【離さないで】


 ふわぁ〜。

 ふぅ……またあくびか……。もう、最近あくびばっかりでいやになっちゃうな。最近、やたらと眠くって仕方がないんだよなぁ……。
 別に夜更かししてるわけじゃないんだけど、朝起きるといまいち寝付きが良くなかった感じがして……何か変な夢でも見てるんだろうか? どうせ夢を見るんだったら、お姉様の夢がいいのになぁ♪ あ、でもそれだったら興奮しちゃってやっぱり寝付きが悪くなっちゃうかもね……♪ ふふっ、お姉様は罪作りだなぁ♪

「…………随分と大きく口が開くんだね、咲耶は…………」

 え? 見られてた?
 手で口を抑えてはいたけれども、少しばつの悪いところを見られてしまったかな……と一瞬思ったんだけれど、この声は……。

「なぁんだ、千影か」
「…………なんだ、とは失礼だね…………」

 声のした方をやおら振り向くと、なにやら大きな袋を抱えた千影が立っていた。それも、なんだか……妙なお店の前で。漢方か何かの類だろうか? 見たことも無いような植物が入ったビンが並んでいるのがお店のガラス越しに見える。

「なぁ、千影。このお店は一体何を売ってるんだい?」
「…………ああ、薬の類だと思ってくれれば間違いは無いよ…………」
「……なんだか引っかかるなぁ」

 まあ、千影らしいといえば千影らしいかな、こういうお店は。

「それよりも、咲耶…………。最近、夜更かしでもしているのかい…………?」

 別にそういうわけじゃないんだけど、って千影に、どうもこの頃目覚めがすっきりしなくて、寝付けてないんじゃないかって話をすると、「奇遇だね…………ちょうど今、良さそうなものが手に入ったんだ…………試してみるかい?」って返事が返ってきたんだ。……このお店の薬、だよなぁ、やっぱり。別に千影を信用していないわけじゃないんだけど、こう、なんて言うのかな、頭では分かっていても体が「いやだ!」って拒否する、そんな感じなんだよね……。
 千影はそんな僕の不安そうな表情を悟ったのか、「…………大丈夫だよ、咲耶…………何も怖がることなんて無いさ…………。全て、僕に任せておけばいい…………」って、念を押して来たんだ。
 ……まあ、千影がそこまで言うならいいか。千影には何度となく世話になってるしね。今までは、どこから持ってきたのかも分からなかったのが、こうして判明した、ってそれだけのことだから。

「じゃあ頼むよ、千影」


 その夜、千影は約束どおりに僕の家にやって来た。

「で、僕はどうすればいいんだい?」

 ベッドに浅く腰掛けながら千影に尋ねると、千影は持ってきた布の袋の中から米粒ほどの大きさの赤い玉を取り出したんだ。

「簡単なことさ…………ただこれを飲んでいつものように眠るだけ…………。それだけだよ…………」

 ふーん。なんだか拍子抜けだなぁ。僕のイメージだと、物凄く苦くてなんだか喉に引っかかるようなちょっとどろっとした液体でも出てくるのかと思ってたのに。そんな米粒みたいな薬でよく眠れるようになる、のかい? 不思議だなぁ……。

「ありがとう、貰っておくよ。……そういえば、千影はこれからどうするんだい? 家に泊まっていくのかい?」
「ああ、そうさせてもらおうと思っていたんだ…………」
「だったらゲストルームの……」

 準備をしないと、そう言おうとした僕を遮って千影が発した言葉を聞いて、僕はものすごくビックリしたんだ! まったく、いつもみたいな冗談だったらよかったんだけどね。

「いや、それには及ばないよ…………僕は、一晩中咲耶の側にいるから…………。そして、手を握っていなければならないんだ…………」
「なんだよ、それ!」

 千影ったら、悪びれた風も無く、僕の心からの叫びも予想通りだった、と言わんばかりにいつもどおりの涼しい顔をしているんだよ。いくら千影とだって、手をつないで寝るなんて……そんなものはとっくの昔に卒業したはずだろう?

「…………でも、昔は手をつないで寝ていたこともあった…………そうだろう…………?」
「昔は昔で、今は今じゃないか」

 確かに、小さい頃の僕たちは手をつないで遊びに行ったり、一緒に寝たりしたこともあったよ。そして、そこにはいつもお姉様が現れた。手をつないでいる僕たちの間にお姉様が入ってきて、3人になって……お姉様の手、暖かかった……♪ お姉様と手をつなぐととても安心できたんだ♪ 2人で「真ん中はお姉様だよー」「そうだよ、姉くんだよー」なんてはしゃいだりしてね。
 なんとなく千影とだって手を離すのはいやだったんだよね、あの頃は。なんでだろう? 1人になるのが怖かった、のかな?

