【絆の糸】
(1)千影〜prologue〜
鈴の音が、消えてしまった…………。
「ほら、千影! かわいいでしょう♪」
つい先週のことだ…………。
姉くんの手には、小さなベルが揺れていた…………。何の変哲も無い、ましてや可愛いと形容できるようなベルには、残念ながら見えない…………少なくとも僕には…………。姉くんにとってはそうでなないらしが…………。
「あのね、これはね……」
姉くんが言うには、とあるブランドのデザイナーがデザインしたもので、名前をミレニアム・ベルと言うらしい…………。そのブランド店の前を偶然通りかかった姉くんが、きっと似合うだろうと…………僕にプレゼントするために買ったようだ…………。それに、ミレニアムを千影と引っかけているらしい…………。フフッ…………実に姉くんらしいね…………。
「姉くん…………それは、僕の首に鈴をつけるということかい…………?」
「え? え? あの……そんなつもりじゃ」
「フッ…………冗談だよ…………」
姉くんは頬を膨らませながら、僕に文句を言ってきた…………またそうやってからかうんだから、って…………。なぜだろうね、姉くん…………つい、からかいたくなってしまうんだよ…………。それは、時折見せる無邪気な顔が、あの頃と何も変わらないことを確かめたいからかもしれないね…………。
そんな大事なものを失くしてしまうなんて…………いくら音の無い世界にいたとしても、あってはいけないことだった…………。
昨日は久しぶりに魂が体を離れて…………そう久しぶりだったからね…………つい、遊びすぎてしまったのかもしれない…………。姉くんの顔をちょっとだけ覗きに行くつもりだったのだけれど…………思いのほか、長居をしてしまったからね…………。
そのせいで、今日は時折周りの音が聞こえなくなるんだ…………。音の無い世界は実に孤独だ…………。でも、姉くんがくれたベルが、僕を夢から現実へと呼び戻してくれる…………。まるで、今日のことを予見していたかのように…………。
しかし、今は、気付けば音の無い世界に取り残されたままだ…………。このまま、世界から隔絶されたままなのだろうか…………? 姉くん…………君を失いたくは…………。
「……げ……。……かげっ。千影!」
…………この声は…………。残念ながら、僕を連れ出してくれたのは姉くんではないようだ…………。…………気が利かないな、君は…………。
(2)咲耶 〜brother meets brother〜
「千影!」
……はぁ、どうやら気付いたみたいだ。まったく、こんな道のど真ん中をぼーっと突っ立ったままなんてビックリするじゃないか。
遥か遠くを見つめるような虚ろな瞳で……一体何を見ていたっていうんだい、千影。
「…………やあ、咲耶…………ありがとう…………。礼を言うよ…………」
? どうしたんだ、千影ったら? 僕、何か千影のためになるようなことしたかな?
まあ、それはそれとして今日の千影の様子はどことなく変だ。確かに少し体調がよくなさそうな感じはするけど――どうせまた寝不足だろう――、それ以上に何か落ちこんでるような感じがするんだよなぁ……。
「なあ、千影。何かあったのかい? よかったら僕に話してみなよ、兄弟だろ♪」
「…………フフッ…………。…………ああ、実は…………」
千影の話はこうだった。
お姉様から貰ったベルをカバンにつけていたのだけれど、千影の不注意でどこかに失くしてしまった、と。
まったく、僕だったらお姉様から貰ったものを失くすなんて考えられないよ! しかもミレニアム・ベルだっていうじゃないか!
千年に一度の晩、夜空に輝くといわれている星をかたどったベル。そのベルには「千年後もまた一緒にいよう」という願いが込められた、恋人の誓いのベル。本当なら僕だって、お姉様にプレゼントしようと思っていたんだけど……さすがに人気が高くって、僕は買えなかったんだ。
……話を聞く限りでは、お姉様はきっとこのベルのことなんにも知らなかったんだろうなぁ……ほんと、お姉様らしいね。
「……わかった、僕が探してきてあげるよ」
「…………? どういう風の吹き回しだい…………」
「やれやれ、信用ないなぁ。僕たちは兄弟だって言ったじゃないか。それに、お姉様から貰ったものをそのままにはしておけないだろ? 千影はそこで少し休んでいるといい、すぐ戻ってくるからさ」
あんなこと言ってはいるけれど、千影だって僕が同じ状況だったら同じことをするに決まっているんだ。伊達に長年兄弟やってるわけじゃない、ってね。
……まあ、千影がお姉様からミレニアム・ベルを貰ったっていうのが羨ましくないと言えば、それは嘘になるけど……僕には千年先の約束よりも、今この時代でお姉様とずっと一緒にいられるようになることの方が、もっと、ずっと大事なことだからね……。千年後のことは、千年後にまた考えるさ。
(3)咲耶 〜and,twilight〜
……と約束したまではよかったんだけれど、あんな小さなベル一つを探すなんて結構骨だよ……。
千影が歩いてきた道のどこかに落ちているのは間違いないはずだから……そう思いながら、きちんと舗装されたアスファルトの上、街路樹の根元に広がる土の上……ああ、あの溝の中に落ちちゃってたらちょっと無理だなぁ、なんていう普段は全く気にも留めないような場所も、細かく探していったのだれど……あーっ、見つからない!
