「……普通のお花屋さんだね」

 …………兄くん、花屋に普通も普通じゃないもないだろう…………。それとも、何か気が付いたのかい…………?

 …………まあいい。

 私は、店の奥から出てきた主人が持ってきた花を受け取る…………。兄くんは、なんだか不思議そうだった…………。ここの主人は、客に必要な花が分かるだけだよ…………大したことじゃない…………。
 懇意にしている…………ああ、そう受け取ってもらっても構わないよ…………。実際、このお店は重宝しているからね…………フフフ。

 私の手には、ささやかな花束が握られた…………。
 ゼラニウムの花だ…………。
 鮮やかに光る真紅の花びら…………。土と草の緑の匂いの中に…………バラの甘い香りが混ざった独特の匂い…………。あの時と同じ、何も変わっていないね…………。どうだい、兄くん…………いい香りだとは思わないかい…………?
 …………確かに、虫除けにも使われる匂いだから…………慣れないと耐えがたい匂いではあるけれど…………兄くんは、この匂いを思い出しはしないのかい…………?

「この花束は、兄くんに持っていてほしい…………」

 この花は、兄くんが持っていなければ意味がないのだから…………。
 …………ふと、昔聞いた、赤いゼラニウムの花言葉が頭の中をよぎる…………。

「…………君ありて、幸福…………」

 
 ゼラニウムの花の匂いに包まれながら、2人並んで歩く…………。
 私は…………つい…………しきりに兄くんの方を見てしまうのだが…………兄くんには…………それが珍しいらしい…………。
 そう…………兄くんは、いつもと変わらないか…………。
 次、だね…………。

「そうだ、兄くん…………。少し喉が乾かないかい…………?」

 兄くんは、ほんの少しの時間悩んだあと、「そうだね」と応え、何がいいかを私に聞いてきた…………。
 兄くんの優しさが、私の心を撫でる…………。もっと、もっと…………完全に重なり合ってしまいたい…………。

 「あれがいいな…………」。私は、フルーツショップの軒先に積んである梨を指差した…………。
 ドリンクの類を想像していたのだろう…………兄くんは、少し面食らっていたよ…………。

 手に握られた梨はいわゆる西洋梨で、私には丸い東洋梨よりもずっと馴染みが深い…………。
 一口かじると、柔らかな食感と共に、甘い果汁が喉を潤す…………。喉が乾いていたのは事実だから、実に心地いい…………。

「さぁ、兄くんもどうだい…………」

 勧められるままに、兄くんは梨を一口かじった…………。
 …………そう、おいしいかい…………よかった…………。

 そういえば…………あの時の梨はどこへ行ってしまったのだろうか…………?

 
 その後、更にアンティークショップやケーキショップなんかを巡ってはみたのだが…………思ったとおりにはいかないようだ…………。まあ…………あまりあてになる占いだとは、思っていなかったけどね…………フフフ。

 ん、兄くん、どこへ行くんだい…………? あまり…………手を引っ張らないでくれないか…………。

 …………ここは…………?
 兄くんに手を引っ張られた先には…………この辺りではよく見かける、路上にアクセサリーを広げて売っている人の前だった…………。
 こんなところに来るなんて珍しいじゃないか、兄くん…………。
 …………? これを、私に…………?
 兄くんが私に差し出したのは…………リボンの結びを象ったシルバーのブローチ…………。
 どういう風の吹き回しなのだかしらないけれど…………兄くんが似合うと言うのならば…………。

 …………そのブローチを手にした瞬間…………私の意識は、遠く…………遥かに遠くへと飛ばされてしまったんだ…………。

 あの日、兄くんと出かけた私は…………自分で作った銀細工を売っている細工師に出会ったんだ…………。銀細工自体が珍しいものだったけれど、何よりその細工の細かさが見事で、私は一目で虜になってしまったよ…………。
 それを見ていた兄くんが――よほど私は目を輝かせていたのだろうね…………――リボンを象ったペンダントをプレゼントしてくれたんだ…………無事に帰って来られた御礼、ということでね…………。
 当時の風習として、戦に旅立ってしまう愛する人の盾に、リボンを結んで無事を祈る…………というものがあって、その結びを象った銀のアクセサリーには「永遠に結ばれたい」という願いが込められている…………。

 そう、か…………そんなことは忘れていたよ…………。いや、忘れようと…………思い出さないようにと、記憶を心の奥に封じこめていたんだね、きっと…………。だって…………あなたは…………帰ってこなかったんだから…………。

 
 …………私を呼ぶ兄くんの声で、はっと我に返る…………。
 あぁ…………すまない、兄くん…………。なんでもないよ…………大丈夫だ…………。

 …………兄くんがこのブローチを見つけたのは、今日の成果があったということなのだろうか…………? いや、無意識、なんだろうね…………兄くんの無邪気な顔を見てると、本当にそう思うよ…………フフフ。

 昔、偶然侍女に花言葉を聞いた兄くんが、わざわざ遠くまで出かけて真っ赤なゼラニウムの花を摘んできてくれたこと…………。

 私が病にかかって床にふせている時、お見舞いに持ってきてくれた梨さえも食べる気力のなかった私に…………この梨は病気の治る魔法の梨だよ、と一口かじっておどけて見せてくれたこと…………。
 …………ああ…………兄くんが部屋から出ていった後、私は…………兄くんがかじった梨の跡を、じっと見つめた後…………私の梨と兄くんの梨、2つの梨の跡を重ね合わせた…………。それが、その時の私の精一杯だったんだよ…………。

 そんなこと…………忘れてしまった方がいいのかもしれないね…………今は。
 兄くんの魂が覚えているのならば…………それが分かっただけで…………。2人で…………新しい道を歩いて行けばいい…………。

 …………フフフ。…………今日の私は、少しオカシイのかもしれないね…………。まるで、あの時の私に戻ってしまったかのような錯覚さえ感じる…………。
 だから…………そう、そんなに私のことを見つめないではくれないか…………兄くん…………。

 
 



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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