「……わかったよ、僕の負け。手をつないで寝る、それでいいよ」
「…………ああ、ありがとう…………決して離しはしないから、安心してほしい…………」

 ……なんだか気色の悪いことを言うなぁ、千影のやつ。本当に大丈夫なんだろうか?


 気が付くと、そこは湖の上で……湖の上? ああ、そうか、浮けるんだったよね。

 ……。

 ……。

 あ、夢なのか、これ。そうか、夢なのかぁ……なんだか体が軽くなったみたいにふわふわするのも、見渡す限りの湖の上に立っているのも、左手に感じる千影の手の感触も……千影?

「…………ふむ、どうやら上手くいったようだね…………」

 なんだい、千影。わざわざ僕の夢にまで出てくるのかい。僕は、千影よりもお姉様に手をつないでいて欲しかったな。あーあ、夢なんだから、少しくらいは僕の思い通りになってくれてもいいのに。

「…………来る…………」

 来るって、何が?

「咲耶♪ 千影♪」

 後ろからお姉様が僕たちを呼ぶ声が聞こえて――その声の主がお姉様だと自然に感じたんだけれど、それは夢だからじゃなくて、僕が大好きなお姉様の声を聞き取れないはずなんてないからなんだ、って強く思うんだ――振り向くと遠くの方で僕たちに手を振っているのが見えた。

「おーい! お姉様ー♪」

 早く行かなくちゃ! そう思って走り出そうとしたのに、千影が僕の手を引っ張って引き止めるんだ。
 何をするんだい、千影。早くしないとお姉様が行ってしまうじゃないか!

「…………」

 千影はただ首を横に振って、僕の手を引っ張るだけ。
 離してよ、千影、離してよ……!
 そうやって、何度か千影の手を振りほどこうとして、やっと手が離れた! と思った瞬間、右手にも誰かに握られたような、仄かに暖かい感触が僕の手のひらを包んだんだ……。
 不思議と、いやな感じじゃない……。

「誰?」

 右手の主を確かめると……お姉様? あれ? でもさっき、向こうの方に行ってしまったんじゃなかったっけ?

「姉くん…………」

 突然現れたお姉様に、千影も驚いた様子だった。こんなにびっくりした顔の千影を見るのも久しぶりだなぁ。でもすぐに何かを悟ったように、ふっと笑ってお姉様の右手を握ったんだ。

「真ん中には姉くん…………だったね…………」
「あぁ……真ん中にはお姉様だ」

 僕たちがそう言うと、お姉さまはにこっと柔らかい笑みを浮かべて、ぎゅっと僕の手を握ってきたんだ。ちょうど3人が手をつないで円になって、なんだか小さい頃みたいで心がうきうきしてきちゃった♪ ああ、すごく暖かい……。


「ん、んー……」

 ん? 朝……か? なんだかとってもいい夢を見ていたような気がするんだけど……もう、思い出せないな。
 カーテンの隙間から日が差し込んで、程よくぬくもりを感じられる。今日も暖かくなりそうだなぁ。
 ふと、脇を見ると、千影がベッドに寄りかかって寝ているのが見えた……いや、ちょうど起きたみたい。

「おはよう、千影。あのさ、千影からもらった薬が効いたみたいだよ、今日は久しぶりにすっきり目が覚めたんだ」
「…………そうかい…………それはよかった…………。でも、どうやらそれも必要なかったみたいだけれどね…………」
「ん? どういうこと?」
「姉くんとの絆は…………それほどに深いということさ…………」

 ……うーん、やっぱりよく分からないなぁ。そりゃ、僕とお姉様との絆の深さはうんと深いよ。それこそ、遥か宇宙の闇の中でも光って見えるくらいにね♪

「とにかく、もう眠りで悩まされることはないだろう…………。原因は刈り取ったからね…………」
「あ、ああ……うん、助かったよ、千影」

 ……あれ? 千影が持ってきた袋ってそんなに膨らんでたっけ?
 まあいいか。それよりも……

「それよりもさ、今度またお姉様を真ん中に挟んでどこかへ行かないかい
?」
「…………そうだね、それが良さそうだ…………」

 眠っている間、千影が握っていた左手だけじゃなくて、右手も誰かに握ってもらっていたような気がするんだ。多分、お姉様だと思うんだけど……。最近は、なかなか手をつないでくれないんだもの、お姉様ったら。感触を忘れちゃったよ。
 迷いそうになったら導いてくれる、落ちそうになったら引き上げてくれる、直接じゃないけれど、時々お姉様に手を握ってもらってるような感じがすることがあるんだ。
 今も、何故だかよく分からないけれど、感謝の気持ちでいっぱいなんだよ。

「ありがとう、お姉様……」

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