そもそも、ベルの色は黒だし……。ただでさえ小さいのに、黒なんて、こんな街中じゃあ十分保護色になっちゃうんだよなぁ……。
気付けば、すっかり辺りは暗くなっていて……空には夕焼けの緋と夜の藍が作るぼやけた境界線が見えている。
やれやれ、もう帰っちゃおうかなぁ……どうせ千影も待ちくたびれて帰ってるよ……。ううん、そんなのはダメだ。かくれんぼで他のみんなが見つかってるのに、律儀にずっと隠れてるような子だったもの。ちゃんと、見つけてあげないとね♪ ふふっ♪
それにしても「黄昏」が「誰そ彼」とはよく言ったものだなぁ、なんてついこの前古文の時間に習ったことを思い出しながら、でも、余計に探しにくくなっちゃったなぁ、なんてそう思っていると……ちょうど千影の通学路を2往復目に入ろうとした時……いくら薄暗くたって、僕に分からないわけはなかったんだ、お姉様の顔はね♪
「はーい、お姉様♪」
僕が声をかけるとお姉様もこっちに気付いたらしく……ん? 今、お姉様の足元で何か光ったような……。
とりあえずそっちにも注意しながらお姉様の方に……あっ、ミレニアム・ベル! もしかして、これ!? やっと見つけたよ……。
と、安堵したのも束の間で、「どうしたの?」とお姉様に声をかけられてはっと気付いたんだ! これ、お姉様に知られちゃまずいんじゃない!? ってね。
お姉様から貰ったものを失くした、なんてお姉様に知られるわけにはいかないよね……例え僕のじゃないとしても、さ。
せっかくお姉様に会えたのに、僕はベルがお姉様に見つからないか気もそぞろ。あーあ……いつもだったら、このあとどこか――そう、この前できた喫茶店なんかいいかな♪――に寄ってさ、軽い世間話から始まって……最終的にはデートの約束まで取り付けちゃうんだけど♪
……そうしたのは山々だけれど、やっぱり千影のこと、放っておくわけにもいかないしね。
だから、心の中で「ゴメン! お姉様!」って謝りながら、話を早々に切り上げて、後ろ髪ひかれる思いでベルを拾って、お姉様とは逆方向に走り出す。本当は、僕がお姉様の後ろ髪を引っ張りたいくらいだよ、まったく。
お姉様は後ろ姿もキレイだなぁ♪ ……なんて自分をごまかしてみたけど、やっぱり寂しいものは寂しいよ。
千影、この貸しは大きいからな! さぁて、何をしてもらおうかなぁ……。
(4)千影 〜epilogue〜
…………っ、頭が痛む…………。
…………あぁ、少し眠っていたようだ…………。
咲耶が探しに行くと言ってから、どれくらいたったのだろうか…………。辺りはすっかりと暗くなってしまい…………空には、宵の明星が瞬いているのが見える…………。
「…………寒いな…………」
やはり、体も動かさずじっとしているには、この季節はまだ早いようだ…………。このまま帰ってしまおうか…………そう、考えてはみたけれど、咲耶が戻ってくることを考えれば、それはできない…………。僕がいなくなってしまっては、今度は、一人途方に暮れるのは咲耶の方になってしまうから…………。
それに咲耶のことだ、一度探すといった以上は、そう簡単にはあきらめないはずだからね…………。
…………しかし、僕が風邪をひいてしまう前には帰ってきてほしいものだよ…………。
瞬く星空を見上げながら、僕は千影の帰りを待った…………。その時間は、確かに手持ち無沙汰ではあったが…………決して退屈な時間ではなかった…………。待つのには…………慣れていたから…………。それに、相手は姉くんを待っているのとは違うからね…………。
姉くんを待っていると…………僕の心臓の鼓動は早鐘のように鳴り響き、数時間を数瞬に縮めてしまうんだ…………。しかし、それと同時に…………その鼓動の速さで、僕の心はすぐにでも張り裂けそうになってしまうんだよ…………姉くん…………。姉くんはいつの時代も…………待っていても収まらず、手を伸ばしても距離は変わらず…………。姉弟として再び生まれ落ちることができた今世ならば…………この伸ばした手は姉くんに届くのかい…………?
けれど、伸ばした手の隙間から見えたのは…………咲耶だった…………。姉くんをこの手に収めることができるのは、まだ先のようだね…………。
「…………遅いよ、咲耶…………」
「……まったく、人が急いで帰ってきたっていうのに。まあ、とにかくこれだろ?」
「ああ…………」
咲耶の手には、確かにベルが握られていた…………。
首につけられた鈴が失くなってしまうんじゃ、ネズミも付け甲斐がないね…………フフッ…………。
「お姉様から貰ったものなんだから、もう失くすなよ」
「ああ…………首にでもつけておくよ…………」
「? チョーカーにでもつけるつもりなのかい?」
訝しげに僕の顔を見つめる咲耶…………。
…………ふむ、本当に首に鈴をつけるべきなのは、咲耶なのかもしれないね…………。
咲耶はどうやら姉くんに会ったようで…………僕に文句を言ってきたよ…………。僕は会ってすらいないというのに…………。
とにかく、ベルが見つかったからには帰ることにしよう…………そう思い、立ち上がろうとしたのだけれど…………体が冷え固まっていたからか、ぐらりとバランスを崩してしまったんだ…………。
「っと。千影、大丈夫か?」
「ああ、ありがとう咲耶…………。でもこんな風になってしまったのは、咲耶のせいだよ…………」
「……だから、遅くなったのは悪かったって」
僕が咲耶の肩を借りてなんとか立ち上がると、咲耶はおもむろにカバンの中からホットの缶コーヒーを取り出して、僕の手に握らせた…………。フフッ…………これが咲耶なりのお詫びということかい…………? 本当ならば、僕がお礼をしなければならない立場なのにね…………。まあ、それはまたの機会だ…………。
ただ、今は一言だけ…………。
「…………本当にありがとう、咲耶…………」
「…………ところで咲耶、僕が飲めないのを知っていてブラックを買ってきただろう…………」
「なんのことかな? まあ、いいじゃないか、黒は千影の色だろ」
「…………よく言う…………」